NHK『鶴瓶の家族に乾杯』 放送内容とロケ場所の情報!(令和元年度 下期)

各回の放送内容(あらすじ)と、ロケ場所となったお店の名前や取り上げられた名物・特産品の情報を集めてみました。

※ これ以前の放送内容は、放送回毎の放送内容(個別ページ)をご覧ください。
※ 今後の放送予定や、収録地・出演者(ゲスト)、再放送の予定などは、「放送予定のロケ地とゲスト情報!」のページをご覧ください。

 令和2年3月23日(月)放送 まさかの連続!? 市村正親と岡山県美作市ぶっつけ本番旅!

旅のゲストは、俳優の 市村正親(いちむら まさちか)さん。埼玉県川越市出身の71歳。舞台芸術学院を卒業後、後に二代目水戸黄門役で人気を博した西村晃さんの付き人を3年間務め、24歳の時に受けた劇団四季のオーディションに合格、翌年に劇団員となります。高い演技力が認められ、『オペラ座の怪人』で主役を演じるなど、1980年代には劇団四季を代表する看板俳優となりますが、1990年に劇団を退団。退団後は、舞台だけに留まらず、テレビドラマやナレーション、映画など幅広く活躍の場を広げ、エンターテナーとしての魅力をお茶の間にまで届けました。2019年10月からスタートした人気TVドラマ『ドクターX ~外科医・大門未知子~』の第6シリーズでは、ポルトガル語を操りダンスが上手な東帝大学病院副院長、ニコラス・丹下役を演じていました。また、映画『テルマエ・ロマエ』でのハドリアヌス役など、シリアスな役柄ながら笑いも誘えるキャラクター作りの絶妙な演技力は、市村さんならでは(笑)。市村さんが”家族に乾杯”に出演するのは、今回で2度目。前回は、平成27年(2015年)7月の放送で、ちょうど現在放送中の大河ドラマで舞台になっている岐阜県美濃市を、手漉き和紙と大好物の鮎を求めて旅しました。

今回の旅の舞台は、岡山県の北東端、県北部が属した吉備の美作国でも最も東側に位置し、北側は鳥取県と東側は兵庫県に接する、美作市(みまさかし)。2005年(平成17年)に、勝田郡勝田町と英田郡美作町・大原町・作東町・英田町・東粟倉村の5町1村が合併して、新たに誕生した市です。女子サッカーチーム「岡山湯郷Belle」(ゆのごうベル)の本拠地で、過去にはF1レースも開催されたことがある「岡山国際サーキット」等があります。美作国の名物B級グルメとして有名なのが、岡山のご当地グルメでもある「津山ホルモンうどん」や、「蒜山(ひるぜん)焼きそば」。市村さんは、焼きそばが大好物だそうなので、ひょっとして今回は、”焼きそば”が旅の目的では?(笑)。もう少し真面目に予想すると(汗)、美作市は、宮本武蔵の生誕地といわれ「武蔵の里」とも呼ばれています。なんと市内には、智頭急行智頭線の「宮本武蔵駅」があるとか!。市村さんは、2020年5月公開予定の映画『燃えよ剣』で、医者の本田覚庵役を演じますが、原作は司馬遼太郎の人気小説で、土方歳三の生涯を描いた同名作品。司馬遼太郎の代表作と言えば、『宮本武蔵』も有名。そんな宮本武蔵繋がりでの、美作市訪問だったりして?(笑)。

目撃情報にると、鶴瓶さんは美作三湯・湯郷温泉「季譜の里」を訪れたそうです。昨年5月にNHK BS1で放送された『元気すぎる70歳 市村正親の秘密』では、両手放しのY字バランスを披露した市村さん。今回は、どんな元気な姿を見せてくれるのか、とても楽しみです(笑)。


うめぼし公園ロケが行われたのは、2月16日(日)。『美作には古くから芝居小屋がある』という噂を聞いた市村さん、是非その芝居小屋に行ってみたいと、美作市を旅先に選んだそうです・・・(汗)。日本一と言うことは世界一でもあろう(笑)、巨大なうめぼしのオブジェが置かれた「うめぼし公園」(鷺湯公園)で待ち合わせた、鶴瓶さんと市村さん。美作国は梅の特産地で、美作市でも東粟倉地区を中心に梅の栽培が盛んに行われ、”市の木”は梅だそうです。そして、美作地方に古くから言い伝わるのが、「三歩(さんぶ)太郎」という巨人伝説。大蛇にもらった玉をなめて育った太郎が、雲をも突き抜ける大男となり、京の都まで三歩で歩いたとか(汗)。その三歩太郎が食べていたお弁当に入っていた梅干しこそが、この巨大オブジェのモチーフだそうです。でも、いくら太郎が巨人に成長したからと言って、梅までが巨大化するというのは・・・(笑)。

さっそく、市村さんの聞いた芝居小屋を探そうと歩き出した二人ですが、スタッフから『そっちは行き止まりです』と声を掛けられたのに、家があるからと、勝手に施設の敷地に立ち入る鶴瓶さん(汗)。そこは、美作市の上下水道課の施設で、玄関で出会った職員の丸山さんに芝居小屋のことについて尋ねると、旧作東町の粟井地区の方にあると聞いたことがあると教えてくれました。

街の通りに出た鶴瓶さんと市村さん、通りの角にあった酒屋「赤堀商店」の店先で、店主の赤堀さんと息子さんに出会います。”家族に乾杯”の収録と伝えると、おじいちゃんやお孫さん達も店に出てきてくれて、ご家族の暮らしぶりについて話を聞くことができました。芝居小屋について尋ねると、この辺りは「湯郷温泉」の温泉街なので、以前はストリップ劇場が何軒かあったようです(笑)。芝居小屋もあったのですが、その後そこもストリップ劇場になり、今は民宿「大黒や」を営んでいるそうです。

