鶴瓶の家族に乾杯 | 奈良県三宅町(加藤雅也さん)

各回の放送内容(あらすじ)と、ロケ場所となったお店の名前や取り上げられた名物・特産品の情報を集めてみました。

「鶴瓶の家族に乾杯」は、NHK総合テレビで、毎週月曜日の夜7時30分から放送されている、バラエティ番組です。
「家族」をテーマにして、司会の鶴瓶さんとその時々のゲストが旅人として田舎を訪れ、地元の人々と触れ合いながら、ステキ(素敵)な家族を求めて日本中をめぐる、“ぶっつけ本番”の旅番組です。

今後の放送予定や、収録地・出演者(ゲスト)、再放送の予定などは、「放送予定のロケ地とゲスト情報!」のページをご覧ください。

 令和2年1月20日(月)放送 グローブ職人が集結!?加藤雅也と奈良県三宅町ぶっつけ本番旅

旅のゲストは、俳優の加藤雅也(かとう まさや)さん。奈良県奈良市出身の56歳。風間トオルさんや阿部寛さんなど、そうそうたる男性モデルを輩出した『メンズノンノ』の創刊号のファッションモデルを務めたのが、加藤さん。モデルから俳優への道へと進み、1998年公開の映画『マリリンに逢いたい』では初主役を演じ、鶴瓶さんとの共演も果たしました(笑)。昨年度下半期のNHK朝の連続テレビ小説『まんぷく』では、”ユーアーコーヒー、オッケー!”のフレーズで人気を博した、喫茶店「パーラー白薔薇」の店主・川上アキラ役を演じていました。また、2019年のNHK大河ドラマ『いだてん』では、1940年開催のオリンピック東京誘致に奔走した元国際連盟事務次長の杉村陽太郎役を演じました。

旅の舞台は、奈良県 磯城郡 三宅町(みやけちょう)。奈良市の南方、天理市の西に位置し、近鉄の橿原線石見駅と、田原本線の但馬駅がある場所です。町の人口は約6,600人、面積はたたの4キロ平方メートルほどで、全国でも2番目に小さな市町村です。そんな小さな町なのに、古くからスポーツ用品の製造工場が集積し、特に野球のグローブ(野球グラブ)の生産では、最盛期には国内生産の80%ものシェアを誇ったそうです。

奈良市出身で、奈良市観光特別大使にも任命されている加藤さん。奈良警察署の一日署長を務めたり、12月8日(日)に開催された「奈良マラソン」のゲストに選ばれるなど、頻繁に奈良を訪れているようです。加藤さんによる「奈良ベスト3」と言えば、①三宅町のグローブ・ミット、②暗越奈良街道、③生駒山上遊園地 だそうです。なので、今回の旅の目的は、野球グローブの製造工場ではないかと予想しますが!?(笑)。


ロケが行われたのは、令和元年11月12日(火)。奈良県三宅町の「屏風池公園」で待ち合わせた、鶴瓶さんと加藤雅也さん。奈良市の観光大使も務める奈良県出身の加藤さん、奈良県で一番小さな町・全国でも2番目に小さな町で、なぜ100年も前からグローブ作りが盛んになったのか知りたくて、三宅町を旅先に選んだそうです!(笑)。

三宅町の地図屏風(びょうぶ)地区の住宅街を歩き始めた、鶴瓶さんと加藤さん。しかし、一向に人を見かけません。すると、どこからか咳払いをする声が!。その声の主を探す鶴瓶さん、一軒のお宅の庭先でタバコを吸っていた男性を見つけます。しかし、鶴瓶さんを見てビックリした前田家の息子さんは、家に逃げ込むと代わりに家の中にいたお父さんを表に送り出してくれました(笑)。前田さんのご主人に三宅町のことを訊ねると、グローブ作りが盛んなことや、聖徳太子が通った「太子道」(たいしみち)が通っていることなどを教えてくれました。まずはグローブの製造現場を訪ねたい鶴瓶さんですが、グローブの工場が集まっている上但馬地区は、狭い三宅町にあって屏風地区とは正反対の場所にあり、1~2kmほど離れているそうです(汗)。そのことを知り、『ぜんぜん違うところ来てんねん、ここ』と文句を言う鶴瓶さん、仕方なく太子道を歩きながら、出会った奥さん方に道を訊ねつつ、上但馬地区を目指します。どうやらスタッフは、二人に太子道を歩かせようと待ち合わせ場所を決めた様ですが、『ブラタモリ』のタモリさんならいざ知らず、鶴瓶さんには太子道の有り難さは伝わらなかった様です(笑)。一方の加藤さんも、壱万円札の聖徳太子は別人だったという噂があると喋り出し・・・(汗)。

