五里ケ峰(葛尾城跡経由) - 登山

紅葉最盛期に、坂城神社から葛尾城址を経て五里ケ峰へ登ってきました。

五里ケ峰

 1.五里ケ峰と葛尾山の概要

五里ケ峰(ごりがみね)の標高は、1,094mです。五里ケ峰の主尾根を千曲川に下りてきて、中間部から派生した尾根の先端頂上が、かつて「葛尾城」のあった葛尾山(かつらおやま)で、さらにその尾根先には、葛尾城の出城の「姫城」があった横吹山(標高 645m)があります。この、五里ケ峰から葛尾山、横吹山に至る尾根が、千曲市と坂城町との、ちょうど境になっています。

五里ケ峰の下には、上信越自動車道の「五里ケ峰トンネル」が通っています。トンネルの全長は約4.5kmもあり、上信越自動車道では最長のトンネルです。

葛尾城跡本郭葛尾山(三角点)の標高は、805.0mです。

葛尾山の標高をインターネットで検索すると、816.5mという数字も出てきます。この標高 816.5mというのは、葛尾城跡(かつらおじょうせき)本郭がある場所の標高で、本郭は葛尾山山頂より十メートルほど高い尾根の平場に建てられています。
(右が、葛尾山の三角点の場所から、葛尾城跡本郭を見上げた写真)

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ちなみに五里ケ峰は、北国街道の上田宿と長野宿の間が十里あり、そのちょうど真ん中となる五里の地点にあったことから、この名が付いたという伝えがあります。


葛尾城と村上義清について

葛尾城は、南北朝時代末期から室町時代頃と言いますから、1390年から1400年前後に、坂城に拠点を移した村上氏によって築城された山城です。村上氏の居館跡は、麓の登山口のある坂城神社下にあって、長野県にある山城らしく、葛尾城との標高差(比高)は400m近くもあります。さすがに、平時は館で暮らして、戦時のみ葛尾城を拠点に戦ったようです。

村上氏の先祖は、源盛清とされています。坂城町の史料によると、寛治8年(1094年)に起きた白河上皇呪詛事件により、源盛清は信濃国村上郷(現、坂城町村上地区,千曲川左岸の山麓)に流罪となり、その子 為国が、村上氏を興しました。村上氏は、この地で徐々に勢力を伸ばし、室町時代頃には拠点を坂木(現 坂城町坂城地区,千曲川右岸)に移すとともに、山城の葛尾城を築いたとされます。出城の姫城の築城は、さらに後の時代のこととされます。姫城跡の標高は646mで、北国街道の難所であった横吹八丁の真上にあります。

村上氏は、戦国時代の村上義清の頃には、東北信一帯に勢力を伸ばし、武田信玄と激戦を繰り広げます。義清は、2度の戦いで信玄を敗ったとされますが、天文22年(1553年)4月の武田軍の攻撃に敗れ、義清は越後の上杉謙信を頼って落ちて、葛尾城は自落。これ以降が、あの有名な“川中島の戦い”へと繋がっていきます。上杉謙信は、布施・八幡の戦いで武田勢を撃破し、義清は葛尾城と旧領を一時取り戻しますが、すぐにまた武田軍に塩田城を攻められ、越後へと敗走することになります。

登山コース

葛尾山ならびに五里ケ峰へは、多くの登山ルートがあります。

葛尾山(葛尾城跡)への車で一番近いアクセスルートは、坂城町にある和平高原から、“あんずの里”で有名な千曲市(旧更埴市)森地区に通じる「林道更埴坂城線」を通り、途中で左手に分岐している「北山林道」が、葛尾城の背後まで通じています。北山林道はここが終点で、片側が崖のダート道ですから、自動車での通行には十分注意が必要です。林道終点の広場から、葛尾城跡までは、徒歩10分ほどです。
一方、メインの登山口は、坂城神社の裏手にあります。ここから飯綱山を経て葛尾山に至るルートは、葛尾城跡遊歩道として整備されています。かつての村上城主や家来達もここを登ったのだと思うと、感慨深いものがあります。
他に、坂城神社登山口から遊歩道近道や、姫城経由のルート、他の坂城側の登山口から登るルートなどがありますが、道を知らない人は止めておいた方が無難です(後記)。姫城近くには、“苅屋原の七不思議”という坂城町の伝説の「灯の松」と「比丘尼石」があり、登山コース脇に、案内標識がありました。

また、葛尾城や姫城のある尾根の北西側、千曲市磯部福井地区にある福井公民館(googleマップ)近くの登山口から登るルートもあります。さらにその先の、国道18号線にある守屋工機(googleマップ)前から踏切を超えて山手に入った先には、泉平経由の姫城登山口がありますが、こちらも登山道が分かり難いため、登るのはおすすめしません。

