NHK『鶴瓶の家族に乾杯』 放送内容とロケ場所の情報!(平成28年度 下期)

各回の放送内容(あらすじ)と、ロケ場所となったお店の名前や取り上げられた名物・特産品の情報を集めてみました。

※ これ以前の放送内容は、放送回毎の放送内容(個別ページ)をご覧ください。
※ 今後の放送予定や、収録地・出演者(ゲスト)、再放送の予定などは、「放送予定のロケ地とゲスト情報!」のページをご覧ください。

 平成29年3月13日  宮城県東松島市(北島康介さん) ~震災から6年~

旅のゲストは、元競泳選手の北島康介さんです。オリンピックでは、2000年のシドニー大会から2012年のロンドン大会まで、日本の競泳史上初となる4大会連続出場を果たし、2004年のアテネと2008年の北京では100m・200m平泳ぎの2種目で金メダルを獲得した、まさに日本の競泳界のレジェンドです。2004年のアテネ五輪では、男子100m平泳ぎで金メダルを獲得したレース後のインタビューで、『チョー気持ちいい』と話し、この年の「新語・流行語大賞」の年間大賞に選ばれたことでも有名です。しかし昨年の4月、リオデジャネイロ大会の代表選考会で五輪出場を逃した後、現役を引退。現在は、東京都水泳協会の理事を務めるなど、水泳競技の振興に尽力されているようです。

今回の旅の舞台は、宮城県東松島市。人口は約4万人ですが、東日本大震災では、死者・行方不明者が1,134人も出て、市内の住宅の3分の2を超える凡そ1万1千棟が全半壊するなど、甚大な被害を受けました。現在は集団移転が行われ、公営住宅が出来るなど、新しい街づくりが進んでいます。北島さんは、これまで被災地支援のために、復興した気仙沼の室内プールの完成式典に訪れたり、登米市民プールではチーム宮城の子供たちの水泳教室を開催したりと、支援活動に取り組んできましたが、まだ東松島市は訪れたことが無かったため、今回の旅先として選んだそうです。


ロケが行われたのは、平成29年2月2日(木)。この日は、発達した低気圧が北海道の西に進み、西高東低の強い冬型の気圧配置となって、気温が低いうえに、海沿いでは猛烈な冷たい風が吹く、生憎の天気となってしまいました。

東松島市の月浜海岸で待ち合わせた、鶴瓶さんと北島さん。新しく整備された防波堤のすぐ脇に建つ、民家にしては大きな建物が気になり訪ねてみることに。そこは、「民宿 山根」で、ちょうどそこに老人クラブの新年会の一行がマイクロバスで到着したものですから、鶴瓶さんを取り巻いて、大騒ぎになってしまいました(汗)。ようやくのこと、てんてこ舞いの女将と娘さんに会って震災当時の話を聞くと、周りにあった三十数軒の民家は津波で全壊したそうですが、この民宿の建物だけはギリギリ壊れずに残ったそうです。するとそこに、今度は小学校の同窓会で82歳の女性ばかり10名の団体が到着し、また更にごった返します。鶴瓶さん曰く『日本で一番古い女子会』(笑)の皆さんに話を聞くと、小学校5年生の時に終戦を迎え、大変な時代を生きてきた方々ですが、『今が一番しあわせ』と話してくれました。

ここでスタジオから、北島さん語録に合せて、東松島市の魅力をビデオ紹介。まずは、東松島産の「牡蠣」。プランクトンの多い海で育った牡蠣は、身が大きくてジューシーな甘みが特徴です。カキ殻を剥いて大きく育った牡蠣の身を見た瞬間が、『チョー気持ちいい』とか(笑)。次は、町のシンボルでもある”大高森”の高台から眺める、日本三景・松島の絶景。ここは、最も松島を美しく眺められる「四大観」(しだいかん)のうち、「壮観」と呼ばれている場所です。松島を見た松尾芭蕉は、絶景に心が奪われてしまい句が詠めないと「奥の細道」に記したそうですが、松島の景色を見ると、まさに『なんもいえねぇ~』(笑)。最後は、東松島名物の「ちぢみほうれんそう」。農家の方から、『康介さんを手ぶらで帰らすわけにはいかない』と、北島さんのお土産にと採れたてのホウレンソウを沢山貰いました(笑)。

鶴瓶さんと北島さんは、特産のカキが食べたいと、野蒜地区にあるカキ小屋「海鮮堂」を訪れます。カキ小屋では、熱した鉄板の上に殻付きの牡蠣を並べ、大きな鉄の蓋を被せて12~13分ほど蒸し焼きにします。二人は、美味しい焼き牡蠣を頂きながら、オーナーの門馬さんに、震災当時の話を聞きました。震災で、当時のカキ小屋は流され、亡くなった従業員もいたそうですが、悩んだ末、海に流れ着いたコンテナに入った材木を譲り受けて、このカキ小屋を復活させたんだそうです。

一人旅になった北島さんは、これまでの出会いでお爺ちゃんお婆ちゃんに圧倒されたので、次は若い人に会いたいと、近くの「東松島高校」を訪ねることに。まず撮影の許可を貰おうと先生に話しかけますが、服を着た北島さんを見ても、誰も康介さんとは分かりません(汗)。名前を言うと、ようやく『水泳の・・・』と気づいてもらい、校長先生に構内を案内してもらうことができました。東松島高校は、3部制の学校で、朝9時から夜8時半まで一日に12コマの授業時間があり、前日に入試があったため、この日の授業は午後3時から4時半までの7・8時限目だけだそうで、まだ学生はチラホラしか登校していません。それでも学生が北島さんを見つけると、『キャー』『何も言えね~』と、結構な騒ぎになってしまいました。

一方、鶴瓶さんは、住宅地を歩き回りますが、寒風が吹き荒れるなか、通りで人に出会えるわけもなく・・・(汗)。すると、さっき覗いた時には鍵が締っていた「マキ美容院」から、年配の女性が表に出てきてくれました。近所の人から、鶴瓶さんがそっちに歩いて行ったと電話がかかって来たそうです。どうやら、家の中から通りをうろつく鶴瓶さんを見ていた人が居たようです(笑)。美容院の周りには空地が目立ちますが、津波で被害の大きかった家が取り壊されたためで、この美容院も一階の中ほどまで浸水したものの、建物は壊れず残ったそうです。壁には、浸水で付いたシミの跡が残っていました。しかし震災を機に、美容院は閉店したそうです。そこに、鶴瓶さんが居ると電話で知らせてくれた千葉さんも訪ねてきてくれました。皆さんに、震災当時の話を聞いていると、近所に天皇陛下が来てくれたイチゴのハウスがあるからと、千葉さんが案内してくれることに。震災後に建てられたいちごハウスを運営しているのは、農業生産法人の「サンエイト」で、社長をしている別の千葉さんに案内してもらい、鶴瓶さんは宮城県オリジナル品種のイチゴ「もういっこ 」を試食させてもらいました。

かきラーメンここで、ちょっと一息、「家族に一杯」の時間です。
 やって来たのは、復興が徐々に進む野蒜(のびる)駅の近く。ここで、津波で流されずに残った建物を利用して再建された食堂が、「えんまん亭」。50年以上続いた元の食堂は、津波で全壊。ご主人はもう店は止めようと思ったそうですが、お客さんの声に背中を押され、この場所に移って店を再開することができたんだそうです。ここで頂ける本日の一杯は、季節限定の「かきラーメン」(950円)。地元の海で育ったプリップリの牡蠣が沢山載っていて、とても美味しそうです。

午前中は、風が冷たいとはいえ晴れていたのですが、午後になると雪が降り出してしまいました(汗)。こんな天気のなか、歩き回っても人と出会えないと判断した鶴瓶さんは、駐車場に車を停めて人を待っている様子の女性に声をかけます。すると、お母さんと娘二人、そして娘の赤ちゃんが乗っていて、もう一人の娘の帰りを待っているところと聞いた鶴瓶さん、『このお宅に決定!、当選おめでとうございます』と(笑)。次に、隣に停まっていた車の女性に声をかけると、すぐ近くの障害児を預かる施設に勤めていて、これから別の施設に行くところだそうです。そこで鶴瓶さん、まずはその施設を紹介してもらうことに。

一方の北島さんは、民宿で聞いた室内プールのある公共施設「ゆぷと」を訪れることに。こんなこともあろうかと、水着持参でロケに来たそうで、北島さんの準備はよかったのですが、プールに到着してみると、なんと休館日・・・。プールを後にしようとしたところで、偶然にも鶴瓶さんと再会します。そこで、二人は一緒に、児童発達支援・放課後等デイサービス「ステップメイト矢本」を訪ねることに。しかし、鶴瓶さんと一緒に障害児らと遊んでいると、ついつい鶴瓶さんに甘えてしまうと、北島さんは一人先に施設を出て、震災後に整備された住宅地へ向かうことにします。

しかし吹雪の中、住宅街を歩いても、とても人と出会えそうもありません。そこに運よく、家から表の倉庫に、雪かき用のスコップを取りに出てきた男性を見つけると、スタッフに『行け 行け』と急きたてられた北島さん、勇気を振り絞って声をかけてみます。すると、とても優しい方で、外は寒いからと快く家に迎い入れてくれました。話を聞くと、被災した大曲浜から、集団移転で昨年の2月にこちらに家を新築し、息子さんらと一緒に移り住んだそうです。震災の時のことや、ご夫婦の馴初めなど話を聞いた後、もう表を歩くのが嫌になった北島さん、ご主人に誰か紹介して欲しいとお願いすることに。すると、「大曲浜獅子舞保存会」の伊藤会長を電話で呼んでくれることに。会長さんに会って話を聞くと、300年の歴史のある獅子舞でしたが、震災で、獅子頭から太鼓、衣装に至るまですべて流されてしまったそうです。しかし、地域の若者らが中心となって、翌年の1月4日は、この獅子舞を完全復活させることができたんだそうです。それから、伊藤さんの会社の敷地に新しく建てられた、獅子舞保存会のプレハブ施設を訪ねさせてもらった北島さんは、瓦礫の中から見つかったという古い獅子頭を見せてもらったり、新しい獅子頭を使って、獅子舞の動きの手ほどきを受けたりして、貴重な体験をさせてもらうことができました。

一方の鶴瓶さんは、先に吹雪の中で声をかけた女性のお宅を訪ねることに。すると、玄関先で犬にワンワン吠えられた鶴瓶さんですが、この寒さでは家に入れて貰えないと死ぬと、無理やりにでも家に上がり込むことに(笑)。ちょうどそこに、高校3年生の息子さんも帰ってきて、お母さんや娘さんらと一緒に、ご家族の暮らしぶりについて話を聞くことができました。

再放送は、3月17日(金)午前0時10分~午前1時25分(木曜日の深夜)に、NHK総合で放送予定です。

 


番組内で紹介された 東松島市の名物など

 

 平成29年3月6日  福岡県糸島市(芳根京子さん) ~べっぴんさんSP~

旅のゲストは、女優の芳根京子(よしね きょうこ)さん。現在放送中(2016年度後期)のNHK連続テレビ小説『べっぴんさん』で、ヒロインとして”坂東すみれ”役を演じています。近年、ドラマでは独り勝ちと言われるほど、高視聴率ヒット作を飛ばしてきた朝ドラで、べっぴんさんの視聴率はイマイチ伸びないようなのですが、私は毎朝とても楽しく拝見しています。ヒロインの芳根さんの演技力も、19歳ながら素晴らしい!と思っているのですが・・・。そこでググってみると、なんと芳根さんは、2015年にTBSで放送されたドラマ「表参道高校合唱部!」(オモコー)のヒロインも演じていたんですね!。私はこの番組もとても大好きで、毎週欠かさず見ていました。それなのに、今の今まで同じ女優さんとは気づかず・・・(汗)。若い女の子とゴーヤの育つのは早いですな~(笑)。

旅の舞台は、福岡県糸島市。福岡の都心部まで車で30分ほどの場所にあり、海と山の恵まれた景観から、県内で「住みたい街ランキング」で1位に選ばれたこともあるほど。毎年夏の終わりに開催される「サンセットライブ」には、3日間で延べ1万5千人以上もの観客が集まり、九州の夏を締めくくる一大イベントとなっています。この糸島市の位置する福岡県の北半分、視聴率を調査する上で「北部九州地区」と呼ばれる地域が、全国的にも”べっぴんさん”の視聴率が一番低い地域なんだそうで、芳根さんは番組の宣伝も兼ねて、美味しいものも沢山あるという糸島市を旅先に選んだそうです。またロケの当日、鶴瓶さんは福岡市の森本能舞台で開催された寄席に出演したそうなので、その都合もあったのでしょう。


ロケが行われたのは、平成29年1月27日(金)。「丸田池公園」で待ち合わせた、鶴瓶さんと芳根京子さん。まずは芳根さんがどれだけ知られているか調査してみようと、通りすがりの人をつかまえて聞いてみることに。すると、最初に出会った年配の女性は、「べっぴんさん」も「つるへー」さんの番組もテレビでよく見ていると、二人に出会えて大そう感激。何度も二人に抱きつき、手にはチュ、最後は『ちょっと大事なとこ』と、鶴瓶さんの股間にも下からタッチ(驚)。大事なところを撫でられた鶴瓶さんは、『NHKの番組で、そんなことアリ?』と恥ずかしがりますが、その手で次に握手された芳根さんの方がもっと可愛そう(笑)。

次に出会ったのは、公園の隣に建つ「侍寿し」のご主人。話しを聞くと、この辺りのおすすめのネタは玄界灘の魚、特に水揚げ日本一を誇るタイだそうで、それを聞いた鯛好きの芳根さんは目を丸く輝かせて、食べたいと訴えます(笑)。そこで鶴瓶さん、お店に伺い、大将にタイを握ってもらい頂きながら、ご家族の暮らしぶりについて楽しく話を聞きました。

二人は、侍寿しのご主人から、糸島ではイチゴをはじめ、特産の野菜が豊富で、JAの産直市場「伊都菜彩」へ行くとよいと教えられましたが、クルマで15分ほどかかると聞くと鶴瓶さん、ボソッと『そんな遠いところは行かない』と。でもここで、行きたそうだった芳根さんのために、後日スタッフが訪れ撮影した産直市場の様子をビデオ紹介。案内してくれたのは、例の侍寿しのご主人でした(笑)。

広大な売場に買い物客があふれかえる伊都菜彩は、JAが経営する全国の直売所の中では売上日本一だそうです。3000種類を超す商品の中から一番のおすすめは、「糸島産カキ」。臭みがなく上品な海の香りが楽しめると評判です。海沿いに建つカキ小屋には、年間30万人以上もの人が訪れます。次は、甘みのある脂身が特徴の「糸島豚」。コラーゲンやビタミンB1が豊富で、さっぱりしていて健康にもいいそうです。伊都菜彩で不動の人気No.1は、「糸島のトマト」。また、イチゴの「あまおう」も人気です。『あかい、まるい、おおきい、うまい』の頭文字を取って名付けられた「あまおう」は、まさにイチゴの大様。最後はご主人の個人的な趣向かもしれませんが(笑)、「糸島の日本酒」。江戸時代から続く製法で、雑味が少なく優しい味わいが特徴です。

鶴瓶さんは、べっぴんさんのお昼の再放送を、どこかのお宅に上がってご家族と一緒に見ようと提案!。そんな都合のよいお宅を探して、二人は商店街から住宅街を歩き回ります。芳根さんは、出会った人達に、べっぴんさんの番組の絵葉書を配りながら、番組を見てくださいとお願いして回っていると、偶然にも商店街の有線放送から、べっぴんさんの主題歌「ヒカリノアトリエ」が流れてきました(驚)。

しかし、そうそう都合よくは行きません(汗)。もう番組が始まって数分経つ頃になって、ようやく玄関から出かけようとする年配の女性を見つけた鶴瓶さん、『家に上がらせてもらい、テレビを見せて欲しい』とお願いします。すると、なんと二人を家に快く迎い入れてくれました。居間に入るとご主人が居て、まさに「べっぴんさん」の再放送を視聴中。鶴瓶さんが、この番組の主役が隣にいる芳根さんだと紹介すると、ご夫婦とも『えぇぇ』と仰天(笑)。

一人旅になった芳根さんは、150枚持ってきたという番組の絵ハガキを配ることを目標に、街を歩いていると、”糸島カレー”と書かれた幟が気になり、そのお店「まんまる食堂」を訪ねてみることに。糸島カレーとは、糸島牛など糸島産の食材にこだわったカレーだそうで、芳根さんが頂くと、子供でも食べられるように、甘めのカレーに仕上げられているそうです。お店の名前は、移動販売で商売を始めた当時、まだ半年の子供を背負ってカレーを作っていたことから、ママが子供に”まんま”を作って、家族全員の笑顔がまん丸になればいいな~と、名付けたそうです。

一方、鶴瓶さんは、テレビを観させてもらう家を探している途中で出会った、ネパールからの留学生らが共同生活している家を再訪することに。すると、すぐ目の前にある彼らが通う「日本文化語学院」から、先生たちが大勢出てきました。ベトナムと中国の生徒が居るので、春節(旧正月)は学校が休みになるため、もう帰宅するところだそうです。留学生は、鶴瓶さんのことを全然知らないと話しますが、先生達が鶴瓶さんと出会って喜んでくれているのを見て、『どや、有名やろ?オレ』と自慢(笑)。せっかくなので、先生らに学校に戻ってもらい、留学生も一緒に学校生活などの話を聞かせてもらうことに。教室に入ると、先生たちと留学生には椅子に座ってもらい、鶴瓶さんが教壇に立って、楽しい授業が始まりました(笑)。

そうめんちりここで、ちょっと一息、「家族に一杯」の時間です。
 やって来たのは、山里にある一軒のお宅。大勢の地元の方が出迎えてくれました。今日は一般のお宅で、人が集まった時に振る舞われる地元のご馳走を頂くことに。それが本日の一杯、「そうめんちり」です。鶏肉やネギ、豆腐、しめじなど、具だくさんの甘辛く煮たつゆに、そうめんを入れて食べる、福岡県北部に伝わる郷土料理で、昔はそうめんちりが御馳走でした。農繁期の前には体力をつけるため、農作業が終わると労をねぎらうため、近所の人達が大勢集まって、そうめんちりが食べられていたそうです。
ちなみに、今日の家族に一杯のコーナーのBGMは、Ry Cooder(ライ・クーダー)の「Great Dream From Heaven」でした。

芳根さんは、カレーの次は牡蠣が食べたいと、近くの加布里漁港にあるカキ小屋「住吉丸」を訪れました。すると、そこにいた4人の女子高校生が芳根さんを知っていてくれて、『キャー、キャー』と悲鳴!。しかし、学校帰りのJKの子らが、スイーツ店ではなく、汁で服が汚れないようにとお店の黄色いヤッケを着込んでカキ小屋というのは、なんとも渋すぎます(笑)。隣のテーブルに着いた芳根さんは、カキを焼きながら、女子高校生らに話を聞きました。

鶴瓶さんは、日本語学校の廊下に貼られた、イチゴ農家のアルバイト募集の張り紙を見て、この農園に行きたいと、先生に案内してもらうことに。友納さんのいちごハウスを訪ねると、親子3世代でイチゴ作りをしているそうです。鶴瓶さんは、ハウスの中でご家族に暮らしぶりについて話を聞きながら、大きな「あまおう」を頬張りました(笑)。

カキ小屋で女子高校生と話し込んだ芳根さん。もうすぐ20歳なので、彼女らと2歳くらいしか齢が違わないのに、最近朝ドラで30代~40代の女性を演じているせいか、ついついお母さん口調になってしまい、彼女らが妙に若く感じたそうです。そこで、心が”おばちゃん化”しているので若さをもらいたいと、近くにある「糸島農業高校」を訪ねることに。

ちょうど部活動の時間で、芳根さんは先生に案内してもらい、まず太鼓部を見学させてもらうことに。勇ましい太鼓の演奏を聞かせてもらった芳根さんが、番宣の絵ハガキを部員の数分渡してその教室を去るところで、それまで気丈に仕切ってくれていた部長さんが、『めっちゃ緊張した~』と、膝から崩れ落ちている姿がテレビに映ってしまい(笑)。次は、掲示板で見つけとても興味を持った、”根っこ部”を紹介してもらうことに。芳根さんは、朝ドラのクランクイン当初、芳根の”根”の字から、愛称で「根っこちゃん」と呼ばれていたそうです。根っこ部の教室を訪ねてみると、白衣を着た学生2人が、植物の苗のポットが並んだ机に向かって座っていました。根っこ部とは、大根などアブラナ科の植物に発症しやすい「根こぶ病」について研究している部だそうで、今は部員が彼ら2人だけなんだとか。その後、学校を回って、先生や生徒さんらに、ついに150枚の番組の絵ハガキを配り終えることができた芳根さんでした。

一方、イチゴを頂いた鶴瓶さんは、次はカキと、通りで出会った人にカキ小屋を案内してもらうことに。しかし、海辺に出てみると、目指すカキ小屋はまだ遥か先。そこで、たまたま車で通りかかった女性に、乗せていってもらうことに。車中で話を聞くと、この女性のご主人と息子さんは海士(あま)をやっていて、海に潜ってサザエやアワビ、ナマコを取り、3月になるとワカメやヒジキを切っているそうです。その話を聞いた鶴瓶さん。カキ小屋より海士さんに会いたいと、ご自宅に連れて行ってもらうことに。潜り始めて10年という息子さんは、当初は鼻血や耳から血を流してばかりいたそうですが、今では立派な海士さんに。1年半前に結婚し、去年新築したという家を見させてもらった鶴瓶さんは、その頑張りに大そう感動させられました。

再放送は、3月10日(金)午前0時10分~午前1時25分(木曜日の深夜)に、NHK総合で放送予定です。

 


番組内で紹介された 糸島市の名物など

 