二人は、直ぐ近くという大黒やを目指して再び歩き始めますが、路地でこちらを避けるように不審な動きをする、男女が乗った車を見つけます。鶴瓶さんは『不倫じゃないか?』と勘繰りますが、気になった市村さんは車を追いかけて、運転をしていた男性に声を掛けます(汗)。二人は、不倫関係などでは全くなく、松浦さん父娘(笑)。娘さんは高校で演劇部に入っているそうですが、市村さんのことを知らず、ショックを受けます・・・。お父さんから、『奥さん(篠原涼子さん)のことは言ってました』と助け舟を出され、『そうか、そっちだね』と、変に納得する市村さんでした(笑)。

ここでスタジオから、美作市の魅力をビデオ紹介。小野アナウンサーによると、美作(みまさか)には、『まさか!?』と思ってしまう様な場所があるそうです!(笑)。
 湯郷温泉にある日帰り温泉施設の「村湯・療養湯」。中に入ると、施設は右の「村湯」と左の「療養湯」に分かれていて、『まさか!?』と思ったその通り、「村湯」には地域の人しか入ることが出来ません(笑)。地域のコミュニケーションの場として作られた温泉です。でも大丈夫、療養湯の方は誰でも入ることが出来るそうですよ(大人600円)。
 次は、「岡山国際サーキット」。GTレースの開幕戦や、過去にはF1も開催されたことがある自動車レースの聖地ですが、よく見ると『まさか!?』、一般車が走っている!、軽自動車まで!?。ここでは自分の車で体験走行ができるんだそうです。
 続いては、『まさか!?』の「宮本武蔵駅」。美作市は、二刀流で有名な剣豪・宮本武蔵が幼少期を過ごした場所。武蔵ゆかりの地として、「武蔵の里」とも呼ばれています。武蔵は、地元の神社で宮司が二本のバチで太鼓を打つ姿を見て、二刀流のヒントを得たと伝えられています。

大黒やを目指して温泉街へと続く路地に入ってきた、鶴瓶さんと市村さん。しかし、また道で出会った黒住さんに話し掛け、大黒やに着くのは何時になることやら…(汗)。黒住さんに誘われ、向かいのご自宅まで伺った二人は、奥さんと共に長年連れ添ったご夫婦の暮らしぶりについて話を聞きました。

黒住さんのお宅を出ると、はす向かいにあったのは、カレー屋さん。ちょうどお昼時だからと、二人はそのインド料理店「シボン」に入ることに。店内で『ナマステ』と迎えてくれたのは、インド人のマニッシュさんとブシアンさん、鶴瓶さんは『いつ大黒や行けんねん!』と(笑)。カレーとナンのセットを頂きながら、お二人に話を聞くと、マニッシュさんは日本に来て15年、永住権も得て、インドにいる奥さんと子供を日本に呼ぶことにしたそうです。はとこのブシアンさんは日本に来て10年、やはり奥さんと3人の子供はインドにいるそうです。以前は津山でカレー店を開いていたお二人ですが、5年前に突然家主から退去を求められ、知人の紹介で美作に移転して来たそうです。さらに話を聞くと、店の2階は旅館だとか!?。なんと、この建物自体が元々の大黒屋で、「大黒地球安館(だいこくまるあんかん)」と言うそうです。2階が民宿「大黒や」。そこに挨拶に出てきてくれたのは、大黒屋オーナーの尾高さん。詳しく話を聞くと、昔は芝居小屋だったそうですが、それが活動写真から映画館になり、ヌード劇場になり、父親が家出して、一人になった母親が2階で民宿を始めたんだそうです(汗)。空いた1階を借りてくれる人がいないかと友人に相談したところ、その友人たまたま立ち寄った津山の美味しいカレー屋で3日後に追い出されると聞き、急きょ移転の話がまとまったとか(笑)。

ここで別れることにした、鶴瓶さんと市村さん。

一人旅になった市村さん、本来の旅の目的である芝居小屋を探そうと歩き出しますが、そこで見つけたのは、レトロ感漂う「あの日のおもちゃ箱 昭和館」。面白そうだと、立ち寄ってみることに。歓待してくれたのは、オーナーの竹中さん。建物の中も外も、大正から昭和にかけてのオモチャやら雑貨やらでいっぱいです!。戦後に流行った手で玉を1個ずつ入れる手打ち式のパチンコ台や、大正から昭和初期にかけて作られた1銭玉で買う駄菓子の木製自動販売機など、昭和24年生まれの市村さんにとっても懐かしい物から珍しいものまで沢山あり、遊んでいると時を忘れそうです(笑)。

一方の鶴瓶さん、新たな出会いを求めて温泉街を歩いていると、見つけたのは湯郷温泉の足湯「ふれあいの湯」。雨が降って寒さを感じていた鶴瓶さん、ちょうど良いと、大勢の先客が入っていた足湯に、自分も入らせてもらうことに。隣で足湯に入っていたのは、岡本さんご夫婦。単身赴任中の夫を訪ね、大阪から奥さんが出掛けて来たとか。奥さんが一人で来たと思いきや、詳しく話を聞くと、向かいに座って湯に足を入れているのは、奥さんのお母さんだそうです!。実は奥さんの兄、小山さんも岡山に単身赴任していて、その奥さんやら実家のお父さん・お母さんらも一緒に、湯郷を訪れたとか。暫くすると、お風呂に入っていたお兄さんやお父さんも合流。偶然にも、足湯に浸かったら大家族と出会うことが出来て、大喜びする鶴瓶さんでした(笑)。

芝居小屋を探して、最初に出会った美作市役所職員の丸山さんに聞いた旧作東町の粟井地区を訪ねた市村さんですが、雨の降る山間の集落を歩いていても、人と出会える気配は全くありません…(汗)。すると、なんと人気の少ない山村で、”営業中”の幟が立つベーカリーを発見!。そこは、パン工房「フォーゲル」(Boulangerie VOGGEL)で、店に入ると、店主の鳥形さんが応対してくれました。この先に芝居小屋があり、毎年10月に農村歌舞伎が演じられるそうですが、普段は誰も居ないと聞いた市村さん、無理を言って芝居小屋を管理している方の娘さんに連絡を取ってもらいました。以前は大阪でパン屋をしていたという鳥形さん、高齢の両親の面倒を見るために地元に戻り、このベーカリーを開いたそうです。『おひとついかがですか?』と勧められた市村さん、ピーナッツカレー(180円)を選びますが、スタジオの鶴瓶さんは『またカレーかいな!さっき食ったところや!』と(笑)。

