鶴瓶の家族に乾杯 | 奈良県宇陀市(哀川翔さん)
~真田丸SP~

各回の放送内容(あらすじ)と、ロケ場所となったお店の名前や取り上げられた名物・特産品の情報を集めてみました。

「鶴瓶の家族に乾杯」は、NHK総合テレビで、毎週月曜日の夜7時30分から放送されている、バラエティ番組です。
「家族」をテーマにして、司会の鶴瓶さんとその時々のゲストが旅人として田舎を訪れ、地元の人々と触れ合いながら、ステキ(素敵)な家族を求めて日本中をめぐる、“ぶっつけ本番”の旅番組です。

今後の放送予定や、収録地・出演者(ゲスト)、再放送の予定などは、「放送予定のロケ地とゲスト情報!」のページをご覧ください。

 平成28年12月5日放送 奈良県宇陀市 ぶっつけ本番旅

旅のゲストは、俳優でタレントで歌手でもある、哀川翔(あいかわ しょう)さんです。1984年に「一世風靡セピア」でレコードデビューし、その後はドラマや映画にバラエティにと大活躍。現在放送中のNHK大河ドラマ「真田丸」では、大坂城五人衆のひとりとして豊臣方に味方し、真田信繁(幸村)の最大の理解者であり強力な盟友として、一緒に大阪の陣で徳川方と戦った、”後藤又兵衛”(ごとう またべえ)役を演じています。

旅の舞台は、奈良県宇陀市。豊臣家は、大阪夏の陣で徳川に敗れ崩壊しますが、後藤又兵衛(基次)は、大宇陀(現 宇陀市)に落ち延び、僧侶となってこの地で一生を終えたという伝説が伝わっています。その、後藤家の屋敷跡に植えられた枝垂れ桜は、「又兵衛桜」と呼ばれて、今でも地元の人々に親しまれています。2000年のNHK大河ドラマ「葵 徳川三代」のオープニング映像で使用されたことで、又兵衛桜は一躍有名になり、今では毎年8万人もの花見客が訪れる観光名所となっています。

私事で恐縮ですが、合併して宇陀市が誕生する前、今から30年近くも前ですが、仕事で半年間ほど旧・榛原町内に住んでいたことがあります。懐かしーな~。ローラースケート場は、今でも残っているのでしょうか?


ロケが行われたのは、11月7日(月)。「又兵衛桜」の元で待ち合わせた二人は、本当に後藤又兵衛が生きながらえ、この地で暮らしていたのか知りたいと、近所のお宅を訪ねることに。すると偶然にも、そのお宅、「後藤」という苗字に鶴瓶さんもビックリ。しかし詳しいことは分からず、後藤家の本家を訪ねてみることに。本家の康之さんは、御年87歳ながら、まだ木に登って枝打ちの山仕事の最中でした。後藤又兵衛との繋がりを尋ねてみましたが、いろいろな説があり、信憑性は薄そうです。

そろそろお腹が減ってきた鶴瓶さんと哀川さんは、どこか食堂を教えてもらおうと、近所のお宅を訪ねると、偶然にもまた”後藤”さんでした。市内に5軒しかない後藤さんのうち、3軒を訪ね当てた鶴瓶さん自身もビックリ。そこで、”道の駅”を教えてもらった二人は、ここで別れることに。

スタジオでは、最近新たに発見された、後藤又兵衛が大阪夏の陣で討ち死にしたと書かれた古文書、書付「後藤又兵衛討死之時」が紹介されました。この書付には、又兵衛の首を討った脇差が、又兵衛が豊臣秀頼から拝領したものであったこと、又兵衛最後の様子を秀頼に報告したことなどが記されており、又兵衛のもとで戦った金万平右衛門(こんま へいえもん)、もしくはその子孫が書き記したものと考えられ、平右衛門の子孫宅に残されていたそうです。この古文書が見つかったのが、このロケの直ぐ後だったことに、鶴瓶さんは何か因縁めいたものを感じたそうです。

ここで、宇陀市のビデオ紹介。紹介してくれるのは、宇陀市のアニキ達。
まずは、”ゴボウのアニキ”の上西さん。上西さんが作っているのは、その名も「金ごぼう」。表面がキラキラ輝く雲母を沢山含んだ土で栽培することで、ゴボウに金粉が付いたようになることから、名付けられました。縁起のよい金ごぼうは、お正月のおせちにピッタリ!。
次は、江戸時代に作られた日本最古の民間の薬草園、「森野旧薬園」で、薬草の管理をしている”薬草のアニキ”の原野さん。今の季節は喉によい”南天の実”が、鶴瓶さんには”エビネ”がおススメ。この根が育毛に効くといわれています!。
最後は、室生地区の龍口白山神社で毎年行われている、豊作や住民の安全を祈願する”神楽”を舞い奉納するアニキ達でした。

