鶴瓶の家族に乾杯 | 富士山・三保松原(タモリさん)

各回の放送内容(あらすじ)と、ロケ場所となったお店の名前や取り上げられた名物・特産品の情報を集めてみました。

「鶴瓶の家族に乾杯」は、NHK総合テレビで、毎週月曜日の夜7時30分から放送されている、バラエティ番組です。
「家族」をテーマにして、司会の鶴瓶さんとその時々のゲストが旅人として田舎を訪れ、地元の人々と触れ合いながら、ステキ(素敵)な家族を求めて日本中をめぐる、“ぶっつけ本番”の旅番組です。

今後の放送予定や、収録地・出演者(ゲスト)、再放送の予定などは、「放送予定のロケ地とゲスト情報!」のページをご覧ください。

 平成30年1月2日放送 ブラタモリ×鶴瓶の家族に乾杯 初夢スペシャル ~富士山・三保松原~

年の初めは「ブラタモリ」と「鶴瓶の家族に乾杯」、2つの旅番組が夢のコラボ!タモリさんと鶴瓶さん、NHKの看板番組を持つ2人が、「同じ日」「同じ時間」「同じ町」を旅する新春特別番組も今年で3回目!

  1. 平成28年1月2日放送 真田丸スペシャル ~長野県上田市~
  2. 平成29年1月2日放送 初詣スペシャル ~成田山新勝寺~

今回訪ねたのは、富士山を望む静岡県の「三保松原」。初夢でおなじみ「一富士・二鷹・三茄子」のルーツは、なんと三保にあった?世界文化遺産を舞台に、お正月ならではの不思議に、タモリさんと鶴瓶さんが迫ります。
三保半島にある”三保の松原”は、3万本の松林が続く延長7kmの砂浜と、駿河湾を挟み望む富士山との、調和のとれた美しい景色で有名な、全国有数の景勝地です。日本新三景(大沼、三保の松原、耶馬溪)、日本三大松原(三保の松原、虹の松原、気比の松原)のひとつとされ、国の名勝に指定されているほか、平成25年6月には、ユネスコの世界文化遺産に、「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」の構成遺産のひとつとして登録されました。ただし、富士山の世界遺産登録に向けたイコモス(国際記念物遺跡会議)の選定会議では、『富士山から45km離れていて、山としての完全性を証明することに寄与していない』という理由で、三保松原は除外すべきと勧告されてしまい、一時はどうなることかと盛んにニュースで話題となりました。なお、新聞等や国内の観光ガイド等では、「三保の松原」と表記されることが多いですが、国の名勝としてや世界文化遺産登録では、「三保松原」と記されています(読み方は、どちらも「みほのまつばら」です)。

タモリさんは「土地の歴史・地形」をテーマに、鶴瓶さんは「土地柄・人柄」をテーマに、同じ日、同じ場所で旅します。しかし、二人は犬猿のキャラクター(?)。旅の様相が、全く異なる所が魅力です(笑)。さらに鶴瓶さんが「ブラタモリ」に、タモリさんが「鶴瓶の家族に乾杯」に参加!。土地の歴史や地形に興味があるタモリさんと、そこに住む人たちとのふれあいを大切にする鶴瓶さん。毎年お正月恒例になった2人の珍道中、はたしてどうなる???

出演: タモリ、笑福亭鶴瓶、小野文恵アナウンサー、近江友里恵アナウンサー

(ところで近江アナは、4月から、「あさイチ」を3月いっぱいで卒業する有働アナの後任に内定したそうです。すると、ブラタモリのアシスタントも交代でしょうか?)