ここでちょっと一息、岡山県美作市の「家族に一杯」の時間です。
 今日は、山ならではのものを頂きに、農家を訪ねます。用意してくれたのは、お父さんが獲ったという猪(いのしし)の肉。今の時期のイノシシは脂がおいしく、鍋にしたら最高に美味いそうです!。出して頂いたのは、本日の一杯、アツアツの「シシ鍋」。家族みんなが集まって、シシ鍋を囲んで食べるのが冬の楽しみなんだそうです。猪肉を頬張りながら、『イノシシや鹿のあの部位の肉が美味しいよな』と話すという、中高生くらいの娘さんが3人。小さいころから娘さん達3人は、、猪を獲ってきたらお父さんに向かって、『はよ切れ、はよ剥け、はよ捌け』と五月蠅かったとか(笑)。自家栽培の野菜の味も出ていて、最高に美味しいそうですよ!。ちなみに、今日の家族に一杯のコーナーのBGMは、『 明日あたりはきっと春』(はっぴいえんど)でした。

春日座市村さんは、パン工房の鳥形さんに教えてもらった、芝居小屋「春日座」へと向かいます。市村さんは、小屋の舞台で、蜷川幸雄さんに演出してもらった『NINAGAWA・マクベス』の一節を吐いてみたいとか。そのセリフは、ニューヨークのリンカーン・センターやロンドンのナショナル・シアター、香港やシンガポールでも言った同じセリフですが、芝居はその舞台の雰囲気によって違った魂がこもるので、美作の旧作東町にある粟井にある小屋で言ったらどういう響きになるのか?、自分でやっていながら自分も観客になったつもりで、とても楽しみだそうです(笑)。ようやく到着した「春日座」は、一部2階建ての延べ床400平方メートルもある大きな木造の建物で、回り舞台や花道を備え、板張りの客席は300人収容。スタジオの鶴瓶さんは、『こんな山の中にあんの!?』とビックリしますが、訪ねたのは裏手にある楽屋の入口。既に「粟井春日歌舞伎保存会」の副会長の安東さんの娘さんが、鍵を開けて待っていてくれました。しばらくすると、副会長のお父さんも訪ねてきてくれましたが、仕事中なのでテレビに出るのはマズイと帰ってしまい、『クソ~ お父さんめ、裏切られたわ』と娘さん(笑)。そこで、電話で広報を担当している有友さんを呼んでくれることに。すると、そこに車で通り掛かったのは地元の奥様方。娘さんが『ヘルプ・ミー、幸ちゃん』と声を掛け、皆さんで小屋の中を案内してもらえることに(笑)。舞台の壁には、これまで演じられてきた農村歌舞伎の写真が沢山飾られていました。平成10年から子供歌舞伎が始まり、その初代となった小学6年生で舞台に立ったのが娘さんの代だそうで、当時の写真もありました。現在の小屋は平成5年に建てられたそうですが、それ以前は近くの春日神社の前にあった小屋で演じられていたそうで、当時の古い白黒の写真も上の方に飾られています。上半身裸でステキな体格をしたイケメンの男性が、なんと幸ちゃんの旦那さんだとか(笑)。

足湯に浸かる鶴瓶さんを見に集まって来たのは、横に建つ立派なホテル「湯郷グランドホテル」の従業員の方々。以前に関西テレビの番組で泊まったことがあると思い出した鶴瓶さん、『僕が昔、泊まったの知ってます?』と声を掛けますが・・・、あれぇ~?。スタジオの鶴瓶さん、『ごめんなさい、後でよぉ考えたら兵庫県の湯村温泉でした』と(笑)。しかし、この時は泊まったことがあるホテルだとばかり思い込んでいた鶴瓶さん、懐かしんで挨拶をすると、なんと若女将とご主人の社長さんだとか!。そこでホテルに伺うことにした鶴瓶さん、先代の会長と大女将も呼んでもらい、ホテルのロビーで皆さんから、ホテルのことについて話を聞きました。先代は元は呉服屋さんだったそうですが、40年前にこのホテルを開業し、その後にもう一軒別のホテル「ポピースプリングス リゾート&スパ」も開いたとか。『ここのホテルのテーマは”笑顔”ですから』と話す、とても笑顔の似合う恵比須顔をした会長ですが、相当に頑張って来られたことでしょう。

すると、そこに挨拶に来てくれたのは、もう一軒のホテルを任されている次男のお嫁さん。ホテルでは、アロマテラピーのエステティシャンの仕事もされているそうです。そこで鶴瓶さん、そのもう一軒のホテル「ポピースプリングス リゾート&スパ」も訪ねてみると、そこもグランドホテルとはガラリと雰囲気の違う、ステキなホテルでした。鶴瓶さんはホテルのロビーでウェルカムドリンクのほうじ茶を頂きながら、二世代のご夫婦に、馴初め話などを聞きました(笑)。


市村さんが、地元の女性方に案内してもらい春日座の中を見学していると、写真に写っていた幸ちゃんのご主人、安東さんが駆けつけてくれました。お二人に馴初め話を聞く市村さん、高校生時代からのお付き合いだそうです(笑)。するとそこに、早水会長や広報担当の有友さんも次々に駆けつけてくれて、皆さんから「粟井春日歌舞伎」について話を聞くことが出来ました。歌舞伎の実演は、「春日神社」の秋祭りの宵宮と本宮の夜の2日間(10月の第2土・日曜日)に、2公演ずつ4回行い、全て満席だそうです。1年に1回だけの公演に備え、4演目の歌舞伎を日々練習して長年に渡って春日歌舞伎を受け継いでいる「粟井春日歌舞伎保存会」の有志の皆さんに感銘を受けた市村さん、ぜひ一節演じてもらいたいとお願いをします。すると、最初は遠慮していた早水会長ですが、ちょうど相手役の安東さんがいるので、『「麒麟がくる」に武智が出よるけ、あれ一緒にしよか』と、急きょ”絵本太功記(十段目) 尼ヶ崎閑居の場”を演じてくれることに!。