 平成29年2月20日  鹿児島県いちき串木野市(林家たい平さん) ~落語家対決~

旅のゲストは、落語家の林家たい平(はやしや たいへい)さん。笑点の挨拶でお馴染み、埼玉県秩父市の出身で、昭和63年に林家こん平師匠に入門。平成12年に真打昇進、平成16年からは病気療養のために休演したこん平師匠の代役として、笑点の大喜利に出演、平成18年には正式なレギュラーメンバーとなりました。今年の8月には、「24時間テレビ」のマラソンランナーとして、100.5kmを完走。ちなみに、この100.5kmは、先に笑点を引退した歌丸師匠の本名・椎名巌にかけて、「いわおGO!」として設定されたとか(笑)。

旅の舞台は、鹿児島県いちき串木野市。酒飲みには知られた、「薩摩(芋)焼酎 」のメッカです。焼酎好きのたい平さんは、涎が出るほど、いの一番に訪れたかった場所に違いありません!(笑)。


ロケが行われたのは、平成28年12月19日(月)。たい平さんと鶴瓶さんは、海辺近くの「照島公園」で待ち合わせ、二人はいい人に出会えますようにと、まずは「照島神社」にお参りします。すると、そこで見つけたのが、道の駅ならぬ「海の駅」。地元で獲れた鮮魚や地元の特産品を販売しており、この時期の旬の魚といえば、「秋太郎」(バショウカジキマグロ)だそうです。試食を勧められた鶴瓶さん、さっそく神社をお参りしたご利益と、大トロ部分の刺身を頂きます(笑)。

海辺の町を歩き出した鶴瓶さんとたい平さん、次に見つけたのは、”手作りさつまあげ”と書かれた「三善商店」の看板。その店を覗いてみますが、さつまあげ(つきあげ)作りは朝の3時から始まり、注文商売のため朝のうちに店は終わり、既に誰も居ません。そこで鶴瓶さん、隣家が店主の家だろうとピンポンを押して訪ねると、年配の女性が出てきて、『いつも間違えられるんです』と言いながら、向かいに住む店主を呼んでくれました。そこで鶴瓶さん、『玄関に、うちは関係ありませんと貼っといて』と(笑)。ご主人が『うちのが世界一うまい』と言うので、二人は店に残っていたさつま揚げを頂くことに。本当に美味しいさつま揚げですが、ご主人の自慢話を聞いていると、実はそのさつま揚げを作っているのは奥さんで、ご主人はいわゆる”旦那”だということが判明(笑)。そこで鶴瓶さん、奥さんを呼んで、店先でご夫婦の馴初めや暮らしぶりについて話を聞きました。

ここでスタジオから、いちき串木野市の魅力をビデオ紹介。紹介してくれるのは、いちき串木野PRレディーに選ばれた、若い3人の女性です。
 まずは、「マグロ」。串木野漁港は、昭和初期からマグロ漁の港として栄え、今でも海外での遠洋マグロ漁の重要な拠点となっています。そのため、町の自慢のグルメは、マグロを使った料理。中でもPRレディーの一番のお薦めは、「串木野マグロラーメン」。マグロの旨みの詰まったスープに、マグロの切り身がトッピング。15年前に市内のラーメン店が協力して作ったご当地ラーメンです。次にお薦めする自慢のグルメは、「いちきポンカレー」。市の特産「ポンカン」が入ったカレーは、スパイシーな味と爽やかな香りで、人気上昇中です!?。最後は、鶴瓶さんもたい平さんも興奮すること間違いなしのイベント、「串木野浜競馬大会」。毎年4月に照島海岸の浜辺で行われるダート?の競馬大会で、出場するのは競走馬からポニーまで。今年は4月23日に開催されます。

一人旅になったたい平さんは、近くの漁港を訪れます。たまたま出会った島平漁協の職員さんに案内され、今はイセエビ漁の最盛期と漁船を掃除に来ていた漁師のご夫婦と出会いますが、奥さんは気さくに話に応じてくれるのに、ご主人は寡黙で、漁船の掃除をする手を全く休めてくれません。たい平さんが、記念に三人で写真を撮りたいとお願いすると、たい平さんを間近に見たご主人、誰かに似ていると再度たい平さんに名前を聞くと、ようやく笑点メンバーのひとりだと気がつき、『じゃっどが!』(笑)。すると急に打ち解けて、ご夫婦の馴初めなど話を聞かせてくれました。

一方の鶴瓶さんは、町の商店街を訪れると、撮影風景を見守る、りりしい3人のスポーツ少女を見つけ、声をかけます。聞くと、全国大会にも出た「神村学園」のソフトボール部の選手で、今日はコーチの母親が営む居酒屋「酒膳げたや」の、大掃除の手伝いに来ているそうです。そこで木場コーチに会って話を聞くと、ピッチャーの坪野さんは、国体準優勝投手とのこと。それを聞いた鶴瓶さん、止めとけばいいのに、『バッターボックスに立ちたいなぁ』と(汗)。それを聞いたコーチ、大片づけの作業を中断し、神村学園のグランドに鶴瓶さんを案内してくれることに。まずは撮影の許可を取ろうと職員室に向かう途中、この大きな学園は学園長が一代で築いたという話を聞いた鶴瓶さん、その学園長に会って話した方が早いと、学園の敷地内に建つ自宅を訪ねることに。24歳でこの学園を立ち上げ、御年85歳になられた神村学園長に会った鶴瓶さん、『神村学園の銅像としゃべっているみたい』と話すと、なんと60周年記念で既に銅像が建っているとのこと。奥さんの力があってこそ夫婦二人三脚で今に至ったと話す学園長の銅像は、ご夫婦一緒に学園の入口に建てられていました。学生らが、国家試験を受験する前には、この銅像の前で手を合わせると聞いた鶴瓶さん、銅像の本人が横にいるのに、せっかくの機会なんで自分も拝んでおこうと、銅像に向かって手を合わせました(笑)。

そこに集まってきた生徒や先生らのうち、保育学科の生徒達が、クリスマス会で作ったと、折り紙のペンダントを鶴瓶さんの首にかけてくれました。そこで4日後に65歳の誕生日を控えた鶴瓶さん、『12月23日が僕の誕生日なんです。ちょっと歌ってくれ!』と、ハッピーバースデーソングを自ら要望(汗)。大勢の女子生徒さんらに囲まれ、大合唱で『ハッピーバースデー つるべ~♪』と歌ってもらった鶴瓶さん、満面の笑みで『幸せやな~』と(笑)。ここまでのロケで、だいぶ時間を費やした鶴瓶さん、これからソフトボール部の練習にお邪魔するのは迷惑になると、ここで退散することに。後日撮影したソフトボール部の練習風景が、スタジオで放映されると、ピッチャーの投げる球の速いこと!小野アナウンサーが鶴瓶さんに向かって曰く、『打席に立たなくてよかったですね』と(笑)。

サンドレッドたい平さんは、続いて隣の漁港へ向かう途中、錨(イカリ)を売っているお店「幸萬船具店」を見つけ、興味津々で訪ねてみます。ご主人に話しを聞くと、船から落としてしまったとか、根掛かりして引き上げられなくなった時に、新しいイカリが売れるんだそうです。その値段を尋ねると、5~6トンから7~8トンの船用で、『3~4万円くらいじゃないですかねぇ?』と、あまりにアバウト(笑)。次にたい平さんが気になったのが、天井からぶら下げられた、マイクの形をした白いロープを束ねたような商品。船が岸に付いた時に、陸に向かってロープを投げるための錘(オモリ)で、中に砂が入っていることから「サンドレッド」と言うそうです。ならば、”レッド”とは何?(汗)。肩叩きにちょうどいいから、この旅の『オモイで』(砂が入って重い×思い出をかけて)にと、サンドレッドを購入したたい平さんでした(笑)。

ここで、ちょっと一息、「家族に一杯」の時間です。
 やって来たのは、串木野漁港にある、「味公房 みその」(本店)。この店で頂く本日の一杯は、”鹿児島とんこつラーメン”。そのあっさりとしたスープの味の秘密は、とんこつと一緒に煮込むたっぷりの香味野菜。ほとんどのお客さんが、そのスープを飲み干すそうです。


新たな出会いを求めて、山手の地区へ移動した鶴瓶さん。みかん畑を見つけ、畑の隣の家の人に話を聞くと、みかん作りで有名な西中間さんの畑だそうです。また、近くには焼酎の酒蔵「濱田酒造」があると教えられ、それらを探しに歩を進めることに。探し当てた西中間さんのお宅は生憎と留守で会えず、さらに歩いていると、同じくみかん農家の上原さんが通りがかり、軽トラの助手席から降りてきて話しかけてくれました。ところが、運転席にいた奥さんは、そのまま車でどこかに行ってしまい、鶴瓶さんはご主人と一緒に、骨折した足を引きずり、数キロも歩いてご自宅に向かうことに・・・(汗)。ようやく上原さんの自宅に着いた鶴瓶さんですが、まだ奥さんは戻っていません。そこで責任を感じたご主人は、近所の農芸高校の校長先生を紹介しようと気を利かせてくれますが、生憎とこちらも留守。すると、近所に酒蔵もあると言うので、鶴瓶さんが名前を聞くと、『ハマダ焼酎』と。鶴瓶さんは『そこを探しとったんや!』と、さっそく訪ねることに。

一方のたい平さんは、今度は干物工場で作業中のご主人を見つけ、「松川商店」を訪ねることに。ご主人に話しを聞くと、60年使い続けている塩水に浸けた、天然の浜風で天日干しするこの店の干物は最高だと。そこでアジとふぐの干物を買ったたい平さん、ここで焼いてもらっていいですかとお願いすると、『やっかいなのが来たわ!』と(笑)。焼き立てのアジを、箸も出してもらえず、たい平さんが手づかみでアチッチと頂くと、『うま~い!』。

鶴瓶さんが「濱田酒造」を訪ねると、従業員さんが『本物け!』と抱きついて歓待してくれました。社長と意気投合した鶴瓶さん、さっそく奥に向かって『おいっ』と、社長より先に焼酎を催促(笑)。出して頂いたのは、濱田酒造の代表銘柄「伝(でん) 」のお湯割り。社長にご家族の話を聞いていると、再び奥に向かって『お~い!』と、空いたグラスをかざして、お代わりを催促(笑)。家族に乾杯なのか、焼酎に乾杯なのか、番組の趣旨をすっかり忘れて焼酎を楽しむ鶴瓶さんでした!。

ニコン・レンズ一体型一眼レフ

最後にたい平さんは、東シナ海に沈む、きれいな夕日を写真に撮りたいと、再び旅のスタート地点に近い、「照島海岸」に戻ってきました。するとそこで、キレイで可愛らしい女子高校生と出会い、『誰か分かりますか?』と声をかけます。残念ながら名前は出てきませんでしたが、たい平さんが『日曜に手を挙げる人』と話すと、『あの、オレンジの?』と(笑)。美術部の彼女も、たい平さんと同じくカメラが趣味で、ここに写真を撮りに来たんだそうです。武蔵野美術大学のデザイン学科卒業のたい平さんは、同じ美術を愛する彼女と一緒に、みごとな夕日が海に沈む景色を写真に収めることができました。旅の最後に、せっかく美少女と二人並んで、美しい夕日を見つめることが出来たのに、モノマネ好きの性かな、ついBGMにと桑田佳祐のマネで「いとしのエリー」を歌ってしまい、すてきな番組のエンディング・ロールの雰囲気を台無しにしてしまった、たい平さんでした(笑)。

再放送は、3月31日(金)午前0時10分~午前1時25分(木曜日の深夜)に、NHK総合で放送予定です。2月24日(金)午前0時10分~午前1時25分(木曜日の深夜)には、2月6日に放送された「鶴瓶大ピンチ! 坂口健太郎と大分県中津市ぶっつけ本番旅」が再放送されます。

 


番組内で紹介された いちき串木野市の名物など

 

 平成29年2月13日  兵庫県赤穂市(武井咲さん) ~忠臣蔵SP~

旅のゲストは、女優の武井咲(たけい えみ)さん。昨年の9月24日にスタートしたNHK土曜時代劇、「忠臣蔵の恋~四十八人目の忠臣~」で、初の時代劇ドラマ出演かつ、NHKドラマの初主演を務めています。武井さんが演じている主人公「きよ」は、浅野家・江戸上屋敷の奥女中でした。しかし、浅野内匠頭長矩の江戸城内での刃傷事件で、内匠頭は切腹、お家はお取りつぶしとなってしまいます。するときよは、浅野家の家臣だった恋人、礒貝十郎左衛門のため、そして奥方様のために、殿の無念を晴らす家臣=赤穂浪士たちを支えることを決意します。そして、吉良邸討ち入りを助け、本懐後は将軍家に近づいて赤穂浅野家の再興をはかるという、諸田玲子氏による歴史小説『四十八人目の忠臣』を原作としたテレビドラマです。武井さんは前回、平成24年4月の放送で、鹿児島県屋久島町を旅しており、それから約5年ぶりの出演です。

今回の旅の舞台は、ドラマ縁の兵庫県赤穂市。浅野家が治めた赤穂藩のあったところです。武井さんは、ドラマ「忠臣蔵の恋」を演じるにあたり、一度も訪れたことのないドラマの舞台のことを深く知りたいと、この番組のロケを機に、赤穂市を訪れることにしたそうです。


ロケが行われたのは、平成28年12月11日(日)。鶴瓶さんと武井咲さんは、大石内蔵助ゆかりの大石神社近くの公園で待ちあわせしました。この番組のロケが日曜日に行われるのは珍しく、11時だというのに公園に誰一人いないのを見て鶴瓶さん、『日曜日で、まだ寝てはんのんちゃう?』と。そんなアホな(汗)。『あそこの大石神社には、クルマがピュッピュ入っていくんですけどね~』と武井さん。鶴瓶さんが『大石内蔵助の神社なの?』と尋ねると、武井さんは『はっ!その大石ですか!?、大きい石がいっぱいあるから・・・』と(笑)。武井さんの天然ぶりに、周囲大笑いで旅がスタートしました。

鶴瓶さんと武井さんが、「赤穂大石神社」を訪れると、討入りのあった12月14日が近いせいか、雅楽の音色が流れ、今までと打って変わって、大勢の観光客や地元の人達で賑わっていました。江戸時代は、幕府にはばかって表立って赤穂浪士を顕彰することは出来ませんでしたが、明治天皇の世になり、1900年(明治33年)、「大石神社」として赤穂浪士を祀る神社を、赤穂と京都に創建することが政府から許されました。参道の脇には、四十七義士の石像が並んでいます。地元では”赤穂浪士”とは呼ばず、敬意を表して”義士”と呼ぶんだそうです。この日は、「山科こども歌舞伎」の上演会もあり、支度中の子供たちが大勢集まって来て、口上のさわりを披露してくれました。また、境内では結婚式が行われており、せっかくの機会だからと二人も記念撮影に加わることに。神社を出ると、前の道を大型のバイクに乗ったツーリングの一行が手を振りながら過ぎていきます。鶴瓶さん、『現代の赤穂浪士や』と。話しを聞くと、今から22人で打ち揃い、「巴屋」に”ぜんざい”を食べに行くそうです。美味しいと聞いた鶴瓶さん、『俺らも後で行くわ』と(笑)。

ここでスタジオから、大石内蔵助ら赤穂義士に扮した地元の人達による町の自慢をビデオ紹介。
 まずは、地元特産の「塩」を使った、「塩味饅頭」と「塩ぐいのみ」。江戸時代、赤穂藩主が代々将軍家に献上してきた塩味饅頭は、甘い餡の中にピリッとした赤穂の塩のアクセントが利いて、さっぱりとした逸品。大石家の家紋が彫られた塩ぐいのみも、忠臣蔵ファンに大人気だとか。次は、「ソルティーキャベツ」。畑に撒く水に塩を混ぜることで、病気への抵抗力がアップし、甘みも増すんだとか。最後は、100年以上続く市内最大のお祭り「赤穂義士祭」。毎年、討ち入りのあった12月14日に、義士に扮した男たちが街中を練り歩き、迫力ある殺陣(たて)を披露します。

鶴瓶さんと武井さんが、赤穂浪士に関わりある家かと、大石神社の向かいに建つ家を訪ねると、子孫らによる会があると教えられ、そのうちのひとり、近所の榊さんを紹介してもらうことに。お宅には奥さんが居て、ご主人は体育館で開催されている剣道大会を見に行っているとのこと。聞くと、88歳にして剣道7段、赤穂剣道連盟の会長をしているそうです。奥さん曰く、『頭は上品にハゲているけど、元気すぎて今でもラブラブ』と(笑)。体育館に榊さんを訪ねた二人は、ご主人と出会い、いつも奥さんを褒めているように自分たちも褒めてもらうと、とても嬉しい気分になれました。

体育館を出た二人は、ライダーらに聞いた甘味屋さん「巴屋」に行くことに。もう彼らはいないだろうと思ったのですが、お土産を買うなどして、二人を待っていてくれました。ぷっくり焼けたお餅が2つ浮いたゼンザイ、武井さん曰く、『やだ!すごいおいしい!』そうです(笑)。たぶん、本当に美味しかったのでしょう。鶴瓶さんは一口啜ってニヤつくと、何も言わずに食べていましたから。

一人旅になった武井さんは、途中で見かけ気になっていた場所へ。そこは、一見ゴミ屋敷かと見間違うほど、レトロな看板や雑貨、昔の玩具などが所狭しと飾られた「赤穂玩具博物館」でした。残念ながら、オーナーの鈴原さんは留守でしたが、スタジオで紹介された写真では、なんと鶴瓶さんが以前持っていた思い出のハンチング帽を被っていました。この方、鶴瓶さんの大ファンで、オークションで競り落として宝物にしていたんだそうです。オーナーに代わって留守番をしていた女性に、この辺りの見所を尋ねると、花岳寺を教えてもらった武井さん、次はそこを訪れることに。「花岳寺」は、赤穂藩の歴代藩主浅野家・永井家・森家の菩提寺で、境内には四十七士の遺髪を収めた墓所も建てられています。ここでも礒貝十郎左衛門の墓所を見つけ、手を合わせた武井さんでした。

一方、鶴瓶さんは、瀬戸内海の小島に渡りたいと海辺の町に移動しましたが、歩けども歩けども、誰とも出会いません。すると、目の前の「お好み焼き ちどり」から出てきた女性が、白い包をぶら下げて、近所をウロウロしている姿を見つけます。どうやら、店のすぐ近くだというのに、配達先の家を探している様子。すると、配達先の家では、ちょうど消防団の人達が集まって、活動の打ち上げで一杯始めている所でした。『お好み焼き 食べますか?』と誘われた鶴瓶さん、家に上がり込み、お好み焼きを頂きながら、ご家族らの話を聞くことに。そこで、江戸時代末期に考案された赤穂特産の絨毯「緞通」(だんつう)の話題になり、近所で工房(赤穂緞通を伝承する会花工房)を構えている井関さんを紹介してもらうことに。

ここで、ちょっと一息、「家族に一杯」の時間です。
 やって来たのは、赤穂の街の中心部。地元の人に40年以上も愛されている「力食堂」を訪ねると、お客さんは皆、首にタオルを巻いています。皆さんが頂いていたのは、この店の一番人気の”カレーうどん”。トロトロ・アツアツのカレーに、スパイスの香りがたまりません!。奥さんに汚れるからと貸してもらったタオルは、スパイスの効いたカレーうどんを思いっ切り啜って、さらに噴き出た汗を拭くことも出来ます。夫婦で長年守り続けた、味と心づかいが最高です。

鶴瓶さんは、緞通を作っている井関さんを探しますが、生憎とお留守。そこで、ぜんぜん緞通には興味が無いと話すご主人に、なんとか奥さんが出掛けているという、「桃井ミュージアム」に案内してもらうことに。なんと、鶴瓶さんが乗せてもらったご主人の愛車は、私と同じ”レヴォーグ”じゃないですか!(嬉)。この日、桃井ミュージアムに緞通のデモンストレーションに来ていた井関さんと出会えた鶴瓶さん、緞通織りの実演を見させてもらい、その作品や、緞通について話を聞かせてもらいました。直線と曲線を巧みに織り交ぜた美しい文様と色合いが特徴の赤穂緞通は、佐賀の鍋島緞通、大阪の堺緞通と並んで、”日本三大緞通”のひとつに数えられ、畳一畳の緞通(絨毯)を織るのに、約6か月もかかるんだそうです(驚)。その後鶴瓶さんは、桃井ミュージアムに展示されていた、江戸時代後期に考案された陶器で、煙と炎だけで夕焼け雲のような独特の文様を生み出す「赤穂雲火焼」の作品も見学。その作り手である桃井さんに、雲火焼の復活に取り組んだ話を聞きながら、雲火焼の茶碗で、お茶をたてて頂きました。また、ミュージアムの庭には、足湯に浸かりながら、コーヒーを飲みながら、海の絶景を眺めながら聞くことのできる、水琴窟までありました。

武井さんは、大好きな風情ある町並みがあると聞き、「坂越」(さこし)地区を訪れます。すると、小さい頃からの同級生で、中学では吹奏楽部だったという女性三人と出会い、カフェ「暖木」(のんき)で一緒にお茶をすることに。なんと結婚している二人の旦那さんも同級生同士で、子供と一緒に三人のうちの一人、鶴亀さんのお宅に遊びに行っているそうです。それを聞いた武井さん、そのご主人らの居る家に、サプライズで訪ねていきたいと提案。鶴亀さんのご主人は、武井さんの大ファンだそうで、もし武井さんが突然現れたら、それはそれは驚くであろうと、三人の女性+武井さんは、嬉々として訪問の作戦を練ります(笑)。
暗くなったころ、『もう一人友達が来る』という設定で、鶴亀家をサプライズ訪問した武井さん。二人のご主人らは、かなり驚き、立ち上がったまま身動きできません(笑)。そこで武井さんは、2組のご夫婦に、馴初めやご家族のことについて話を聞くことができました。

再放送は、2月17日(金)午前0時10分~午前1時25分(木曜日の深夜)に、NHK総合で放送予定です。

 


番組内で紹介された 赤穂市の名物など

赤穂の天塩 1kg 300円

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感想(2件)

 

 平成29年2月6日  大分県中津市(坂口健太郎さん) ~鶴瓶大ピンチ!~

旅のゲストは、俳優でモデルの、坂口健太郎(さかぐち けんたろう)さん。”塩顔男子”ブームの火付け役として注目を浴びた、イケメンの東京都出身、25歳。先のNHK連続テレビ小説「とと姉ちゃん」では、主人公・小橋常子(高畑充希さん)の初恋の相手、帝大卒で植物学者を目指していた”星野武蔵”役を演じていました。

旅の舞台は、市内に約60店もの唐揚げ店があるという「からあげの聖地」、大分県中津市。歴史が好きな坂口さん、これまで一度も訪れたことのない大分県の城下町である中津市を、旅先として選んだようです。しかし、11月のロケなのに放送が2月とは、またえらく時期が合わないなぁと疑問に。私は、坂口健太郎さんとシンガーソングライターのmiwaさんのダブル主演による映画「君と100回目の恋」が、2017年2月4日公開とのことなので、その映画にまつわるテーマかと勝手に予想したのですが、まったく関係なかったようです(汗)。単に、坂口さんと鶴瓶さとのスタジオ収録の時間が合わず、3か月も先延ばしになってしまったのかも。


ロケが行われたのは、平成28年11月18日(金)。中津城近くの公園で待ち合わせた、鶴瓶さんと坂口さん。ところが、このロケの前日、鶴瓶さんはなんと、左足を骨折してしまったと!。

鶴瓶はなぜ骨折した、その理由・原因は?、いつ?

