鶴瓶の家族に乾杯 | 新春スペシャル2023「江の島参りでブラブラ乾杯!」

各回の放送内容(あらすじ)と、ロケ場所となったお店の名前や取り上げられた名物・特産品の情報を集めてみました。

「鶴瓶の家族に乾杯」は、NHK総合テレビで、毎週月曜日の夜7時57分から放送されている、バラエティ番組です。
「家族」をテーマにして、司会の笑福亭鶴瓶さんとその時々のゲストが旅人として田舎を訪れ、地元の人々と触れ合いながら、ステキ(素敵)な家族を求めて日本中をめぐる、“ぶっつけ本番”の旅番組です。

今後の放送予定や、収録地・出演者(ゲスト)、再放送の予定などは、「放送予定のロケ地とゲスト情報!」のページをご覧ください。

 令和5年1月1日(日)午後7時20分から放送 ブラタモリ×鶴瓶の家族に乾杯 新春スペシャル2023年 「江の島参りでブラブラ乾杯!」

年の初めは「ブラタモリ」と「鶴瓶の家族に乾杯」、2つの旅番組が夢のコラボ!。タモリさんと鶴瓶さん、NHKの看板番組を持つ2人が、「同じ日」「同じ時間」「同じ町」を旅する新春特別番組も、2023年の正月で8回目!。タモリさんは「土地の歴史・地形」をテーマに、鶴瓶さんは「土地柄・人柄」をテーマに、同じ日、同じ場所で旅します。しかしコロナ禍で、一昨年はスタジオトーク、昨年は渋谷のNHK放送センター内を中心に巡る旅でしたが、今年は3年ぶりに街に出てのロケをすることが出来ました!。

今回のテーマは、「江の島参りでブラブラ乾杯!」。タモリさんと笑福亭鶴瓶さんが、“芸能の神様”で知られる神奈川県・江の島を訪れ、笑いと奇跡を巻き起こします!。

これまで放送された過去の番組内容は、こちらをご覧ください。


番組の概要

ロケが行われたのは、2022年10月31日(月)。差し出された“タモテバコ”に入っていた本日のお題は、『なぜ江の島はにぎわうのか?』。二人まず、“芸能の神様”として知られる「江島神社」を訪れます。旅のお題の謎を探っていくと、江の島は実は二人にとても縁の深い島だったことが分かり大興奮!。そして後半は、それぞれの旅に。鶴瓶さんの出会いは、奇跡と感動の連続。一方、タモリさんは、神秘の洞窟探検へと向かいます。案内人は小野文惠アナウンサーと野口葵衣アナウンサー、ナレーションは草彅剛さんと三宅民夫さんです。

放送内容

【二人旅】 待ち合わせ場所からロケがスタート

タモリさんと笑福亭鶴瓶さんが待ち合わせたのは、江の島に渡る手前に広がる海岸沿いの砂浜「片瀬東浜海水浴場」。先に着いた鶴瓶さんがタモリさんを見掛けなかったかと声を掛けたのは、運動会の代休で孫二人を連れて海に貝殻を拾いに来たという中杉さん。鶴瓶さんがお孫さん達に話し掛けているところに、ちょうどタモリさんも到着します。江の島には初めて来たという鶴瓶さん、なぜ海岸にこんもりした島がポツンとあるのか不思議に思ってタモリさんに尋ねると、噴火ではなく隆起して出来た島が、後にトンボロという現象によって陸続きになった陸繋島(りくけいとう)だと教えてくれました。そして、江の島にある神社は芸能の神様だから(鶴瓶さんも)お参りしておいた方がいいよと。さっそく江の島に向けて歩き出した二人ですが、この日は雲一つない快晴で富士山もくっきり見え、正月早々幸せだと喜びます(笑)。

【二人旅】 二人を追うドローンの操縦士が乗る船は…

タモリさんと鶴瓶さんが、江の島へ続く「江の島弁天橋」を渡っていると、二人を追うように空にはドローンが飛んでいます。“ブラタモリ”ではお馴染みの光景ですが、“家族に乾杯”でドローンを飛ばすことはまず無いので驚く鶴瓶さん(笑)。多くの観光客に手を振られつつ橋を渡ったところで鶴瓶さんが声を掛けたのは、3年前に江の島に嫁いで来たという地元の片野さん。なんと、その漁師のご主人が、今まさにドローンの操縦士を乗せている船を操っているんだそうです!。大勢の人混みの中から片野さんに声を掛けた、鶴瓶さんの人を見分ける勘の良さにビックリするタモリさんでした(笑)。