ページ移動長野県山岳ガイド-信州の山- 『葛尾山 坂城神社コースマップ』 へ
ページ移動長野県山岳ガイド-信州の山- 『葛尾山 磯部登山口コースマップ』 へ


五里ケ峰へは、坂城神社登山口から、葛尾山を経由して登るルートが、もっとも一般的で、分かりやすい登山コースです。他に坂城側からは、笹平から登るルートや、和平から鏡台山を巡るルートもあります。

一方、千曲市側からは、先の「林道更埴坂城線」が、五里ケ峰山頂の北東側近くまで通じています。また、千曲市磯部福井地区の登山口から、葛尾山を経由して五里ケ峰に登るルートや、商売池を経由して、五里ケ峰山頂下で葛尾山からの登山コースと合流するルートもあります。
さらに健脚向けには、五里ケ峰の北西に伸びた稜線、通称「五一山脈」を縦走するルートもあります。五一山脈は、千曲川の右岸に沿って連なる山々の頂を結び、有明山から一重山へ、そして千曲市屋代地区にあるしなの鉄道屋代駅の裏手で、平地になります。このルート沿いの五里ケ峰近くの北尾根には、「勘助道」(勘助横手)と呼ばれる横道が一部残っています。この横道は、山本勘助が村上義清の葛尾城を背後から攻略するために作らせたという軍用道路だそうです。このルートへの入口は、五里ケ峰山頂にあります。山頂で北側の林の中をよく見ると、藪の切れ間に、ロープの張られた急坂が見えます。

ページ移動ステキさかき観光協会-坂城の里山を歩く- 『鏡台山・葛尾城コース』 へ
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私は、坂城神社登山口から、飯綱山を経由して葛尾山(葛尾城跡)、五里ケ峰へと登り、帰りは、葛尾山から姫城跡の横吹山を経由して、登山口へ戻ってきました。ただし、姫城跡から登山口へ戻るルートでは、道に迷ってしまい、山の中を這いずり回る羽目に。

坂城神社へは、車だと、上信越自動車道の坂城ICから約5km、約10分です。神社の裏が、葛尾城址へ続く遊歩道の登山口です。神社に向かって右側の道を廻ると登山口があり、その100mほど先の右手に登山者用の駐車場があります。
電車だと、しなの鉄道の坂城駅から700m、徒歩10分ほどです。
(↓地図をクリックすると、googleマップが別ウインドウで開きます。)

長野県北信の地図と坂城神社の位置


 2.五里ケ峰 山行

この日は、長野地方は朝から雲ひとつないほどの快晴。周囲の里山は、3日前の雨を機に紅葉が最盛期となり、心地よい秋晴れの中での山行でした。

また、この日の長野の最高気温は20度と、まさに“小春日和”。五里ケ峰の山頂に到着した時には、下着もシャツも、汗でビショビショでした。幸い、登ってくる間にすれ違った登山者はたった一人。私が山頂に着いたのは13時過ぎなので、後から登ってくる登山者も居ないでしょうから、下着もシャツも脱いで上半身真っ裸になり、その服は山頂案内看板に掛けて乾かしながら、昼食にしました。風も穏やかで、11月の標高1,094mの山頂なのに、素っ裸になっても、ぜんぜん寒くありません。むしろ、日光浴に最適なほどの気候で、びっくりです。

行程 (2015年11月5日)
11時10分 坂城神社・葛尾城跡登山者専用駐車場 到着
11時15分 葛尾城跡登山口
  ↓ (登り:45分)
12時00分 葛尾山頂 到着
12時05分 葛尾城跡
12時20分 北山林道終点
  ↓ (登り:35分)
13時00分 五里ケ峰山頂 到着 (登山口からはトータル1時間45分)
13時20分 五里ケ峰 下山開始
  ↓ (下り:40分)
14時00分 葛尾城跡 到着
  ↓ (下り:20分)
14時20分 姫城跡 到着
  ↓ (下り:30分 ・・・ 気分的には山中を1時間以上も彷徨った感じ)
14時50分 坂城神社・駐車場へ帰着

坂城神社裏の葛尾城跡登山口
登山口の右手100mほど先の水路脇に、葛尾城跡登山者専用駐車場があります。
坂城神社登山口

遊歩道の案内看板
登山口からしばらく登ると、遊歩道は二手に分かれます。案内看板がありますが、片方はしばらくの間、通行止めとなっています。スズメバチの注意看板も。
またしばらく登ると、飯綱山の崖下に石祠が見えます。
飯綱山直下の崖 遊歩道

尾根筋
飯綱山を右手に折れると、見晴らしのよい尾根筋に出ます。
正面には葛尾山が、右手には坂城の町と菅平高原の山々が、そして眼下には千曲川が流れています。
菅平方面の景色 尾根筋

