鶴瓶の家族に乾杯 | 成田山新勝寺(タモリさん)
~初詣スペシャル~

各回の放送内容(あらすじ)と、ロケ場所となったお店の名前や取り上げられた名物・特産品の情報を集めてみました。

「鶴瓶の家族に乾杯」は、NHK総合テレビで、毎週月曜日の夜7時30分から放送されている、バラエティ番組です。
「家族」をテーマにして、司会の鶴瓶さんとその時々のゲストが旅人として田舎を訪れ、地元の人々と触れ合いながら、ステキ(素敵)な家族を求めて日本中をめぐる、“ぶっつけ本番”の旅番組です。

今後の放送予定や、収録地・出演者(ゲスト)、再放送の予定などは、「放送予定のロケ地とゲスト情報!」のページをご覧ください。

 平成29年1月2日放送 成田山新勝寺 ぶっつけ本番旅
ブラタモリ×鶴瓶の家族に乾杯 ~正月特番~

今回の旅は、「ブラタモリ×鶴瓶の家族に乾杯」というNHKの2つの人気バラエティ番組がコラボレーションした、平成29年正月放送の特別番組です。

旅の舞台は、”初詣スペシャル”の名にふさわしく、初詣客数が日本一という「成田山新勝寺」と、その界隈。新勝寺は、千葉県成田市にあります。なぜそんなに多くの初もうで客が成田山を訪れるのか、その秘密にタモリさんと鶴瓶さんが迫ります。さらに、お互いの番組のことをよく知るために、鶴瓶さんが「ブラタモリ」に、タモリさんが「鶴瓶の家族に乾杯」に参加する企画も!?。土地の歴史や地形にこだわって旅をするタモリさんと、そこに住み人々の人柄にこだわって旅をする鶴瓶さん。2人の珍道中は、いかに?。


ロケが行われたのは、平成28年12月5日(月)。大本堂の前の広場で、鶴瓶さんの到着を待つタモリさん。『あのオヤジ(鶴瓶)、地形とか歴史に一切興味はございませんで、偽の人間性を表看板に番組をやっていますが・・・』と、さっそく水と油ぶりで鶴瓶さんをコケ下ろします(笑)。二人とも、成田山新勝寺を訪ねたのは、今回が初めてとのこと。ちょうどその時、『チーン』と鐘を鳴らしながら、大勢のお坊さんの行列が、二人の目の前を通過していきます。これから大本堂で、9時の御護摩(おごま)が始まるそうです。1000年以上も毎日欠かさず行われている護摩祈祷。二人は、今回の番組の成功を願って御祈祷を受けることに。平安時代に、平将門の乱を鎮めようと、この護摩祈祷を行ったのが、成田山新勝寺の始まりと言われています(開山縁起)。それから1000年の時を経て、今では三が日の参拝客数が300万人にも及ぶ、全国有数の初詣スポットとなりました。

祈祷が終わったところで、近江友里恵アナウンサーが登場。そこで渡された、ブラタモリ流の旅のお題(指令)は、『なぜ成田山新勝寺は初もうで客日本一の寺?』。そのお題の謎解きを案内してくれるのは、成田山霊光館で学芸員をしている矢嶋さん。2016年の初詣人出ランキングによると、1位は明治神宮(約317万人)、2位が成田山新勝寺(約309万人)、3位が川崎大師(約307万人)で、成田山新勝寺はお寺では全国一位だそうです。この発展の背景には、昔の人達が描いた戦略があったそうです。

その戦略とは?。現在の成田山新勝寺の大本堂は、昭和43年に建てられたもので、その左手には幕末に建てられ移築された「前の本堂」(釈迦堂)が、その奥には江戸時代中頃に建てられた「前の前の本堂」(光明堂)があります。この「前の前の本堂」を建てるために多額の借金をし、その返済のために新たに成田山を信仰する人々を増やすために江戸時代に執られた戦略が、「出開帳」(でかいちょう)です。成田山の本尊「不動明王」を、輿に入れ江戸まで運び、江戸っ子に公開することで、成田山の信者を爆発的に増やすことに成功しました。なんと本堂建立の借金は、一度の出開帳で賄えたほどの大成功でした。

