鶴瓶の家族に乾杯 | 愛知県豊田市足助(近藤正臣さん)

各回の放送内容(あらすじ)と、ロケ場所となったお店の名前や取り上げられた名物・特産品の情報を集めてみました。

「鶴瓶の家族に乾杯」は、NHK総合テレビで、毎週月曜日の夜7時30分から放送されている、バラエティ番組です。
「家族」をテーマにして、司会の鶴瓶さんとその時々のゲストが旅人として田舎を訪れ、地元の人々と触れ合いながら、ステキ(素敵)な家族を求めて日本中をめぐる、“ぶっつけ本番”の旅番組です。

今後の放送予定や、収録地・出演者(ゲスト)、再放送の予定などは、「放送予定のロケ地とゲスト情報!」のページをご覧ください。

 平成29年9月11日放送 2人あわせて140歳 近藤正臣と愛知県豊田市足助へ

旅のゲストは、俳優の近藤正臣(こんどう まさおみ)さん。京都市出身の75歳。NHK大河ドラマや連続テレビ小説(朝ドラ)でもお馴染みで、最近だと真田丸では”本多正信”役を、あさが来たでは”白岡正吉”役で、ベテランの演技を披露してくれていました。近藤さんが”家族に乾杯”に出演するのは、今回が初めて。

旅の舞台は、愛知県豊田市足助。豊田市は、日本を代表する大企業・トヨタ自動車の本社がある地で、その住所は”愛知県豊田市トヨタ町1番地”。近藤さんと豊田市との繋がりと言えば、一番に思いつくのは「徳川家康」ではないでしょうか?。今年1月公開の映画「本能寺ホテル」にも出演されていましたし、1983年の大河ドラマ「徳川家康」では”松平広忠”役を、昨年の「真田丸」では家康の右腕となる参謀”本多正信”役を演じていました。豊田市には、家康公の祖先・松平氏発祥の地とされる「松平郷」があり、市内の長興寺には、織田信長を描いたとされるほぼ唯一の肖像画、狩野元秀筆「紙本著色織田信長像」(重要文化財)が所蔵されています。この度、1年近くにも及ぶ大規模な修復が終わり、7月14日から岐阜市歴史博物館で開催される「Gifu信長展」で公開されます。そんなタイミングでのロケなので、ますます家康繋がりを予想したのですが・・・

なんと、今回のロケ地は、”足助(あすけ)地区”限定だそうで、『家康繋がり』の予想は大外れ(汗)。足助(旧・足助町)は、現・豊田市のほぼ中心部に位置し、2005年(平成17年)に周辺の町村と共に豊田市に編入されました。古来より、三州街道(塩の道)の足助宿が置かれ、奥三河の中枢拠点として栄えてきました。海の無い信州(長野県)に海側から塩を運んだ「塩の道」は何本もありますが、三河湾で取れた三州塩を塩尻まで運んだのが「三州街道」。この区間うち、特に足助-岡崎間は、「足助街道」という呼び方が地元では定着しています。観光では、「香嵐渓」(こうらんけい)の待月橋(たいげつきょう)から見る紅葉(もみじ)が特に有名。

近藤さんは現在、東京にはちょっと飽きたと、東京を脱出して、岐阜県の郡上八幡(郡上市八幡町の通称)に住んでいるそうです。郡上八幡は、川が流れる古い町並みが特徴の城下町で、人もいいし、とても住みよい町ですが、たまたま郡上に遊びに来ていた足助の人と出会った折り、『足助も良い町ですから、是非一度、遊びに来てくださいよ』と薦められたことがきっかけで、今回、塩の道・足助を歩いてみたいと、旅先に選んだそうです。


ロケが行われたのは、平成29年6月30日(金)。愛知県豊田市足助町西町、「足助川」のほとりで待ち合わせた近藤さんと鶴瓶さん。この日は生憎の雨模様で、足助川の水は濁っていますが、近藤さんが「中橋」のたもとから、足助川の川岸の通路に降りてみると、川面にはいけすが浮かべられ、脇には蓋が付けられたコンテナが置かれています。興味をもった近藤さん、勝手に蓋を開けて中を見てみると、中には大きなスッポンが二匹。一方の鶴瓶さんは、道端で”たんころりん”と書かれた作りかけの提灯を見つけ、何かと興味を持ちますが、誰もいないのでその場を後にし、「飯森橋」のたもとから、近藤さんの待つ川岸へと降り立ちます。すると、近藤さんからスッポンを見せられ、鶴瓶さんもビックリ。さっそくスッポンに食い付いた、オジサンコンビでした(笑)。