【二人旅】 一人目の案内人・堀江さん

江嶋一望図

江島神社へと向かう参道、仲見世通りの入口に建つ「青銅の鳥居」の前で二人を待っていてくれたのは、本日一人目の案内人である堀江さん。堀江さんは、鳥居のすぐ脇にある200年以上も続く土産物店「堀江商店」の店主ですが、もともとの店は「絵図屋 善兵衛」と言って、江戸時代に江の島を訪れる参拝者に江の島散策を楽しんでもらうための絵地図を版画で刷って販売していたそうです。現代の平面的な地図とは異なり、当時の絵地図は島を上空から俯瞰して描いた鳥瞰図、実際の位置関係より目的地に辿り着くまでの起伏が分かりやすく描写されています!。その絵地図のコピーを貰った二人、これから始まる江の島の旅をこの地図を頼りに楽しむことに。

【二人旅】 旅館「岩本楼」

絵地図を手に、土産物店等が軒を連ねる「江の島弁財天仲見世通り」を歩いていた二人が見つけたのは、立派な石柱門を構えた古くて由緒ありそうな旅館。たまたま門の前で出会った従業員の方に話を聞くと、ここは「岩本楼」という旅館だそうですが、旅館になったのは明治からで、その前は岩本院というお寺だったとか。それを聞いて、“廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)”と理解するタモリさんに、『え、なに?』と教えを乞う鶴瓶さんでした(笑)。

【二人旅】 江の島エスカー

二人で歩きながら、『もう古希やで』と言う鶴瓶さんに、『オレ喜寿になったよ』と応えるタモリさん。参道の突き当たりにある「朱の鳥居(大鳥居)」までやってくると、その先には長い石段が続いています。そこで二人が見つけたのは、脇にあった江の島名物「エスカー」の乗り場。江の島エスカーは、1959年に誕生した日本初の屋外エスカレーターで、高低差46mの石段を上れば約20分かかりますが、エスカーを使えば4-5分ほどで高齢のお二人でも苦なく上ることができます(笑)。

【二人旅】 二人目の案内人・押田先生

エスカーを降りた先にあるのが、江島神社の3つのお宮のひとつ「辺津宮」。大勢の観光客を避けて離れた場所から参拝を済ませた二人に声を掛けたのは、“ブラタモリ”を担当しているNHKアナウンサーの野口アナ。ここからはブラタモリのスタート、鶴瓶さんとはお別れと悟ったタモリさんですが、急に現れた野口アナにタモリさんを奪われ捨てられるみたいに冷たいと鶴瓶さん、しばらくブラタモリに撮影に付き合うことに(笑)。タモリさんの前に差し出された“タモテバコ”の中に入っていた本日のお題は、『なぜ江の島は賑わうのか?』。確かに平日の月曜日だというのに、まわりの観光客の多さにビックリさせられます。そこに現れたのが本日2人目の案内人、日本大学理工学部まちづくり工学科の押田先生、湘南海岸の観光の歴史について研究しています。押田先生によると、現在藤沢市の年間観光客数は大体1,900万人で、そのほとんどの方が江の島地域に来ているとか。そして、現在のこの観光のイメージをつくったのが、絵地図に描かれている江戸時代の「江の島参り」がきっかけになっているそうです。江戸時代の名所・名物を評した番付表「東海道五十三次繁盛記」を見ると、客座(別格)の欄に、西の“伊勢参り”に対峙して東の“江の島参り”が記されています。江戸の人々にとって伊勢参りは、往復一か月以上かかる正に一生に一度の旅、一方 江の島参りは往復3泊4日、負担が少ないため観光の先駆けとして人気を集めました。ただ、江の島参りが人気を集めた理由はこれだけではありません。