前日、文芸春秋の本社で宮藤官九郎さんとの対談があり、階段で写真撮影をする際に、鶴瓶さんが階段を踏み外し、足を捻ってしまったとか(汗)。その時は捻挫だろうと、スタッフには冷たく対応され、薬局でも病院でも笑われる始末。ところがレントゲンを撮ってみると、なんと「下駄骨折」(下駄履き骨折)していることが判明。下駄骨折とは、足の一番外側、第5中足骨の基部の骨折のことで、昔下駄を履いていた時代に足を挫くと、鼻緒でこの場所を骨折しやすかったことから、この名が付いたそうです。元気な鶴瓶さんも、寄る年波には勝てませんね~(汗)。たいていの下駄骨折であれば、半ギプス固定で3~4週間の外来通院で完治するそうですが、受傷後数日は腫れと痛みで普通には歩けないそうなんですが・・・。


ロケバスを降りて、足を引きずりながら、公園で先に待つ坂口さんの所に歩いていった鶴瓶さん。坂口さんに会うなり、『おれ、足を骨折したんや』と。腫れてる足を固定して、『お前のために、とにかく頑張ろうと』(ロケに来た)と話す鶴瓶さんに、『すいませ~ん』と恐縮する坂口さん。鶴瓶さんも、自分の冠番組の撮影なのに、若手をつかまえて、ひどい言いがかりをするもんです(笑)。
二人は、公園で出会った人達から、見る場所としては「福沢諭吉の旧邸」や「小祝の漁師町」、食べ物では「からあげ」と「鱧」(はも)がおいしいとの町の情報を得ます。そこで坂口さん、『今日は鶴瓶さんはあまり動かず、自分が鶴瓶さんの分まで中津のすべての所を行きつくしてきます』と提案。そして鶴瓶さんとは、店は決めていないけど、最後は中津駅前にある商店街の、とある喫茶店で再集合しようという、異例のプランで旅がスタートします。こんなんで、二人は果たして再会できるのでしょうか?(汗)。

ここでスタジオから、地元の人による町の自慢をビデオ紹介。
 まずは、鶴瓶さんが大好きなお札の肖像にも描かれている福澤諭吉先生の「福澤旧居」。父親が中津藩士であったことから、幼少期を中津市で過ごしました。旧居の隣にある福澤記念館には、1万円札の第一号券が保管されています。次は、中津市の景勝地、耶馬溪(やばけい)に架かる幾つもの石橋。特に、日本で唯一の8連石造アーチの「耶馬溪橋」(116m)は、日本一長い石橋です。最後は、「山国のかかしワールド」。山国地区では、秋から冬にかけて稲刈りの終わった田んぼに、沢山の”案山子”が姿を現します。これは地域を挙げてのイベントで、町に溶け込むリアルなものや、世相を反映したもの、名画をモチーフにしたものなど、その数はなんと1千体!。

最初から一人旅となった坂口さんは、まず「中津城」を見学しに訪れます。案内してくれた人の話によると、中津城は黒田官兵衛が初めて自分のために建てた城で、九州初の近世城郭(堀や石垣に守られた造りの安土桃山~江戸時代に建てられた城)だそうです。坂口さんは、来れなかった鶴瓶さんのために「勝守り」(かちまもり)をお土産に買って帰ることに。勝守りとは、中津城限定のお守りで、『黒田負け知らず』という言葉で知られるとおり、一度も戦で負けたことがない黒田官兵衛にあやかられるお守りだとか。スタジオで、坂口さんから赤い色の勝守りを貰った鶴瓶さんは、そのお守りで骨折した足をさすって、なぜかホッと一安心(笑)。

車で新博多町のアーケード商店街に移動した鶴瓶さん、店先にいた店主からさっそく声をかけられ、「竹内陶器店」を訪れます。すると、京都出身の若女将から、高校生のころ鶴瓶さんの深夜ラジオ「ズバリク」(日本列島ズバリリクエスト)の大ファンだったという話を聞いた鶴瓶さん。当時はデビューしたてで、好き勝手にやってクビになったことを思い出し、若女将と思い出話に花を咲かせます。また、陶器店の皆さんから、ご家族の暮らしぶりなど話を聞くことができました。

一方、中津城を後にした坂口さんは、鶴瓶さんが訪問中の陶器店の前を、中に鶴瓶さんがいるとは全く気付かず、素通り・・・。その代わり、散歩中の女性から、地元の名物として「鬼太郎」のハモ料理を紹介してもらうことが出来ました。続いて、その商店街では唯一と教えられた喫茶店「シールドベース・ヤナリ」を覗いてみますが、鶴瓶さんは来ていない様子。喫茶店の前で鶴瓶さんを探してキョロキョロしていると、向かいにあった屋台「一銭洋食」で買い物中の女性に声をかけられます。この屋台のミニお好み焼きが美味しいと教えられた坂口さん、さっそく二つも買わせてもらいました(笑)。

一方、鶴瓶さんは、陶器店で教えてもらったジャズ喫茶の「ぐるーびぃ」を訪ねます。坂口さんとの待ち合わせは、確か商店街の喫茶店だったはずですが、自分は歩けないからと、鶴瓶さんは車で移動できる喫茶店に勝手に変更・・・(汗)。こう言っては失礼ですが、想像する田舎の喫茶店とは、場違いなほどステキ!。鶴瓶さんは、結婚して50年、店をオープンして38年になるというご夫婦の馴初めや、暮らしぶりについて話を聞きました。そこに、坂口さんから電話が・・・。電話に出た鶴瓶さん、坂口には自由なことが言えると、『もう、このまま別れよ』と(笑)。

電話を切った坂口さん、アーケード商店街のベンチに座って、さっき買った一銭洋食を食べながら、次はどうしようかと考えます。そこで思い立ったのが、『昼ご飯を食べに行きましょう!さっき聞いた鬼太郎へ』と。それを聞いた小野アナウンサー、『今食べていたのは何ご飯ですか?』。本当に自由にしている坂口さんでした(笑)。
たまたま見つけた美容室「ヘアーブティック・モネ」を訪ね、鬼太郎というハモ料理のお店を教えて欲しいとお願いすると、親切にも若い女性スタッフが3人も連れ添って、お店まで案内してくれることに。イケメンは得ですね~。道すがら、彼女達に中津の名所を尋ねると、なんと紹介してくれたのは唐揚げ屋さん。でも、それを聞いた坂口さん、『後で唐揚げを食べよ!』と。どんだけ食うねん?(笑)。
ハモ料理で有名な「和風味処 鬼太郎」を訪ねた坂口さんは、「元祖・鱧かつ丼」(1,080円)を頂くことに。料理が出来る間、坂口さんは厨房にも入らせてもらい、『骨切り10年』と言われる鱧の骨切りをする職人さんの技術を見させてもらうことが出来ました。頂いた鱧かつ丼は、私が知る鱧より遥かに身が厚くて、坂口さん曰く、とても美味しかったそうです。

ここでスタジオから、鶴瓶さんが訪ねたジャズ喫茶 ぐるーびぃのオーナー・鈴木恒男(ツネ)さんが、毎週金曜日のパーソナリティーをしているという、コミュニティFM「NOAS FM」(FM なかつ)の「Keep your groove!」の収録風景が紹介されました。『昼間、"鶴瓶家族に乾杯"で鶴瓶さんが突然入ってきて、これが人の話を聞きだすのが上手いんだよ』と、ロケの様子をナレーション。それをラジオで聞いていた奥さん、『普段よりちょっと声が高いかな(笑)』と。昼間のロケでは、収録は場馴れしていると自慢していたツネさんですが、鶴瓶さんの突然の来訪で、さすがにテンションは少し上がっていたようです(笑)。

ここで、ちょっと一息、「家族に一杯」の時間です。
 やって来たのは、江戸時代に商人の町として栄えていた蛎瀬(かきぜ)地区。「武庵花福 」(ぶあんはなふく)で頂く本日の一杯は、「はも添えラーメン」です。ほうれん草が練り込まれたオリジナルの麺で、器の真ん中には、こだわりの大きな鱧が。このラーメン、もう一つの楽しみ方が、麺を食べた後に残ったスープで作って頂く雑炊です。とても得した気分になれます。130年前の屋敷を改築したという店内も、とてもいい雰囲気で、趣があります。

次に鶴瓶さんは、漁師町がある小祝(こいわい)の港へ向かうことに。漁港で、船から上がってきた漁師さんとの会話を楽しんだ鶴瓶さん、おもむろに唐揚げ屋を教えて欲しいとお願いすると、『そこ、こういって、あのきりんとこを曲がって、あっこの道をまっすぐ向こうに行ってさ・・・』と(笑)。漁師町で、魚を食べずに唐揚げを頂くというのも変な話ですが、40年近くも続くという「外園唐揚精肉店」で、骨なし・骨付き、モモと、スタッフの分まで大量に注文した鶴瓶さんでした。さっそく店内で、チキンレッグを一本丸ごと揚げた、大きなモモの唐揚げ?にかぶりついた鶴瓶さん、『皮がパリパリで、うまいよ これ!』と。とても骨折している人の食欲には見えません(笑)。

鱧かつ丼を食べた坂口さんも、どうしても唐揚げも食べたいと、唐揚げ店を探して歩きます(笑)。すると、「和傘工房・朱夏」という看板を見つけ、興味津々で訪ねてみることに。和傘工房は、今では全国でも14・5軒しか残っていないそうです。かつて和傘の名産地だった中津でも、和傘づくりは一時途絶えたそうで、今は町づくりの一環で、その復活に取り組んでいる最中とか。そこで坂口さんも、和傘の和紙を貼らせてもらうことに。将来、傘作りの内職をする武士の役が来ても大丈夫になった坂口さん、ここでも中津の見どころを尋ねると、九州でも3番目くらいに古い銭湯、「汐湯」(しおゆ)を紹介してもらいました。さっそく、その銭湯を訪ねた坂口さん、サービスカットがあるか?と思いきや、入浴中のお客さんが何人も居たようで、残念ながら海水の湯船に、足だけ浸けさせてもらいました(笑)。

鶴瓶さんは、先に坂口さんが訪ね、『また後で来きます』と言って寄らずに帰ってしまった商店街の喫茶店、「ヤナリ」を訪ねますが、生憎と閉店の3時を過ぎていて、店は閉まっていました。そこで、目の前にあった例の屋台「一銭洋食 」の女将さんに、話を聞くことに。その後、まるで内田裕也さんのように杖を突きながら商店街を闊歩した鶴瓶さんは、たまたま一軒の小さな魚屋さん「大阪べん」を見つけます。83歳というご主人に話を聞くと、既に引退したんだそうですが、場所が勿体ないと、今では金曜と土曜日だけ商売をしているそうです。鶴瓶さんは、たまたま訪ねたこのお店で、ご主人をほっぽって、誕生日のお祝いと娘と一緒に温泉旅行に出かけた奥さんの、面白い話を聞くことが出来ました。後日、旅行から戻った奥さんは、鶴瓶さんの大ファンだそうで、この話を聞いて、とても悔しがったそうです(笑)。

ついに、美容師さん達に教えてもらった唐揚げ屋、「ぶんごや」(豊国畜産)を訪ね当てた坂口さん。これまで食べてばかりでしたが、ようやく”家族に乾杯”の趣旨を思い出したのか、店に居た孫たちと一緒に、店主のご自宅を訪問することに。十何人もの大家族に出迎えてもらった坂口さん、食堂で名物の唐揚げを頂きながら、ご夫婦の馴初めや、ご家族の暮らしぶりについて話を聞くことが出来ました。

再放送は、2月10日(金)午前0時10分~午前1時25分(木曜日の深夜)に、NHK総合で放送予定です。


 

番組内で紹介された 中津市の名物など

 

 平成29年1月23日  富山県富山市(天海祐希さん) ~天海祐希と冬の富山でぶっつけ本番旅~

旅のゲストは、元タカラジェンヌで女優の、天海祐希(あまみ ゆうき)さん。1967年生まれで、87年に宝塚歌劇団に入団(73期生)。異例のスピード出世で、1993年から95年まで月組のトップスターを務めた、超美形で実力派の女優さんです。退団後も、映画やテレビ、舞台、CMなどで幅広く活躍。昨年の暮れまで放送されていた、天海さんが主演のフジテレビ・木曜夜のドラマ「Chef~三ツ星の給食~」は、とても面白く、毎週欠かさず楽しく拝見していました!。

旅の舞台は、富山県富山市。天海さんは東京生まれですが、父方の祖父母の御実家が富山だったので、子供の頃は夏休みといえば富山に行って、海水浴などを楽しんでいたようです。また、天海さんのイチオシのお土産といえば、富山銘菓「月世界」(つきせかい)の和菓子。TV番組「みなさんのおかげでした」に出演した際、月世界をお土産に持参したところ、とんねるずには、見た目が軽石とか石鹸みたいと酷評されてしまいましたが、卵と和三盆や白双糖で作られた口当たりのよい上品なお菓子で、口に入れるとそっと解け、昔懐かしいメルヘンを感じる味だそうです。そんな子供の頃の思い出がいっぱいの富山市が、今回の天海さんの旅の舞台です。


ロケが行われたのは、平成28年12月2日(金)。富山湾をのぞむ富山市岩瀬古志町の海岸、「岩瀬浜海水浴場」で待ち合わせた、天海さんと鶴瓶さん。天海さんは、今週末(1月28日)公開の映画「恋妻家宮本」(こいさいかみやもと)で、阿部寛さん演じる夫と、離婚の危機を迎えた夫婦役を演じており、今回の旅では、過去に離婚の危機を乗り越えた経験があるご夫婦やご家族から、その時のことを聞いてみたいと話しますが、鶴瓶さんは『余計なことやで!それ』と(笑)。

鶴瓶さんと天海さんは、さっそく浜辺で子供を遊ばせる、お母さんとお婆さんの3世代家族に出会いますが、なんと岐阜県からの旅行客で、12月の寒い富山の海岸では、他に出会う人もいません(汗)。二人は、浜辺近くの住宅地を歩いて回りますが、お墓以外に特に話題になりそうな場所も見当たらず・・・。そこで、通りすがりの車を停めて話を聞くと、隣の滑川市から一人でサーフィンに来ていた主婦の方。滑川も海に面していますが、ここ岩瀬浜は、サーフィンの人気スポットだそうです。

次に、傍で撮影風景を見学していた女性らに、天海さんが『今の時期、富山で美味しいものは何ですか?』と尋ねると、『寒ブリ宣言が出ましたね』と。氷見漁協などが、重さ6キロ以上で脂ののったブリが安定出荷できると判断した時に、富山では「ひみ寒ブリ宣言」が発令?されるそうです!。昨冬は不漁で宣言されず、今シーズンは11月25日に、2年ぶりとなる宣言が出ました。また、人に出会うには「大町通り」に行った方がいい、どら焼きの美味しい店があるとのアドバイスを受け、二人は行ってみることに。

鶴瓶さんと天海さんが、古い家並みが残る「岩瀬大町通り」を訪ねると、さっそく”名物 三角どらやき”と書かれた看板のある、古民家風の佇まいの和菓子屋さん「大塚屋」を見つけ、中に入ってみることに。二人が名物の三角どらやきを頂いてみると、『もちもちして、とても美味しい』そうです。そこで鶴瓶さん、先に店内でどら焼きとお茶を頂いていた、富山大学の先生と女子生徒らに、話しを聞くことに。すると、先生が『もう51ですから』と話すのを隣で聞いていた天海さん、顔が急にキリッとなって、『3つしか齢が違わないのに、”もう”じゃありません、”まだ”51です』と。怖ぁ~(笑)。

ここでスタジオから、富山市の魅力をビデオで紹介。紹介してくれるのは、富山市内を走る路面電車「ポートラム」でアテンダントをしている三邊さんと、富山が大好きなお嬢さん二人。富山市民の足として親しまれている路面電車は、車両も最新型からレトロなものまで様々。新幹線が開業した富山駅では、その高架下に乗り場があって、とても便利。市民はもちろん、観光客にも大人気です。

ポートラムで観光してお腹が減ったら、食べて頂きたいのが「富山湾の魚」。シロエビやカニ、寒ブリなど一年を通じて豊かな海の幸に恵まれた富山湾、漁場と港の距離が近いので、「天然のいけす」とも呼ばれています。そして、獲れたての魚が食べられる富山でオススメと言えば、「富山湾鮨」。富山湾の魚介と、富山のおいしいお米が合わさった富山湾鮨。大将のこの時期の一番のお薦めは、出世魚「寒ブリ」の握りです。でも、鶴瓶さんも天海さんも、食べられませんでした~(笑)。

大塚屋でお土産を沢山買った鶴瓶さん、帰りに商店街の抽選券を貰ったので、くじを引きに行くことに。抽選会場は、大塚屋からすぐ先、北陸銀行(岩瀬支店)の横。その手前には、幕末から明治にかけて活躍した「北前船廻船問屋 森家」の屋敷がありましたが、二人はまず抽選が先と、せっかくの国の重要文化財を素通り・・・。すると、二人で2回ずつ回すことになった抽選機。1回目は二人とも白玉(ハズレ)でしたが、ところが2回目、鶴瓶さんが出したのは、なんと赤玉、1等です!(驚)。商品は、新巻鮭。鶴瓶さんは、1等の大きな新巻鮭の箱を抱えて、大塚屋のご主人に、1等の当選を報告しに戻りました。

すると、そこを通り過ぎたのが、大塚屋のお隣の奥さん。大塚屋さん曰く、『ご主人がすごいんですよ!』と。その和洋折衷のステキなお宅は、木彫刻師・岩崎努さんの、自宅兼ギャラリーだそうで、鶴瓶さんと天海さんは、中を見せてもらうことに。そこに飾られていた木彫りの彫刻は、「一木造り」(いちぼくづくり)という、一本の木から彫り出した、見事な沢山の作品群。二人とも、『すごいわぁ~』と、感嘆の言葉しか出てきません。特に見事だったのが、かかりっきりで3か月かかったという天神様(菅原道真)の一木造りの彫像。富山県では、男子が生まれると正月に学問の神様である天神様を飾る風習があるんだそうです。工房も見学させてもらっていると、そこで鶴瓶さんとふと見つけたのが、傍らに置かれていた、彫像の頭の部分の粘土模型。文枝兄さんにソックリと、鶴瓶さんが手に取らせてもらうと、なんと岩崎さん、大阪にある上方落語の寄席「天満天神繁昌亭」に飾られている、桂文枝(三枝)師匠の彫像を手掛けた方だそうです。鶴瓶さん、『こんなところで文枝兄さんに会えるとは!』と(笑)。木彫りはマイナスすることしか出来ないので、まずは足し算と引き算のできる粘土で、エスキース(模型)を造ってから、木に移行して彫るんだそうです。しかし、模型とはいえ、まるで今にも『いらっしゃい!』と喋り出しそうなくらい、そっくりでした。また鶴瓶さんは、繁昌亭がまさに菅原道真公を祀った大阪天満宮の隣にあることから、その不思議な縁に驚かされました。

一人旅になった天海さんは、新たな出会いを求めて、市内の名所「富山城」(富山城址公園)へ。実は天海さん、2002年の大河ドラマ「利家とまつ」で、富山城の城主・佐々成政の妻役を演じたこともありますが、富山城を訪れたのは初めてだそうです。しかし、富山城の周りは官庁街で、出会う人も少なく、地元の名産を味わえるような食事処も少なそうです。そこで教えてもらったのが、ますずし屋が多く建ち並ぶ七軒町界隈。さっそく移動した天海さんは、何軒もある店の中から、「元祖 せきの屋」を訪ねてみることに。突然の天海さんの来訪に、ご主人らは戸惑い、なかなか話が噛み合いませんが(汗)、ようやく店内で鱒寿司を頂きながら、お店のことやご家族の話を聞くことができました。

一方、鶴瓶さんは、日頃から是非行ってみたいと思っていた、「おわら風の盆」で知られる八尾(やつお)地区へ。すると、八尾の風情のある路地で出会ったのが、レンタルの着物を着て八尾の町を散策していた、タイからの観光客の女性二人と、着物のレンタルのほか、宿やカフェ、バーなども兼ねた「越中八尾ベース OYATSU」(おやつ)を経営しているオーナーで女将の紗友里(さゆり)さん。そこで、鶴瓶さんはOYATSUを訪ね、紗友里さんから、この施設を開業した経緯や、町の皆さんの支援について、話を聞きました。

ここで、ちょっと一息、「家族に一杯」の時間です。
 やって来たのは、富山駅で富山地方鉄道に乗り換えて5つ目の駅、朝菜町駅。駅前から住宅街を抜けた先にあるのが、つけめんの「えびすこ」。この店で頂く本日の一杯は、「富山ブラックラーメン」です。名前のとおり真っ黒なスープで、醤油をたっぷり使ったパンチの効いた味が特徴だそうです。元は、富山の復興に汗を流した人たちの胃袋を満たすために生まれたラーメンですが、この店のご主人は元格闘家だそうで、作る人もパワフル。とても力が湧いてきそうなラーメンです。