ここでスタジオから、奈良県三宅町の魅力をビデオ紹介。紹介してくれたのは、日本で知らない人がいないであろうという超有名人、聖徳太子様とその従者です!。しかし、扮してくれた三宅町役場の内野さんと勝浦さんに向かって、これまた『(壱万円札の)絵と全然違う』、『絵にもっと似させ』とクレームを付ける、スタジオの鶴瓶さんと加藤さんでした(笑)。
 まず二人が案内してくれたのは、「太子道」。聖徳太子が、斑鳩(いかるが)の法隆寺から飛鳥まで通勤していた路と言われています。道中には、聖徳太子が休憩したという「腰掛石」もあります。毎年11月22日には、「太子道の集い」というイベントも行われています。
 さらに町を歩く太子様の足元に咲いているのは、三宅町の”町の花”でもある「あざさ」。長年、三宅町の人たちに愛されてきた花で、実は万葉集にも詠まれています。三宅町に暮らす若者が、腰まである草をかき分け通っていた恋人の髪には、あざさの花が飾られていたという、とてもロマンチックな歌です。
 次に太子様が訪れたのは、田んぼ。三宅町の多くの田んぼの横ではサトイモが作られており、その里芋を使ったサトイモ焼酎「屯倉(みやけ)」が生み出されました。さわやかな香りと、フルーティーな甘さで、大人気だとか!。

歩き疲れ、ロケ車に乗ってグローブ工場を探すことにした鶴瓶さんと加藤さん(笑)。ようやく、それらしき「置本商事」を見つけ、表にいた可愛らしい女性従業員の中村さんに訊ねると、以前はグローブも作っていたそうですが、今は作っていないとか(汗)。事務所から出てきてくれた社長の置本さんに話を聞くと、先々代まではグローブを作っていたそうです。そこで置本社長、近所にある知り合いのグローブメーカーを紹介してくれることに。

三宅町のふる里納税の返礼品一例置本さんに案内してもらったのは、同級生の浅田さんが社長をしているグローブメーカー「アサダスポーツ」です。自宅を訪ねると、浅田さんと先代のお父さんもいて、応対してくれました。お父さんもまだ元気そうですが、息子と一緒にグローブを作っていると揉めることが多くて、早々と代を譲ったそうです(笑)。これまでテレビ取材は断ってきたそうですが、いつも観ている”鶴瓶の家族に乾杯”で、鶴瓶さんが突然訪ねてきたことと、朝ドラ出演者の加藤さんも一緒ということで、お父さんも仕方なしに取材に答えてくれることに(汗)。お父さんによると、昔は大手の下請けで大量のグローブを作っていたそうですが、それが海外に流れ失業寸前になってしまったことから、オーダーメイド専門に切り替えたとか。生まれて初めての営業回りを始めたお父さんでしたが、最初の一年間は全く注文が取れず、だいぶ苦労された様です。運悪く、お母さんも大病を患ってしまい、そんな時に会社勤めをしていた息子さんが、両親を放っておけないからと家に入ってくれたと、お母さんが涙ながらに当時を振り返ってくれました(泣)。現在のグローブの生産量は、最大で月に60個ほど。複雑な仕様や刺繍の注文が入ると、その数は減るそうです。

グラブ製造技術を伝えた先人の功績を称える記念碑鶴瓶さんがお父さんに話を聞く一方で、息子さんから『一行君の曾お爺ちゃんだかが、最初にグローブ作りを三宅に持ち帰ったはず』と聞いた加藤さん、息子さんに一行君を紹介してもらうことに。置本さんと浅田さんに案内してもらい、加藤さんが訪ねた先は、「ZENCO INDUSTR CO.,LTD」。生憎と一行君は留守でしたが、お父さんの坂本社長がいて、三宅町でのグローブ作りの成り立ちについて教えてくれました。社長のお爺さんが、大阪に働きに出て、初めて野球グラブの革を裁断する仕事に携わったそうです。すると、これからグラブの需要が激増すると直観したお爺さん、仲間と一緒にグラブの製法を自前で研究し、1921年に地元の三宅町に帰ってグラブの生産を開始したそうです。当初、三宅町のグラブ製造業者は数軒だけでしたが、戦後になると野球人口が急増しグラブ需要が拡大。1956年には米国メーカーの下請けも始まり、生産量が爆発的に増加すると、雇われていた職人が次々と独立して、グラブ製造業者が数多く生まれました。最盛期の1970年頃には、三宅町には全国から労働者が集まって来て、但馬駅は職人で溢れかえり、工場は受注に追われて早朝から深夜までフル稼働が続いたそうです。現在、三宅町にはグラブの製造技術を伝えた先人の功績を称える記念碑が建てられています。そして、グラブ製造開始100周年となる2021年に向けて、町では様々な記念イベントの開催が検討されています(日本経済新聞より)。