二人がスッポンの持ち主を探そうと相談している所へ、料理人らしき人がやって来たので話を聞くと、明日の「たんころりん」の会合の後に、皆で食べるために準備している食材だそうです。”たんころりん”が気になっていた鶴瓶さん、何かと尋ねると、『たんころりんとは、竹かごと和紙で作った円筒形の行灯(あんどん)のこと』だそうです。足助の夏祭りでは、その”たんころりん”を街道沿いや川沿いに並べ、和紙を通した火の灯かりで暗がりの古い町並みを照らし、夏夜の情緒を演出します。この方、魚屋「魚九」(うおく)の従業員だそうなので、二人は表に回って、その店を訪ねることに。店内では、地域の老人宅に配る給食の弁当を作っている最中で、鶴瓶さんはイワシの煮つけが美味しそうと、食べさせてもらうことに。鶴瓶さんのせいで、皆さんのおかずが少し減ってしまったのでは?と(笑)。女将さんから、向かいの饅頭屋のご主人が”たんころりん”祭りのまとめ役と聞き、二人は詳しい話を聞きに訪ねてみることに。

魚屋「魚九」の向かいの饅頭屋は、13代も続く老舗の御菓子司「風外」(ふうがい)。ご主人に話を聞くと、元々は「秉燭」(ひょうそく、油に灯芯を浸して灯をともす陶器製などの容器)のことを”たんころ”と呼んでおり、それを覆う和紙を貼った籠をひっくるめて”たんころりん”と呼ぶようになったそうです。”たんころりん”の夏祭りは、平成14年に始まった小さなイベントがきっかけでしたが、今では”たんころりん”の数は700基を超え、足助の夏の風物詩として、市内外から大勢の見物客が訪れるようになり、とても賑わっています。

ここで、スタジオから足助の魅力をビデオ紹介。まずその前にと、小野アナウンサーが紹介したのは、懐かしい「柔道一直線」(1969~1971年放映)の一場面映像。当時28歳だった近藤さんは、ピアノの上に立って鍵盤を足の指で弾く『足ピアノ』の技を披露。そこで、近藤さんの足さばきにも負けない、足助の足にまつわる魅力を、足助のコンドーさんが紹介してくれました(笑)。

まずは、古くから足・旅行・交通の守護神として信仰されてきた「足助八幡宮」。ここで去年から始まったお祭りが、「足健康祭」(毎年3月の第三日曜に開催)。通称”足まつり”と呼ばれる祭の名物が、長さ160センチの”大ぞうり神輿”です。
 次は、足助の名物「五平餅」。お米をつぶして、味噌や醤油を絡めた”とよた五平餅”は豊田市の名物ですが、なかでも足助には五平餅のお店が一番多くあり、特に”わらじ型”をした五平餅が人気です。
 最後は、自分の足で歩いて楽しむ絶景スポット「香嵐渓」(こうらんけい)。夏には美しい緑が映える渓谷が、秋になると4000本ものモミジが一斉に色づきます。夜間にはライトアップも行われ、幻想的な雰囲気に。まさに足を運んでみたくなる場所です。

鶴瓶さんは、『(近藤さんは)勝手な行動が多すぎる』と、早くも近藤さんと分かれることに(笑)。

一人旅になった近藤さんは、魚屋で出会った”こめ助”のTシャツを着た人に教えられた、この辺りでしか生産されていないという幻の愛知県ブランド米品種「ミネアサヒ」を買い求めようと、まんじゅう屋の隣りにあったお米屋さん、「足助糧穀株式会社」を訪ねます。すると社長さん以下、全員がこめ助のTシャツを着ています。「こめ助」は、このお米屋さんが出した”おにぎり屋”で、ミネアサヒでおにぎりを作っているそうです。そこで近藤さん、10kgは重いと半分に分けてもらい、5kg(1,970円)のお米を買ってから、社長さんに話を聞きました。