ロケが行われたのは、平成29年11月22日(水)。「三保松原」(みほのまつばら)の海岸で、正月にピッタリの雪を抱いた美しい富士山を背景に、タモリさんと近江アナが、新年の挨拶をして番組がスタート!・・・のはずだったのですが、実は背景の富士山は、何時もの巨大写真パネルで、この日は生憎の曇り空のため、実際は富士山を望めませんでした(汗)。一方、鶴瓶さんはと言うと、マイクの音声トラブルで、遅刻?。タモリさんの歴史や地形論議に興味の無い鶴瓶さんは、コートのポケットに手を突っ込んで、『今日は中止や、中止』と半分喜ぶ始末(笑)。その間、タモリさんは、暇に任せて近江アナに、海の向こう側に見える伊豆半島の成り立ちについて、語ってくれました。伊豆半島は、大昔は、ずうっと南の方にありまして、それがどんどん日本列島に近づいて、現在ちょうど本州に衝突中なんだそうです!(へぇぇぇ)。

ようやく鶴瓶さんのマイクも直り、二人は合流と相成りますが、遅刻云々でひと悶着(汗)。そこに、例の「タモテバコ」が差し出され、本日のお題(旅のテーマ)は、『”一富士・二鷹・三茄子” ルーツは三保にあり!?』だと知らされます。”一富士・二鷹・三茄子”とは、初夢で見ると良いとされる縁起もので、その始まりは江戸時代、庶民の間で大流行しました。

その答えを探して三保を案内してくれるのは、三保に暮らして30年という、郷土史家の渡邊康弘さん。渡邊さんがまず紹介してくれたのは、喜多川歌麿の描いた美人画、「一富士二鷹三茄子」(奈良県立美術館 所蔵)。「初夢見立(みたて)」と呼もばれる、大変縁起のいい浮世絵で、富士山と鷹と茄子がちゃんと描かれています。そして、そのルーツは、「徳川家康」にありました。家康は、今川家の人質だった幼少期と天下人になった晩年に併せて約27年間、駿府(現在の静岡市)で過ごし、その時に好きになったのが、富士山と鷹と茄子。家康に憧れた江戸庶民は、家康の好物を夢で見ると縁起がよいと考えるようになり、それが大流行したわけです。

なお、三保から望むことが出来る、富士山と海と松林という絶景セットは、平安時代にまで遡ります。三保の松林の地は、その昔、風と波により、海から砂や石が吹上げられ積み重なったもので、てっきり陸地が削られて出来たと思っていた鶴瓶さんは、その説が俄かに信じられません(笑)。『風っていうのはバカにしちゃいけない』とタモリさん、『伊豆の先端に行けば、あの松原の高さ以上にまで砂が持ち上がった”サンドスキー場”があるくらいだから』と、鶴瓶さんを諭します。確かに松林の太い松も、風に煽られ、大きく陸地側に傾いて生えています。三保半島の海岸に沿った道を半島の付け根に向かって歩いていった一行は、一旦高くなった半島がまた下って行った先で、「瀬織戸の渡し跡」と記された看板を見つけます。室町時代の頃まで、三保半島は島となっており、浅瀬の海を渡し船で渡っていたそうです。しかし三保は、陸続きになった後も長らくの間、島として富士山とセットで絵に描かれてきました。その理由を探るため、一行は駿河湾を挟んで富士山を望む景色を見に、有度山の中腹にある茶畑に登ります。すると、そこから見えた景色は、平安時代に発達した庭園様式である、「浄土庭園」の造りそのもの。「浄土庭園」(浄土式庭園)とは、極楽浄土を表現した庭園で、仏様を祀る建物の手前には、必ず大きな池と島が造られました。日本一の霊山である富士山は、神様仏様が宿る場所。その手前に、三保という島があるこの景色は、平安時代の人々の目に、真の極楽浄土に映ったそうです。そのため、三保から望む富士山の景色が、とても有難がられたわけです。これこそが、富士山とセットで三保が世界遺産に登録された所以なのです。

ここでスタジオから、近江アナが「初夢」のウンチクをチラリ(笑)。初夢とは、元旦の夜に見る夢という説(タモリさん)と、2日の夜に見る夢という説(鶴瓶さん)がありますが、諸説あって真意は定かでなく、どちらも正解とするのが通説のようです。辞書には、『元旦の夜、もしくは2日の夜に見るもの』と書かれており、江戸時代に、元旦の夜はいろいろ忙しいので、2日の夜の夢を初夢にしちゃえ!っていう風潮が広まったらしいです(笑)。