(早水会長) いやーいやー 武智十兵衛光秀(たけち じゅうびょうえ みつひで)しばらく待て~、真柴筑前守久吉(ましば ちくぜんのかみ ひさよし) 今改めて対面せ~ん。
(安東さん) いやー珍しや 加藤正清、武智十兵衛光秀が この世の引導 渡してくれ~ん。

いやー素晴らしい!お見事!(パチパチ)。急なお願いにも係わらず、即興で演じてくれた二人の見事な節回しに感心する市村さんでした。すると、スタジオの小野アナウンサー、なんと『安東夫妻の新婚当時に映像がNHKにありました』とのこと(驚)。番組のタイトルは、『ふるさとの四季 めでためでたの奉納歌舞伎 ~岡山県作東町~』(昭和58年放送)。小さな山里で歌舞伎を伝える若者が5人、相次いで結婚したことを伝えています。そこに登場した、当時24歳のご主人はとても男前、奥さんは初々しくてなんと可愛いこと(笑)。ビニールハウスでの農仕事の後、化粧をして女形を演じる安藤さんの美しい歌舞伎役者姿が、懐かしい映像で残されていました!。

こんどは市村さんの番とせかされ立ち上がる市村さんですが、舞台への階段を上ると、早くもスイッチが入った様です!。演じるのは、”マクベスの奥さんが亡くなった後に、マクベスが人生を思って語るセリフ”だそうです。

(市村さん) 明日 また明日 また明日、時は小刻みな足取りで一日一日を歩み、ついには歴史の最後の瞬間に辿り着く。昨日という日はすべて、愚かな人間が塵と化す、死への道を照らしてきた。消えろ 消えろ、つかの間のともし火。人生は影法師、あわれな役者だ。舞台の上で おおげさに見栄を切っても、出場が終われば消えてしまう、白痴の喋る物語だ。わめき立てる響きと怒りは 凄まじいが、意味は何一つありはしない。

演じ終えた後で市村さんは、『役者は好きでやっている職業なんだけど、お客さんが幸せになってくれることが嬉しい』と、芝居への思いを語りつつ、客席で見てくれていた皆さんに、今日こうして春日座で皆さんに会えたことへのお礼を伝えました。

再び温泉街を歩き出した鶴瓶さん、温泉旅館「季譜の里」にお風呂に入りに来ていた難波さん家族と出会います。お医者さんと助産師さんのご夫婦で、お子さんは3人、お腹の中に4人目がいるとか。今どき子供が4人もいる家は少ないと、鶴瓶さんが感心すると、なんとご主人は4人兄弟の末っ子で、兄姉のいずれの家庭も4人・5人・3人と子供が多いと聞き、ビックリする鶴瓶さんでした。すると、2番目の女の子が車から降りてきて、歩くと蛍の様に光る自慢の靴を見せてくれました(笑)。

市村さんは、せっかくなのでと安東さんご夫婦のお宅を訪ねることに。お宅にいたのは、先に出会ったパン屋さんのお父さんと同級生という、88歳になる安東さんのお父さん。とてもお元気で、若い頃は春日座の舞台にも立ったそうです。山里の小さな農村で、昔から脈々と続く歌舞伎が地域の輪を取り持っていることに感心する市村さんでした。

再放送は、3月27日(金)午前0時55分~午前2時07分(木曜日の深夜)に、NHK総合で放送予定です。

 


番組内で紹介された 美作市の名物など

 令和2年3月9日(月)放送 いきものがかりの吉岡聖恵と宮城県山元町ぶっつけ本番旅!

旅のゲストは、J-POPグループ「いきものがかり」でメインボーカルを担当している歌手の、吉岡聖恵(よしおかきよえ)さん。静岡市生まれで厚木市育ちの36歳。”いきものがかり”は、共に海老名市の出身で小学校からの同級生、小1の時には一緒にクラスの”生き物係”を担当した水野良樹さんと山下穂尊さんが1999年2月にアマチュアバンドを結成し、11月に山下さんの知人の妹だった吉岡さんが加入して誕生しました。2003年にインディーズ、2006年にメジャー・デビューし、2008年からは11回連続でNHK紅白歌合戦に出場しています。特に、2009年のNHK全国学校音楽コンクール課題曲『YELL』や、2010年のNHK連続テレビ小説「ゲゲゲの女房」の主題歌『ありがとう』、2012年のNHKロンドン五輪放送のテーマソングにもなった『風が吹いている』等が大ヒット。一方、吉岡聖恵(きよえ)さんと言えば、知る人ぞ知る、NHK人気番組「チコちゃんに叱られる!」に登場する人気キャラクター、カラス(別名:江戸川の黒い鳥)の”キョエちゃん”の声を担当!(笑)。キョエちゃんは、お便りコーナーで『バカー!』と叫びつつ、岡村隆史さんをイジって笑を誘っていますが、当然ながら歌がうまくて、NHK「みんなのうた」で人気化した『大好きって意味だよ』で2019年5月にCDデビューも果たしました(笑)。

旅の舞台は、宮城県の東南端に位置し、太平洋岸に面した、亘理郡 山元町(やまもとちょう)。南側に隣接する自治体は、福島県相馬郡新地町です。平成23年(2011年)3月11日に発生した、三陸沖を震源とするマグニチュード9.0の巨大地震「東日本大震災」では、死者637人、全壊家屋2,217棟(うち流出1,013棟)もの被害を受けました。震災前には17,000人ほどあった町の人口は、震災とその後の自然減で、今では1万人近くまで減ってしまいました。町の特産品は、イチゴやりんご、いちじくなどの果物。水産物では、かつて県内随一の水揚げ量を誇ったホッキ貝が特に有名で、毎年2月には「やまもとホッキ祭り」が開催されていました。しかし東日本大震災の津波により消波ブロックが破壊され、海中ガレキとなって海底に散らばってしまったことで、未だにホッキ漁は本格再開に至っていません。