一方の鶴瓶さん、新たな出会いを求めて町を歩いていると、「マンリン書店」の店先に飾る七夕の笹を採ってきたと、町の人に声を掛けられます。マンリン書店の女将さんに話を聞くと、彼女の祖父の”万屋 林右衛門”さんが始めた店なので、頭文字を取って万林(マンリン)と名付けたとか。店の奥にはカフェがあり、裏の土蔵は改装されてギャラリーやブティック、お茶席などが造られ、観光客にも人気のスポットとなっています。店の横の路地は、「マンリン小路」と呼ばれ、こちらも人気の観光スポットです。

お米屋を出た近藤さんは、”塩の道”について話が聞きたいと、「たばこ屋」という名の”塩の店”を探して町を歩いていると、「茶房・和こもの さかたや」と書かれた看板の古民家を見つけ、訪ねてみることに。自家焙煎のコーヒーが頂ける店で、店主が着物のハギレを使って手作りした人形や様々な小物が売られています。

鶴瓶さんは、マンリン書店のカフェでアイスコーヒーを頂きながら、女将さんに『一緒に来た近藤正臣も、雰囲気につられて絶対ここ来るわ』と話していると、ちょうどその時、マンリン小路が気になり隣の路地を通りかかった近藤さんが、鶴瓶さんの予言通り店内を覗き、鶴瓶さんとバッタリ再会(笑)。

あちこち立ち寄り過ぎて、ぜんぜん目的の塩屋さんに辿り着けない近藤さん。今度は、「足助接骨院」という看板を見つけ、『足を助ける接骨院とは面白い』と感心していると、その隣がなんと、おにぎり屋の「こめ助」でした。ちょうどお腹が空いたと、ここでお昼を頂くことに。近藤さんが、店内でおにぎりを頂いていると、今度は鶴瓶さんが「こめ助」を訪ねてきましたが、中にいた近藤さんを見つけるが早いか、『また来ます』と早々に立ち去ってしまいました(笑)。

一方の鶴瓶さんは、マンリン書店の女将さんに紹介され、「からくり小屋」を見に行くことに。マンリン小路を上がった先にある「からくりの小路」には、そこに住む85歳の浦野さんが、毎年の干支に合せて手作りしているカラクリが、向かいの小屋に展示してあるのですが、生憎と浦野さんは留守で、先日降った大雨の影響で、小屋も閉まっていました。スタジオでは、後日スタッフが撮影したビデオで、そのカラクリが紹介されました。

ここでちょっと一息、スタジオから、「家族に一杯」の時間です。
この時期、足助でお馴染みの風景が、巴川での”アユ釣り”。そこで訪ねたのは、山のさかな屋さん「まる八」。皆さん、鮎のコース料理を頂いています。そのコースのシメが”本日の一杯”、ほぐした鮎の煮つけを混ぜたご飯です。鮎のヒレや骨は丁寧に取り除いてあるので、お子さんからお年寄りまで、とても美味しく頂けます。

近藤さんは、道で出会った人に尋ねながら、ようやく目的の塩問屋、「莨屋(たばこや) 塩座(しおざ)」を探し当てますが、なんと営業は土日のみで、店は閉まっています(汗)。店の前に暫く座り込み、途方に暮れる近藤さんですが、諦めがつくと、途中で見つけ気になっていた、鍛冶屋を訪ねることに。

一方の鶴瓶さんは、町を歩いていると、『シシコロッケ』と書かれた看板が気になり、肉屋の「井筒亀(いづかめ)精肉店」を訪ねます。女将さんに話を聞くと、隣の料理屋では、イノシシの肉を使った料理を出しているとのこと。女将さんに案内され、「井筒亀」を訪ねた鶴瓶さん、店の表には、何頭ものイノシシの剥いだ皮が、逆さになって吊るされています(驚)。

