鶴瓶の家族に乾杯 | 福島県新地町(間寛平さん)

各回の放送内容(あらすじ)と、ロケ場所となったお店の名前や取り上げられた名物・特産品の情報を集めてみました。

「鶴瓶の家族に乾杯」は、NHK総合テレビで、毎週月曜日の夜7時30分から放送されている、バラエティ番組です。
「家族」をテーマにして、司会の鶴瓶さんとその時々のゲストが旅人として田舎を訪れ、地元の人々と触れ合いながら、ステキ(素敵)な家族を求めて日本中をめぐる、“ぶっつけ本番”の旅番組です。

今後の放送予定や、収録地・出演者(ゲスト)、再放送の予定などは、「放送予定のロケ地とゲスト情報!」のページをご覧ください。

 平成28年2月15日放送 「福島県新地町(前編)」(ゲスト:間寛平さん)

東日本大震災の被災地を訪ねるシリーズの第8弾です。

今回の旅のゲストは、被災地に元気を届けようと、2011年3月の震災以降、毎年「みちのくマラソン」を実施している、間寛平さんです。前回は、平成23年9月に、福島県相馬市を訪ねています。東北・福島各地をマラソンで走り回っている寛平さんですが、新地町という名前は知らなかったことから、今回皆に知ってもらおうと、旅先に選んだそうです。新地町の人口は約8千人ですが、死者・行方不明者119名、住宅全半壊が630棟という甚大な被害を受け、未だに160世帯ほどの方が仮設住宅に住んでいます(2015年3月末現在)。

ところで、間寛平さんが登場する回は、いろいろとイベント事が絶えません。果たして今回、寛平さんのウヒハやアメマに、鶴瓶さんや小野アナウンサーの節操は守られるのでしょうか? (~_~;)

前編では、 震災の被害があった「釣師浜漁港」から旅が始まります(ロケは2016年1月20日)。まず先に、間寛平さんが地元の人を見つけて漁港について話を聞くと、港は復興工事の真っ最中で、漁は放射能検査のために、まだ試験操業中とのこと。以前は、この港に揚がる「釣師カレイ」が特産だったそうです。そこに鶴瓶さんが登場し、鶴瓶さんもその人に話を聞こうとしますが、既に自分が話を聞いたからと、寛平さんが間に割って入って鶴瓶さんを阻止します(笑)。鶴瓶さんが『せめて名前だけで』と言うと寛平さん、『せや、名前を聞くのを忘れとった』と。何とこの方、阪神タイガースの往年の名投手「村山実」さんと同姓同名だそうで、関西人の二人はビックリです。

鶴瓶さんと寛平さんが、漁師さん達の家が残っているという大戸浜地区を訪ねようと、復興工事中の漁港を歩いていると、車に乗った年配の女性二人から、『寛平ちゃん、会いに来た』と声を掛けられます。寛平さんは、さも久しぶりに知り合いに会ったかのように、『アッ、ちょっと痩せた?』と、十分丸々とした女性に挨拶を返します(笑)。それを聞いた鶴瓶さん、後ろから寛平さんの頭をバシッバシッと!。

お二人は、以前この辺に住んでいましたが、去年、集団移転で新しく家を建てて引っ越したそうです。それを聞いた寛平さん、『たいへんだったでしょ。釘、全部、トントンと』と(笑)。それを聞いた鶴瓶さん、今度は『おちょくりに来たんか!』と怒鳴ります。(寛平さんのボケとギャグを書いていたら、終わらなくなってしまいそうです・・・(~_~;))

鶴瓶さんと寛平さんは、この女性二人の車に乗せてもらい、引っ越し先の「大戸浜集団移転団地」を訪れます。新築のお宅に上がらせてもらうと、中はだいぶ散らかっていて、鶴瓶さんが『掃除せなあかんよ』と。すると今度は寛平さんが、『人の家に入って、掃除せえとか、思ってても、それ言うたらアカンで』とたしなめます(笑)。寛平さんは、二人の女性の年齢を聞くと、『みえる~』とギャグを飛ばします。二人は、コーヒーを頂きながら、集まってきた隣近所の方々から、震災の時の様子や、その後の暮らしぶりについて話を聞きました。