鶴瓶さんが、OYATSUで紗友里さんから話を聞いているところへ、地元の女性が、家で採れた長ネギを届けてくれました。彼女は、『紗友里さんのおかげで、寂れて静かだった町がいっぺんに活気づいた』と、レンタルの着物なども寄付してくれたそうです。鶴瓶さんは、紗友里さんが購入したという自宅も見せてもらいたいと、案内してもらうことに。すると鶴瓶さん、自宅の隣にあった小さな店の店内で、何人もの人が集まって座っているのが気になります。話を聞くと、その店は惣菜屋の「キッチン上野」さんで、毎日メニューが変わるというその日の惣菜が出来上がるのを、井戸端会議しながら待っている、近所のお客さんと、この店の看板娘のお婆ちゃんでした。紗友里さんの自宅に伺うと、無償で家の手直しをしてくれているという、棟梁の昇さんがちょうど来ていて、作業してくれている最中でした。昇さんだけでなく、奥さんも手伝ってくれたそうで、その話を聞いた鶴瓶さんは、『紗友里は1年もたたんうちに、この町を掌握しおったんやな』と感嘆(笑)。

天海さんは、おいしい湧水があるという話を聞き、「石倉町の延命地蔵の水」を訪れます。すると、地元の人が何人も湧水を汲みに来ていて、ここの水でコーヒーを淹れたり、料理に使ったりすると、味が違うと話します。次に天海さんが、延命地蔵のすぐ隣に店を構える「たこ焼屋」のご主人に話しかけていると、自転車を押した2人の高校生が通りがかります。天海さんが『少年!、学校帰りか?』と声をかけると、天海さんを見た高校生は、『おっ!』と。すると天海さん、『”おっ”じゃない!こんばんは!』と叱責。でも話してみると、ハキハキとして、とても素直そうな高校生です。そこで、お金が無いのに『僕、ここの”はしまき”が大好きなんです』と話す少年に、天海さんは、『私に奢らせたら、一生私のしもべだぞ!』と言いながら、はしまきを2つご馳走してあげました。そして、はしまきが出来るまでの間、「天海祐希のしもべ 富山支部」の創立メンバーとなった2人の少年らに、人生の何たるかを諭した天海さんでした(笑)。

鶴瓶さんは、八尾の町が一望できるという「城ケ山公園」に登ってみることに。すると途中、鶴瓶さんに会いにカメラを持って来たと話す青年と出会います。一緒に公園のベンチに座って話をしている所に、『鶴瓶さんに会えたんか?』と、お祖母さんから電話がかかってきました。そこで電話を代わった鶴瓶さん、『今からばあちゃんに会いに行くわ、この子と一緒に』と(笑)。

天海さんは、そろそろ奥さんが帰っている頃と、再び鱒の寿しの「元祖 せきの屋」を訪ねることに。そこで、ご夫婦と家族が揃った所で、念願の夫婦の離婚の危機について、話を聞くことが出来ました。奥さん曰く、夫婦の危機を乗り越えた術は、”無視”だったとか(笑)。

鶴瓶さんが、城ケ山で出会った青年のお宅を訪ねると、お祖父さんとお祖母さんが出迎えてくれました。なんと自宅の床の間には、十代目の坂東三津五郎(前名:五代目 八十助)の書いた掛け軸が掛かっており、生前、頻繁に『ただいま』と言っては、この家を訪ねていたそうです。実は、お祖父さんの古川克巳さんは、八十助さんが愛した「おわら風の盆」の三味線の名手で、たまたま出会って以降、家族ぐるみの付き合いがあったそうです。そこで鶴瓶さん、一節弾いて欲しいとお願いすると、孫の諒太さんの踊りと、克己さんの三味線と唄で、おわら風の盆を披露してもらうことができました。

再放送は、1月27日(金)午前0時10分~午前1時25分に、NHK総合で放送予定です。


番組内で紹介された 富山市の名物など

 

 平成29年1月16日  静岡県浜松市(柴咲コウさん) ~おんな城主直虎SP~

旅のゲストは、女優で歌手の、柴咲 コウ(しばさき コウ)さん。2017年放送のNHK大河ドラマ「おんな城主 直虎」の主人公・井伊直虎役を演じます。

井伊直虎は、江戸時代270年にわたる平和の礎を築いた徳川家康を支え続けた徳川四天王の一人、井伊直政の養母であり、井伊家第二十二代当主・直盛の一人娘です。今川家の軍門に下った井伊家は、男たちが次々と戦死・殺害されてしまいますが、直虎は次期当主・直政の後見人として養育しつつ、女城主として、井伊家を断絶の危機から救いました。その井伊直虎の領土は、遠江井伊谷、今の浜松市北区引佐町にあたります。大河ドラマのロケも、実際に引佐町をはじめ、浜松市内で何度も行われているようです。

そして、今回の旅の舞台は、その大河ドラマのゆかりの地、静岡県浜松市北区です。浜松市には、昨年4月18日放送の「静岡県浜松市ぶっつけ本番旅~朝ドラSP~」で、高畑充希さんをゲストに迎え、浜松市西区(浜名湖の西、海沿いの行政区)を旅しましたが、今回は、浜名湖の北側、「奥浜名湖」と呼ばれる地域です。


ロケが行われたのは、平成28年11月24日(木)。新・大河ドラマ「おんな城主 直虎」で主演の柴咲コウさんが、井伊家の居館(平時の屋敷)があった「居館跡」、静岡県浜松市北区、引佐町(いなさちょう)井伊谷(いいのや)地区にロケバスから降り立つと、至るところに「井伊直虎ゆかりの地」と書かれた幟が立っています!。今年、真田丸のゆかりの地・上田市は、お蔭さまで、ものすごい数の観光客で溢れかえりました。大河ドラマ様様は、何処も同じようです(汗)。

まもなくして鶴瓶さんが到着し、二人が歩き始めると、住宅街の一角で、ちょうど熟れ頃・食べごろの実がたわわに生った、みかん畑を見つけます。お腹が空いていた柴咲さんは、『みかん食べたい!』と、まさに直虎そのもの(笑)。通りすがりの人に、誰の畑か尋ねますが、分かりません。代わりに、近くにあるパワースポットで有名な「渭伊神社」の近くには、評判のうなぎ屋があると教えてもらうと、今度は直虎さん、『行く!、そこに行こう!』と(汗)。

出世法師直虎ちゃんここでスタジオから、旅の舞台となっている浜松市北区を、ビデオで紹介。連日の大河ドラマの撮影で疲れが溜まっているという柴咲さんのために、疲れを癒す町の名物を紹介してくれるのは、井伊直虎ゆかりの地浜松のマスコットキャラクター「出世法師直虎ちゃん」と、昨年の地元の伝統行事「姫様道中」で直虎役に選ばれた、地元の可愛らしい女性です。

まずは、浜松名物の「うなぎ」。そこで案内してくれた先は、お寺?。この「方広寺」で人気なのが、豆腐や蓮根を素材に使った『精進うなぎ』で、とてもヘルシーと女性に大人気だそうです。
 次に疲れを癒してくれるのは、浜名湖の北側の東西を結ぶローカル線、天竜浜名湖鉄道。地元では「天浜線」と呼ばれ、親しまれています。車窓から眺める浜名湖の景色は格別。国の登録有形文化財にもなっている、レトロな駅舎もステキです。懐かしくのんびりした鉄道旅で、疲れを癒してください。
 本当に疲れた時に見てもらいたいのが、北区細江町の伝統行事、「姫様道中」。江戸時代の姫様の行列を再現したお祭りで、毎年4月に開催されます。公募で選ばれた姫様を囲むのは、100人もの大行列。華やかで美しく、とても心が癒されます。平成29年は4月1日(土)と2日(日)に開催されます。あなたも腰元や露払侍の恰好をして、行列に参加してみませんか?(申込みはこちら)。

どうしても熟れ頃の”みかん”が気になった鶴瓶さんと柴咲さんは、近所の家を聞きまわり、ついに畑の持ち主、波多野さんを訪ね当てます。しかし、生憎と昨日に消毒をしたばかりで、食べられないとのこと。ところが直虎さん、今度は家の庭に成っていた柿を所望(笑)。二人は、大きく食べごろの「次郎柿 」を頂くことができました。

次に鶴瓶さんと柴咲さんは、先に教えてもらった、井伊家の氏神で、井戸水などを祀っている「渭伊神社」を訪れます。するとそこで、待ってましたとばかりに、キャラの濃そうな二人の男性と出会います。一人は、「竜ヶ岩洞」(りゅうがしどう)と書かれた目立つ帽子をかぶり、もう一人は、その筋の、反社会的勢力の方かと見間違う容姿ながら、みかん農園で働いているとのこと(笑)。そこで、鶴瓶さんは伊藤さんに連れられて、勤め先のみかん農園「昇果園」へ、柴咲さんは廣野さんに案内されて、鍾乳洞の竜ヶ岩洞を訪ねることにしました。

柴咲さんが「竜ヶ岩洞」(りゅうがしどう)を訪ねると、この鍾乳洞が発見された1981年当時から、ここの発掘と開発に携わった小野寺さんが、鍾乳洞の中を案内してくれることに。鍾乳洞の一番奥にあったのが、洞窟の天上から勢いよく水が流れ落ちる「黄金の大滝」。落差は30メートルあり、地底の滝としては日本最大級だそうです。

鶴瓶さんが訪ねた、みかん農園の「昇果園」では、生憎と社長は長野県飯田市の市場へ出荷に行っていて留守でしたが、代わって社長のお母さんが、鶴瓶さんに抱きついて歓待してくれました(笑)。そこで鶴瓶さんが頂いたのは、「三保」という早生ミカン。本当に美味しいと、スタッフ全員にも食べさせることに。

竜ヶ岩洞を後にした柴咲さんが、次は何処に行こうかと町に戻ってみると、昇果園の伊藤さんが、お土産のみかんを渡そうと、わざわざ探し出して会いに来てくれました。伊藤さんから、鶴瓶さんは鰻を食べに行ったと聞いた柴咲さんは、『じゃあ私は別なのがいい』と(笑)。そこで伊藤さんが紹介してくれたのが、芸能人もよく食べに行くというハンバーグ屋、「さわやか」。
しかし、突然のテレビ番組のロケ訪問で、店内の撮影許可が下りるまでだいぶ待たされた柴咲さんは、お腹が空いたとグズグズに・・・。ようやく席に着くことができた柴咲さんは、躊躇なく「げんこつおにぎりハンバーグ」ランチを注文。ハンバーグを待ちながら、スタッフから『腹ごしらえした後はどうしましょうか?』と聞かれた柴咲さんは、もとい直虎さんは、突然に『ネコ飼っているお宅に行きた~い』と(汗)。

一方の鶴瓶さん、昇果園で紹介してもらった関西風で美味しいと評判の鰻屋、「うな吉」(うなきち)を訪ねると、のれんは掛かっていますが、店の前の看板は準備中(汗)。慌てて鶴瓶さんが店に入ると、ご主人が応対してくれて、『ちょうど看板しちゃったばっかりですが、ちょっとなら炭あるんで、もしよかったら』と!。
注文した「うな重の上」が出来るまで、ご主人らに話を聞くと、なんとこの店の鰻は、昨年4月放送の「静岡県浜松市ぶっつけ本番旅~朝ドラSP~」で、鶴瓶さんが訪ね、結局鰻を食べることが出来ずに倉庫に置かれた卓球台で中学生らと卓球をした、あの舞阪にある卸し問屋から仕入れていると知り、あまりの偶然に驚かされます。

大きなハンバーグを食べて人心地ついた柴咲さんは、ネコを飼っているお宅を探しに歩き出すと、動物病院の看板を見つけ、訪ねてみることに。そこは、本間獣医科医院の分院のひとつ、「細江町病院」で、分院長の安井先生が応対してくれました。柴咲さんが、どこか動物を飼っているお宅を紹介して欲しいとお願いしますが、急に突撃されても困ってしまうと、自分の自宅ならと電話してくれますが、生憎まだ子供達は学校から帰っておらず、留守でした。そこで、この動物病院で飼われている、ネコの「部長さん」を紹介してもらうことに。動物病院の前で交通事故に遭い、飼い主が居ないことから、動物病院で引き取って飼っているそうです。なぜ「部長さん」なのか尋ねると、事故後は全く外に出なくなってしまったそうですが、以前は近所のネコの集会場所では必ず見かける猫だったので、たぶんこの辺りの猫仲間ではお偉いさんだったのだろうと、「部長さん」と名付けたそうです。その話をスタジオで聞いた鶴瓶さん、安井先生は見かけはとてもドライそうな女医さんですが、その話はとても人間味に溢れた感じで、『この人、おもろいなぁ~』と感嘆。『この人、かなりおもろいよ。オレ、料理したかったなぁ~』と(笑)。

ここで、ちょっと一息、「家族に一杯」の時間です。

やって来たのは、山間の伊平地区。ここを通る国道257号線は、ツーリングに人気だそうです。その道沿いにあるのが、本日のお店、「手打ちうどん 二五七」。ここで頂く本日の一杯は、「けんちんうどん」(1000円)。こだわりは、地元産の採れたての野菜。この寒い時期、心も体も暖まりそうです。


鶴瓶さんが「うな吉」を出ると、ひとりの女性が、ハイテンションのオーバーアクションで、すぐ目の前にある”むさくるしい”自宅に寄って行って欲しいと、声をかけてくれました。鶴瓶さんがお宅に上がらせてもらうと、さっそくお盆に載せて出してくれたのは、お茶ではなく缶ビール(笑)。自宅に居たお婆さんは大人しそうな方ですが、お母さんは終始ハイテンション・・・。そこに電話をかけてきた娘も、鶴瓶さんが実家に居ると知ると、『ヤバい、ヤバい』と、これまた母親に増してハイテンションに(笑)。娘さんは、ラウンジ「ゾロ」でママをしていると聞き、鶴瓶さんはその店を訪ねることにします。

一方、柴咲さんが、新たな出会いを求めて駅前を歩いていると、ちょうどアニメ版「井伊直虎」のデザインにラッピングされた、天浜線の車両が通り過ぎていきました。その後、しばらく歩いていると突然、自分は彫刻家でギャラリーを開いているから家に来いと、ひとりの年配の男性に声をかけられます(驚)。柴咲さんが、その岡田力三さんの自宅兼ギャラリーを訪ねると、なんと広い建物の中に、等身大のブロンズ像が、まるで中国の始皇帝陵の兵馬俑のごとく、沢山展示してあり、ビックリです。柴咲さんは、岡田さんの奥さんにもお会いして、ご夫婦の暮らしぶりについて話を聞くことができました。

ラウンジ・ゾロ

鶴瓶さんが、「Lounge ZORO」を訪ねると、お母さんにも増してハイテンションの娘さん、ラウンジのママをしている沙弥香さんと、お店の女の子らが歓待してくれ、鶴瓶さんの鼻の下はデロデロ?。スタジオでは、後日スタッフがお店を訪ね、化粧と着物で夜の蝶に変身した女性達を撮影したビデオが紹介されましたが、その変身ぶりに鶴瓶さんも誰か分からないほどビックリさせられました!(笑)。

 


番組内で紹介された 浜松市の名物など

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感想(22件)

 

 平成29年1月2日  成田山新勝寺(タモリさん) ~初詣スペシャル~

今回の旅は、「ブラタモリ×鶴瓶の家族に乾杯」というNHKの2つの人気バラエティ番組がコラボレーションした、平成29年正月放送の特別番組です。

旅の舞台は、”初詣スペシャル”の名にふさわしく、初詣客数が日本一という「成田山新勝寺」。なぜそんなに多くの初もうで客が成田山を訪れるのか、その秘密にタモリさんと鶴瓶さんが迫ります。さらに、お互いの番組のことをよく知るために、鶴瓶さんが「ブラタモリ」に、タモリさんが「鶴瓶の家族に乾杯」に参加する企画も!?。土地の歴史や地形にこだわって旅をするタモリさんと、そこに住み人々の人柄にこだわって旅をする鶴瓶さん。2人の珍道中は、いかに?。


ロケが行われたのは、平成28年12月5日(月)。大本堂の前の広場で、鶴瓶さんの到着を待つタモリさん。『あのオヤジ(鶴瓶)、地形とか歴史に一切興味はございませんで、偽の人間性を表看板に番組をやっていますが・・・』と、さっそく水と油ぶりで鶴瓶さんをコケ下ろします(笑)。二人とも、成田山新勝寺を訪ねたのは、今回が初めてとのこと。ちょうどその時、『チーン』と鐘を鳴らしながら、大勢のお坊さんの行列が、二人の目の前を通過していきます。これから大本堂で、9時の御護摩(おごま)が始まるそうです。1000年以上も毎日欠かさず行われている護摩祈祷。二人は、今回の番組の成功を願って御祈祷を受けることに。平安時代に、平将門の乱を鎮めようと、この護摩祈祷を行ったのが、成田山新勝寺の始まりと言われています(開山縁起)。それから1000年の時を経て、今では三が日の参拝客数が300万人にも及ぶ、全国有数の初詣スポットとなりました。

祈祷が終わったところで、近江友里恵アナウンサーが登場。そこで渡された、ブラタモリ流の旅のお題(指令)は、『なぜ成田山新勝寺は初もうで客日本一の寺?』。そのお題の謎解きを案内してくれるのは、成田山霊光館で学芸員をしている矢嶋さん。2016年の初詣人出ランキングによると、1位は明治神宮(約317万人)、2位が成田山新勝寺(約309万人)、3位が川崎大師(約307万人)で、成田山新勝寺はお寺では全国一位だそうです。この発展の背景には、昔の人達が描いた戦略があったそうです。

その戦略とは?。現在の成田山新勝寺の大本堂は、昭和43年に建てられたもので、その左手には幕末に建てられ移築された「前の本堂」(釈迦堂)が、その奥には江戸時代中頃に建てられた「前の前の本堂」(光明堂)があります。この「前の前の本堂」を建てるために多額の借金をし、その返済のために新たに成田山を信仰する人々を増やすために江戸時代に執られた戦略が、「出開帳」(でかいちょう)です。成田山の本尊「不動明王」を、輿に入れ江戸まで運び、江戸っ子に公開することで、成田山の信者を爆発的に増やすことに成功しました。なんと本堂建立の借金は、一度の出開帳で賄えたほどの大成功でした。

そこで、その出開帳の成功の秘密を探りに、タモリさんと鶴瓶さんは、江戸時代初めに建てられ門前町に移築されている、「前の前の前の本堂」(薬師堂)を訪れます。なんとその本堂は、何処のお寺にでもある様な、小さなお堂。この本堂に足しげく参拝したのが、当時のスーパースター、歌舞伎役者の初代・市川團十郎(成田屋)でした。跡継ぎを願い、父親ゆかりの成田山で祈願したところ、子宝を授かった團十郎は、恩返しとして、出開帳に合せて成田山の御利益を描いた歌舞伎を披露しました。これにより、成田山の出開帳は大成功を収めることが出来たのでした。

次の成田山発展の理由は、その地形。成田山があるのは、台地の中に入り込んだ谷の先です。そのため参拝者は、曲がりくねった表参道を下り、一旦谷の底まで降りてから、今度は総門から仁王門、そして大本堂へと、急な階段を上ることになります。あまりに急な階段のため、参拝客は階段を登りきるまで、成田山の全貌を拝むことが出来ません。この高低差を活かした造りにより、参拝客は『ご利益にあずかった』と強く感じることができ、成田山の初詣客はますます増えることとなりました。

さて、学芸員の矢嶋さんが、この地形の話を始めたところで、朝が早かった鶴瓶さんは、話しを聞きながら立ったままウトウトと・・・。いよいよ我慢できなくなった鶴瓶さんは、タモリさんらに背を向けると、周りにいた参拝客らに話しかけて、勝手に鶴瓶ワールドへと一人旅立って行ってしまいました(笑)。

ここでスタジオで、近江アナから鶴瓶さんに質問、『初詣は何時から始まったか?』。鶴瓶さんの回答は、『鎌倉時代には始まったんじゃないですか?』と、チョーいい加減。そこでタモリさんは鶴瓶さんに向かって、勝ち誇ったように、『よく考えれば分かるんだけど、初詣ってだいたい遠い所へ行くじゃない。寒い時に徒歩で行ったら、途中で死ぬよ!?交通の便がよくなった明治半ばくらいじゃない』と(笑)。次は、鉄道と成田山の秘密に迫ります。

ここから案内してくれるのは、鉄道ファンの先駆者で、全国に3千人もの会員がいる「鉄道友の会」の参与をしている白土さんです。
現在のJR成田駅は、その昔、明治30年に開業した「成田鉄道」の駅でした。成田鉄道は、成田山新勝寺が大株主となって、成田山への参拝客を増やすために作られた鉄道で、成田を中心に、西の安孫子、南の佐倉、東の佐原へと3方に路線を伸ばし、東京から伸びる当時の国鉄の駅に繋がっていました。まさに成田山は、『自分ちに鉄道を敷いた』わけです。成田鉄道はその後、大正9年に国有化され、現在のJR東日本・成田線へと移り変わっています。その後、大正15年には、私鉄の「京成電鉄」が、東京と成田を最短ルートで結びました。この京成電鉄の登場が、さらに成田山を発展させることになります。ちなみに、「京成」という名は、東京と成田空港を結ぶからではなく、東京と成田山を結ぶことに由来します。

成田山への参拝客を巡り、国鉄vs.京成の戦いの始まりです。当時、東勝寺(宗吾霊堂)から、成田駅前を通って、成田山新勝寺の門前まで、「成宗電車」という路面電車が走っていました。総延長は約5kmで、明治43年に開通し、戦時中に廃線になっています。実は京成電鉄は、この成宗電車の線路に直結し、東京から一気に成田山新勝寺の門前まで電車を乗り入れることで、国鉄を出し抜こうと目論んでいました。しかし、それでは表参道の商売に影響が出ると、地元の強い反対があり、結局この二つの路線が直接結ばれることはありませんでした。そこで、開業当初、初詣の成田駅の乗降客数で負けていた京成は、いち早く大晦日の終夜運転を開始し、国鉄を追い抜きます。国鉄も負けじと、昭和8年には終夜運転を開始して応戦。そこで京成は、追い打ちをかけるように攻めの広告を出しました。それが、『先着壹萬(一万)名御招待。残り全部の方へは同じく成田詣往復五割引票一枚を贈呈』という、採算度外視の大サービスキャンペーン(驚)。どうしても国鉄に勝ちたいという、京成の執念の表れですね。こうした京成と国鉄の競争により、成田山への初詣客は、昭和に入ってからも右肩上がりに増大していったのでした。
矢嶋さん『本日のテーマ、ご納得いただけたでしょうか?』、タモリさん『ガッテン、ガッテン!』です(笑)。