鶴瓶さんらは、「やまもと夢いちごの郷」で開催されていた1周年記念大感謝祭の会場や、新鮮な魚介類が売られている「魚やたけだ」、普門寺で開催された「てらカフェてらマルシェ」などを訪れたようですよ!。

なお、この番組では、毎年この時期に被災地を訪れ復興の足取りを追っていますが、既に今年で9年目。これまで訪れた地域とゲストは、以下の通りです。


避難丘公園ロケが行われたのは、2月8日(土)。宮城県山元町にある「花釜避難丘公園」で待ち合わせた、鶴瓶さんと吉岡さん。避難丘は、東日本大震災の経験から、津波襲来時に沿岸部利用者の一時避難場所として整備されたもので、山元町内に3か所あります。丘の頂上は海抜9メートル、遠くまで町内を一望することが出来ます。正月のカラオケ大会が恒例という大家族で育った吉岡さん、この番組が大好きで、自ら出たいと望んで出演が決まったそうです(笑)。選んだ旅先は、宮城県の南端、沿岸部に位置する山元町。農業が盛んな土地柄と知り、農家の方々と触れ合いながら、震災から9年経った被災地での生活ぶりを見てみたいそうです。

避難丘を降りて、歩き出した鶴瓶さんと吉岡さん。そこに通り掛かった1台の車に乗っていた阿部さんご夫婦に話を聞くと、すぐそこに新しく建て替えられたお寺では、ちょうど被災者支援のためのマルシェが開かれているそうです。ご主人がくれたのは、山元町の特産品のイチゴ。燦燦園の方と親しい間柄だそうです。さらに見せてくれたのは、海辺で食べようと持ってきた、地元の特産のホッキ貝が入ったホッキ飯で作ったおにぎり。開始早々5分で、地元の数々の情報を仕入れ、お土産までもらったと大喜びする二人でした(笑)。

鶴瓶さんと吉岡さんは、マルシェ(市場)が開かれているという「普門寺」を訪ねます。家の外壁に記されていたのは、襲来した津波の高さ。2階の窓の下近くにある、その津波の高さを目の当たりにして、二人はビックリ!。お寺の中では、大勢の地元の人々が集まって、賑やかなイベントの真っ最中でした。普門寺では、津波で被害を受けた地元の方々に元気と笑顔を、そして地域に賑わいを取り戻したいという想いから、月に一回「てらマルシェ」が開催されているそうです。出迎えてくれたのは、てらマルシェを運営している住職の坂野さんと、そのご家族。立派な新築のお寺かと思いきや、再建の費用が無く、壊れた家の廃材を貰ってボランティアの方々の手作りで建てられたお寺であること等を教えてくれました。イベントに加わらせて貰うことにした二人は、鎮田さんご夫婦によるハーモニカの演奏で、皆さんと一緒に『ふるさと』を合唱しました(涙)。

ここでスタジオから、山元町の魅力をビデオ紹介。いきものがかりの吉岡さんのために、山元町の色々な係の人が、紹介してくれるそうです!(笑)。
 まず、”いきもの係”の福井さんが紹介してくれたのは、「山元夢ファーム」。ここは、震災地域の復興と新しい地場産業の創生を目的に、もともとは畑だった場所を生まれ変わらせた体験施設です。ポニーをはじめ、ヤギやヒツジと触れ合うことができ、子供たちも笑顔に!。
 次に、”たべもの係”をしている永谷さんと山元町ご当地キャラクター(ゆるキャラ)のホッキーくんが紹介してくれたのは、山元町の特産品で、冬の海の味覚である「ホッキ貝」。食べ方は様々で、貝のダシと醤油で炊き込んだホッキ飯や、お刺身はもちろん、天ぷらや炒め物、さらにご当地グルメ「ホッキコロッケ」も連日売切れの人気ぶりです!。
 最後に、”歴史係”の山田さんとせんこくんが紹介してくれたのは、「山元町歴史民俗資料館」。せんこくんは、山元町で発掘された1400年前の古墳群のひとつ「合戦原遺跡」で発見された、当時の人が描いた「線刻壁画」の人物絵がモデルとなっています!。資料館で歴史係を務めるせんこくんは、説明書きの至る所に出没し、お客さんをご案内しています(笑)。

鶴瓶さんと吉岡さんが、てらマルシェで出会ったのは、「やまもと語りべの会」の代表をしている渡邉さん。二人は、近くにあるという、「幸せの黄色いハンカチ」の場所へと案内してもらうことに。このプロジェクトは、山元中学校の校庭に建てられた避難所において、避難生活をしている人々の幸せを願い、5千枚の黄色いハンカチが掲げられたのが始まりで、今ではボランティアの方々の祈りや願いが書かれた7千枚もの黄色いハンカチが、青空にたなびいています。その一枚、『大変でしょうが、体に気をつけて頑張ってください』と書かれたメッセージを読んで、当時を偲ぶ吉岡さんでした。

ここで二人は分かれ、ひとり旅に!。鶴瓶さんはホッキ貝を探し求め、吉岡さんは最初に阿部さんご夫婦から教えてもらったイチゴ農園を訪ねることにします。

鶴瓶さんは、ホッキ貝が水揚げされるという「磯浜漁港」を訪ねますが、日中の漁港には誰もいません。そこで出会ったのは、園田さん親子。以前、この港で海底ガレキの調査をしていたという園田さんは、当時を懐かしみ、たまたま息子さんと一緒に様子を見に立ち寄ったそうです。まだ海底ガレキが残っているため、昔の漁具だとガレキが引っかかってしまいホッキ貝の漁は出来ないそうですが、新しい漁具が開発されて、徐々にホッキ貝の水揚げも始まっているそうです。ここで水揚げされたホッキ貝は、ちょうど1周年記念のお祭りが開催されている「やまもと夢いちごの郷」に卸されていると聞いた鶴瓶さん、その農水産物直売所へ行ってみることに。