葛尾城跡本郭(主郭)
本郭に建てられた見晴らし小屋からは、千曲川の流れに沿って善光寺平が一望できます。
南には坂城町とその町工場が、西には戸倉上山田の温泉街があり、北西には千曲川の流れる千曲市街と長野市街の向こうに、既に雪を頂いた北アルプスが見渡せます。上山田温泉の裏手にある荒砥城は、ここからだと遥か眼下にあり、葛尾城がいかに高い場所にある山城かが分かります。
葛尾城跡本郭(主郭)
葛尾城跡から戸倉上山田の眺め
葛尾城跡から北西方向

見晴らし小屋
見上げると、見晴らし小屋の天井には案内看板が貼られ、小屋の隅には、登山者記帳ノートが入ったポストが置いてありました。
葛尾城の遺構となる特徴の一つが、幾重にも空堀りされた「堀切」(尾根を横断するように深い堀を掘った防御施設)です。現在、堀切の登山道には木製階段が整備され、説明の看板も貼ってありました。
見晴らし小屋の天井
堀切(空堀)
五里ケ峰の頂

謎の「でんわボックス」
葛尾城から枯葉の積もった林の中を10分ほど進むと、突然登山道の脇に、放置され朽ち果てた「公衆でんわボックス」が現れます。
きっと誰かがいたずらで、林の中に電話ボックスを移動させたのだろうと思っていたのですが、帰りにふと、電話箱の扉を開けてみると、中に『葛尾城跡』と題した、坂城町教育委員会作成の説明資料(A3版)が入っていました!。まさに、『幽霊の正体見たり枯れ尾花
謎の電話BOX

北山林道の終点広場
謎の電話ボックスのすぐ先が、北山林道の終点です。
終点の広場には、立派な葛尾城跡の案内看板が設置されていました。
北山林道終点から少し登った先にある、鉄塔の真下で、千曲市磯部から陰の松経由の登山コースと合流します。
北山林道終点先の鉄塔下 北山林道終点

福井地区からの登山コースと合流
千曲市福井地区から商売池を経由する登山コースと合流すると、すぐその先が、五里ケ峰の山頂です。
商売池経由の福井方面への看板

五里ケ峰 山頂
雪を頂いた北アルプスを眺めながら、顔を北側(右方向)に向けると、善光寺平の真ん中を雄大に流れる千曲川と、そこに広がる長野市街地、その先には戸隠山や飯縄山、その奥に妙高山と火打山が見渡せます。
長野市街と戸隠や飯綱の山並み 北アルプス

姫城跡へ向かう分かれ道
五里ケ峰からの下りは、40分ほどで葛尾城跡に到着。
葛尾山頂から尾根を少し下りたところに、姫城跡へ向かう分かれ道(案内看板)があります。
最初、姫城には立ち寄らず、このまま登ってきたルートを下りようと思ったのですが、せっかくだからと、引き返して姫城方面の登山道へ。実は、後で『ここで止めておけばよかった』と、後悔することに・・・。
分かれ道で尾根を分かち、姫城のあった横吹山に続く尾根をまっすぐ下へ降りていくと、古い鉄塔の脚場になっていたコンクリートの基礎が残されていました。
昔の鉄塔の塔脚跡 姫城への看板

姫城跡
この尾根の先が横吹山で、その平場に姫城がありました。
姫城跡地の真下は、北国街道の難所とされた横吹八丁で、山裾まで千曲川が蛇行して、尾根を切り崩し、岩の断崖となっています。
姫城跡から100mほど尾根を戻った所に、尾根の北側にある苅屋原の七不思議のひとつ、「比丘尼石」へ向かう分かれ道があります。その南側にも、登山道(らしき道)が見えたので、私はそれが坂城神社からの遊歩道に繋がる登山道であろうと思い込み、下りてしまったのです。
姫城跡 姫城手前の分かれ道

さてさて、それが運の尽き。そのうち、登山道らしき道は、キノコ探しの人が残した道になり、獣道になり、藪が生い茂るようになり、遂に、どっちに進んだらいいのか分からなくなってしまいました。

『ひょっとして、遭難したか?』と、あまりに焦って山を駈けずり回ったので、ものすごい汗が吹き出します。とりあえず水を飲みつつ、ひと休止して、木々の間から千曲川と坂城の町を眺めながら戻り道を考えると、だいぶ西寄りに山を下りてしまったようです。気ばかり焦って、獣道を探しながら、“下へ下へ”と下りてしまったのがマズかったと、反省。

そこからは、どっちか分からなくなったら、下ではなく上への道を探しつつ、下りるより、できるだけ東にに向かうよう進むと、しばらくして、炭焼き跡らしき石積みを発見。ホッとすると、その上が、往きに通った登山道でした。この間、私は1時間以上も山の中を迷ったと感じていたのですが、後から時計を見てみると、たった30分間の出来事だったようです・・・(汗)。

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