ここからは、『鶴瓶の家族に乾杯』。歴史や地形の話にうんざりした鶴瓶さんは、タモリさん一行と別れ、成田山新勝寺のまわりで、ステキな家族を探します。

鶴瓶さんは路地裏で、お揃いのエプロン姿で庭掃除をする年配の女性二人を見つけ、声をかけます。すると、二人は姉妹で、年末の手伝いに妹さんが神奈川から手伝いに来てくれているとのこと。子供たちは皆、実家を出てマンション住まいだそうですが、息子さん二人は家業の事務所として実家を使い、嫁いだ娘も北海道から手伝いに来ていて、障子の貼り換えをしてくれているとのこと。汚い所だからと遠慮する家族を押しのけ、『写さへんがな』と、ちゃっかり家に上がり込む鶴瓶さんを見て、『こういうのが上手いんだ、この男!』とタモリさん(笑)。

鶴瓶さんは、上り込んだ大塚さんのお宅で、お茶と羊羹を頂きながら、家族の話を聞いていると、この辺りには鰻屋が多いほか、成田山は羊羹と落花生と漬物が有名という話しを聞きます。そこで、落花生に興味を持った鶴瓶さんは、息子さんの同級生が継いでいるという、「豆のふくだや」(福田さん)を紹介してもらうことに。

豆屋を営む福田さんの所では、大塚さんの息子さんの兄と同級生の息子さんが家業を継ぎ、大塚さんの弟さんと同級生の妹は、嫁に行かず商売を手伝っているとのこと。この妹さんが、とても楽しい女性で、『大塚くんが初恋の人だったのに、彼にフラれてから、ことごとくフラれて、今はひとり』と(笑)。ふくだやでオススメの商品が、茹でて真空パックにされた「おおまさり」という落花生。鶴瓶さんも頂きましたが、とても美味しいそうです。
次は気になった鰻屋に行きたいと、福田さんに有名な鰻屋を尋ねると、叔父さんが大本の鰻屋と教えてくれたのが、叔父さんの同級生の伊藤さんが営む「川豊」さん。なんと、その伊藤さん跡継ぎは、娘さんと同級生だそうで、鶴瓶さんは『同級生つながりや!』と(笑)。

娘さんに案内してもらい、同級生の伊藤さんが営む「川豊」さんを訪ねますが、生憎と定休日で伊藤さんには会えませんでした。そこで、娘さんの別の同級生がやっているという、川豊さんの隣の隣の鰻屋、「近江屋」へ行くことに。なんとその店は、番組の最初に鶴瓶さんが女将から声を掛けられ、昔は旅籠をしていたと紹介してもらった料亭でした。

鶴瓶さんが、近江屋の二階で、うな重を頂きながら、女将やご主人から、夫婦の馴初めや家族の話を聞いている所に、タモリさんも合流。なんだかんだ言いながら、年配の女性を扱わせたら鶴瓶さん以上に上手いタモリさん。鶴瓶さんと二人で、笑い満載の楽しい正月番組を作り上げました!。

再放送は、2月4日(土)午後3時05分~午後4時20分に、NHK総合で放送予定です。

 


番組内で紹介された 成田山新勝寺界隈の名物など

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 平成28年12月12日  山梨県笛吹市(吉田沙保里さん) ~五輪お疲れ様SP~

旅のゲストは、女子レスリング選手・指導者で、女子レスリング個人で世界大会16連覇、個人戦206連勝を記録し、「霊長類最強女子」の異名を持つ、吉田沙保里(よしだ さおり)さんです。アテネ、北京、そして2012年のロンドンオリンピックで、女子レスリング55kg級で金メダル3連覇。この年、13大会連続世界一でギネス世界記録に認定されると共に、国民栄誉賞受賞を受賞。今年のリオデジャネイロオリンピックでは惜しくも金メダルは逃したものの、栄誉ある銀メダルを獲得。そして9月に、現役を続行しつつ、レスリング女子日本代表コーチに就任することになりました。

吉田沙保里さんの選んだ旅の舞台は、山梨県笛吹市。山梨県のほぼ中央部に位置し、最大の観光名所は、石和(いさわ)温泉。都内から車や電車で1時間半と至便なことから、年間におよそ330万人もの温泉客が訪れます。オリンピックが終わってからも、全く休みが無い日が続いていた吉田さんは、温泉に入って日ごろの疲れを癒やしたいと希望し、スタッフが笛吹市を推薦したようです。


ロケが行われたのは、10月26日(水)。吉田さんは、ロケを兼ねて日ごろの疲れを癒やしたいと、石和温泉街で、鶴瓶さんと待ち合わせをしました。石和温泉を初めて知った鶴瓶さんは、古めかしいアパート「グリーンハイツ」の入居者募集の看板に、”温泉付き”と書かれていることに驚かされます。たまたま、温泉の配管設備を点検している人を見つけ話を聞くと、この辺りでは、多くの一般家庭でも温泉を引いているそうです(驚)。

吉田さんも『私も初めて知りました』と言いながら、温泉旅館「かげつ」を見つけると、『私、一回ここに泊ったことがあるかも?』と。そこで、二人は旅館を訪ね、女将に中を案内してもらうと、徐々に泊った日のことを思い出す吉田さんでした(笑)。後日、女将が宿帳を調べたところ、女将がたまたま留守していた時に、吉田さんはレスリング協会の方々と、2泊もしていたことが判明!。

ここでスタジオから、笛吹市をビデオ紹介。小野アナウンサーの調査によると、吉田さんの好きなものは、「お肉」「カラオケ」「イケメン」だそうで、笛吹市のイケメンが、案内してくれることに(笑)。

まず最初に、気性の荒い鵜を手なずけるワイルド系イケメンが紹介してくれたのは、笛吹川の「石和鵜飼」。全国12箇所で行われている鵜飼ですが、笛吹市では鵜匠が川に直接入って鵜を操る「徒歩鵜」(かちう)という漁法で行われています。
次に、ワイン醸造家のインテリ系イケメンが紹介してくれたのが、笛吹市のワイナリー。日本一のブドウの収穫量を誇る笛吹市では、ワインの生産も盛んです。
最後は、養鶏家のキュート系イケメンが紹介する、「甲州地どり」。通常の2倍もの日数をかけて育てるため、歯ごたえがあり、旨みも濃いと評判です。
ところがここで、三人とも既婚者であることが判明!。小野さんに向かって『バカにしとんのか!』と怒鳴る鶴瓶さんと、思わず仰け反る吉田さんでした(笑)。

残念ながら、旅館「かげつ」では、清掃中ということで大浴場の入浴が叶わなかった鶴瓶さんと吉田さん。再び温泉を探して旅館街を歩いていると、「ワイン風呂」という看板が気になり、美と健康と癒しの宿「ホテル八田」を訪ねることに。ここでも美人の女将が、親切丁寧に二人を歓待してくれました。吉田さんと出会うなり、『オリンピックではご活躍、おめでとうございました』と、なかなかスラスラ言えるセリフではありません。さすがです!。ロビーで女将に旅館の話を聞いていると、一人息子(37歳)は、まだ独身とのこと。思わず吉田さんは、『あら?、あら?』と、期待が高まります!(笑)。そこで鶴瓶さんは、息子さんと一緒にワイン風呂に入ることに。一方の吉田さんは、女将さんとワイン風呂へ。「ワイン風呂」とは、本物の赤ワインから抽出したエキスを入浴剤として使用している温泉で、とても肌に優しく、身体が温まるお風呂だそうです。さて、吉田さんの入浴シーンは、キレイなワイン色の温泉に隠され、肩から下、お湯の中の様子は窺い知ることが出来ませんでしたが、鶴瓶さんと旅館の息子さんのワイン風呂は、色が薄く、透けてお湯の中の様子が丸見え!見たくね~(笑)。

ワイン風呂から上がり、「ホテル八田」のロビーでコーヒーを頂いた二人は、ここで別れることに。

一人旅になった吉田さんは、地元の代表銘菓「信玄餅 」を作っているところを見学したいと、「桔梗信玄餅工場テーマパーク」へ。案内係の人に見学ルートを案内してもらう吉田さん。この工場では、1日に10万個の信玄餅が作られていて、包装作業は全て手作業との説明を聞いて、『へぇ~、へぇ~』と感嘆しきり。包装作業を体験できるコーナーでは、吉田さんもチャレンジしますが、とてもベテランの女工さんのように、6秒ではキレイに包めそうもありません(汗)。

一方の鶴瓶さんは、旅館を出たところで、ずっとロケに付いて来ていた女性に声を掛けます。すると、鶴瓶さんから急に声を掛けられた女性は、緊張と嬉しさからテンパってしまい、近所のお寺の住職の奥さんだそうですが、その寺の名前も思い出せません(笑)。鶴瓶さんと一緒に記念撮影してもらうと、女性は『涙が出そう』と喜びます。この女性に興味を抱いた鶴瓶さんは、『娘が大ファンなので、寄ってお茶でも飲んでいってください』という誘いに応え、「佛念寺」を訪ねることに。お寺では、小学3年生で得度した娘の写真を見せられ、思わず『これ、オレやんか!』と(笑)。確かに、目が細いところは鶴瓶さんに似ていますが、可愛らしいお嬢さんで、俺にソックリというのは失礼な!。ただ、楽しい奥さんが、『親がしっかりしていない分、子供はしっかりするんですね』と話す言葉には、鶴瓶さんも思わず納得。

ここで、ちょっと一息、「家族に一杯」の時間です。

やって来たのは、笛吹市の街の中心部。ここにあるのが、銭湯の「石和温泉」。なんとこの銭湯、食堂が付いています。お風呂に入ったら食事もしたいという地元の人の声に応えて、30年前から食堂を始めたそうです。ここで食べられる本日の一杯は、「醤油ラーメン」(470円)。ご主人が独学で作ったという、昔ながらの中華そばです。


次に吉田さんは、特産のぶどうを求めて、ぶどうの直売所が建ち並ぶ、「御坂(みさか)フルーツ街道」へ向かいます。ところが、既にぶどうの収穫時期は過ぎており、訪ねた先々の直売所に、ぶどうは置いてありません。その上、出会ったぶどう農家のお婆さん達に、『鶴瓶の家族に乾杯の撮影で』と話しても、『鶴瓶さんは?』と聞かれるだけで、吉田さんが何処の誰なのか、ぜんぜん気づいてもらえません。『レスリングの吉田沙保里です』と自己紹介しても、『何、歌手?』と(驚)。自分の顔が存外知られていないことに、結構落ち込むかと思いきや、吉田さんもタフですね~。たいして気にも留めず、再びぶどうを求めて歩き出します。

すると、「東邦観光園」では、『テレビでご活躍で』と声をかけられ、ようやく自分を知る人に出会えてホッとします。さらに、今日最後の収穫をしてきたという”シャインマスカット”があり、試食させてもらうことが出来ました。次に試食させてもらった「甲斐路」(かいじ)は、大人の美味しさだそうです。せっかくなので、吉田さんはブドウの収穫体験もさせてもらうことに。車で3分ほどの所にあるぶどう畑には、まだ巨峰が沢山なっており、吉田さんはカゴ一杯にブドウを収穫できて、ご満悦(笑)。

鶴瓶さんは、お寺で、奥さんの実家から貰った、白ワインになる「甲州」というブドウを頂くことに。ワイン用ということで、渋いかと思いきや、甘いブドウだそうです。そこで鶴瓶さんは、奥さんの実家のぶどう畑を見せてもらうことに。しかし、探してはみたものの、実家のご両親が今日は何処の畑にいるのか分からず、結局出会えず仕舞いでした。

最後に鶴瓶さんは、一番最初に石和温泉の源泉を掘り当てた人に会いたいと、「石和温泉管理事務所」を訪ねます。そこで、1956年に、小松さんという方が最初に温泉を掘り当てたと教えてもらい、小松さんのお宅を訪ねることに。今は代代わりして、息子さんが後を継いでいましたが、石和温泉で一番最初に湧いた源泉の場所に案内しもらい、当時の話を聞くことができました。

吉田さんは最後に、スポーツを頑張っている子供たちに会いたいと、近くの「御坂中学校」を訪ねることに。すると、校舎の廊下から、学校の前の通りを歩いている吉田さんを見つけた先生たちの、『キャー』という歓声が上がります。校長先生も直ぐ出てきてくれて、窓越しの交渉で、撮影の許可もすんなり降りました(笑)。吉田さんは、体育館にお邪魔して、女子バレー部の練習を見させてもらうことに。最初は緊張してか、おとなしかった女子中学生も、吉田さんと一緒にバレーボールの練習をしている内にうち解け、徐々に将来の夢や、部活の目標なども語ってくれました。意外と言っては失礼ですが、吉田さん、相当にバレーボールが上手で、ビックリです!。力任せのスポーツウーマンだとばかり思い込んでいたのは、完全に私の誤解でした m(__)m。

 


番組内で紹介された 笛吹市の名物など

 

 

 平成28年12月5日  奈良県大宇陀市(哀川翔さん) ~真田丸SP~

旅のゲストは、俳優でタレントで歌手でもある、哀川翔(あいかわ しょう)さんです。1984年に「一世風靡セピア」でレコードデビューし、その後はドラマや映画にバラエティにと大活躍。現在放送中のNHK大河ドラマ「真田丸」では、大坂城五人衆のひとりとして豊臣方に味方し、真田信繁(幸村)の最大の理解者であり強力な盟友として、一緒に大阪の陣で徳川方と戦った、”後藤又兵衛”(ごとう またべえ)役を演じています。

旅の舞台は、奈良県宇陀市。豊臣家は、大阪夏の陣で徳川に敗れ崩壊しますが、後藤又兵衛(基次)は、大宇陀(現 宇陀市)に落ち延び、僧侶となってこの地で一生を終えたという伝説が伝わっています。その、後藤家の屋敷跡に植えられた枝垂れ桜は、「又兵衛桜」と呼ばれて、今でも地元の人々に親しまれています。2000年のNHK大河ドラマ「葵 徳川三代」のオープニング映像で使用されたことで、又兵衛桜は一躍有名になり、今では毎年8万人もの花見客が訪れる観光名所となっています。

私事で恐縮ですが、合併して宇陀市が誕生する前、今から30年近くも前ですが、仕事で半年間ほど旧・榛原町内に住んでいたことがあります。懐かしーな~。ローラースケート場は、今でも残っているのでしょうか?


ロケが行われたのは、11月7日(月)。「又兵衛桜」の元で待ち合わせた二人は、本当に後藤又兵衛が生きながらえ、この地で暮らしていたのか知りたいと、近所のお宅を訪ねることに。すると偶然にも、そのお宅、「後藤」という苗字に鶴瓶さんもビックリ。しかし詳しいことは分からず、後藤家の本家を訪ねてみることに。本家の康之さんは、御年87歳ながら、まだ木に登って枝打ちの山仕事の最中でした。後藤又兵衛との繋がりを尋ねてみましたが、いろいろな説があり、信憑性は薄そうです。

そろそろお腹が減ってきた鶴瓶さんと哀川さんは、どこか食堂を教えてもらおうと、近所のお宅を訪ねると、偶然にもまた”後藤”さんでした。市内に5軒しかない後藤さんのうち、3軒を訪ね当てた鶴瓶さん自身もビックリ。そこで、”道の駅”を教えてもらった二人は、ここで別れることに。

スタジオでは、最近新たに発見された、後藤又兵衛が大阪夏の陣で討ち死にしたと書かれた古文書、書付「後藤又兵衛討死之時」が紹介されました。この書付には、又兵衛の首を討った脇差が、又兵衛が豊臣秀頼から拝領したものであったこと、又兵衛最後の様子を秀頼に報告したことなどが記されており、又兵衛のもとで戦った金万平右衛門(こんま へいえもん)、もしくはその子孫が書き記したものと考えられ、平右衛門の子孫宅に残されていたそうです。この古文書が見つかったのが、このロケの直ぐ後だったことに、鶴瓶さんは何か因縁めいたものを感じたそうです。

ここで、宇陀市のビデオ紹介。紹介してくれるのは、宇陀市のアニキ達。
まずは、”ゴボウのアニキ”の上西さん。上西さんが作っているのは、その名も「金ごぼう」。表面がキラキラ輝く雲母を沢山含んだ土で栽培することで、ゴボウに金粉が付いたようになることから、名付けられました。縁起のよい金ごぼうは、お正月のおせちにピッタリ!。
次は、江戸時代に作られた日本最古の民間の薬草園、「森野旧薬園」で、薬草の管理をしている”薬草のアニキ”の原野さん。今の季節は喉によい”南天の実”が、鶴瓶さんには”エビネ”がおススメ。この根が育毛に効くといわれています!。
最後は、室生地区の龍口白山神社で毎年行われている、豊作や住民の安全を祈願する”神楽”を舞い奉納するアニキ達でした。

一人旅になった哀川さんは、後藤さんに教えてもらった道の駅「宇陀路大宇陀」にある、御食事処「れすとらん 甘羅」(かむら)を訪れ、大人気の”ジャンボ海老フライ定食”(2500円)を頂きながら、食事に来ていた住民の方から、旅先の情報を仕入れて回ります。

一方の鶴瓶さんは、勘を頼りに車を移動させ、古い町並みの通りに降り立ちました。すると、揃いのエプロンを着た看護婦さんが大勢表に出てきて、一生懸命手を振ってくれています。話しを聞くと、皆さん勤続年数30年~40年という大ベテランばかり。そこで、その病院「西医院」を訪ねてみると、先生も大ベテランの診療所でした。

鶴瓶さんが再び町を歩いていると、文字がはげ落ちて、何が書いているのか分からない看板を見つけてしまいます。そこで、和菓子屋の「もなか 金華堂」の店内にいたお母さんを、『ちょっと来てください』と、わざわざ店の外へ連れ出し、看板を指さして、『これ何や分からへん、マジックでもええから書いといてくださいな』と。余計なお世話じゃ!(笑)。鶴瓶さんは、作りたての”黒門もなか”を頂きながら、お母さんに話を聞いていると、ちょうど近所のお友達が訪ねてきて、一緒に話を聞くことに。スタジオの小野アナウンサーによると、その後、お母さんは早速、看板の書き直しを発注したそうです(笑)。

哀川さんは、道の駅で教えてもらった、古い町並みの残る重要伝統的建造物保存地区、「宇陀松山地区」へ。そこで、職人さんに出会いたいと歩きながら探していると、「中尾畳店」を見つけ、訪ねてみることに。すると、機械を使った畳縁(へり)を縫う作業を見させてもらったり、今時のポリウレタンなどボードを貼り合わせた建材畳ではなく、昔ながらの稲ワラでつくられた藁床の畳への拘りについて話を聞くことが出来ました。

ここで、ちょっと一息、「家族に一杯」の時間です。
 やって来たのは、女人高野 室生寺。静かなお寺の中にある、国宝の数々に圧倒されます。700段もの石段を登ると、お腹も減ります。そこで訪ねたのが、門前にある「橋本屋」。この店で頂く本日の一杯は、”とろろざるそば”(980円)。参拝者に元気になってもらい、石段の多いお寺を訪ねてもらいたいと、60年前から粘りの強い”とろろ”を出すようになったそうです。

哀川さんが、畳屋さんで別の職人さんを教えて欲しいとお願いすると、近所の表具屋を紹介してもらうことに。表具師の吉村庄作さんの所では、海外からのお客さんも多く、掛け軸や屏風だけでなく、洋画の修復も請け負っているそうです。掛け軸の修復作業を見させてもらった哀川さんは、自宅にある汚れて傷んだ掛け軸の修復もお願いすることに。

鶴瓶さんは、再び別の看板が気になります。『なんで、こんなところに着物屋さんが?』と、その「きもの 紅た屋」(べにたや)を訪ねてみると、その店舗兼住宅は、1年半かけて古民家を移築したそうで、囲炉裏や古い調度品に囲まれた、立派なお宅でした。天井裏は、何と40畳もの大広間になっていて、展示会場として使っているそうです。

哀川さんは、畳屋の中尾さんの紹介で、表具師の吉村さんに案内してもらい、今度は「藤田製材所」を訪ねました。大宇陀でも三代続く材木屋さんは、少なくなってしまったそうです。材木を乾燥させている保管倉庫を見させてもらうと、それはそれは大量の材木が積み重なっていました。樹齢200年からの杉から切り出した材木を、20年以上も乾燥させているそうです。

哀川さんが通りに出ると、大宇陀高校の女子バレー部の生徒達が、ランニングで通りかかり、哀川さんを見て大はしゃぎ。大宇陀で見かけた初めての若者らに、何やらホッとした哀川さんは、顧問の先生にお願いして、大宇陀高校の体育館を訪ねることに。体育館では、フットサル部やバスケットボール部の生徒達も集まって来てくれました。生徒から、『僕は作家になりたいです』、『僕は社長になります』と、高校生の熱い夢を聞くことが出来た哀川さんは、仕事をすることでお金を頂けることへの感謝を忘れないようにとアドバイスをし、一緒に記念撮影をして、旅を締めくくりました。

 

 


番組内で紹介された 奈良県宇陀市の名物など

 平成28年11月21日  山口県柳井市(平愛梨さん) ~アモーレSP~

旅のゲストは、女優でタレントの平愛梨(たいら あいり)さん。2010年の日本アカデミー賞において、映画「20世紀少年」(ヒロインのカンナ役)で新人俳優賞を受賞。テレビでは、日本テレビ「ヒルナンデス!」(木曜日)や、フジテレビ「もしもツアーズ」等に出演中です。また、6月にサッカー日本代表でインテル(イタリアセリアA)所属の長友佑都選手との交際を宣言し、公私共に注目されている方です。長友選手が会見で、平さんのことを「アモーレ」(イタリア語で”愛する人”)と呼んだことで、アモーレは流行語となり、11月17日に発表された2016年流行語大賞の候補30語にもノミネートされました。