一方、鶴瓶さんと別れた吉岡さんは、紹介されたイチゴ園「燦燦園」(さんさんえん)を訪ねます。偶然にもハウスの前で出会ったのは、農園のオーナーの深沼さん。この地区だけでなく、町内のあちこちにイチゴのハウスがあるそうです。すぐ横にあったハウスの中に入らせてもらうと、中はめちゃくちゃ広大で、何十ものイチゴの棚が一面に並んでいます!(驚)。まだ収穫にはちょっと早いですが、赤くなった実を採って食べさせて貰うことにした吉岡さん、とても甘くてみずみずしいそうです(笑)。ハウスの隣にある選果場では、何人もの女性がサイズ毎にイチゴを仕分けしていました。壁に掛けられた大きなモニターには、全部のハウスの温度や湿度、太陽の光などを計測したデータがグラフ化されて映し出されており、どんな味にしたいかによって、ここから自動の遠隔操作で各ハウスの環境を変える仕組みになっているそうです。そうしたデータは、現場にいても携帯で見ることができると聞いた吉岡さん、イチゴ栽培の機械化・自動化がここまで進歩しているとは、驚きです!(驚)。するとそこに、先代のお父さんが挨拶に来てくれました。このイチゴ農園はお父さんが20歳の時に始めて、はや50年。今は息子さんが社長をしているそうですが、お父さんも未だ現役で、従業員として息子にこき使われているそうです(笑)。とはいえ、今ではようやく週1日の休暇の過ごし方も覚え、社交ダンスに夢中だとか。小野アナウンサーによると、この翌日にあった宮城県の大会でラテン部門に出場したお父さん、13組中でみごと3位に入賞したそうです。

カスベ(エイ)山元町の農水産物直売所「やまもと夢いちごの郷」を訪れた鶴瓶さんですが、ちょうど「1周年記念大感謝祭」が開催されており、周辺の道路は来場者の車で大渋滞(汗)。そこで、施設の裏手の路地でロケ車を降りた鶴瓶さんは、裏口から直売所へと入ることに。直売所の中も、大勢のお客さんで大混雑。ようやくホッキ貝の売り場へと辿り着いた鶴瓶さんですが、残念ながらホッキ貝は既に売切れ・・・。でも冷蔵庫の中には、美ら海水族館に行ったときに泳いでいたエイを見て孫が『じいじ』と言ったという、鶴瓶さんにそっくりのカスベ(エイ)が売れ残っていました(笑)。支配人の馬場さんによると、1時半から表で、焼きホッキ貝を振る舞うイベントがあるそうで、それに並んで貰えればホッキ貝が食べれるとか(汗)。横で売られていたのは、地元で採れた”とちおとめ”や”紅ほっぺ”。社長の齋藤さんによると、以前は海岸付近にイチゴハウスが建ち並んでいたそうですが、それが津波により壊滅的な被害を受けてしまい、今は内陸部に新たに造成されたイチゴ団地で、イチゴの生産が再開されているそうです。

吉岡さんは、深沼さんのお父さんに案内してもらい、自宅の隣にあるカフェ「Cafe Orata」(オラータ)を訪ねることに。オーナーの富田さんは、元はプロのギタリストで、引退してカフェを開いたんだそうです。オラータを訪ねると、入り口には”貸切”の看板が・・・。富田さんに話を聞くと、ちょうど店では貸し切りのライブが開かれているそうです。富田さんに話を通してもらい、店内を訪れた吉岡さん、大勢のお客さんとライブを開いていた「MS.Driver」のメンバーに歓待されます(笑)。引き続き始まったライブでは、ボーカルの松田さんが『言い訳するより 認めろ~!、カモーン!』と叫ぶと、お客さん達も『いいわけするよりみとめろ!』と絶叫。その独特なリズムは、一度聞くと耳に残って離れません(笑)。店の表に出た吉岡さん、オーナーの富田さんに、震災から店を復興させるに至った苦労話などを聞くことができました。40歳でギタリストを止めてカフェを開いたそうですが、それまで苦労を共にしてきたギターも津波で完全に水没。しかし、ギターを制作してくれた人にお願いして、見事キレイに修理してもらえたと、そのギターを見せて貰うことが出来ました。現役時代は、さとう宗幸さんと共にステージに立つ機会が多かったという富田さん、2016年に再建したカフェの開店イベントには、さとう宗幸さんも駆けつけて、富田さんの門出を祝ってくれたそうです(涙)。

一方、農水産物直売所を後にした鶴瓶さんは、イチゴを求めて山寺山下地区へとやってきました。ロケ車を降りて町内を歩いていると、そこで見つけたのは、なんと魚屋さん!。店の表には、ホッキ貝が沢山入った発泡スチロールのケースが山積みされています。魚や「たけだ」の店内に入ると、従業員のおばちゃん達に歓待された鶴瓶さん、店の入り口に沢山並べられていたお惣菜の中から、焼いた貝の盛られたお盆を丸ごと買い取り、ベンチに座って撮影スタッフと一緒にその貝を『うまいね~』と言って頬張ります!。『(いちごの郷で)もう並んで食べんでええわ』と喜び、店長の武田さんに、『ホッキってあまり好きじゃなかったけど、今食べたらめちゃくちゃ美味かった』と伝えると、『あれ、ホタテでしょ?』と・・・。鶴瓶さん達がホッキ貝だとばかり思いこんで食べていたのは、実はホタテ貝でした!(笑)。でも、ホッキ貝も焼いて食べるのが一番美味しいそうです。鶴瓶さんは、武田さんに震災当時のことについて色々話を聞きました。