三宅町のふる里納税の返礼品一例(グローブ)一行君の家を後にした加藤さんは、一旦アサダスポーツに戻り鶴瓶さんと合流しますが、そこで二人は分かれることに。ひとり旅になった加藤さんは、『もっと詳しい話が聞けるかも』と一行君のお父さんに紹介された、「吉川清商店」を訪ねます。出迎えてくれたのは、吉川社長ご夫婦と、二人の息子さん。メーカーの下請けもしつつ、ブラザーズ(兄弟)を捩った「ブロズ(bro’s)」という自社ブランドのグローブも作っているそうです。しかし、二人の息子さんは兄弟にしては全く似ておらず、『お父さんが遊び人だったとか?』という話で場が和むと、気をよくした加藤さん、突然やさしそうなお母さんに向かって、『お願いあるんだけど・・・、お腹すいた』と!(驚)。シジミの味噌汁にご飯くらいなら残っていると話すお母さんに向かって、『それでいい、だけどお母さんここにいたら、ごはん食べられへん』と、お母さんを台所に追いやる加藤さんでした(笑)。お母さんもさすが関西人、嫌がるどころか、『じゃぁ、よそゆきの食器とか出してくるので』と、笑を残して台所に向かってくれました(笑)。そうこうするうちに、お母さんが卵焼きも焼いて食事を用意してくれて、加藤さんはタダでお昼ご飯にありつくことができました。

三宅町のふる里納税の返礼品一例(食品)一方の鶴瓶さんは、周辺の住宅街をウロウロすることに。立派な家ばかり建ち並ぶ路地を曲がったところで見つけたのは、これまた立派な暖簾が掛かったお肉屋さん、創業90年になるという「山口精肉店」。店にいた、二代目ご夫婦と娘さんが出迎えてくれました。扱っている牛肉は、なんと近所の牧場で自家飼育している牛の肉だそうで、最盛期には100頭もの牛を飼っていたそうです。ならば、この店でしか手に入らない部位もあるのかと尋ねると、女将さんが教えてくれたのは『フォアグラ』。1頭の牛から200gしか取れないレバーの周りに付いた白肝の希少部位だそうで、焼いて食べたり、天ぷらにする人もいるそうです。すると、『ちょっと焼いてみますか?』と女将さん、鶴瓶さんは待ってましたとばかりに、『ほなら、そうしてもらえますか』と(笑)。暫くすると、なんとフォアグラだけでなく、立派なステーキまで焼き上がりました!。さっそく両方のお肉を突っつく鶴瓶さん、『これ、メチェメチャ美味い!』と、スタッフや来店したお客さんにも爪楊枝で刺したお肉を食べさせます。しかし、親の代から店に通っているというお客さん、この店の肉の味は心得たもので、人気の店なので必ず電話してから買いに来るそうです。

赤米のお粥(おかいさん)ここでちょっと一息、奈良県三宅町の「家族に一杯」の時間です。
 やって来たのは、聖徳太子が仕事の往復で使っていたという太子道。今日は、近くにある「浄土寺」で、太子にまつわる一杯が頂けるそうです。奥さんが研いでいたのは、古代米のひとつ、赤米。聖徳太子の時代にも食べられていたそうですが、昔は赤米の割合が少なくて、ヒエなどで代用されていた様です。より一層鮮やかな色になるようにと、小豆も入れられて炊きあがったのは、「赤米のおかいさん」。お粥のことを、奈良では”おかいさん”と言うそうです。お寺では昔から、檀家の皆さんに”おかいさん”が振る舞われて来たとか。なんだか、飛鳥時代の人の温かさが感じられます。ちなみに、今日の家族に一杯のコーナーのBGMは、『Smile(スマイル)』(Nat King Cole)でした。