旅の舞台は、山口県柳井市。鶴瓶さんと平さんは、穴子料理のお店「米徳」や、国の重要伝統的建造物群保存地区として観光名所の白壁通りにある「やない西蔵」等で目撃されています。また、バタフライアリーナ(柳井市体育館)で開催されていた卓球大会の会場も訪れたようです。

「バタフライ」と言えば、リオ・オリンピックで史上初の卓球個人で銅メダルを獲得した”水谷隼”選手が使用しているラケットやラバーのブランドです(実は私も、バタフライのラケットを2本持っています!)。会社名は「株式会社タマス」。1950年に、この柳井市(当時の柳井町)で「タマス運動具店」として創業し、現在では世界有数の卓球用品総合メーカーにまで成長しました。こうした背景もあり、山口県は卓球が盛んな土地柄。リオの卓球女子団体で銅メダルを獲得した”石川佳純”選手も山口県の出身です。平さんは、ひょんな経験をきっかけに、7月ごろから卓球にハマり、卓球が盛んな柳井市を、旅先に選んだそうです。


ロケが行われたのは、10月7日(金)。市内を流れる柳井川のほとりに整備された「柳井河川公園」で待ち合わせた、鶴瓶さんと平さん。鶴瓶さんは、不格好なエアーサッカー?、ドリブルの真似をしながら登場です。
公園で二人が話しをしていると、大勢の市民や観光客が集まって来てしまい、二人は慌ててその場から逃げ出すことに。すると、土手下にあった「寿司勝」から、アナゴを焼く甘い匂いが漂ってきて、鶴瓶さんは引き寄せられるように、そのお寿司屋さんへ吸い込まれて行ってしまいました(笑)。奥さんに、お店のことや馴初めの話などを聞いている間も、ご主人は人気の仕出し用の穴子を焼くのに、てんてこ舞い。あまりの繁盛店で、鶴瓶さんは残念ながら穴子にありつくことが出来ませんでした。

鶴瓶さんと平さんは、卓球ができる体育館に向かうことに。途中、数多のスナックが犇めく夜の通りを見つけた鶴瓶さんは、興味深々で路地の中に入って行ってみますが、昼間では誰にも出会えません。たまたま、「中国新聞柳井販売所」の裏手で、そこでパートで働く女性達が、噂を聞きつけて二人に会いに出てきてくれました。これから、明日の折込チラシを準備すると聞き、鶴瓶さんは昔ながらの手作業をイメージしますが、時代は当に機械化されており、作業を見せてもらった鶴瓶さんは、その機械の速さに驚嘆しきりでした・・・(汗)。

ここでスタジオから、愛・アモーレに溢れる柳井市を、市役所の美女二人がビデオ紹介。
 まず、アモーレ込めて育てた「自然薯(ジネンジョ)」。柳井市は、自然薯栽培の発祥の地とされています。魚にも、肉にもかけても美味しい、まさに愛する人と食べたい逸品です。
 次は、瀬戸内海のアモーレ、「鯛」です。渦潮に揉まれた鯛は、身が締まって、甘みがあって、美味しいと評判です。柳井で一番アモーレな食べ方は、「鯛釜飯」。
 最後のアモーレは、恋愛成就の仏さま。「普慶寺」に祀られている”天弓愛染明王”は、北斗七星に向かって弓をひき、縁結びや家庭円満にご利益があるとされています。まさに、キューピット!。

柳井市の体育館(バタフライアリーナ)に到着した鶴瓶さんと平さんは、2階の卓球場を訪ねてみると、年配の女性らが、卓球を楽しんでいる最中でした。せっかくだからと、平さんも卓球の相手をして頂くのですが、『キャー』『あきゃー』と、なかなかラリーが続きません(汗)。そこで、鶴瓶さんと二人で、卓球の試合をすることに。しかし、二人とも卓球の試合というより、温泉場で浴衣とスリッパでの”ピンポン試合”の様相・・・(汗)。あまりの”ゆるさ”に、鶴瓶さんは視聴者に申し訳ないと、試合の様子は早送りで放送(笑)。ゲームは結局、11対8で、平さんが勝利。平さんに負けた鶴瓶さんは、あまりの惜しさに、『今後一生、卓球はしません』と!。

皆さんに話を聞いていると、午前中で練習を終えて帰っていた、81歳で卓球の世界チャンピオンという原田哲子さん(世界ベテラン卓球選手権大会女子ダブルス80~84歳の部で世界チャンピオン)が、戻ってきてくれました。せっかくだからと、平さんもお手合わせ願いますが、まったく歯が立ちません(汗)。

一人旅になった平さんは、体育館近くの、歴史が感じられる白壁通りの町へやってきました。そこにあった「やない西蔵」は、古くなった醤油の醸造場を改修して、柳井の民芸品である「金魚ちょうちん」と、「柳井縞」織物の、体験施設としてオープンした施設です。柳井縞は、江戸時代に柳井の商人が庶民の着物として販売し、地域の主要産業として栄えた木綿織物です。平さんは、機織り機の操作を教わりながら、20~30分ほどかけて、コースターの織物を作成体験させてもらいました。帰りには、お金を呼ぶと謂れの、大きな「金魚ちょうちん」をお土産に貰って、とても嬉しそうな平さんでした(笑)。

一方、鶴瓶さんは、海の向かいある小さな島、「笠佐島」が気になり、どうやって渡るのかと聞いて回っているうちに、あなご丼が名物の「米徳」に辿り着きます。しかし、この店も既に2時で閉店し、アナゴを焼いているお父さんは、DVDを返しに出掛けてしまったと、つくづく穴子に縁の無い鶴瓶さんでした(汗)。そこで鶴瓶さんは、娘さんと奥さんに、DVDショップに電話をして、お父さんに直ぐに帰ってくるよう伝えるように懇願。その間、隣に建つ「海原神社」へお参りすることに。
お参りを済ませ、神社の前で、笠佐島に渡るにはどうしたらいいか訊ねて回っていると、『漁師の方にお願いすれば』と教えてくれた年配の女性が、電話をして聞いてくれることに。また、近所の方からは、笠佐島には、美味しい韓国料理を食べさせる民宿があると教えてもらいました。

平さんは、やない西蔵を出て、再び白壁通りを歩いていると、大勢の市民に出迎えられますが、なかなか人に話しかける勇気が湧きません。そこで、平さんが出会いを求めて向かった先は、なぜか、人よりバッタと出会えそうな、田畑の広がる長閑な地区(笑)。そこで、稲刈りをしている最中のご夫婦を見つけ、話しかけてみると、なんと『鶴瓶の家族に乾杯』の大ファンとの事ですが、平さんはスタッフと間違えられてしまいます。秋の長雨で、収穫が遅れている上に、明日からも雨予報で稲刈りを急がねばならない日でしたが、平さんが『お宅にお邪魔するのは厳しいですよね?』と尋ねると、間髪入れずに『いや、いいですよ!』と。ウソ?(驚)。『是非、おい出てください。この番組が主体ですけん!』と(笑)。お宅にお邪魔すると、満100歳というお婆ちゃんも出迎えてくれて、とても和んだ雰囲気で、ステキな家族と交流することが出来ました。

ここで、ちょっと一息、「家族に一杯」の時間です。
 やって来たのは、街の中心部にある南町。ここにあるのが、地元の人が愛してやまない、「うどんの釜屋 柳井店」。この店で頂く本日の一杯は、”肉ごぼう天うどん”。ボリュームたっぷりの肉に、花が咲いたような牛蒡天。この組み合わせは、常連さんからのリクエストで生まれた裏メニューですが、今では店の一番人気。店のこだわりは、切りたてを直ぐに茹でる、細めの縮れ麺です。

平さんは、今度は若い人に出会いたいと、学校の多く集まる地区にやってきました。すると、下校途中の一人の女子高校生、舞さんを見つけ、家まで一緒に歩きながら、話を聞かせてもらうことに。すると、これからお父さんの誕生日プレゼントを買いに行く予定と聞いた平さんは、プレゼントは何がいいかと相談に乗っているうちに、一緒に買い物に行きましょう!と(笑)。

鶴瓶さんは、穴子を焼くお父さんの帰りを待つ間、先に漁船に乗せてもらい、笠佐島へ渡ることに。笠佐島は、その先の沖にある大きな島、周防大島町に属し、周防大島の小松港からの定期船はありますが、より近場の本州にある柳井市には、漁船をチャーターしないと渡れないそうです。島に渡った鶴瓶さんですが、幾ら探してみても、人に出会えません。ようやく草刈り作業をしている人を見つけ、話を聞くと、現在の島民は、たった5人。その5人中の1人のたまたま出会った方が、奥さんの作る韓国料理が美味しいと評判の「漁家民宿かささ」のご主人であり、かつ、過去に鶴瓶さんとは、いろいろな所で一緒に飲み交わしたことがある人でした!。

笠佐島から柳井に戻った鶴瓶さんは、孫のDVDを返しに行っていたご主人も戻って来てくれて、ようやく念願の穴子丼にありつくことが出来ました。ひとりで食べたら後で何を言われるかと、スタッフも一緒に御相伴。締めて、12,600円也の穴子丼でした(笑)。

平さんは、女子高校生の舞さんと一緒に、「マックハウス柳井店(Mac-House)」を訪れ、お父さんへのプレゼントを探すことに。スマホにお父さんの顔写真を映し、その写真にシャツを重ねて似合うかどうか確認した平さんが選んだのは、紺色でチェック柄の、ボタンダウンのフランネルシャツ。『これに靴下を合せましょう!』と、勝手に勧める平さんに、スタジオの鶴瓶さんはJK(女子高校生)の財布の中身を心配しますが、そこは平さん、『支払は割り勘にしましょう』と(笑)。

最後にスタジオでは、舞さんとその家族全員の、ビデオメッセージが放映されました。平さんの選んだシャツと靴下を履いたお父さんのファッションショーに続き、舞さんから、手書きの手紙を読み聞かせてもらった平さんは、とても嬉しいと涙ぐみつつ、ロケ当日は、飛行機で東京に戻ってから急に出会いの喜びと別れの寂しさ痛感させられたと、旅の感想を話します。それを聞いた小野アナウンサーも、思わず目頭をハンカチで押さつつ、『平愛梨さん、いいこと言いますよね~』と(泣)。

 


番組内で紹介された 山口県柳井市の名物など

 

 平成28年11月14日  三重県松阪市(佐野史郎さん) ~あこがれの人SP~

旅のゲストは、俳優で映画監督の佐野史郎(さの しろう)さん。我々アラフィフ世代には、「冬彦さん」ブームが懐かしく思い出されますが、もう24年も前のことなんですね(汗)。1992年放送のTBS金曜ドラマ「ずっとあなたが好きだった」で、佐野史郎さんが演じたのが、マザコンの新婚男性「桂田冬彦」役です。その名演技ぶりから、「冬彦さん」は'92年の流行語大賞(金賞)にも選ばれるほど、流行りました。ちなみにその年の大賞は、「きんさん・ぎんさん」でした。ドラマの主題歌は、サザンオールスターズの「涙のキッス」。懐かし~。

佐野史郎さんは、平成24年12月の放送で石川県羽咋市を訪れており、今回が2度目のぶっつけ本番旅です。今回の旅の舞台は、三重県松阪市。私的には”松阪”と言えば「松阪牛」しか思い浮かびませんが(汗)、小津安二郎監督が、9歳から映画界入りするまで過ごした場所でもあります。小津監督を敬愛(リスペクト)する佐野さんは、小津監督が青春時代を過ごした松阪を感じたいと、今回の旅先に松阪市を選びました。


ロケが行われたのは、10月12日(水)。「松坂城跡」(松坂公園、古くは”松阪”ではなく”松坂”と表記したそうです)で待ち合わせた、鶴瓶さんと佐野さん。
この場所が何かすら分からない鶴瓶さんは、公園内にあった第一売店のご主人に話を聞くと、「日本100名城」のひとつと教えられます。さらに、城跡から城が見えるのは松坂城だけと、住宅街にそびえるお城を教えてもらいました。何とそれは、歯医者さん(清水歯科、閉院)が建てた建物だそうです。渡哲也似のご主人の、とても72歳に見えない若さに魅せられた鶴瓶さんは、出だしから売店でコーヒーを頂き、ご主人の人生話しに花を咲かせ、ここでロケが終わってしまいそうな雰囲気です(笑)。
その後、公園内で出会った高齢の男性方は、売店のご主人のスカーフの巻き方といい、次に出会った方のトレーナーのデザインといい、次の方のタオルの巻き方といい、皆さんご高齢なのに若々しく素敵な出で立ちに、松阪の魅力を垣間見せられた二人でした。

三越・伊勢丹オンラインストア

ここでスタジオから、松阪商人の子孫が、町を売り込むビデオ紹介。江戸時代、伊勢街道が通った松阪には、豪商たちが数多く誕生し、商人の町として栄えました。その代表的な名残りが、「三井家発祥の地」。三井高利が江戸に開いた呉服店が”越後屋”、現在の三越のルーツです。三越のシンボルであるライオン(獅子)の銅像は、この地にもあり、跨ると願いが叶うと謂われています。
松阪と言えば、やはり「松阪牛」。きめ細やかな霜降りと、深みのある香りが、その特徴。松阪牛を食べた後のお楽しみは、「松阪茶」。松阪は茶所としても有名で、今年の伊勢志摩サミットでも振る舞われました。

鶴瓶さんと佐野さんは、小津監督ゆかりの愛宕町に向かう途中、まずは松阪城址から見えた清水歯科のお城に立ち寄ることに。清水歯科は、今年4月に閉院しており、誰も見当たりません。そこで、隣の事務所の社員に話を聞いてみると、『一人の人だけで建てたと噂の、謎だらけの城』とのこと。ミステリー話に興味深々の二人は、向かいの元靴屋の大西さんに尋ねてみると、清水歯科の先代が建てたもので、建てたのは工事会社だと判明(笑)。この大西さんも面白い方で、『若さの秘訣は牛肉。ただし、高いいい肉は食べちゃダメ。悪い肉、細切れよ!』と。
後日スタッフが調べたところ、城の名前は「回天山暁ノ城」といい、清水歯科の先生のお父さんが、太平洋戦争で人間魚雷”回天”で戦死した長男の供養塔として、個人で建てた建物だそうです。

二人が、小津監督の記念館「小津安二郎青春館」に到着してみると、なんと休館日(金~月曜および祝日に開館)。そこで、隣の「八百清商店」を訪ねてみると、これまた年齢にしては若くて美人の娘さんと、とても80歳には見えないご主人と出会い、松阪市民の若さに驚かされた二人でした。そこに、カラオケ仲間のご近所が集まって来て、歌の上手い娘さんはカラオケ大会で「ベサメ・ムーチョ」を歌ったと聞いた鶴瓶さんは、『♪ベサメ~ ベサメム~チョ~』と歌い、腰を振り踊りながら、『ここで別れますよ!』と佐野さんに伝え、そのまま去って行ってしまいました(笑)。

佐野さんと別れ、一人旅になった鶴瓶さんは、八百清のすぐ隣の村上麹店で、大きな袋に入った大豆を幾つも運び込む男性を見かけ、話を聞くと、お味噌を造るために麹を付けてもらうんだそうです。男性は、隣の多気町で、農村料理のバイキングレストランをやりながら、手作りの豆腐や味噌を造っているそうです。そこで鶴瓶さんは、男性と一緒に、その「せいわの里 まめや」訪ねることに。まめやでは、20代の息子夫婦から、80代のお婆ちゃんまで、一家総出で出迎えてくれました。肉も魚も無い、大豆と野菜のバイキング料理ですが、特に何もつけずに頂く寄せ豆腐は絶品だそうです。

一方、佐野さんは、小津監督の何かの縁に出会えないかと、あても無く街をぶらつきます。すると、個人的な興味から見つけたのは、ノスタルジックな外観の写真館「ミスズ写真館」。カメラや写真に目が無い佐野さんは、前回の羽咋市への旅に続き、また写真館を訪れてしまいました(汗)。犬の散歩から帰ったご主人に話を聞くと、小津監督の住んでいた実家が、今の小津安二郎青春館だそうです。小津監督が子供時分に登った夏みかんの木があり、飾られている写真は、ご主人が撮影したものとのこと。

ここで、ちょっと一息、「家族に一杯」の時間です。
 やって来たのは、松阪市の中心部から車で40分の、静かな山間にひっそり佇む伊勢山上 飯福田寺。その隣にある風情のあるお店が、「蕎楽 悠庵」(きょうらく ゆうあん)です。この店で頂く本日の一杯は、”松阪牛おろし蕎麦”。地元名産の牛肉がたっぷり。冷たい清流で、そばがよくしまっていて美味しいそうです。隣の飯福田寺の住職も、ちょくちょく来ては、”般若湯”と言いながら日本酒を一杯頂いているそうです(笑)。

佐野さんは、松阪市の中心部から車で1時間ほどかけ、小津監督が代用教員として暮らした山間の飯高地区へ。その道端で、たまたま出会った人に話を聞くと、なんとこの女性、”小津安二郎の会”に関わっているいるとのこと。あまりの偶然の出会いに、”仕込み?”とスタッフに疑いの眼を向ける佐野さんでした(笑)。
この女性に案内してもらい、佐野さんは、小津ファンにとっては聖地とされる、小津監督が教鞭をとっていた「宮前小学校」(当時は宮前尋常高等小学校)を訪ねることに。この女性、隣の中学校で教師をしていた方で、佐野さんのために、小学校の校長先生まで呼んできてくれました。その後、小津先生が当時、教え子たちと一緒に出掛けていたという、小学校の裏手にある秋葉山(公園)へ案内してもらいました。小津ファンでも知る人が少ないであろう、小津監督の縁の地を訪れることが出来たことに、感激する佐野さんでした。

次に、女性が佐野さんを案内してくれたのは、「花岡神社」。この境内で、小津先生は体育の授業で子供たちと相撲を取ったりしていたらしいと、佐野さんに、ここも写真を撮っておくように勧めてくれました(笑)。

次に女性、『いよいよ、資料館へ行きますよ!』と(笑)。「小津安二郎資料室」(飯高オーヅ会)が開設されているのは、飯高老人福祉センター内。この日は休館日でしたが、女性の案内で開けてもらい、佐野さんは資料室を見学することが出来ました。職員の方に話しを聞くと、このセンターのある場所が、当時の宮前尋常高等小学校があった場所で、センターの前に建つ記念碑の所が、小津先生が教えた5年生の男組の教室があった場所だそうです。現在の宮前小学校は、昭和17年に移築され、その後建て替えられたとのこと。資料室には、小津先生が当時、子供たちと一緒に川で流し釣りをしていた頃のイメージ写真が飾られており、その構図がまさに映画「父ありき」の一場面でした。なぜ”オーヅ会”かと言うと、この地では方言で、手(てー)、歯(はー)と伸ばす発音をするので、小津先生は子供たちから”おーづ先生”と呼ばれていたからだそうです。映画「東京物語」の中で、”松阪”が当地の方言のままに”まっさか”と発音されているのを聞くのが、飯高の人にとっては嬉しい限りだとか(笑)。

一方、松阪市内に戻った鶴瓶さんは、なぜか呉服屋さんが多いことに気が付き、そのうちの一軒、「浅井呉服店」を訪ねてみます。すると松阪は、縞模様と藍染が特徴の「松阪木綿」の名産地で、江戸時代には倹約令により絹などが禁じられたため、松阪木綿が庶民に大流行したことから、呉服屋がとても多いそうです。

鶴瓶さんは、浅井呉服店より古いという「みなとや呉服店」を探して、道で出会った男性に場所を尋ねると、この男性、「平八画房」という看板屋をやっているとのこと。気になった鶴瓶さんは、店を訪ね話しを聞くと、なんと牛や豚を育てる勉強をしに”農業高校”を卒業して、看板屋になったそうです。そこに、鶴瓶さんに会いに訪ねてきたのが、隣で不動産屋を営む、88歳の元気なお婆ちゃん。鶴瓶さんの膝の上に座って、『い~い気持ち!』と(笑)。

鶴瓶さんは、次に見かけた「八幡屋呉服店」を訪ねると、松阪木綿を着物に仕立て、観光客にレンタルで貸し出しているそうです。そこで鶴瓶さん、レンタルの浴衣に袖を通し、帯を締めさせてもらうと、さすがに着慣れた着物姿で、とても様になっています!。皆に似合っていると褒められ、気分をよくした鶴瓶さんは、雪駄を鳴らしながら街を闊歩し、今まで出会った方々に見せびらかして歩き回ることに(笑)。

 


番組内で紹介された 松阪市の名物など

松阪木綿-No.01

価格: 97円
(2016/11/15 11:40時点 )

 

 平成28年11月7日  東京都江東区・墨田区 深川(高橋克典さん) ~江戸っ子SP~

旅のゲストは、歌手で俳優の高橋克典(たかはし かつのり)さん。私の大好きなテレビドラマ、『サラリーマン金太郎』や『特命係長 只野仁』で主人公を演じていた方なので、とても放送が楽しみです。

旅の舞台は、6月20日放送の竹中さんが訪れた八王子市に次ぐ、東京都内。都内でも、過去には、青梅市やあきる野市、福生市、檜原村など郊外でのロケは多数ありますが、23区内は、今年4月25日の放送で織田信成さんが訪れた谷根千(東京下町SP)に続いて、2回目のロケとなります。

今回のテーマも”下町”ですが、場所は「深川」。現在地名が残る江東区深川地区だけでなく、隅田川東岸の富岡八幡宮を中心として栄えた門前町一帯は、昭和22年に城東区と合併して江東区が生まれる以前、「深川区」がありました。江戸時代に、木場や深川岡場所が置かれた場所で、いきで気風の良さが深川っ子の信条とか。NHK連続テレビ小説「とと姉ちゃん」で、主人公・常子の母、君子の実家である製材問屋「青柳商店」や、小橋家の4人が住み込みで働いた仕出し屋「森田屋」のあった場所が、まさに「深川」です。青柳商店の女将で、君子の母・澄子(大地真央さん)や、森田屋の大女将・まつ(秋野暢子さん)のイメージが、まさに深川っ子なんでしょう!。深川丼(深川めし)も有名ですね。