一人旅になった哀川さんは、後藤さんに教えてもらった道の駅「宇陀路大宇陀」にある、御食事処「れすとらん 甘羅」(かむら)を訪れ、大人気の”ジャンボ海老フライ定食”(2500円)を頂きながら、食事に来ていた住民の方から、旅先の情報を仕入れて回ります。

一方の鶴瓶さんは、勘を頼りに車を移動させ、古い町並みの通りに降り立ちました。すると、揃いのエプロンを着た看護婦さんが大勢表に出てきて、一生懸命手を振ってくれています。話しを聞くと、皆さん勤続年数30年~40年という大ベテランばかり。そこで、その病院「西医院」を訪ねてみると、先生も大ベテランの診療所でした。

鶴瓶さんが再び町を歩いていると、文字がはげ落ちて、何が書いているのか分からない看板を見つけてしまいます。そこで、和菓子屋の「もなか 金華堂」の店内にいたお母さんを、『ちょっと来てください』と、わざわざ店の外へ連れ出し、看板を指さして、『これ何や分からへん、マジックでもええから書いといてくださいな』と。余計なお世話じゃ!(笑)。鶴瓶さんは、作りたての”黒門もなか”を頂きながら、お母さんに話を聞いていると、ちょうど近所のお友達が訪ねてきて、一緒に話を聞くことに。スタジオの小野アナウンサーによると、その後、お母さんは早速、看板の書き直しを発注したそうです(笑)。

哀川さんは、道の駅で教えてもらった、古い町並みの残る重要伝統的建造物保存地区、「宇陀松山地区」へ。そこで、職人さんに出会いたいと歩きながら探していると、「中尾畳店」を見つけ、訪ねてみることに。すると、機械を使った畳縁(へり)を縫う作業を見させてもらったり、今時のポリウレタンなどボードを貼り合わせた建材畳ではなく、昔ながらの稲ワラでつくられた藁床の畳への拘りについて話を聞くことが出来ました。

ここで、ちょっと一息、「家族に一杯」の時間です。
 やって来たのは、女人高野 室生寺。静かなお寺の中にある、国宝の数々に圧倒されます。700段もの石段を登ると、お腹も減ります。そこで訪ねたのが、門前にある「橋本屋」。この店で頂く本日の一杯は、”とろろざるそば”(980円)。参拝者に元気になってもらい、石段の多いお寺を訪ねてもらいたいと、60年前から粘りの強い”とろろ”を出すようになったそうです。

哀川さんが、畳屋さんで別の職人さんを教えて欲しいとお願いすると、近所の表具屋を紹介してもらうことに。表具師の吉村庄作さんの所では、海外からのお客さんも多く、掛け軸や屏風だけでなく、洋画の修復も請け負っているそうです。掛け軸の修復作業を見させてもらった哀川さんは、自宅にある汚れて傷んだ掛け軸の修復もお願いすることに。

鶴瓶さんは、再び別の看板が気になります。『なんで、こんなところに着物屋さんが?』と、その「きもの 紅た屋」(べにたや)を訪ねてみると、その店舗兼住宅は、1年半かけて古民家を移築したそうで、囲炉裏や古い調度品に囲まれた、立派なお宅でした。天井裏は、何と40畳もの大広間になっていて、展示会場として使っているそうです。

哀川さんは、畳屋の中尾さんの紹介で、表具師の吉村さんに案内してもらい、今度は「藤田製材所」を訪ねました。大宇陀でも三代続く材木屋さんは、少なくなってしまったそうです。材木を乾燥させている保管倉庫を見させてもらうと、それはそれは大量の材木が積み重なっていました。樹齢200年からの杉から切り出した材木を、20年以上も乾燥させているそうです。

哀川さんが通りに出ると、大宇陀高校の女子バレー部の生徒達が、ランニングで通りかかり、哀川さんを見て大はしゃぎ。大宇陀で見かけた初めての若者らに、何やらホッとした哀川さんは、顧問の先生にお願いして、大宇陀高校の体育館を訪ねることに。体育館では、フットサル部やバスケットボール部の生徒達も集まって来てくれました。生徒から、『僕は作家になりたいです』、『僕は社長になります』と、高校生の熱い夢を聞くことが出来た哀川さんは、仕事をすることでお金を頂けることへの感謝を忘れないようにとアドバイスをし、一緒に記念撮影をして、旅を締めくくりました。

二人旅

鶴瓶さん

哀川さん

家族に一杯

 

再放送は、12月9日(金)午前0時10分~午前1時25分に、NHK総合で放送予定です。

 


番組内で紹介された 奈良県宇陀市の名物など

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