そこで、その出開帳の成功の秘密を探りに、タモリさんと鶴瓶さんは、江戸時代初めに建てられ門前町に移築されている、「前の前の前の本堂」(薬師堂)を訪れます。なんとその本堂は、何処のお寺にでもある様な、小さなお堂。この本堂に足しげく参拝したのが、当時のスーパースター、歌舞伎役者の初代・市川團十郎(成田屋)でした。跡継ぎを願い、父親ゆかりの成田山で祈願したところ、子宝を授かった團十郎は、恩返しとして、出開帳に合せて成田山の御利益を描いた歌舞伎を披露しました。これにより、成田山の出開帳は大成功を収めることが出来たのでした。

次の成田山発展の理由は、その地形。成田山があるのは、台地の中に入り込んだ谷の先です。そのため参拝者は、曲がりくねった表参道を下り、一旦谷の底まで降りてから、今度は総門から仁王門、そして大本堂へと、急な階段を上ることになります。あまりに急な階段のため、参拝客は階段を登りきるまで、成田山の全貌を拝むことが出来ません。この高低差を活かした造りにより、参拝客は『ご利益にあずかった』と強く感じることができ、成田山の初詣客はますます増えることとなりました。

さて、学芸員の矢嶋さんが、この地形の話を始めたところで、朝が早かった鶴瓶さんは、話しを聞きながら立ったままウトウトと・・・。いよいよ我慢できなくなった鶴瓶さんは、タモリさんらに背を向けると、周りにいた参拝客らに話しかけて、勝手に鶴瓶ワールドへと一人旅立って行ってしまいました(笑)。

ここでスタジオで、近江アナから鶴瓶さんに質問、『初詣は何時から始まったか?』。鶴瓶さんの回答は、『鎌倉時代には始まったんじゃないですか?』と、チョーいい加減。そこでタモリさんは鶴瓶さんに向かって、勝ち誇ったように、『よく考えれば分かるんだけど、初詣ってだいたい遠い所へ行くじゃない。寒い時に徒歩で行ったら、途中で死ぬよ!?交通の便がよくなった明治半ばくらいじゃない』と(笑)。次は、鉄道と成田山の秘密に迫ります。

ここから案内してくれるのは、鉄道ファンの先駆者で、全国に3千人もの会員がいる「鉄道友の会」の参与をしている白土さんです。
現在のJR成田駅は、その昔、明治30年に開業した「成田鉄道」の駅でした。成田鉄道は、成田山新勝寺が大株主となって、成田山への参拝客を増やすために作られた鉄道で、成田を中心に、西の安孫子、南の佐倉、東の佐原へと3方に路線を伸ばし、東京から伸びる当時の国鉄の駅に繋がっていました。まさに成田山は、『自分ちに鉄道を敷いた』わけです。成田鉄道はその後、大正9年に国有化され、現在のJR東日本・成田線へと移り変わっています。その後、大正15年には、私鉄の「京成電鉄」が、東京と成田を最短ルートで結びました。この京成電鉄の登場が、さらに成田山を発展させることになります。ちなみに、「京成」という名は、東京と成田空港を結ぶからではなく、東京と成田山を結ぶことに由来します。