新たな出会いを求めて、住宅街を歩き出した鶴瓶さん。道端で洗濯物を取り込んでいた年配の女性、吉村さんと出会います。鶴瓶さんが『家族に乾杯で回っている』と話しかけると、『うち、家族いてへんからあかんわ!』と吉村さん。『元気ですね?』と話しかけると、『元気であらへんがな』と。ご主人は夕方にデイサービスから帰ってくると聞いて、『嫌そうに言いないな』と言うと、『この歳になったらな、主人のおかずこしらえるのもおとろしい(=面倒くさい)』と返されてしまい、”家族に乾杯”らしからぬ応答に鶴瓶さんも困惑します(笑)。道端で鶴瓶さんが立ち話をしていると、興味津々に近所のオバチャンらが集まってきて、次々に面白い人がいると紹介してくれますが、あなたも十分面白い!(笑)。鶴瓶さんが『さよなら』と別れても、路地を曲がった先にそのオバチャンらが待ち構えていて、『人おれへんやろ、ここの家どうやろ?』とロケを仕切り始めます・・・(汗)。そこに吉村さんが連れてきたのは、亡くなったご主人の弟という吉村さん。吉村さんのお宅にお邪魔して、3人のオバチャンに囲まれた鶴瓶さん、強烈なボケと突っ込みにタジタジです(笑)。

かかとつるつる 靴下

一方の加藤さんは、吉川社長が紹介した「鈴木靴下」まで、本人に案内してもらうことに(笑)。鈴木社長によると、本業はサッカーのハイソックスをメインに製造しているそうですが、元は米農家で余った米糠を活用できないかと、糠を練り込んだ糸で、スキンケアを兼ねたソックスを開発したそうです。また、心不全で足がむくむお父さんのために、”締め付けない靴下”も開発。しかし、売り込めど売り込めど、一向に売れなかったというご家族の昔の苦労話に、『もう少しで朝ドラになりそう』と、食いついて離れない加藤さんでした(笑)。スタジオの加藤さん、実際にその靴下を履いて収録に来ていました。すると鶴瓶さん、『オレ、かかとがカピカピやねん。それ、もろうてきた?、なんでも貰うなぁ~』と、大そう羨ましがります(笑)。

吉村さんのお宅を後にした鶴瓶さん、この地区から逃げ出そうと土手の上に登り、ロケ車を呼んでもらいますが、そこにまた吉村さんが、さらに面白い人という「吉村たばこ店」のオバチャン、豊ちゃんを呼んできてくれました(汗)。仕方なく土手を降りた鶴瓶さん、タバコ屋の前のベンチに座り、豊ちゃんと歓談しますが、その内容は駒田さん曰く『マンダイ』。豊ちゃんによると、奈良県の方言で、漫才はマンダイ、雑巾はドウキンとなるそうです!。豊ちゃんに、ハグされ頭を撫でられ散々な鶴瓶さん、『こんな怪獣みたいな町 知らんわ、なんでこんな目に合わなあかんねん』と(笑)。

加藤さんは”わらしべ長者”よろしく、今度は鈴木社長に案内してもらい、近所に住む95歳になる元気なおじいちゃんを紹介してもらえることに(笑)。立派な中川さんのお宅を訪ねると、広い玄関先では、おじいちゃんが花瓶に花を活けていました。なんと、その花瓶や玄関に飾られた陶芸、水墨画や日本画、書道など、すべておじいちゃんの作品だそうです!(驚)。鴨居には、10年前に出場した奈良県のゲートボール大会で1位になった表彰状が飾られていました。広げて見せてくれたのは、20日かかって描いたという、観音様の掛軸。その見事な出来栄えに、加藤さんもビックリです。以前は洋服の仕立てをしていたそうで、なんでもキッチリしないと気が済まないというおじいちゃん。しかし、そのおじいちゃんの手綱をしっかり締めてきたのは、財布の紐の堅いおばあちゃんでした(笑)。お二人ともとても若くて、100歳まで元気で長生きしてください!。最後にスタジオでは、農機具が大好きというおじいちゃんが、91歳の時に購入したという真新しいトラクターに乗って田を耕す姿が、ビデオ紹介されました(笑)。

石見地区に移動した鶴瓶さん、再び住宅街を歩いていると、吉田さんの奥さんと出会います。お婆ちゃんがファンだというので、家まで付いて行くと、ご主人のお母さんと、ご主人の弟のお嫁さんもいて、皆さんにご家族の話を聞くことができました。同じ敷地内で暮らす3世帯、お姑さんと二人のお嫁さんの仲もよく、ご近所さんに『本当の親子やな いうてもらえる』と、お母さんも嬉しそう。怪獣の町から抜け出して、『ようやく落ち着いたわ』と、ホッとする鶴瓶さんでした(笑)。

再放送は、2月8日(土)午後4時45分~午後6時00分に、NHK総合で放送予定です。

 


二人旅

三宅町の魅力紹介

鶴瓶さん

加藤さん

家族に一杯

 


番組内で紹介された 三宅町の名物など

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