【二人旅】 奉安殿に祀られる2体の弁財天像

その理由を探りに一行がまず向かったのは、「奉安殿」。ここで待っていた案内人、江島神社の権禰宜・堀嵜さんによると、江の島参りが盛んになった理由のひとつが、ここに祀られている七福神のひとりである弁天様で、そのご利益を求めて多くの人が江の島に集まって来たそうです。奉安殿には2体の弁財天像が安置されていて、右側(古い方)の鎌倉時代に源頼朝の命によって作られた「八臂弁財天像」は8本の腕を持ち、それぞれの手には弓や矢など武器を持っていて、戦勝祈願の神様仏様として大事にされたそうです。以降、江の島の八臂弁財天への信仰は、北条時政や徳川家康など東国の武士の間で広がっていきました。一方、江戸時代の人々のお参りが篤かったのは、新しい(左側)の琵琶を持った裸弁財天とも呼ばれる「妙音弁財天像」で、財運や芸事の上達を願う江戸の人々から芸能の女神像として信仰を集めました。勝負事から芸能上達、財運アップまで、江の島の弁財天はその姿形を変えることで、江戸の人々の心も捉えていったのです。

【二人旅】 “唐人囃子”による江の島PR作戦とは?

次に押田先生、江の島参りが盛んに行われた理由は弁財天様がいたからだけではなく、江の島の人たちによる江戸から人を呼び込むための「PR作戦」があったからだとか…。一行が石段を降りて“朱の鳥居”まで戻ってくると、そこでブラタモリのために浴衣を着た地元の男衆が披露してくれたのが、江戸からお客さんを呼ぶために使われていた「唐人囃子」。約300年続くお囃子で、今でも年に一度の神社のお祭り「天王祭」で披露されています。太鼓や笛だけでなく、三味線や朝鮮通信使(江戸時代に朝鮮から日本に派遣されていた外交使節団)が街道沿いを練り歩いていたのを見て取り入れたと云われているチャルメラも入った賑やかなお囃子です。さて、この唐人囃子が江戸の何処で披露されていたのかを探ろうと、タモリさんと鶴瓶さんにも太鼓を叩いてお囃子に加わってもらい、皆で参道を練り歩いて戻って来たところに建っていたのが、最初に潜った“青銅の鳥居”。鳥居の柱に刻まれた、扇屋や大黒屋、松波屋といった奉納者名を見て、それが吉原だと気が付いたタモリさんと鶴瓶さん。実は、タモリさんから聞いた吉原話から「山名屋浦里」という落語を創作した鶴瓶さん、それを後に中村勘九郎さんが新作歌舞伎「廓噺山名屋浦里」として上演したこともあるんだそうです!。押田先生によると、この鳥居は江戸で最も華やかな社交の場・吉原遊郭の旦那衆が中心となって、江戸後期に奉納したものなんだとか。吉原で行われていたパレードや即興芝居で盛り上がる夏の一大イベント「吉原俄(にわか)」の絵図には、唐人(外国の人たち)の出で立ちでひときわ人目を惹いた、江の島から赴いた唐人囃子の60人の一行が吉原を練り歩く様子が描かれています。当時の衣装を調べて再現しようと立ち上がった有志の一人・伊藤さんによると、上質なシルクを最新のジャガード織機で織った着物とみられ、今作ると一着190万円くらいするらしいとのこと。奇抜な衣装で独特の音色の唐人囃子を披露することで、吉原の旦那衆の心をつかんだ江の島の人たちですが、後にその人気は、吉原を訪れていたお金持ちの町人と、彼らがスポンサーになって一緒に吉原に遊びに来ていた歌舞伎役者や浮世絵師にも広がっていきます。そして、歌舞伎『青砥鍋花紅彩画』の主人公で江の島出身とされる美男子「弁天小僧」をはじめ、江の島を舞台にした歌舞伎や浮世絵など多くの作品が生まれました。吉原の旦那衆から芸能人、文化人へと広がった江の島の評判は、さらに歌舞伎や浮世絵に描かれて大衆の目に触れることで、江戸の人々にとって江の島は一度はお参りしてみたい憧れの地になっていったのです!。

【二人旅】 御師の作戦と岩本院“富士見の間”