ロケが行われたのは、8月3日(水)。高橋さんは、白のTシャツ一枚で隅田川の畔に現れました。しかし、放送日はもう11月。北海道では大雪が降り、長野でもストーブを焚きながら見ています。旅番組なのに、今回は季節感が無い時期のロケだな~と思っていたら、高橋さんは、11月11日(金)よる8時スタート(連続7回)のNHK・BS時代劇「子連れ信兵衛2」で、主役を演じているそうで、その番組のスタートに合わせての放送だったようです(汗)。
東都三十六景内 深川八幡「信兵衛2」は、江戸情緒あふれる時代劇です。そこで高橋さんは、役作りのために、”江戸っ子”のイメージはあっても、『俺が江戸っ子だ』という人には会ったことがないと、本物の”江戸っ子”を探すために、深川を旅することに。江戸時代、深川には、木を扱う職人や江戸前の魚を獲る漁師が多く暮らしていたことから、気風(きっぷ)のよい江戸っ子気質が育まれて、今もその文化や伝統が引き継がれている場所です。

隅田川沿いで待ち合わせた、鶴瓶さんと高橋さんは、早速、散歩の途中にベンチで休む、『俺が江戸っ子』という男性と出会います。元は焼き鳥屋のご主人だったそうで、確かに見た目も、口の悪さも?、江戸っ子らしい(笑)。

二人が、万年橋の北岸の「川船番所跡」から、深川へと歩いて行くと、小さな立ち食いそば屋「芭蕉そば」を見つけ、訪ねてみることに。元は麻雀屋だったそうですが、ご主人が身体を壊して、朝早い仕事にしたら健康になるんじゃないかと、朝5時開店の蕎麦屋に転身したそうです(笑)。鶴瓶さんと高橋さんは、せっかくだからと、”冷やし芭蕉そば”と”いなり”を頂きました。この辺りは、松尾芭蕉ゆかりの地で、近くには「芭蕉記念館」などもあります。店のご夫婦に話を聞くと、この先には、「元大鵬部屋」「北の海部屋」「尾車部屋」「錣山部屋」「高田川部屋」と5つの相撲部屋があり、お相撲さんも食べに来るそうです。

そこで鶴瓶さんは、相撲部屋に行ってみようと、高橋さんを誘って、知り合いの「錣山部屋」(しころやまべや)を訪ねることに。ちょうど地方巡業の時期で、親方(元関脇・寺尾関)は留守でしたが、女将さんが迎えてくれました。イケメンで名を馳せた寺尾関ですが、奥さんもとても美人。鶴瓶さんは、高橋さんに、その美人と知り合いであることを自慢したくて、しきりに『おかみキレイでしょ』を連呼します(笑)。そこへ次々と帰ってきたのは、ケガで休業中の二番弟子の刃力と、引退して保育士の資格を取るために部屋に居候させてもらっている一番弟子の元・寺尾藤、180キロある寺尾翔、相撲教習所に通っている新弟子の寺尾若の4人。女将は、彼らがひとり9把も食べるそうめんを、これから茹でるんだそうです。特に一番食べる寺尾翔は、寿司なら100貫以上と(驚)。鶴瓶さんと高橋さんが、寺尾翔の胸を借り押してみますが、びくともしません(汗)。

ここでスタジオから、深川のお江戸な魅力をビデオ紹介。紹介してくれるのは、深川に住む高橋さん達。

まずは、江戸三大祭りのひとつ「深川八幡祭り」。神輿に水を掛けることで、担ぎ手と観衆が一体となる、深川の夏の風物詩です。
 次は、江戸の美を感じることができる「橋」。永代橋、萬年橋など、江戸時代に初めて架けられた深川にある橋は、葛飾北斎の「富嶽三十六景」など、浮世絵にも数多く描かれています。
 最後は、お土産としても人気の「深川めし」。深川めしとは、あさりの炊き込みご飯や、あさりの煮汁をかけたぶっかけ飯のこと。その始まりは、江戸時代に深川の漁師が仕事の合間に食べた”まかない飯”だそうです。

大鋸一人旅になった高橋さんは、3代以上東京で生まれ育った生粋の江戸っ子を探して、さらに旅を続けることに。まずは、区役所に転入届を出しに行くという錣山部屋の寺尾若と一緒に、江戸川区役所に併設されているに「深川江戸資料館」を訪れることにします。すると道すがら、3代続く呉服屋の若女将という女性と出会い、一緒に資料館を見学することに。深川江戸資料館は、江戸時代の深川の街並みを再現し、当時の庶民の生活を直に体験できる施設です。木場の職人夫婦が住んでいるという設定の長屋の部屋には、材木を切るための大きなノコギリ「大鋸」(おが)が掛かっています。大鋸で材木を切った時に出るから「大鋸屑」(おがくず)なんですね!勉強になりました。

一方、鶴瓶さんは、門前仲町の商店街に貼られた「富岡八幡宮 子供神輿連合」というポスターが気になり、出会った人に、祭の仕切りをしている人を知らないかと尋ねてみます。そこへ店の中から出てきたのが、居酒屋「あるびこっこ(Albicocco)」のママ、坂口せつさん。一緒に居た女の子は、なんと孫と曾孫と言うから驚きです。曾孫の桃ちゃんは、歌手を目指して勉強中とのことなので、店の2階にあるカラオケで歌を聞かせてもらうことに。鶴瓶さんがリクエストしたかったのは、AKB48の「365日の紙飛行機」でしたが、『365日のなんか』と言ったものだから、バラード歌手を目指している桃ちゃんが『歌えます』と言って歌ってくれた曲は、HYの「366日」でした(汗)。鶴瓶さんが江戸っ子を探していると話すと、せつさんは自分も三代続く江戸っ子だが、隣の「喜寿司」の店主も江戸っ子だと、席を外している間に、勝手に電話をして開店前なのに店を開けさせてしまうほど、せつさんは、せっかちで仕切り屋の、生粋の江戸っ子でした(笑)。

深川江戸資料館を出た高橋さんは、途中で出会った女性に案内してもらい、3代続く江戸っ子のご主人がいる呉服屋、「京呉服の店 田巻屋」を訪ねることに。店としては3代目ですが、東京に住んで4代目という若旦那は、高橋さんの江戸っ子のイメージとは違い、やさしそうな感じの人。そこへ帰ってきたのは、若旦那の母親の大女将。彼女の実家は、江戸時代から続く桶屋で、材木屋の娘だそうです。高橋さんが話を聞くと、早口で話のテンポが早く、まさに高橋さんの期待に応える江戸っ子ブリでした(笑)。

ここで、ちょっと一息、「家族に一杯」の時間です。

大鋸

やって来たのは、これぞまさに下町の台所という感じの砂町銀座商店街。ここで65年続く、そば・うどんの店が、「梅むら」。出された”うどん”は、お客さんが名付けた「塩うどん」です。味付けは、塩と砂糖だけという、透き通った汁が特徴的。常連客は、お酢をかけたり、ご飯に添えられた紅ショウガを入れたりと、さらに一工夫しても美味しいそうです。


高橋さんが、次は”てやんで~”とか”べらんめぇ~”といった口調の男性の江戸っ子に会いたいと、再び街を歩いていると、まさに粋で江戸っ子らしい男性に出会います。これから店に出るというこの方は、深川めしの店「深川宿本店」のご主人でした。これから仕事で忙しそうなので、出てきてくれた娘さんに、この辺で江戸っ子らしい人を教えて欲しいと頼むと、青年会の会長をしている酒屋「かねゑ越前屋」のご主人を紹介してくれました。
高橋さんが、さっそくその酒屋を訪ねてみると、生憎ご主人は配達に回っていて留守でしたが、奥さんに話を聞くと、創業1717年の江戸時代から続く酒屋で、ご主人で8代目だそうです。ご主人はお神輿が大好きで、総代(みこしの責任者)をやっているので、今月も子供神輿で大忙しとのこと。それを聞いた高橋さんは、ぜひ会いたいと、帰ってくる頃にまた訪ねることにしました。

長屋高橋さんは、酒屋のご主人を待つ間、長屋の景色が見たいと、墨田区に入って行きます。すると、スズキ自動車のエンジンの部品を作っているという、木型の工場と住居が繋がった古い長屋を見つけ、訪ねてみます。奥さんに話を聞くと、住居は、下が6畳一間で、2階は3畳と4畳半の二間の作りだそうです。高橋さんが中に上がらせてもらうと、古い造りながらも、木型職人のご主人が手作りした家財道具が置かれ、幸せそうな暮らしぶりでした。

鳥居鶴瓶さんは、坂口せつさんから聞かされていた、八幡様の入口にある赤い鳥居を見に、富岡八幡宮へやってきました。鳥居の裏に回ってみてみると、確かに大きく、寄進したせつさんの名前が掘られていてビックリです。
鶴瓶さんが境内を歩いていると、一組の夫婦と出会います。奥さんは、おなかの大きな妊婦さん。話を聞くと、外見的に日本人にしか見えないご主人は、実は中国人で、日本語はまったく話せないとのこと。そして、鶴瓶さんと普通に日本語で会話していた奥さんも、実は中国人だと聞かされ、鶴瓶さんは二度ビックリです。ご夫婦から、”鶴瓶”は中国語でフーピンと読み、中国語の”平和”(和平、フーピン)に発音が似ていて、とても良い名前だと教えてもらった鶴瓶さんは、とてもご満悦(笑)。

キラキラ商店街高橋さんが、長屋を抜けて出た先にあったのが、「キラキラ橘商店街」。とても東京とは思えない、昔ながらの人情味あふれる商店街でした。小野アナウンサー曰く、『まるで映画のセットの様』。やきとり屋の店先で、揚げたての唐揚げを頂いた高橋さん、お金を払おうとしても、奥さんから『おつりだよ!』と、そのままお札を返されてしまいます。そこで高橋さんは、『釣りはとっとけ!』と(笑)。

鶴瓶さんは、門前仲町に住んでいる友人で、元相撲取りの「大至」さんを思い出し、電話で呼び出すことに。大至さんは、相撲甚句(江戸時代から相撲の巡業などで披露されてきた七五調の囃子歌)の名手で、大至さんの経営するスナック「ひびき」にお邪魔して、「江戸の花 ままになるなら」という歌を聞かせて頂きました。

高橋さんが、再び1717年から続く酒屋「越前屋」に戻ると、ちょうど8代目のご主人が帰ってきていました。先に奥さんから電話で伝えられたというご主人は、『何喋ればいいだよ、わかんねぇ~よ』ってな感じで、まさに江戸っ子丸出し(笑)。昔よく銭湯に居た、熱湯のような熱い風呂に『ヴェェ~』と言いながら浸かるオヤジさん達の話で盛り上がりました。9代目の若旦那も、既に貫禄十分で、孫もお神輿が大好きだそうです。来年は、深川八幡祭りの本祭りで、大人神輿も出ます。そこで高橋さんには、この町会の半纏を着て、神輿に肩を入れてもらうことになりました!。

 


番組内で紹介された 江東区・墨田区 深川の名物など

 

 平成28年10月24日  新潟県南魚沼市(古舘伊知郎さん) ~古舘伊知郎とトークバトル~

旅のゲストは、元テレビ朝日アナウンサーの古舘伊知郎さん。当時は、プロレスやF1レースの実況を担当し、類まれな語彙センスと独特のボルテージの高さは『古舘節』と呼ばれ、ファンから絶大な支持を受けました。1984年にテレ朝を退社し、フリーアナウンサーの道に。フリーになってからは、NHKにも度々出演しており、1991年度のNHK連続テレビ小説「君の名は」には、俳優として出演。1994年から1996年までは、NHK『紅白歌合戦』の白組司会を担当、民放出身のアナウンサーとして初めて紅白の司会を務めました。2004年度からテレ朝で、久米宏さんのニュースステーションの後継番組、「報道ステーション」の初代メインキャスターを務めましたが、今年3月末で降板。

古舘さんは、報道ステーションを降板してから新番組の構想を温めていて、スポニチのインタビューに、『“鶴瓶の家族に乾杯”みたいな番組を民放でできないだろうか。あれはNHKが全国に張り巡らした情報網と、言葉を必要としない鶴瓶さんの笑顔があって初めてできるんです。僕は鶴瓶さんを“顔面国連軍”と呼んでます。でも、民放があえて弱点を抱えながらパロディーとしてやってみると面白いんじゃないですか。今のバラエティーはローリスク・ローリターン。ハイリスク・ハイリターンは無理だけれど、ミドルリスク・ミドルリターンは狙いたい。例えば“古舘の離婚に乾杯”とかね』(笑)と、語っています。

そんな古舘さんと、彼がインスパイアーする鶴瓶さんとの、「古舘伊知郎とトークバトル」の”ぶっつけ本番旅”。旅の舞台は、新潟県南魚沼市。南魚沼市と言えば、テーマは「お米」でしょう!。ロケは8月に行われましたが、放送は、まさに美味しい新米のコシヒカリが食べられる頃です。


ロケが行われたのは、8月26日(金)。

田んぼの中にある「木六神社」で待ち合わせた、鶴瓶さんと古舘さん。先に到着した古舘さんが、車から稲田の広がる景色の中に降り立つと、『まさに、稲穂の大海原。いいなと思うのは、緑の濃淡ですね。山あいの濃い深い緑と、人間が手入れをして作ってる、この水田の、緑の淡いグラデーションですか』と、さっそく古舘節がさく裂。それを聞いた鶴瓶さんは、『なにを言うてんねん、ようしゃべるな~』と呆れ顔(笑)。
旅の舞台は、新潟県の南部に位置する、日本有数の米どころ、南魚沼市。「南魚沼産コシヒカリ」といえば、絶大な人気を誇るブランド米。その美味しさの秘密は、冬に2メートルも積もる雪。その雪解け水が、ミネラルをたっぷり含んで流れてくるので、美味しいお米になるんだそうです。古舘さんは、『米どころで日本の原風景を見たい』と、南魚沼市を旅することに。

鶴瓶さんと古舘さんが、木六神社の境内で、『祭りの後に、こんな神社の裏にパンツやエロ本が落ちていて、子供の頃はよう探しに来た』と、猥談に熱中している所に、自転車に乗った2人の小学生の兄弟が近づいてきました。鶴瓶さんが、『家に連れてってくれよ』と話すと、『お婆ちゃんに怒られてばかりで、家はつまらない』と、逃げられてしまいます。子供を追いかけて、一軒のお宅を訪ねると、偶然にも子供の名前と同じ”関”さんの家でしたが、この辺りにはとても多い苗字だとか。勝手口から台所に居た奥さんを見つけた鶴瓶さんは、コシヒカリを炊いて欲しいと強引にお願いします。川遊び
そして二人は、ご飯が炊けるまでの間、孫たちが遊んでいるという、近くの「登川」(のぼりかわ)へ。清流の中で、子供たちが大勢、魚とりや水遊びを楽しんでいました。しかし、炎天下で川遊びを楽しむ子供らを見ている、スーツ姿で登場の古舘さんは、必死にハンカチで汗を拭いますが、額から次々に吹き出す汗が止まりません(汗)。

ここでスタジオから、その南魚沼市をビデオ紹介。紹介してくれのは、南魚沼市コミュニティFM「エフエム雪国」の、飯田アナウンサー。豪雪地帯ならではの、雪にまつわるリポートをしてもらいました。
まず、日本酒を作っている酒蔵の倉庫を訪ねると、雪を使って日本酒を冷やし熟成させていました。雪国では、こうした”雪室”(ゆきむろ)が活用されています。
続いて訪れたのは、市内のスキー場。夏には、山を一気に駆け降りる”マウンテンバイク”のコース、「八海山麓MTB PARK」となっています。そこで、地元のライダーによるレースを、小野アナウンサーが”古舘節”を真似して実況中継。『対決するのは、南魚沼の爆走王と、音速のコシヒカリ! 早い、早い、ここは奈落か坂道か~!』。アイルトン・セナを”音速の貴公子”と呼んだ古舘節のパクリですね(笑)。
最後は、雪をも解かす熱いお祭り、「浦佐裸押合祭り」。浦佐地区にある毘沙門堂では、毎年3月3日に、2メートルもの雪が積もる中で、裸になった地元の男たちが、五穀豊穣と家内安全を願い、『サンヨー、サンヨー!』と叫びながら押合います。

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感想(18件)

そろそろご飯が炊けた頃と、鶴瓶さんと古舘さんが関さんのお宅に戻ってみると、まだ食卓には何も乗っていません。きっと奥さんは、お米を水に浸してから炊いてくれたんでしょう。まだ、ご飯が炊けるには時間がかかるそうです・・・(汗)。そこで、遠慮のない鶴瓶さんは、スイカを切ってもらったり、ご飯のおかずにと、茄子の味噌炒めや、かぼちゃの煮っ転がしなどを作って出してもらい、大満足。すると鶴瓶さん、『この辺りは、お酒もおいしんでしょ?越乃寒梅とか?』。するとご主人、『この辺は、鶴齢か、高千代か。カクレイ、飲みますか?』と。そこで鶴瓶さん、『来週、再検査を受けないとならないからダメです』と一旦は断りますが、一升瓶を出されると、ラベルに”鶴”の字が入っているのを見て、『これは飲まなあかんな!すんません』と(笑)。その、遠慮と強引が入り混じった鶴瓶さんの態度を見て、古舘さんが付けた呼び名は、”心の公然わいせつ”(笑)。

ようやく炊きたてのコシヒカリを、おにぎりにしてもらって頂いた鶴瓶さんと古舘さん、本当に美味しそうでした。なかなか炊き上がらなかったご飯でしたが、三菱のIHジャー炊飯器「本炭釜」で”芳醇炊き”コースで炊いてくれたそうで、思った以上に時間は掛かりましたが、研ぎたてでも美味しくご飯が炊けたようです。その間、ご夫婦の馴初め話にも花が咲きました。そして、鶴瓶さんのおにぎりを掴んでいた手は、『一杯だけ』と言いながら、いつの間にかまた、日本酒の入ったグラスに代わっていました(笑)。


一人旅になった古舘さんは、田んぼの中に建つ、農協の巨大なサイロを訪ねてみることに。そこで、トイレ掃除をしていた農協の職員さんに出会った古舘さんは、強引にトイレ掃除を手伝う代わりに、お宅にお邪魔させて欲しいとお願いをします。子供が生まれたばかりで、奥さんの実家に間借りしているそうですが、奥さんに電話を掛けて相談すると、片付けるので30分ほど時間が欲しいと言われますが、それでも訪問の許可を頂きました。暫くして、古舘さんとご主人が実家を訪ねると、生後1ヶ月の赤ちゃんを抱いた奥さんと、お母さんが出迎えてくれ、夫婦の馴初めや、暮らしぶりについて話を聞くことが出来ました。すると、お母さんのご主人は、娘の結婚式の一週間後に亡くなられたそうです。それまで10年間も寝込んでいたらしいですが、娘の結婚式まで頑張れ頑張れと励まし、挙式が終わると今度は新婚旅行から戻るまで頑張れと励まし、新婚旅行から戻った娘の顔を見て、息を引き取ったとのこと。スタジオでは、挙式の当日、式に出席できなかったお父さんのためにと、式場の計らいで花嫁姿でお父さんの病室を訪ね写真を撮ってもらった、二人のツーショット写真が披露されました。あまりのドラマチックな出会いに、古舘さんは『トイレの神様のおかげ』と。

田んぼの中のお菓子屋さん一方の鶴瓶さんは、まさに名前の通り、田んぼの中の畦道に立てられた「田んぼのなかのお菓子屋さん」という幟を見つけ、訪ねてみることに。すると、一軒の民家の玄関わきが、古舘さん曰く『日本昔し話みたい』に、お菓子屋さんの店構えに改築されていました。鶴瓶さんが、玄関を開けて中を覗くと、お菓子を作っているお嫁さんと、お母さんが出てきてくれました。店はオープンして1年程経つそうですが、まだ誰も知らないと・・・(汗)。お母さんの話では、親には相談も無く、息子と嫁が勝手に台所を狭くして店を作ってしまい、『私はたまげました』と。そこで鶴瓶さん、『景気づけに買うやんか、どんどん』と、スタッフの分までアイスコーヒーを注文して大盤振る舞い!(笑)。


山菜だらけ蕎麦ここで、ちょっと一息、「家族に一杯」の時間です。
 やって来たのは、清水地区という山あいの集落。今日のお店は、登山客に人気の「上田屋食堂」。このお店のメニューは、「山菜だらけそば」(900円)の一種類のみ。山盛りに盛られた蕎麦と山菜は、山に登る人の活力としておなか一杯になって欲しいというご主人の願い。山菜は、すべてご主人自らが採ってきたもので、季節によって種類が変わるそうです。

塩沢地区に移動した古舘さんは、道すがら、「鶴齢」と書かれた工場らしき建物を見つけ、訪ねてみることに。そこは、鶴齢の酒造元、「青木酒造」の酒蔵でした。出会う人によって、「鶴齢」は”辛口”という人に、”甘口”という人が居て、本当はどんな酒なのかと気になっていた古舘さんは、杜氏の今井さんに案内してもらい、酒蔵を見学させてもらいました。杜氏さんの話によると、人間の味覚は人によって違っていて、お酒の味は、甘み、酸味、苦み、渋み、辛みといった”五味の調和”と言われており、その他にもコクとか醍醐味といった多様な味が全部調和されてひとつの味になっているので、そのどれを一番感じるかは、人それぞれなんだそうです。

古舘さんが、酒蔵の裏手に建つ社長のご自宅を訪ねると、美しい和風庭園が広がります。御年90歳の曾お婆さんの話によると、今の季節は見て美しいと思うかもしれないが、雪国なので雪囲いが大変で、冬になったら逃げだしたくなるとのこと。
古舘さんが続いて訪ねたのは、青木酒造の向かいにある、創業300余年の青木酒造の蔵を移築して作った喫茶店で、次男が営む「OHGIYA Cafe」(オーギヤカフェ)。