ここでちょっと一息、宮城県山元町の「家族に一杯」の時間です。
 やって来たのは、山間にある真庭地区。今日お邪魔したのは、家族で営むコンニャク屋の「佐藤蒟蒻店」さん。家に招き入れてくれたお母さんが見せてくれたのは、大きなこんにゃく芋。イモをすりおろして、かき混ぜて固めたのが「生イモこんにゃく」。それを玉にして煮付けたのが、本日の一杯、「玉こんにゃくの煮物」。『生イモを使っているので、味凍みがいいんだよね』とお父さん。『味が結構濃いんで、ごはんに乗っけて食べると美味しい』と息子さん。『こんにゃくを食べているんで、肌ツヤが良くなるんですよ』と、笑顔になるお嫁さん。生イモから作る、昔ながらのこんにゃく、いつまでも食べられるといいですね!。ちなみに、今日の家族に一杯のコーナーのBGMは、『 I'm Sorry That The Kitchen Is On Fire』(Tamas Wells)でした。

仙台いちご魚屋さんを後にした鶴瓶さん、再び町を歩き出すと、農家らしき家の庭で女性を見つけ、声を掛けます。すると、なんとイチゴ農家という渡辺さん。奥からご主人も出てきてくれて、以前の畑は津波で流されてしまったそうですが、今は国の支援で建てられた大型ハウスで「仙台いちご」を生産していると教えてくれました。奥さんが『どうぞ』と差し出してくれたイチゴは、大人の拳大ほどもありそうな、大きなイチゴ!。鶴瓶さんが齧ってみると、『めちゃめちゃ美味しい』そうです(笑)。

吉岡さんは、オラータの富田さんに教えてもらった、パプリカ農家の齋藤さんを訪ねることに。ハウスにいたご主人、一人で取材を受けるのは恥ずかしいそうで、通称”鬼嫁”を呼んでくれました(笑)。大きな赤いパプリカをナイフで切ってもらい、一口食べると、『水がたっぷり!』とビックリする吉岡さん。奥さんから『黄色の方が甘くて、若い人には好まれる』と聞き、今度は黄色いパプリカを食べた吉岡さん、『確かに甘い、ほんとにフルーツみたい』と(笑)。その後吉岡さんは、齋藤さんご夫婦に、馴初め話などを聞きました。

いくつもの商店が並ぶ大きな通りに出た鶴瓶さん、一軒の文具屋「鈴や」を見つけ、訪ねてみることに。ちょうど買い物に来ていたのは、菅野さんと孫のルイちゃん。小学3年生になるというルイちゃんに誕生日を尋ねると、2011年の3月8日、なんと震災の3日前に生まれたそうです。2歳にしてお祖父ちゃんの葬儀で弔辞を読んだと聞き、その利発さとカワイらしさに感心した鶴瓶さん、きっとお母さんは美人なんだろうと想像すると、27年前のミス山元だとか!。47歳にして看護学校に受かり、今日は「宮城病院」で勤務していると聞き、ぜひ会ってみたいと3人で訪ねることに。明るく優しそうな、よく似たお婆ちゃん・娘・孫娘の三世代と出会い、楽しい話を聞くことが出来た鶴瓶さん、とても幸せそうでした(笑)。

次に吉岡さんは、オラータの富田さんに教えてもらった町で唯一のケーキ屋さん「Petite Joie」(プチット・ジョア)を訪ねることに。レジ横の看板を見ると、食材の仕入れ先農家が紹介されており、イチゴは燦燦園さんの物だそうです。オーナーの伊藤さんに、おすすめのケーキを訊ねると、今の時期はいちごが人気だそうですが、隣のキウイも美味しそう。すると、ちょうど店には、そのキウイ作っているキウイ農家の鈴木さんが、試作中というキウイとリンゴのドライフルーツを持って来店中。伊藤さんは、日持ちするようにと、ドライフルーツを使った焼菓子を考案中だそうです。その後、伊藤さんご夫婦から、とても甘い馴初め話を聞いた吉岡さん、キウイのケーキを頂くと、こちらは甘さ控えめの優しい味だそうです(笑)。山元町では、昔から果物の生産が盛んでしたが、個々の農家の繋がりは乏しく、果物も生で食べることしか知らなかった土地柄ですが、伊藤さんが山元町に初めてのケーキ屋を開いたことで、農家が繋がり、それまで知られていなかったフルーツの新しい魅力を町の人に伝えることが出来たのが嬉しいと、仕事への情熱を語ってくれました!。

再放送は、3月13日(金)午前0時55分~午前2時07分(木曜日の深夜)に、NHK総合で放送予定です。

 


番組内で紹介された 山元町の名物など

 令和2年3月2日(月)放送 元関脇・安美錦の安治川親方と愛知県知多市ぶっつけ本番旅!

旅のゲストは、元大相撲力士の関脇・安美錦関で現在は安治川(あじがわ)親方の、安美錦竜児(あみにしき りゅうじ)さん。青森県西津軽郡深浦町の出身で、41歳。高校卒業後に、兄の安壮富士が先に入門していた安治川部屋(後の伊勢ヶ濱部屋)に入門。1997年1月場所で初土俵を踏み、21歳の2000年1月場所に新十両へ昇進、同年7月場所に新入幕を果たします。2007年9月場所において、新入幕から所要43場所で自身最高位の関脇に昇進。その後、三役と平幕を何度か往復しますが、2012年3月場所の関脇位を最後に、ケガが響いて徐々に階級を落とします。西十両11枚目で臨んだ2019年7月(名古屋)場所において、初日から2連敗の後にケガで休場を余儀なくされ、場所中の10日目に現役引退を発表。当時、現役最年長の40歳。関取在位117場所は魁皇と並んで歴代1位の記録。生涯戦歴は、907勝908敗。結果的に、現役最後の試合となった不戦敗により、負け星が勝ち星より1つ多くなったのも、安美錦らしさでしょうか!?。受賞歴は、殊勲賞4回、敢闘賞2回、技能賞6回、金星8個。その最初の金星は、2003年1月場所において、”平成の大横綱”といわれた貴乃花から挙げたもので、貴乃花はこの取組を最後に現役を引退したため、安美錦は貴乃花の現役最後の対戦相手としても知られています。得意技は、右四つからの寄りや押し、出し投げなど。まわしを取って頭をつけるなど、技巧派で鳴らし、土俵際の粘りも信条。いつも微妙な取り組みにより行司が軍配を上げにくい相撲をとるため、「行司泣かせ」との異名が付いたほどでした(笑)。