ここでスタジオから、新地町をビデオで紹介。紹介してくれるのは、新地町陸上クラブの皆さん。寛平さんのお面を付けて町内を走りながら、町の名物を教えてくれました。
まず走った、オススメコース①は、「ニラ畑」。新地町の野菜売上額の6割を占めるニラは、葉の幅が広く肉厚なブランド品です。
オススメコース②は、平成の名水百選にも選ばれた「右近清水」での給水ポイントです。
オススメコース③は、「鹿狼山」(かろうさん)。標高430mと比較的登りやすく、県外からも多くの登山客が訪れるそうです。

その後、一人旅になった寛平さんは、復興に携わる人々を応援したいと、町内を巡り歩くことに。すると、復旧工事中の線路近くに、プレハブの事務所を見つけ訪ねます。そこは、JR常磐線の復旧土木工事を担当しているユニオン建設株式会社の「常盤線復興出張所」で、2階の事務所に上がり、工事の進捗状況などの話を聞きました。今年の12月に、相馬駅(福島県)~浜吉田駅(宮城県)が再開予定だそうです。帰り際に寛平さんは、『僕の夢はユンボの運転手だった』と、バックホー(油圧ショベル)のモノマネを披露して、復興を支える工事の人たちにエールを送りました。

一方、鶴瓶さんは、津波から自宅が残った大戸浜地区の高台を訪ね、庭で軽トラックを洗車していた方に声を掛けます。すると、家のすぐ下にあるビニールハウスの半分まで津波が押し寄せたそうです。その時、ご主人は家に居なかったそうですが、家に居て二階に避難したという奥さんが、その時撮った写真を手に持って、出てきてくれました。このお宅は、東にある海岸線まで4百メートルほどしか離れていませんが、ちょうど小高い丘の西斜面に建っていたので、津波は丘を回り込んで、西側から押し寄せたそうです。そのお蔭か、津波の勢いも弱まり、浸水を免れたとのこと。

鶴瓶さんが、そのお宅から100メートルほど坂を登って丘の上に出ると、なんとそこから直ぐ先に、海岸線が見えました。そして、その足元の下には、海辺まで、かつて住宅が建ち並んでいたはずですが、津波に飲み込まれ、今は階段状に造成されたコンクリート塀のみが残っているだけです。その脇には、津波を逃れた住宅が数軒残っており、鶴瓶さんは、その一軒のお宅を訪ねてみます。そこで、お茶を頂きながら、お婆さん達に、津波が押し寄せた時の様子など、震災について話を聞きました。津波から残されたお宅も、その後5年間続いている復興工事の振動と音で、大きな影響を受けているらしいのですが、今となってはどうしようもないとのことです。

寛平さんは、きれいに建て替えられた新地町役場を訪れます。しかし、ちょうど昼休みで照明も落とされ、町民課のフロアーは、シーンと静まり返っています。町民課長さんに話を聞くと、復興状況については復興推進課の方が詳しいと教えてもらいますが、自分で探し訪ねて再び撮影交渉をするのが面倒な寛平さんは、復興推進課の場所を指さされても、『何処ですか?』と分からない振りをしながら、ついに町民課長さんに、まだプレハブ住まいの復興推進課まで案内させてしまいます(笑)

寛平さんは、復興推進課の課長補佐さんから、『160世帯分となる7箇所の高台集団移転団地を造成し、既に90%以上の人達に新しい家に住んでもらっている』といった、復興状況の話を聞きました。復興にあたって、特に尽力頂いたのは、全国各地の自治体から派遣されている支援職員という話を聞き、寛平さんは支援職員の皆さんに、声を掛けて回ります。寛平さんの出身地である高知県からも、二人の方が来ており、『高知県と聞くだけで身内みたいな気がして』と、握手してエールを送りました。

 平成28年2月22日放送 「福島県新地町(後編)」(ゲスト:間寛平さん)