成田山への参拝客を巡り、国鉄vs.京成の戦いの始まりです。当時、東勝寺(宗吾霊堂)から、成田駅前を通って、成田山新勝寺の門前まで、「成宗電車」という路面電車が走っていました。総延長は約5kmで、明治43年に開通し、戦時中に廃線になっています。実は京成電鉄は、この成宗電車の線路に直結し、東京から一気に成田山新勝寺の門前まで電車を乗り入れることで、国鉄を出し抜こうと目論んでいました。しかし、それでは表参道の商売に影響が出ると、地元の強い反対があり、結局この二つの路線が直接結ばれることはありませんでした。そこで、開業当初、初詣の成田駅の乗降客数で負けていた京成は、いち早く大晦日の終夜運転を開始し、国鉄を追い抜きます。国鉄も負けじと、昭和8年には終夜運転を開始して応戦。そこで京成は、追い打ちをかけるように攻めの広告を出しました。それが、『先着壹萬(一万)名御招待。残り全部の方へは同じく成田詣往復五割引票一枚を贈呈』という、採算度外視の大サービスキャンペーン(驚)。どうしても国鉄に勝ちたいという、京成の執念の表れですね。こうした京成と国鉄の競争により、成田山への初詣客は、昭和に入ってからも右肩上がりに増大していったのでした。
矢嶋さん『本日のテーマ、ご納得いただけたでしょうか?』、タモリさん『ガッテン、ガッテン!』です(笑)。


ここからは、『鶴瓶の家族に乾杯』。歴史や地形の話にうんざりした鶴瓶さんは、タモリさん一行と別れ、成田山新勝寺のまわりで、ステキな家族を探します。

鶴瓶さんは路地裏で、お揃いのエプロン姿で庭掃除をする年配の女性二人を見つけ、声をかけます。すると、二人は姉妹で、年末の手伝いに妹さんが神奈川から手伝いに来てくれているとのこと。子供たちは皆、実家を出てマンション住まいだそうですが、息子さん二人は家業の事務所として実家を使い、嫁いだ娘も北海道から手伝いに来ていて、障子の貼り換えをしてくれているとのこと。汚い所だからと遠慮する家族を押しのけ、『写さへんがな』と、ちゃっかり家に上がり込む鶴瓶さんを見て、『こういうのが上手いんだ、この男!』とタモリさん(笑)。

鶴瓶さんは、上り込んだ大塚さんのお宅で、お茶と羊羹を頂きながら、家族の話を聞いていると、この辺りには鰻屋が多いほか、成田山は羊羹と落花生と漬物が有名という話しを聞きます。そこで、落花生に興味を持った鶴瓶さんは、息子さんの同級生が継いでいるという、「豆のふくだや」(福田さん)を紹介してもらうことに。

豆屋を営む福田さんの所では、大塚さんの息子さんの兄と同級生の息子さんが家業を継ぎ、大塚さんの弟さんと同級生の妹は、嫁に行かず商売を手伝っているとのこと。この妹さんが、とても楽しい女性で、『大塚くんが初恋の人だったのに、彼にフラれてから、ことごとくフラれて、今はひとり』と(笑)。ふくだやでオススメの商品が、茹でて真空パックにされた「おおまさり」という落花生。鶴瓶さんも頂きましたが、とても美味しいそうです。
次は気になった鰻屋に行きたいと、福田さんに有名な鰻屋を尋ねると、叔父さんが大本の鰻屋と教えてくれたのが、叔父さんの同級生の伊藤さんが営む「川豊」さん。なんと、その伊藤さん跡継ぎは、娘さんと同級生だそうで、鶴瓶さんは『同級生つながりや!』と(笑)。

娘さんに案内してもらい、同級生の伊藤さんが営む「川豊」さんを訪ねますが、生憎と定休日で伊藤さんには会えませんでした。そこで、娘さんの別の同級生がやっているという、川豊さんの隣の隣の鰻屋、「近江屋」へ行くことに。なんとその店は、番組の最初に鶴瓶さんが女将から声を掛けられ、昔は旅籠をしていたと紹介してもらった料亭でした。

鶴瓶さんが、近江屋の二階で、うな重を頂きながら、女将やご主人から、夫婦の馴初めや家族の話を聞いている所に、タモリさんも合流。なんだかんだ言いながら、年配の女性を扱わせたら鶴瓶さん以上に上手いタモリさん。鶴瓶さんと二人で、笑い満載の楽しい正月番組を作り上げました!。

再放送は、2月4日(土)にNHK総合第一で、午後3時05分~午後4時20分の放送予定です。

 


番組内で紹介された 成田山新勝寺界隈の名物など

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