鶴瓶の家族に乾杯 | 大宰府天満宮(タモリさん)~新春スペシャル~

各回の放送内容(あらすじ)と、ロケ場所となったお店の名前や取り上げられた名物・特産品の情報を集めてみました。

「鶴瓶の家族に乾杯」は、NHK総合テレビで、毎週月曜日の夜7時30分から放送されている、バラエティ番組です。
「家族」をテーマにして、司会の鶴瓶さんとその時々のゲストが旅人として田舎を訪れ、地元の人々と触れ合いながら、ステキ(素敵)な家族を求めて日本中をめぐる、“ぶっつけ本番”の旅番組です。

今後の放送予定や、収録地・出演者(ゲスト)、再放送の予定などは、「放送予定のロケ地とゲスト情報!」のページをご覧ください。

 平成31年1月2日(水)放送 新春スペシャルSP!ブラタモリ×鶴瓶の家族に乾杯「太宰府天満宮」

年の初めは「ブラタモリ」と「鶴瓶の家族に乾杯」、2つの旅番組が夢のコラボ!。タモリさんと鶴瓶さん、NHKの看板番組を持つ2人が、「同じ日」「同じ時間」「同じ町」を旅する新春特別番組も、今年の正月で4回目!。第1回目の平成28年1月2日の放送では、『真田丸スペシャル』と銘打って、NHK大河ドラマ「真田丸」で主人公の真田信繁(幸村)役を演じる堺雅人さんをゲストに迎え、タモリさんと鶴瓶さんと3人で、長野県上田市を旅しました。第2回目以降はタモリさんと鶴瓶さんの二人だけとなり、平成29年1月2日は『初詣スペシャル』で成田山新勝寺を、平成30年1月2日は『初夢スペシャル』で富士山・三保松原を旅しました。タモリさんは「土地の歴史・地形」をテーマに、鶴瓶さんは「土地柄・人柄」をテーマに、同じ日、同じ場所で旅します。しかし、二人は犬猿のキャラクター(汗)。旅の様相が、全く異なる所が魅力です(笑)。

今年の『新春スペシャル』の旅の舞台は、福岡県太宰府市宰府(さいふ)にある、太宰府天満宮(だざいふてんまんぐう)。太宰府天満宮は、京都の北野天満宮とともに全国天満宮の総本社とされ、学問の神様と崇められる菅原道真公が祀られていることから、正月には合格祈願の受験生をはじめ、全国から200万人もの初詣客が訪れ、年間には850万人もの参詣者がある、とても大きな神社です。なぜこれほど多くの人が集まるのか?、その秘密にタモリさんと鶴瓶さんが迫ります!(笑)。

今回は、さらにお互いの番組のことをよく知るために、鶴瓶さんが「ブラタモリ」に、タモリさんが「鶴瓶の家族に乾杯」に参加する企画も!?。タモリさんと鶴瓶さんの二人の珍道中を、お楽しみに!。


ロケが行われたのは、平成30年11月5日(月)。番組の冒頭、「太宰府天満宮」の鳥居の前で、タモリさんと林田理沙アナウンサーが並んで、『明けましておめでとうございます』と挨拶してくれますが、続けてタモリさん、『まだ11月ですけども・・・』と(笑)。福岡市出身のタモリさん、太宰府天満宮には子どもの頃は毎年、お祖父さんに連れられて梅の時期に来ていたそうですが、それ以来50年ぶりになるそうです。『当時と変わったことと言えば、周りから聞こえてくるのが全部中国語・・・』と(汗)。しばらくして、鶴瓶さんも到着。昨年は音声トラブルで30分も遅刻した鶴瓶さん、今年は無事にロケが始まりそうです(笑)。そこに差し出されたのは、恒例のタモカメが背負ったタモテバコ。本日のお題は、『なぜ大宰府は”ありがたい”?』だそうです!。

二人の前に最初に登場した案内人は、禰宜を務める傍ら、短期大学で博物館学も教えている、味酒(みさけ)さん。『ありがたい』には、”存在がまれ・珍しい”という意味もあり、本日はそうした”ありがたい”場所を案内して頂けるそうです。太宰府天満宮が祀る神様は、菅原道真(845~903)。学者の出身でありながら、右大臣という高い地位にまで登りつめましたが、陰謀に巻き込まれて太宰府に左遷され、その生涯を終えます。道真ゆかりの地に建てられた天満宮には、ここにしかない”ありがたいもの”があるそうです(ナレーションは草彅剛さん)。