続いては、「二鷹」のルーツを探しに、有度山の麓で、鷹匠(たかじょう)の佐藤将寛さんと出会います。飼いならした鷹を使って、野生の鳥やウサギなどを捕まえることを「鷹狩り」と言いますが、将軍は領地の視察などを兼ねた遊びとして、鷹狩りをしました。なかでも家康の鷹狩り好きは、江戸時代の庶民の間でも有名だったそうです。せっかくなので、鶴瓶さんとタモリさんは、恐々ながら鷹匠体験をさせてもらいます。ところが、渡邊さんによると、「二鷹」のルーツは、この「鷹」では無いそうです(汗)。「一富士二鷹三茄子」のルーツについて書かれた江戸時代の書物、「甲子夜話」(松浦史料博物館 所蔵)には、家康が話したとされる言葉として、『マズ一ニ高キハ富士山ナリ、ソノ次ハ足髙山ナリ、其次ハ初茄子ナリ』と、書かれています。つまり、二番目は「足高山」の”高さ”を褒め称えたものであり、それが家康の鷹狩り好きと重なって、「二鷹」へと変わっていったと思われます。現在、足髙山は”めでる、鷹、山”と書いて「愛鷹山」と表記されていますが、このように変わったのも江戸時代で、二「高」が鳥の「鷹」に変わったことと、何か関係があるのかもしれません。

次に、タモリさんと鶴瓶さんが訪れたのは、家康と縁の深い「久能山東照宮」。途中、日本平ロープウェイから見下ろす「屏風谷」は、とても絶景です。さて、東照宮といえば「日光東照宮」が有名ですが、「東照宮」とは徳川家康を祀る神社のことで、全国各地に50社以上もあります。その中で一番最初に建てられたのが、久能山東照宮。建立のきっかけは、家康の遺言に、自らの遺体を久能山に埋葬するよう書かれていたからです。よっぽど、久能山からの景色が好きだったのでしょう。社殿の正面にある唐門には、家康の鷹好きを表すかのように、立派な鷹が透かし彫りされています。

さて、次は「三茄子」の謎を解き明かしに・・・という所で、鶴瓶さんの我慢は限界。勝手に一人でロープウェイに乗ると、久能山を下りてしまいます(汗)。タモリさんから、『縁起物の番組なんだから、”日本一”とか目出度い物を訪ねるように』と言われたものの、何も当ての無い鶴瓶さんは、自分の本名が”駿河”だからと、静岡市の駿河区の中心部を訪れてみることに。

すると街中で、”おにぎり”という幟が立っているお米屋さん「ライスショップあおしま」を見つけ訪ねてみると、奥さんが店先で、手作りのおにぎりを作って販売しているそうです。鶴瓶さんは、店先でシャケのおにぎりを頂きながら、ご主人に家族の話を聞いていると、100歳のお母さんが先日表彰されたと教えられますが、この日は生憎とデイサービスに行っていて留守でした。でも、100歳のお祝いに安倍内閣総理大臣から贈られた表彰状と、記念に描いてもらった肖像画が飾られており、それを拝見した鶴瓶さんは、さっそくタモリさんに言われた目出度いことに出会えたと喜びます。そこに奥さんが帰ってきて、ご夫婦揃って話しを聞いていると、なんと2階には、奥さんの95歳になるお母さんが寝ているそうです。寡黙なご主人で、なかなか話が先に進みませんが、思わず95歳のお婆ちゃんと出会うことが出来、『いつも見ていますよ』と言ってもらえた鶴瓶さんは、二度ビックリです。