実は江の島には、唐人囃子の以前から江戸でのPRを取り仕切った組織があったと押田先生。その組織の痕跡を探しに一行がやって来たのは、江の島全体の宗教を司る総別当という立場にあった「岩本院」。そう、先に二人が立ち寄った旅館「岩本楼本館」の元になったお寺です。寺や神社に仕えて仕事や広報活動を行った人々のことを「御師」(おし、おんしとも)と言いますが、お伊勢参りの御師は全国に約2千人もいたのに対して、江の島参りの御師はたった14~15人だったとか。その岩本院と御師たちによる巧みなPR作戦を教えてくれるのは、旅館に残されていた古くからの江の島の資料を読み解き研究している、郷土歴史家の鈴木さん。ただし、歴史に興味ない鶴瓶さんはここで離脱します(笑)。旅館の一室に通されたタモリさんに鈴木さんが見せてくれたのは、御師が配って回った八臂弁財天像が描かれたお札と、御師たちが江戸中を運んで見せて回った極小の弁財天像。ありがたい弁天様を目の当たりにした江戸の人たちは、いつかは江の島へ行こうと思いを馳せたとか。しかし、当時の江戸の人口は100万人、少ない人数で仏さまを見せて回るにも限界があります…。そこで御師たちは、大名や両替商など、大口の顧客となる金持ちばかりに狙いを絞ってPRしました。そして、お参りに来てくれた人の心を射止めた奥の手が、実はこの部屋にあると押田先生。部屋を見渡してもその答えが分からないタモリさんと野口アナですが、障子窓を開けてもらった瞬間に、『おぉぉぉ~』と感嘆する二人(笑)。二人の目の前には、海の向こう側に富士山が聳え立つ絶景が広がっていました!。この部屋は“富士見の間”と呼ばれていて、建物は何度も建て替えられましたが、窓から見えるこの絶景だけは岩本院の名物として大切に受け継がれてきました。この部屋には、水戸黄門様(徳川光圀公)を始めとする将軍家や大名、商売人など富豪の方々が泊まられたとか。こうした江戸への巧みなPR戦略と、江の島から見る富士山の絶景で、江の島は江戸の人々の心をわしづかみにしていったのです…。

【めでたい島とは?】

ここでスタジオの小野アナ、江の島自体も島の形があるものに似ていることから、古くから“めでたい島”とされてきたとか。確かに、言われてみれば“亀”に似ているとタモリさんと鶴瓶さん。亀は長寿の象徴とされていますし、中国の神仙思想においては海の彼方に不老不死の仙人が住む亀の背中にそっくりの島があるという伝説があるんだそうです。そのため、江島神社の3つのお宮のひとつ「奥津宮」には、今も江戸時代に描かれた亀の天井絵が掲げられています。

【鶴瓶さん】 ねぇ~、ちょいと!?

タモリさんと別れ一人旅になった鶴瓶さん、青銅鳥居の脇から参道の横に伸びる脇道に入っていくと、途中で浴衣を着た堀江商店の堀江さんと出会います。気が付きませんでしたが、先ほど唐人囃子を披露してくれたお囃子隊のメンバーの一人として、行列の先頭で錫杖(金棒)で地面を突いて金輪の音を鳴り響かせてくれていました。堀江さんによると、この辺りは漁師町として以前は八百屋や肉屋などいろんな店があったそうですが、多くの店がシャッターを降ろしてしまったとか。でも、昔ながらの食堂や釣り道具屋も残っていると、お食事処「ネーチョイト」に案内してくれることに(笑)。店で迎えてくれたのは、とにかく明るい名物店主の安岡さん。以前はステンドガラスを扱う硝子屋だったそうですが、お祖父さんが漁師でおじさんが板前だったことから、11年前にこの店を開いたそうです。店名は、お客さんを『ねぇ~、ちょいと!』と呼ぶのに都合がいいと、安岡さんが名付けたんだとか(笑)。鶴瓶さんは、せっかく海に来たんだからと勧められ、刺身定食(1700円)を頂くことに。相模湾の魚も美味しいし、追加で出して貰った江の島名物の生しらす(500円)もとても美味しいそうです。なんと安岡さんも、先ほどのお囃子隊の中にいて、鶴瓶さんに太鼓の叩き方を教えてくれた人でした(笑)。隣のテーブルでアジフライ定食を食べていたのは、横浜から来たという上田さんご夫婦。鶴瓶さんは刺身が美味しいと勧めますが、海鮮料理が名物という中国福建省の出身の奥さんは生魚が食べられないんだとか…。てっきり日本人の夫婦だと思い込んで声を掛けた鶴瓶さん、中国人の奥さんが日本語が上手なのに驚くと、十年程前に留学で日本に来た時に日本語を覚えたいと敢えて中国料理ではなくメキシコ料理店に務めてご主人と出会ったんだとか。出来ちゃった結婚だったので福建省まで奥さんの両親に会いに行った時はとても怖かったと話すご主人ですが、実際に行ってみると奥さんの父方と母方のご家族総勢100名程が大集結していて、その場で小さな結婚式も開いてもらい、とても温かく迎えて貰ったそうです(笑)。このシーンをスタジオで見ていたタモリさん、『俺もこっちに行きたかったねぇ』と羨みます…。食堂で一杯やるのが大好きというタモリさん、実はアジフライも大好物なんだとか(笑)。