案内してくれる味酒さんの足取りを見て、痛風と気が付いた鶴瓶さん、実は鶴瓶さんも痛風持ちだそうです(汗)。すると、自分は一歩手前とタモリさん。『痛風にはコーヒーがいいみたい』と、いたわり合う高齢者三人組(笑)。手を携え合いながら、どうにかこうにか、池に掛けられた太鼓橋を渡り切ります。神社の境内には池や川がありますが、その橋を渡ることで、手や口を洗わなくても精進潔斎され、身を清めたことになるという、ありがたいご利益があるそうです。国の重要文化財に指定されている、400年以上も前に建てられた本殿(1591年再建)の前で待っていたのは、太宰府天満宮の宮司の西高辻(にしたかつじ)さんと、権宮司の息子さん親子。お二人は、39代目と40代目となる菅原道真の子孫だそうです。学問の神と祀られる家の息子が、まさか受験で落ちるわけにはいかないと、日本の受験生の中で一番しんどいプレッシャーを感じながらも、現役で東大に合格できたと権宮司、学問の神様の面目躍如もひとしおでしょう(笑)。

太宰府天満宮が建てられた場所は、かつてはクスノキの原生林でした。そのため、本殿の周りには、樹齢1500年にもなる大きなクスノキが、100本以上も自生しています。参拝者の増加に伴い昭和43年に拡張工事が行われた際には、以前は建物の外側にあった楠を取り込む形で回廊が建て替えられました。亡くなる前の2年間、菅原道真が住んでいたのは、天満宮より2kmほど南にある南館。その遺体を牛車で運んでいたところ、この楠林で牛が座り込んで動かなくなってしまい、ここに埋葬しお墓が建てられました。その後、都では落雷や疫病が相次ぎ、道真の祟りを噂するようになります。この様な出来事から、道真公は天神様として祀られるようになり、お墓の場所に平安を祈る社殿が造られました。つまり、天満宮の本殿は、菅原道真の遺体が眠るお墓。本殿の脇には、遺体を24時間泊まり込みで守るために設えられた宿直(とのい)があり、明治の時代まで続けられたそうです。道真公の遺体を載せた牛車を引いていたのは、道真公の門弟で、なんと味酒さんの42代前の先祖だそうです。宮司を務める西高辻家と、禰宜をしている味酒家は、臥牛が間を取り持ってから1千年も続く、なが~いお付き合い。

飛梅伝説次に二人が案内されたのは、本殿の前にある「飛梅(とびうめ)」。境内には6千本もの梅がありますが、この飛梅が一番早く花を咲かせるそうです。ここで味酒さんが、紙芝居を使って、「飛梅伝説」を語ってくれました。道真公は京都を去る際に、屋敷の紅梅殿で咲く梅に向かって、『東風(こち)ふかば にほいおこせよ 梅の花 あるじなしとて 春な忘れそ』と詠みました。こうして自宅の梅に別れを告げて道真が大宰府へと旅立つと、梅が道真の後を追うように京都を飛び立ち、一夜にして大宰府へ降り立ったそうです。その話を横で聞いていた鶴瓶さん、『木ごと飛んできた!? それはアカンでぇ』と思いっ切りイチャモンを付けますが、『これは伝説ですから』と嗜める味酒さん(汗)。この伝説にあやかって、太宰府天満宮では「航空お守り」が売られていて、パイロットやキャビンアテンダント(C.A.)さんに、”静かなブーム”だそうです(笑)。太宰府天満宮には、そのシンボルである大事な梅を守る、「梅守(うめもり)」がいます。ここで登場してくれたのが、梅守の古賀さん・木本さん・中島さんの三人。タモリさんと鶴瓶さんに、高枝切バサミを使って、飛梅の剪定作業をしてもらうことに。枯れた枝を枝打ちすると、花芽がキレイに見えるそうです。その作業のお礼に二人が頂いたのは、飛梅の実で作られた大きな梅干し(涎)。