一方、タモリさんは、「三茄子」のルーツを探りに、久能山東照宮の表玄関に当る「一の門」へ。そこから望む断崖絶壁に造られた表参道の石段は、なんと1,159段もあるそうです(汗)。そこで次に紹介されたのが、静岡大学教授の小山真人さん。2015年10月31日放送のブラタモリで、富士山頂まで案内してもらった先生です。専門は火山学ですが、静岡の地質にも詳しいとのこと。先生によると、『この崖と茄子には深い関係があり、大地の壮大なドラマがそこに隠されている』そうです(笑)。この高さ200メートル、幅5キロに渡る断崖絶壁は、タモリさんが石を見て判断するに、泥岩の地層。それも、丸く小さな石ころが多く混ざっていますので、河口の堆積物による地層であることが分かります。小山先生によると、今から20万年ほど前、川が運んだ黒い石が海底に堆積したユーラシアプレートが、その下に潜りこむフィリピン海プレートにより押し上げられ、10万年の歳月をかけて、300メートルほどの山に隆起したそうです。実はこの隆起速度、日本では有数のスピードだそうで、10万年で300メートルということは、100万年後に有度山は、3千メートル級の山になっている計算です(汗)。そこで先生が見せてくれた実験が、有度山が海流に削られて、その石や砂が下流に堆積して三保半島が出来た経緯。見事、三保半島とソックリの形が現れました!。そして、三保半島を形成したその黒い砂が、茄子と関係があるんだそうです???

ここで再び三保に戻ったタモリさんが訪ねたのは、農家の斎藤さんのビニールハウス。中に生っていたのは、市場にはほとんど出回らない当地のブランド野菜である「折戸なす」。江戸時代には、当然ビニールハウスは無かったわけですが、三保の土が黒い砂だったことで、春先の地温の上昇が早く、他の地域に比べ2~3ヶ月も早く茄子が収穫できたそうです。初物を有り難がった江戸時代、どこよりも早く出回る折戸茄子は大変貴重で人気があり、先の「甲子夜話」に書かれた『其次ハ、初茄子ナリ』とは、「価貴い」もの、つまり値段が高い物として初茄子が挙げられたということです。家康は、この折戸茄子が大好きで、毎年折戸茄子の初茄子を500個も献上させていたそうですが、当時はピンポン玉ほどの大きさにしか育たなかった初茄子が、なんと5個で1両(10万円くらい)もしたそうです(驚)。そこで、家康が大好物だったという折戸茄子が、一体どんなに美味しいのか、タモリさんも食べてみることに。斎藤さんのオススメは、油で焼いた焼きナスですが、まずはナマの折戸茄子をかじって食べてみたタモリさんと近江アナ、甘くてリンゴの様な果物に感じたそうです。もちろん焼きナスも、すごくみずみずしく、甘さが増して、絶品だそうです!

したがって、「一富士二鷹三茄子」のルーツとは、家康が愛でて挙げた”高いもの”の順番で、一番が「富士山」、二番が足髙山で後に転じて「鷹」となり、三番が値段が高い「初茄子」ということでした(笑)。

一方、駿河区を旅する鶴瓶さんは、寡黙な米屋のご主人の弟さんで、水道工事業なのに家具を作ったり今は漆に凝っているという、青島ユキオさんを探して、「青島商会」を訪ねます。するとそこに、タイミングを計ったように明るい奥さんが帰宅。奥さんの、ご主人の漆塗りに対する評価は『下手の横好き』だそうですが、一つだけ黒檀の作品は、合格点が上げられるレベルとのこと(笑)。鶴瓶さんは、ご夫婦から、楽しい馴初め話や、家族の話を聞くことができました。

次に鶴瓶さんが見つけたのは、「長谷川畳店」。80歳になるという先代に話を聞くと、この畳屋の後継ぎが、先ほど訪ねた久能山東照宮で400年祭が開かれた際に、畳の張替えを任されたそうです。息子さんが客先から戻るまでの間、先代ご夫婦から家族の話を聞いていると、涙もろいお父さんは、すぐに涙を流し始めます。意地悪な鶴瓶さんは、お父さんがほだされる様な思い出話を重ねて振るものですから、お父さんの涙が止まりません(笑)。息子さんが戻り、鶴瓶さんが話を聞いている所に到着したのは、三保を後にしたタモリさん一行。タモリさんと鶴瓶さんは、昔ながらの畳の造りなどについて、息子さんから教えてもらうことができました。

再放送の予定は、今のところありません。

 


二人旅

鶴瓶さん

タモリさん

 


番組内で紹介された 静岡市三保の名物など

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