だいぶ歩いて、ようやく「足助のかじやさん」(広瀬重光刃物店)に辿り着いた近藤さん。奥さんに話を聞くと、7代目のご主人は、「三州足助屋敷」(香嵐渓の中にある見学体験施設、様々な手仕事の作業場としても使われている)で鍛冶仕事をしているとのこと(汗)。ここから足助屋敷までは歩いて10分ほどですが、もうこれ以上歩くのは嫌な近藤さん、先代の奥さんに、店の裏手にある鍛冶場を見学させてもらうことに。そこにあった鉄を熱する”火床”(ほど)は、200年続く鍛冶屋の歴史が感じられる古いものでした。近藤さんは、鍛冶屋の雰囲気を感じようと、そこに転がっていたハガネをやっとこでつかみ、金床に載せると、鍛冶屋さんのリズムを真似て、ハンマー(入れ槌)で叩いてみますが、手元はフラフラとおぼつきません。奥さんに感想を聞くと、『まだまだだと思います』と(笑)。そこに、足助屋敷から7代目の息子さんが戻ってきてくれて、せっかくだからと火床に火を入れてくれました。今度はまっ赤に熱せられた包丁を、近藤さんが叩いてみると、奥さんからは『様になって、カッコイイ』との声援が(笑)。しかし、火の入った高温の火床の前で、さんざん槌を振り回した近藤さんの額からは、大粒の汗が噴き出します(汗)。近藤さんが、物を引っかけるために柱に打つ、昔ながらの味のあるクサビの様な鉄クギが欲しいと話すと、後日息子さんが叩いて作ってくれた鉄釘が、スタジオに届けられ、近藤さんにプレゼントされました。

次に鶴瓶さんが町で見つけたのは、”台湾ラーメン・黒豚とんかつ チュン”と書かれた看板。『台湾ラーメンなのに、”チュン”はオカシイやろぉ』と、その「げんき食堂 チュン」を訪ねてみることに。きっと”チュンさん”という外国人がやっている店だと鶴瓶さんは想像したのですが、生憎と店は閉まっていて留守でした。しばらく歩いていると、道端で『鶴瓶さ~ん』と声を掛けられます。話を聞くと、なんとこの人、先ほどの「チュン」の女将さんで、間違いなく日本人。亡くなられたご主人が、むかし仲間と麻雀をしていた時に、皆から「中(チュン)くん」と呼ばれていたので、店の名前を”チュン”と名を付けたとか。きっと、”中”で鳴いてばかりいたんでしょうね(笑)。なぜ足助で”台湾ラーメン”なのかと尋ねると、台湾ラーメンはもともと名古屋が発祥とのこと。奥さんの実家「森瀬つり具店」に上がらせてもらい、家族の話を聞いていると、息子さんは少し先で、ビュッフェ・レストランを開いているそうです。そこで鶴瓶さん、奥さんに案内してもらい、息子さんのいる「参州楼」 (サンシュウロウ)を訪ね、皆さんに話を聞きました。

近藤さんは、昔の栄えていた頃の足助の話が聞きたいと、町で見かけた古い旅館を訪ねてみることにします。一軒の旅館、「玉田屋」を訪ねると、お婆さんが応対してくれましたが、そこはベテラン俳優の近藤さん、番組の趣旨を汲んで、家族を呼んでもらい、一緒に話を聞くことに(笑)。息子さんに話を聞くと、この辺りは足助の入口にあたり、昔は周りに7軒もの宿があり、玉突き等の遊興施設もあって、とても賑わっていた場所だそうです。お婆さんの若かったころには、芸子さんもいたし、芝居小屋もあって、映画館は2軒もあったそうです。当時、玉田屋の向かいにあった足助東映(映画館)の懐かしいチラシが、額に入れられ床の間に飾ってありました。そのプログラムは、毎日日替わりの2本立ての放映で、全て1960年(昭和35年)製作の映画の様です。片岡千恵蔵から、若山富三郎や若手の松方弘樹まで、当時の人気スターの名前が並んでいます。チラシの下には、『この番組表持参の方、大人様・高校生、15円割引致します』と記されています(笑)。ちなみに、当時の映画館の入場料は、72円位でした。最後に息子さんから、『足助には、昔から残っているけど、埋もれとるもんがいっぱいあるんで、それをちゃんと掘り起こしてやりたいなと思ってます』という話を聞き、感動した近藤さん、昔から続く街道沿いの町が復活することを願ってやまない様子でした。

再放送は、9月15日(金)午前0時10分~午前1時25分(木曜日の深夜)に、NHK総合で放送予定です。

 


二人旅

足助の紹介ビデオ(足にまつわる魅力)

鶴瓶さん

近藤さん

家族に一杯

 


番組内で紹介された 豊田市の名物など

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