鷽替え神事と木鷽次に二人に体験してもらった”ありがたいもの”は、1月7日のお祭りで使われる、鳥の鷽(うそ)を象った木彫りの「木鷽(きうそ)」作り。「鷽替え神事」は、1年の間に知らずしらずについてしまった嘘も、天神様の真の心に替えて、災いを吉に取り替えてくれるというお祭り。博多の家には、一軒に一個は必ずこの木鷽があるとタモリさん。権禰宜の藤田さんに教わって、ノミを寸止めする作業を体験してみますが、これを100回繰り返すと聞いた鶴瓶さんは、とうとう我慢の限界。その席をタモリさんに譲ると、自分ひとり黙ってその場を離れ、まるでウソのように、どこかに飛んで行ってしまいました(笑)。

天満宮を飛び出た鶴瓶さんは、ありがたい出会いを求めて、太宰府市内を車で走っていると、「水汲み場」と書かれた看板を見つけ、車を降りてみます。”道の駅”ならぬ”水の駅”と書かれたその場所は、水を売っている自動販売機が置かれた「水の駅 国分店」。湧き水でも流れていると思った鶴瓶さんですが、容器代300円と水代100円を払って買った、大きなペットボトルに入った水を抱え、途方にくれます(汗)。すると、ちょうど向かいにあったのは、質屋の「かんてい局(太宰府店)」。若い店員の女性から、何でも売り買いしますと聞き、『水 買うてくれへん?』と(笑)。次に、通りで自転車に乗った女性を見かけた鶴瓶さん、『福岡の人ってキレイよね』と、その女性を追いかけます(汗)。すると、彼女が自転車を降りた場所は、「筑紫看護高等専修学校」。学生の齢には見えない女性や男性が次々と学校に入っていくので、先生かと思いきや、30代ながら新たな天職を求めて看護学校に入ったという学生さんでした。

太宰府天満宮から離れ、タモリさんが次に向かった先は、南西に3kmほどの場所、筑紫野市二日市中央の界隈にある交差点。ここから案内してくれるのは、太宰府市教育委員会の井上さん。ここでタモリさんが気付いたのは、多くの建物が、大通りに沿ってではなく、斜めの方角に向かって建てられていること!。井上さんによると、南北方向に伸びた古い道に沿って建物が建てられていたところに、昭和に入ってから新しい大通りが斜めに横切ったことで、こんな珍しい街並みが生まれたそうです。そこでタモリさん、「道真公が通った道」と手作り感満載の小さな看板が掛けられた、細い路地を北に向かって歩いていると、突然後ろから近付いてきた男性に、『久しぶり!』と声を掛けられます。なんと、この近所に住んでいる小学校の同級生らしいのですが、名前も顔も全く思い出せない森田一義さん、『寄っていきますか?』と誘われますが、『今度また』と(笑)。その先、西鉄の線路の向こう側にあったのは、「榎社(えのきしゃ)」と呼ばれる神社。この地こそ、道真公が余生を過ごし亡くなった「南館」があった場所で、ここから遺体が牛に牽かれ、太宰府天満宮まで運ばれたそうです。

再び車で市内を移動する鶴瓶さん、するとまた、水汲み場を見つけます。今度こそは、祠も建てられ、「晴明の井」と記された看板も掲げられた、由緒ある水飲み場の様です。しかし、その前に設えられた蛇口には、長い水道ホースが巻かれています。怪しいと思いつつ、その蛇口をひねって、ペットボトルに水を汲んで飲んでみた鶴瓶さん、すると『コレ 美味しいし、水道水と違うわ』と!。そこで、近所に居た年配の男性に話を聞くと、もう井戸は枯れており、前にあるのは水道だそうです(笑)。その路地から声を掛けてくれたのは、『せがわえいこでございますぅ』と話すあけみさんと、カラオケ仲間のエミ子姉さん。鶴瓶さんと、『ババババァ~』『ジジジジィ~』と、まるで漫才の様な下ネタ会話を楽しんだあけみさん、タモリさんによると、典型的な博多の女性だそうです(笑)。