南魚沼市の卵屋鶴瓶さんも、古舘さんを真似してか、たまたま見つけたお宅で、洗濯物を取り入れる女性の手伝いをすることで、ご家族との交流機会をゲット!。4人姉妹なんだとか。「田んぼのなかのお菓子屋さん」でも、歳の離れたお姉さんが親代わりという話を聞いていた鶴瓶さん、自分の姉も湯沢に嫁いでいることを思い出し、懐かしくなって電話をしてみることに。すると、鶴瓶さんは湯沢だとばかり思い込んでいましたが、実は南魚沼市に住んでいると分かり、会いに行くことに。

鶴瓶さんが、お姉さんがたまたま訪れていたタマゴ屋さん「我家の卵」を訪ねると、姉の旦那さんと、店を営む友達夫婦が出迎えてくれました。”たまご屋さん”とは、自家養鶏卵と自家栽培のお米を使った、卵料理を出す食事処でした。家族に乾杯も20周年、自分の家族も出していいかと、鶴瓶さんの親兄弟「駿河家」(鶴瓶さんの本名)の家族談義で盛り上ります。泊っていけという話に、鶴瓶さんは、明日の朝、映画「後妻業の女」の公開舞台挨拶があるからと断ります。ニヤケながら『ベッドシーンね』と話す鶴瓶さんに、昨日ちらっと見たというお姉さんは、『すごいイヤらしい顔してた』と(笑)。お姉さん、鶴瓶さんに本当にソックリでした!。

 


番組内で紹介された 南魚沼市の名物など

 

 平成28年10月17日  京都府京都市(佐藤健さん) ~就活応援SP~

旅のゲストは、俳優の佐藤健(さとう たける)さん。現在27歳ですが、2010年には大河ドラマ「龍馬伝」で時代劇初出演も果たし、”人斬り以蔵”と呼ばれる岡田以蔵役を熱演されていました。

佐藤さんは、一昨年の9月に、鶴瓶さんと滋賀県大津市を旅しました。その時は、主演映画「るろうに剣心」のゆかりの地である日吉大社から旅をスタートさせ、『道を極めた人に会いたい』と、最後は比叡山で、千日回峰行を成し遂げた光永圓道(みつなが えんどう)阿闍梨(あじゃり)さんに出会うことが出来ました。最後にスタジオで、阿闍梨さんから佐藤さんに、『依心えしん(身)より依所えしょ』(最澄の教えで、拠り所となる場所の大切さを説いた言葉。人と人、心と心の繋がりばかりに目が向きがちな世の中ですが、今後さらに何か大きな事を成し遂げようと思った時、何かに集中できる場所、心落ち付く環境を探してください。)という、ありがたいお言葉が届けられ、それを聞いて私も大変感動したことを覚えています。
一昨年の詳しい放送内容は、ここをクリック鶴瓶の家族に乾杯 | 滋賀県大津市(佐藤健さん)」をご覧ください。

今回の旅の舞台は、京都府京都市。京都の観光客数は、なんと年間5,700万人。佐藤健さんがロケをして、観光客が大変なことにならないかと、小野アナウンサーも心配です。また、京都市には大学が38校もあり、学生の数は人口の約10分の1。就職活動をしたことのない佐藤さんは、「就職活動中の大学生の応援」をしたいと、京都市を訪ねることに。


ロケが行われたのは、7月23日(土)。京都府京都市の鴨川の河川敷で待ち合わせた、鶴瓶さんと佐藤さん。グラウンドで練習中のサッカー少年たちが、ロケ中のテレビ撮影クルーを見つけ集まってくると、『つるべゃ!』『るろうに剣心ゃ!』と大騒ぎになってしまいました(汗)。

就職活動中の大学生を応援したいという佐藤さんは、京都に数多ある大学の中から、鶴瓶さんの母校(中退だそうですが(^_^;))の「京都産業大学」に行きたいと訴えます。そこで鶴瓶さんは、大学に勤めている同級生の藤本さんに電話をして、テレビ撮影の許可と案内をお願いすることに。すると、そのロケバスの横を、自分の身体より大きな荷物を抱えた女の子が歩いて行きます。鶴瓶さんが気になって声を掛けると、今から大きなコントラバスを持ってバスに乗り、奈良の母校まで演奏をしに行くという、京産大の女子大生でした。

藤本さんの案内で、鶴瓶さんと佐藤さんは、京産大の就職課(進路就職支援センター)を訪問すると、面談に来ていた2人の女子大生と職員の方に、就職活動に向けたインターンシップ・プログラムなどについて話を聞きました。佐藤さんを見つめ、『まるで目がアーモンドの様』と顔を赤らめる女子大生に、鶴瓶さんが俺の目は?と尋ねると、『じゃこ』と(笑)。

ここでスタジオから、京都の町をビデオ紹介。テーマは、「就活生にお勧めのスポット」。案内してくれるのは、先の京産大の女子学生の二人です。
 まずは、京都市の南にある「荒木神社」。社の周りにズラリと飾られた狐の人形の置物は、「口入稲荷大神」と呼ばれ、人と人の縁を結んでくれる神様。提灯を持った狐が、縁を導いてくれるそうです。そのため、就職にもご利益があると、全国から多くの就活生が訪れる場所になっています。人形は、願いが叶った人が神社に返しに来たものだそうです。
 次は、就活に疲れたら食べてもらいたい、「みたらし団子」。下鴨神社の御手洗池(みたらしいけ)の前にある「加茂みたらし茶屋」は、”みたらし団子発祥の地”と言われています。池に流れ込む水の泡を模ったのが、みたらし団子なんだそうです。


一人旅になった佐藤さんは、就活中の学生に会いたいと相談すると、職員の方が、オープンキャンパスのツアースタッフをしている学生の控室に居た、就活中の4年生に引き合わせてくれました。一人の女子大生は、今までに50社にエントリーシートを出して、20社の面接を受けたそうですが、まだ内定は貰えていないそうです。その数字を聞いて、就活の大変さに驚かされた佐藤さんは、自分は『本当に俳優でよかったなって思う』と(汗)。
佐藤さんは、学生さんと二人で、集団面接の模擬面接を体験してみることに。すると、まず最初の挨拶で、『元気がないですね』とダメ出し(笑)。1分程度の自己紹介では、『これをやると決めたら、最後までやり抜くことが出来るところが自分の強みだと思っております』と話しました。その人格形成に役立ったのが「ゲーム」だそうで、得意なゲームを聞かれると、『ポケモンGOです!鴨川沿いがお勧めです』と(笑)。スタジオでは、佐藤さんの面接の採点が発表されました。就職課の鎌田さんの評価は、『ひとつひとつの話が長い傾向にあり、聞き手が飽きてしまいます』と、”63点”でした(笑)。
YouTubeその後、佐藤さんは、図書館やホールを巡りながら、学生との交流を重ねていきました。すると神山ホールでは、近くの京都府立北稜高校の吹奏楽部の生徒さん達が、大会に向けて実際のホールを借りて本番さながらの練習をしている最中でした。佐藤さんは、その演奏を聞かせてもらうことに。佐藤さんを見つけた女子高校生達は、『キャァー、キャァー』と、楽器より甲高い黄色い歓声を上げます。しかし演奏が終わり、佐藤さんが『素晴らし演奏に感動しました』と感想を話すと、大きな声でハキハキと、部活動をしている高校生らしく『ありがとうございました!』と、さっきの子らとはまるで別人の様。でも最後に、佐藤さんと集合写真を撮って握手してもらった生徒達は、『キャー!キャー!!』と、やはり素の女子高校生に戻っていました(笑)。

京都通 京都観光スポット案内一方、京都をよく知る鶴瓶さんは、古き良き町家の佇まいが残る上七軒を訪ねました。住民の方々に話を聞いて回ると、この界隈には、昔は45~6軒もの西陣織の機織り職人さんの家があったそうですが、今では3軒ほどになってしまったとのこと。その内の一軒、手機を織っているいるお宅を紹介してもらった鶴瓶さんは、家に上がらせてもらい、実際に手機織りの作業を観させてもらいました。
続いて、町家の家の中を見せてもらいに、亀田さんのお宅にお邪魔することに。案内してくれた奥さんは、家の前で待っていたご主人を鶴瓶さんに紹介するでもなく、素通りして家の中へ。ご主人曰く、『薄情なヤツや』と(笑)。昭和8年生まれのご主人はガンで余命半年と、笑いながら話すご夫婦に、鶴瓶さんもビックリ。実は、ご主人は鶴瓶さんの大ファンで、それを知っていた奥さんが、一生の記念にと、どうしても鶴瓶さんを我が家に連れて来たかったんだそうです。『この放送を見ないで死んだらあきませんで』と、長生きを願って二人と握手を交わす鶴瓶さんでした。

ここで、ちょっと一息、「家族に一杯」の時間です。
 やって来たのは「祗園」。江戸時代から続く、日本最大の花街です。この路地で、40年続くうどん屋さん「祇をん 萬屋」(よろずや)で頂く本日の一杯は、「ねぎうどん」。京野菜の九条ネギが、1杯に8本も使われていて、麺が見えないほどの量です。壁には、お店にお世話になった芸子さん達の団扇が飾られています。


さて、ここから後半。

鶴瓶さんが、次の出会いを求めて鴨川にやって来ると、旗を振りながら”よさこい”の練習をしているグループを見つけます。来月8月に、高知の「よさこい祭り」に併せて開催される「よさこい全国大会」に向けて、練習をしている最中だそうです。その隣でも、4つの大学の合同サークルという大勢の学生達が、来月の大会に向けて、よさこいの練習をしていました。鶴瓶さんがよさこい踊りを見せてくれと頼むと、まだ今日練習を始めたばかりで無理とのこと。そこで、2005年から京都の学生達に引き継がれてきた、よさこいに似た踊りジャンル「京炎そでふれ!」踊りのスペシャルバージョン・ダンス、略して「スペバ」を踊ってくれることに。数十人もの大学生が、土埃が濛々と巻くなか、元気で明るい笑顔でスペバを熱演してくれて、鶴瓶さんもたいへん感動しました。

大学を後にした佐藤さんは、京都らしいモノを見たいと、舞妓さんを探して花街のある「宮川町」へ向かいます。すると運よく、さっそく舞妓さんに出会うことができました。出会ったのは”千賀明”(ちかさや)さんで、なんと16歳。舞妓さんに憧れる女の子たちの多くが、中学を卒業すると京都に出てきて、歌舞練場で芸を学ぶんだそうです。彼女が住み込みで芸を学んでいるお茶屋さん、「駒屋」のカウンター・バーに上がらせてもらった佐藤さんは、若女将や、舞妓の先輩の”とし純”さんと、芸子の”とし夏菜”さんに、お茶屋のことや芸子になるまでの生活ぶりについて話を聞かせてもらいました。千賀明さんは、白塗りの額に大きな汗がこぼれますが、とし夏菜さんは、日本髪を結っておらず、着物も夏らしく涼しげな浴衣姿です。聞くと、「からあげ」と言って。お客さんと食事を一緒させてもらったり、お芝居を観に行ったりするときの支度なんだそうです。

鶴瓶さんは、昼の祗園を見てみたいと、街を散策します。たまたま見かけた犬を散歩中の女性に声を掛けると、お宅の隣が「能面教室」と聞き、鶴瓶さんは興味津々。しかしこの日は、生憎と休みで、教室の先生で能面師の中村光江さんも不在。そこで鶴瓶さんは、女性のお母さんに案内されて、向かいの「デゴイチ」を訪ねることに。店内に入ってみると、鶴瓶さんもビックリ。そこは日本最大級という鉄道ジオラマがウリの、レストランでした。デゴイチのテーブルに座った鶴瓶さんは、案内してくれたお母さんに、以前古美術商をしていた当時のお爺さんやお父さんの話を聞かせてもらったり、デゴイチのご主人には、お店の話やジオラマについての話を聞きました。

佐藤さんが、次の出会いを求めて花街・宮川町を歩いていると、かき氷の看板に誘われて、路地の奥にあった「氷処 よし栄」さんを訪れます。するとそこは、夜はスナックをしているというお店で、女将の濱野さんは元芸子さん。カラオケを置いていない代わりに、三味線を弾いたりしてお客さんを楽しませていると聞いた佐藤さんは、ぜひその三味線を聞かせて欲しいとお願いします。すると濱野さん、『かなわんなぁ~、ギャラもらわんと』(笑)と言いながらも、祗園小唄を披露してくれました。『月はおぼろに東山~』と、すばらし歌声です。芸子さん時代は、さぞかしおモテになったことでしょう!。当時の芸名は菊千代さんと言って、勝新太郎さんや市川雷蔵さんらの御座敷にも呼ばれて出ていたそうです。また、映画で所作指導もされていたことがあり、最近のハリウッド映画には一言あるようですが、そこは花柳界の人。テレビでは言葉を飲み、若い人たちにエールを送ってくれました。

 


番組内で紹介された 京都市の名物など

 

 平成28年10月3日  兵庫県西宮市(佐渡裕さん) ~鶴瓶地元へSP~

旅のゲストは、指揮者の佐渡裕(さど ゆたか)さん。その方面に疎い私でも、「題名のない音楽会」(テレビ朝日)の司会者と言われると分かります!。

佐渡さんは、前回は2014年11月に、熊本県南阿蘇村を旅しています。南阿蘇村は、先の熊本県地震で甚大な被害を受けた場所です。心よりお見舞い申し上げます。なお、当時ロケに出演されていた、南フランスの家庭料理の店「ボンジュール・プロヴァンス」や、カフェ「のほほんcafe ボワ・ジョリ」、薪ストーブ専門店「くぬぎの森」、ミニコンサートが開かれたカフェ「ティッペル」の方々は、何とか無事で、現在復興に向けて頑張られている情報も伝わってきています。
そこで佐渡さんは、今年7月に、熊本市でコンサートを開催しました。(参考情報→ NHKおはよう日本「指揮者 佐渡裕さん 被災地で学んだ音楽の力」)

今回の旅の舞台は、兵庫県西宮市。実は当初の予定では、また南阿蘇村を訪れる予定だったのですが、ロケ当日に台風12号が熊本県沖を北上中で被害も予想されるなか、訪問を自粛することに。そこで急遽、お互いの地元である西宮市を旅の舞台に選んだそうです。西宮は、鶴瓶さん(大阪市出身)の自宅がある街です。また佐渡さん(京都市出身)は、西宮市の隣にある芦屋市に住んでいて、西宮の中心街にある「兵庫県立芸術文化センター」(愛称:芸文)の芸術監督を務めていることから、とても縁が深い場所です。


ロケが行われたのは、9月5日(月)。阪急西宮駅にほど近い「高木公園」で待ち合わせた鶴瓶さんと佐渡さんの二人。公園で子供を遊ばせているママ友に話を聞くと、地元出身で、阪神・淡路大震災の時は9歳だったとか。その子が既に結婚して、一児のママに・・・。時の経つのは早いものです(汗)。
さて、今回の旅のテーマは、鶴瓶さんと佐渡さんとで『どっちが面白いか!?』。佐渡さんは、この番組にゲスト出演すると、いつも鶴瓶さんに『今度は勝ちましたな~、アハハハハー』と話すそうで、それが鼻に付く鶴瓶さん(笑)。今回は”二人旅”は無しで早々に別れ、どちらがすてきな出会いができるかを勝負することに!。

さっそく鶴瓶さんと分かれた佐渡さんは、公園を出た所で、『子供が芸文のコンサートで、佐渡さんに琴の指導をして頂いた』と話す女性に出会います。さっきまで、近くの高木幼稚園でお母さん達のコーラスの指導をしていたところという話を聞いた佐渡さんは、『もう終わったの、残念。もう一回、再集合してくれへんかな?』と。そこで、一緒に「高木幼稚園」に行ってみると、まだ数人のお母さん方が残っていて、園長先生が子供のお迎えの時間に合わせて再集合を掛けてくれることに。午後1時半に再会の約束を取り付けた佐渡さんは、『これは鶴瓶に勝ったな!』と高笑い(笑)。勝利宣言

一方、勝負に勝ちたい鶴瓶さんは、佐渡さんには内緒で、事前に秘策を練っていた目的地、「甲子園球場」へ向かうことに。どうしてあんな煩い所に住んでいる人がいるのか、とても気になっているそうです(笑)。

球場の周りを歩いていると、入口に変わったデザインのタオルやTシャツが沢山飾られた、一軒のお店が気になり、訪ねてみることに。そこは、以前にオリックスのユニフォームも手掛けたことがあるデザイナー、松田武士さんのお店「ビート魂ショップ 」でした。松田さんから、甲子園(504エン)のTを貰った鶴瓶さんは、さっそく着替えてみることに!。

ここでスタジオから、鶴瓶vs佐渡の勝負同様に、目が離せない西宮市の名勝負を紹介。
 まずは、”えべっさん”の愛称で親しまれている「西宮神社」。ここでの名勝負が、毎年1月10日に行われる「開門神事 福男選び」。開門と同時に、数千人の参拝者が本殿までの230メートルをいっせいに駆け抜けます。

次は、若い女性たちが大勢集まる目的のひとつ、市内に凡そ50店舗もの洋菓子店が軒を連ねる、”スイーツ激戦区”。代々伝わるパティシエの味が世代を超えて家族に愛される店「ELBERUN(エルベラン)」、全国からファンが集まる店「TSUMGARI(ツマガリ)」、テレビ東京系列の『TVチャンピオン ケーキ職人選手権』で優勝し、チャンピオンの名を勝ち取ったパティシエが腕を振るう店「Eiji Nitta(エイジ ニッタ)」などがあります。

にしきた ずっと節高木幼稚園でママさんコーラスの指導をすることになった佐渡さんは、芸文の近くにあって、いつもお世話になっている「公同幼稚園」に、一応義理を通して挨拶しておくことに(笑)。生憎と園長先生は、今週行われる稲刈り行事の下準備に出掛けていて留守で、菅沢順子先生が応対に出てきてくれました。そこで佐渡さんは、芸文の大ファンの家族を紹介してもらうことに。佐渡さんが幼稚園の中に入ると、子供たちが寄ってきてくれて、一緒に「にしきた ずっと節」(芸文のオペラのための前夜祭で踊られる地元の音頭)を踊ってくれました。本当に可愛らしいこと(笑)。

甲子園球場近くの住宅街を歩いていた鶴瓶さんは、あるお宅の玄関先で、素敵なマダムと出会います。これから奥様方4人で、日本料理店「あめ婦」(あめふ)でお食事と、知り合いのマダムがベンツでお出迎え。
残された鶴瓶さんは、たまたま実家に遊びに来ていた、近所に住む娘さんとその友達に話を聞くと、甲子園の駅前にあるフィットネスクラブ「スポーツクラブVivo in ノボテル甲子園」でインストラクターをしているとのこと。そこで鶴瓶さんが、『今朝、家の周りを落語の稽古をしながら散歩していたら、溝にはまって肩が痛い』と相談すると、腕が上がらないなら鎖骨が折れているかもしれないと言われ、心配になった鶴瓶さんは、急きょ氷を貰ってアイシングすることに。氷を出してくれたお父さんに話を聞くと、彼女の息子で21歳になる孫が、今でもしょっちゅう小遣いを貰いに来るそうですが、それでも来てくれると可愛くて仕方ないと(笑)。

佐渡さんは、公同幼稚園で菅澤先生に紹介された、芸文の大ファンという小林さんのお宅を訪ねることに。こちらも、とてもステキな佇まいのお宅。会ってみると、芸文が建てられる時分に自治会長をしていた縁で、これまで何度も会っていて、一緒に食事をしたこともある方でした。

西宮チャーシューメン「中華ひるね」ここで、ちょっと一息、「家族に一杯」の時間です。
 やって来たのは、大阪と神戸を結ぶ国道43号線。この道沿いにあるのが、本日のお店「中華 ひるね (定食 ひるま)」。今日の一杯は、大きくて分厚いチャーシューが3枚も載っていて、麺が見えないほどの「チャーシューメン」。これを食べるとパワーが出るというチャーシューメンは、なんと一杯650円(安!)。

ヨットハーバーを目指して西宮浜に移動した鶴瓶さんは、そこで出会った”ひとり好き”と話す社会人一年生の女の子や、癌を宣告されても”ガンになんか負けない”と元気に生活しているお父さんらとの交流を楽しみました。次に、子供たちと一緒に撮影風景を見学していた綺麗なお母さんに声を掛けると、近くの素敵なマンション「西宮マリナパークシティ・港のまちハーバーヴィラ」の最上階に住んでいるというので、お宅にお邪魔することに。すると、眼下にヨットハーバーが見渡せる素敵な景色。奥さんは、京都の出身だそうですが、阪神タイガースの大ファンで、結婚の条件が甲子園の近くに住んでいる人だったそうです。そこで、マンションの鍵を渡してくれた男性と、交際もせずに結婚を決意したとか(笑)。

佐渡さんが、在園生や卒園生の母親など24名が参加するコーラスグループ「With The たかぎ」の指導に高木幼稚園に戻ってくると、既に集まったお母さん達は、「365日の紙飛行機」を猛練習中。さすが佐渡さん、先に譜面をもらっていて、この短時間に下勉強してきたそうです。サビの部分を中心に、幾つかポイントを抑えながら練習していると、いつの間にか講堂には大勢の観客が集まって来ていました。いよいよ、大勢の園児とお迎えのお母さん方に、猛練習の成果をお披露目。佐渡さんは、フルートを取り出して、前奏や合唱の合間にフルート演奏を披露。園児らも大きな声で一緒に歌ってくれて、とてもステキなミニ・コンサートになりました!。

鶴瓶さんは、佐渡さんに電話を掛けると、『僕は今、浜のマンション”港のまちハーバーヴィラ”で、キレイな奥さんと2人でベランダにいます!』と、自慢気に話します。すると、佐渡さんもキレイな奥さんに会いたいと、マンションを訪ねることに。そこで、鶴瓶さんからリコーダーを手渡された佐渡さんは、阪神タイガースの大ファンの奥さんに、「六甲おろし」を演奏。さすがです!。

 


番組内で紹介された 西宮市の名物など

504○長袖Tシャツ[綿100%]

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