電力と震災 東北「復興」
 電力物語/町田徹

後編では、 役場の復興振興課を後にした寛平さんは、職員さんに紹介されて、役場の敷地内に立てられて風になびく、「復興フラッグ」を紹介してもらいました。災害派遣で来た自衛隊の方が、撤退の際に日の丸に、『頑張れ、負けるな』と寄せ書きをして立ち上げていってくれた旗が引き継がれて、現在は震災のシンボル(アーカイブ)として残されているそうです。そこへ、役場を訪れていた建設会社「有限会社猪狩組」の社長さんが、『新地町に歩いている人いねぇぞ』と声を掛けきたので、寛平さんは『喫茶店でコーヒーくらいおごってよ』とおねだり。社長さんに連れられて、役場近くに新店舗を構え営業を再開した軽食・喫茶「アジュール」を訪れた寛平さんは、ちゃっかりコーヒーをご馳走になりました(笑)。

社長さんと別れた寛平さんは、今度はお昼御飯を食べたいと、地元の食堂を探しますが、ぜんぜん見つかりません。ようやく、「新地営農センター」の玄関先に立てられた、『なべ焼うどん』の幟を見つけ訪ねてみます。するとそこは農協で、『なべ焼うどん』は農協の取扱商品でした。しかしお腹が空いた寛平さん、向かいにある農産物直売所「味菜ひろば よりみち」から、ネギと卵を買ってきて、農協の女性職員さんに、なべ焼うどんを調理してもらうことに(驚)。「よりみち」では、三人の女性従業員さんに歓迎を受けた寛平さん。皆さん明るい方々で、寛平さんは『つらいこともいっぱいあるけど、笑ってたら逃げていきよる』と、皆で『わぁハッハッハッ~』と大笑いをしました(笑)。農協に戻り、事務所の台所でなべ焼うどんを作ってもらった寛平さん、凍えそうな手で湯気の立ったなべ焼うどんを頂き、『うまいですわ~これ』と大絶賛!

一方、鶴瓶さんは、旅の前半で出会った女性の弟さんが、大戸浜集団移転団地に家を新築したと聞き、再び先に訪れた団地で、弟さんを探し訪ねることに。そこで、旅の前半で出会った人と再会すると、なんと探し人はその人の甥っ子だそうです。

案内してもらい鶴瓶さんは、ようやく目的のお宅を訪ねることが出来ました。ご主人は、震災当時は大津波警報を聞き、息子さんと二人で船を沖に出して一晩船で寒さを堪えて過ごしたそうですが、同じく船を出した弟さんは転覆して亡くなられたとのこと。一夜明け、港に戻ったご主人が目にしたのは、『この世にこんなことありえんのか』と思ったという、瓦礫の山だったそうです。そんな経験を、10年後や20年後にも忘れないようにと、きちんと書き残していて、今では漁師さん達も、地震があったり津波が予想された時には、船より命が大事、浜には近づかず、船を沖に出すこともしないようになったとの事です。

旅の最後に鶴瓶さんと寛平さんは、新地町の人を元気づけたいと、それぞれが別々の仮設住宅を訪問しました。寛平さんが訪れたのは、「がんご屋応急仮設住宅」。自治会長さんの話によると、今ではだいぶ入居者が減り、来年の3月には自主避難の人達は全員退去になるそうで、その後に残るのは、浪江町から避難している戻るに戻れない人だけだそうです。そこで寛平さんは、見かけた人に次々と声をかけて回り、励ましの言葉を伝えました。ちょうど下校時間だったのか、大勢の小学校帰りの子供たちと出会った寛平さん、最後は6人兄弟の小さな子供達とその若いお母さんと出会い、震災当時から今の生活に至るまでの話を聞くことが出来ました。最後に記念写真に納まった寛平さんは、5年後の再訪を約束して、この家族と別れました。

鶴瓶さんが訪ねたのは、「すずめ塚応急仮設住宅」。今年4月以降の解体が決まっていて、現在ここで暮らしているのは14世帯のみだそうです。そこで出会ったお父さんに案内され、集会所で避難生活について話を聞くことに。ここでの生活も、孫たちと卓球したりして楽しく過ごしているというお父さんに、鶴瓶さんが『失礼かもしれませんが、旅行に行こうと思ったことは無いですか?』と尋ねると、なんと、『女好きだから、金無くなる』と。昭和16年生まれにして”現役”だそうです(愕)。
鶴瓶さんも寛平さんも、震災にも負けず、明るく生活を続ける人たちと、楽しい出会いを繰り広げることができました。

後編の再放送は、2月29日(月)、NHK総合第一で、午後2時05分からの放送予定です。

 


番組内で紹介された 福島県新地町の名物など

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