【鶴瓶さん】 再会した唐人囃子のメンバーは…

漁師町という住宅街をさらに奥へと進む鶴瓶さん、うねうねと続く石段を何回も上りながら、急斜面に所狭しと建つ家々の間を歩いていきます。すると出会ったのは、家の2階のベランダで洗濯物を取り込んでいた鈴木さんの奥さん。ご自宅は向かい側の家だそうですが、隣にある娘の家の手伝いに来ているそうです。さらに住宅街の階段は上へ上へと続き、海が見える高台にまでやって来た所で話声が聞こえた一軒のお宅を覗き込むと、数人の男性が!。そのうちの一人、長い髭を貯えた市川さんに見覚えがあった鶴瓶さん、さっきのお囃子隊で大きな太鼓を叩いていた人だと気が付きます!。でも、この家の主という伊藤さんが、笛を吹いていてジャガード織の衣装の説明に立ってくれた人だったとは、本人に言われるまで気が付きません…(汗)。さらに、給湯器を直しに来ていた平沼さんは、押し太鼓を引っ張っていたそうです。皆さん一斉に、お祭りの時だけ駆り出されるんだとか(笑)。中でも、“ただ者では無い”と鶴瓶さんの目についた市川さんは、滝行を始めて20年になるそうです。結婚もしていて2人の子供に4人の孫もいるそうですが、滝行を始めて趣味が違ってしまった奥さんとは長いこと一緒に住んでいないとか…。そして伊藤さんは、去年まで株式会社ZOZOの取締役兼COO(最高執行責任者)を務めていたそうで、ZOZOのパタンナーに来てもらったことで着物の分析が出来たんだそうですが、今は別のエネルギーの会社を営んでいるそうです。東京生まれで関西育ちの伊藤さんですが、江の島が大好きで通っている際に家が買えるかもしれないと聞き、全力で買いに動いたそうです!。3人いる子供にとっても、お小遣いを渡して『江の島から出ちゃだめよ』って言うと最高の場所なんだとか(笑)。

【鶴瓶さん】 岩屋まで歩いて登る鶴瓶さんが出会ったのは?

そこから更に上へと登る鶴瓶さん、遂にタモリさんと訪れた「辺津宮」まで戻ってきてしまいました…。さらに出会いを求めて先へと進んでいくと、出会ったのは最近嫌なことがあったので厄払いのお参りに来たという地元・神奈川に住む佐藤さん。『それはいいことが起こる前触れや、嫌なことは全部ボーナスポイントやって思ったらいいねん』と鶴瓶さんに諭され、いいことを聞いたと喜ぶ伊藤さんですが、『(鶴瓶さんに会って)運を使っちゃってないですかね?』と心配すると、『ぜんぜん使ってない、自分の生き方が悪かったら運なんて開けないよ、すべて自分の生き方、運は見つけたらいいねん』という鶴瓶さんの話に涙しますが、当の鶴瓶さんは『すごいええこと言うやろ』と自画自賛…(笑)。

次に鶴瓶さんが出会ったのは、これから岩屋に行くという埼玉から修学旅行に来ていた松伏小学校6年生の5人グループ。一緒に歩きながら、今夜は江の島のホテルに泊まると聞いて、『楽しみやなぁ、今夜は宴会やろ?』と自分のことの様に喜ぶ鶴瓶さん(笑)。「江の島岩屋」に到着すると、売店でラムネを買って子供たちと一緒に飲みながらグルーのセリフを語ったりして他愛もない会話で盛り上がる、大人から子供まで好かれる鶴瓶さんでした!。

小野アナウンサーによると、鶴瓶さんと出会った伊藤さんは『ご利益の即効性に驚きました』と本当に喜んでいたそうです(笑)。それにしても本当に今回はよく歩いた鶴瓶さん、食堂を出てから岩屋まで歩いた距離は1万1千歩。そして江戸時代の江の島参りの最終目的地となっていた江の島岩屋は、ここにかつて弁天様が降り立ったとされる江の島信仰発祥の地でもあります。しかし、岩屋の前まで歩いて行っておいて、岩屋には入っていない鶴瓶さん。一方のタモリさんは、野口アナとゆっくりランチを楽しんだのち、船に乗って岩屋までゆったり向かったそうです(笑)。

【タモリさん】 岩屋の洞窟はなぜ出来たのか?