北に進むタモリさんが、ようやく辿り着いたのは、「大宰府政庁跡」。ここが、40分かけてタモリさんが歩いてきた、古代の道の始点になります。大宰府政庁は、1300年以上も前に、九州の統括と外交の窓口の役目を果たすために作られた行政機関です。ちなみに、古代の役所を表す場合には「大宰府」と表記し、現在の地名などを表す場合には「太宰府」と、点の有る無しが使い分けられているそうですが、この様に決められたのは最近のことで、以前は曖昧だったとか・・・(汗)。バーチャルリアリティ(VR)の映像で、古代の大宰府政庁の様子を目の当たりにしたタモリさん。太宰府の市街では、奈良の平城京や京都の平安京よりも以前に、整然と区割りされた計画的な都市作りが行われていました。当時、長官の執務室があったであろう場所に腰掛けたタモリさん。長官になりきって、『やっと九州まで来たなぁ、まぁ3年後に帰るからいいや。3年か5年経って都に戻ったら、大納言か大臣になれて万々歳。その間、平穏無事に波風立てないのが一番、これが役人根性!』と、タモリさん(笑)。

次に井上さんが教えてくれたのは、この地に大宰府が築かれることになった、ありがたい理由。それが背後にそびえる、「四王寺山」(しおうじやま)です。四王寺山は、日本が白村江(はくそんこう)の戦いに敗れた後に、大野城が造られた場所です。「白村江の戦い」とは、663年に日本と百済の連合軍が、唐・新羅連合軍に大敗を喫した戦いで、破れた日本はその後、大陸からの侵略による脅威に晒されます。そこで建てられたのが、「大野城」。山の周囲8km以上に土塁を張り巡らせた、日本最大の古代山城です。いざという時に、国を守る防衛拠点がこの地にあったことが、大宰府が置かれた理由です。

次に鶴瓶さんが出会ったのは、家の庭でチューリップの球根を植えていた桑原さん。還暦を過ぎた男性ですが、『鶴瓶さんにお会いできるなら、パックでもしておくんだった』と、キャラクター全開(笑)。玄関先で話を聞いていると、遠巻きに近所の奥様方が集まり出します。その様子に気が付いた桑原さん、『たぶん 鶴瓶さんのファンクラブ、太宰府支部の方々でしょう!』と(笑)。

一方のタモリさんは、大宰府政庁跡から西へ2kmほど、一面にコスモスが咲き乱れキレイな景色が広がる場所へとやって来ました。ここは、タモリさんもご存知の、「水城(みずき)」と呼ばれる場所。大野城と共に守りの要として古代に造られた、巨大な土塁の跡です。その様子を、ドローンを使って上空から眺めてみると、1.2kmもの長さの土塁の両側に、幅60mの堀があった当時の様子を窺い知ることができます。水城が造られたのは、東西から山がせり出し、平野が一番狭くなった場所。大宰府を守るために、短期間で土塁をめぐらせ、海から進攻してくる敵を食い止めるには、最適な場所でした。さらに最近の調査で、太宰府を挟んで水城の反対側にも、大きな土塁の跡が見つかりました。2016年に発見された、「前畑遺跡」です。太宰府政庁の周りには、大野城や水城など、地形を生かした防衛拠点を幾つも設け、町全体を塀でぐるっと取り囲んでいました。その面積は奈良の都の3倍以上、太宰府は巨大な城郭都市だったんです!。太宰府は、とても”ありがたい”場所だったことが、分かっていただけたでしょうか?(笑)。

ファンクラブの方々?と触れ合いを楽しんだ鶴瓶さん、その中の橋口さん・穴井さん母子が近所でちゃんこ屋をしていると知り、定休日の店を訪ねさせてもらうことに。店に向かって歩いていると、偶然にもちょうど後から、店に用事があると歩いてきた、お父さんとも出会います。上がらせてもらった店は、「ちゃんこ和王」。定休日でお客さんもいないので、ご家族に話を聞こうと座敷に上がり込んだ鶴瓶さんですが、娘さんが気を利かせて、ちゃんこを作ってくれるそうです!。家で寝ていたご主人も叩き起こされ、店にやってきました(笑)。鍋の準備が整うまでの間、お父さんから、娘夫婦の馴初め話を聞き出した鶴瓶さん。出されたちゃんこを頂きながら、娘さん夫婦を先ほど聞いた話で弄っていると、そこにタモリさんと林田アナが登場し、座敷にはいっそう大きな笑いが響きました(笑)。

再放送は、1月7日(月)午前0時40分から(日曜深夜)、NHK総合で放送予定です。

 


二人旅

鶴瓶さん

タモリさん

 


番組内で紹介された 太宰府市の名物など

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