岩屋を案内してくれるのは、再び江島神社権禰宜の堀嵜さん。152メートルあるという岩屋は、人が掘ったものではなく、自然の力によって生み出された洞窟です。奥に向かうほど暗くなる岩屋では、弘法大師をはじめとする名立たる僧が何日も籠って修行したそうです。岩屋の一番奥、ついに江の島信仰発祥の地までやってきたタモリさん、空気が違うとその神秘的な空間に感動します。この岩屋が出来た地形について説明してくれるのは、神奈川県湘南地域の地質を研究している平塚市博物館の学芸員で学術博士の野崎さん。湘南の回に続きブラタモリ2回目の登場です。野崎さんによると、波が岩盤を削り込むことによって出来た“海食洞”という地形こそが岩屋なんだとか。江の島の岩屋は砂岩という硬い地質であったからこそ、崩れずに152mもの深さになったそうですが、それにしても深すぎると不思議がるタモリさん。野崎さんに目の前にもう一つの重要なポイントがあると言われ、その岩肌を見つめてタモリさんが気が付いたのは、“断層”でした。断層では岩石が壊されてもろくなっているので、そこに波が入り込むことによって岩屋になったと考えられているそうです。実際、江の島には何百本もの断層が南北に走っていて、それに沿う形で複雑な入り江ができ、その奥に岩屋ができています。千年以上に渡って人々の心を惹きつけてきた岩屋、江の島に最初の賑わいをもたらした洞窟は、硬い地層と波が削りやすい断層によってもたらされました。

【タモリさん】 江の島に新しい賑わいをもたらした地形とは?

さらに江の島にはもう一つ現代の賑わいの基となる地形があると、タモリさん一行が船に乗って沖から江の島の海岸を見ると、断崖絶壁の上には横一直線に植物が生えた平らな場所が広がっています。この、幾重にも平らな岩盤が重なった地形こそが、江の島の地形のもう一つの特徴です。江の島の海面近くに広がる平らな地形は、波によって削られた“波食台”という地形ですが、それが周期的な地震によって何回も隆起を繰り返したことで、平らな波食台が幾重にも重なった江の島の地形が生まれたんです。そして、江の島の頂上に広がる一番最初の波食台には、灯台を兼ねた展望台と、その周りにはお洒落なカフェなどが沢山あります。2003年に通称「江の島シーキャンドル」と呼ばれる展望灯台が建て替えられたのを機に、若者たちの人気スポットに生まれ変わった平らで広々とした江の島頂上部。冬の祭典“湘南の宝石”など一年中様々なイベントが開かれる新しい賑わい場も、江の島ならでは地形によって生み出されていたんですね(笑)。

【エンディング】

旅の終わり、タモリさんを出迎えようと船が戻ってくるはずの港にやってきた鶴瓶さん。タモリさんの船を待つ間、近くにあった「Moke’s HAWAII 江ノ島店」を訪ね、コーヒーと一緒にパンケーキに舌鼓します。しかし気が付けば既に船は港に着き、岸に降り立っているタモリさんを見つけると、『もう着いているやんか、こっちの方が大事なのに お前アホか!』とスタッフを叱りつける鶴瓶さん…(汗)。何を怒ってるのかとタモリさんになだめられながら紹介されたのは、黒いサングラスと赤いスカーフがトレードマークの片野さん。タモリさんが乗った船を操縦してくれていた船長で、朝方にはドローンの操縦士を乗せてくれていました。つまり、江の島に渡って一番最初に声を掛けた女性のご主人です!。ちょうど辺りは日が沈む時間、江の島の港は夕暮れに包まれるなか、対岸の葉山は夕日が当たってキレイに浮かび上がっています。正月のはじめと番組の終わりにふさわしい景色と、最後は機嫌を取り直した鶴瓶さんでした(笑)。

番組内で紹介されたお店や訪問先など

二人旅

タモリさん

鶴瓶さん

 


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