サントリー ウイスキー 知多旅の舞台は、愛知県の知多半島の付け根に位置し、伊勢湾に面した場所にある、知多市(ちたし)。南側は、中部国際空港(セントレア)を擁する常滑市に隣接しています。沿岸部は発電所や製油所などが立地する工業地帯で、内陸部ではフキやペコロス(小球タマネギ)などの農産物が作られています。さて、安美錦関と知多市の関係ですが、正直、まったく分かりません!(笑)。無理やり予想すると、安美錦が現役最後となった場所は、2019年7月の名古屋場所。3日目からケガで休場し、再出場の機会を探りつつ、幕下陥落が決まる十日目までの一週間、ひょっとして安美錦関は、たまたま出掛けた知多市の何処かで、引退の決意を固めたのかも?(汗)。さらに探ると、安美錦関の好物はワインと甘口のカレーライスで、嫌いなものは梅全般だそうです。知多市には、梅で有名な「佐布里緑と花のふれあい公園」があり、全国梅サミットに加盟するなど、梅を地域資源として活用する土地柄。そんな場所で、梅嫌いを直そうと、知多市を訪れたとか?(笑)。腹案は、特産の「知多木綿」。相撲には、浴衣や手拭いと、木綿生地が付きものですが、ひょっとして何か知多木綿に思い入れがあったりして?。

satoさんからの目撃情報によると、竹新製菓の「おかきや辰心」に、NHKの取材班が訪れたとか。メニューを見ると、”きしめん”など愛知県名物も気になりますが、この店の一番の名物は、”岡田かつ丼”だそうです!。ひょっとして、これが本日の一杯でしょうか?(笑)。


ロケが行われたのは、1月29日(水)。愛知県知多市の新舞子東町にある「新舞子東町2号公園」で待ち合わせた、鶴瓶さんと安治川親方。安治川親方の親戚が知多市に住んでいるそうで、名古屋場所の際にいつも応援に来てくれていたその親戚へのお礼と、これから取り組む新弟子のスカウトの手始めにと、安治川親方は知多市を旅先に選んだそうです!。

安治川親方から、新弟子のスカウトの基本は『お母さんから攻めろ』だと聞いた鶴瓶さん、さっそく道で見かけたお母さんらしき女性に声を掛けます(笑)。お若く見えた田代さんですが、二人の息子さんは既に30歳過ぎ・・・(汗)。でも、中学生のお孫さんがいるそうなので、学校から戻ったら、『安治川親方が噂を聞きつけて迎えに来た』と伝えて貰えるよう、伝言を頼むことに(笑)。次に、犬の散歩をしていた友田さんに声を掛けると、高3で身長160cmという子供がいるそうですが、詳しく話を聞くと、実は女の子(汗)。続いて、赤ちゃんを抱いたお母さんとお婆ちゃんに出会います。8か月にしては立派な体格で、全く人見知りせず堂々とした赤ちゃんに、将来はと期待されますが、残念ながらこの子も女の子(笑)。

ここでスタジオから、知多市の魅力をビデオ紹介。今回は安治川親方を迎えて、『知多の魅力番付、両横綱の土俵入り!』と銘打った趣向に!。行司を務めるのは、知多市の公認キャラクター「梅子」ちゃん!。愛知県でも有数の梅の産地として知られる知多市、その梅から生まれた女の子です。知多市では、2月から3月にかけて「梅まつり」が開かれています。
 まずは、東の横綱『知多のお寺巡り』の土俵入り!。知多市内には、「知多四国八十八ヶ所霊場」のうち、十三ヶ所の霊場があります。その一つ、「大智院」というお寺には、メガネを掛けた弘法大師様がいます!。目が不自由なお爺さんが、この「めがね弘法」に祈願したところ、目が見えるようになり、眼鏡を残して行ったと伝わっています。
 続いては、西の横綱『尾張万歳』の土俵入り!。万歳とは、家内の安全と繁栄を願う日本古来の祝福芸です。特徴は、その軽快なやり取り。尾張万歳は、鎌倉時代から受け継がれ、国の重要無形文化財に指定されています。

安治川親方の親戚が住んでいる長浦地区の近くには、もみじの紅葉で有名な「日長神社」があると聞いた二人は、その神社を訪ねることに。拝殿の中を覗くと、ちょうど一人の女性が神主さんから玉串を受けとっているところ(汗)。御祈祷を終え、拝殿から出てきた林さんに話を聞くと、37歳の本厄の厄災除けの祈祷を願ったそうです。女性の本厄は33歳だと思っていた鶴瓶さんが宮司の藤岡さんに訊ねると、地域や神社によっては37歳も本厄になるそうです。年明けから家庭内で病気が続き、本当に大変だったと話す林さんですが、ようやく念願だった厄除け祈願を終え、戎顔この上ない鶴瓶さんと安治川親方の二人に出会った林さんは、とても晴れやかで楽しそうでした(笑)。

ようやく安治川親方の親戚の家があるという長浦地区に辿り着いた鶴瓶さんですが、これから何処をどう探したものかと思案していると、『住所なら分かります』とスマホを取り出す安治川親方を見てビックリ。安治川親方は、この番組的に、てっきり人伝に尋ね歩いて親戚の家を探し出さないといけないと思い込んでいた様です(笑)。カーナビの住所検索で、ようやく親戚の中西さんの家に辿り着いた二人を、親方のおじさんとおばさんが歓待してくれました。毎年名古屋場所の際には、地元青森流のおはぎと赤飯を沢山作って部屋に差し入れしてくれたと感謝する安治川親方ですが、中西さんも、出世が早くて部屋で一番先にちゃんこを食べる安美錦関の横で、自分たちもとても鼻が高かったと、当時を振り返り、楽しい思い出を語ってくれました(笑)。座敷の鴨居には、安美錦関が現役で活躍していた当時の写真やら新聞記事が額に入れられ、沢山飾られています。今のご夫婦の一番の楽しみは、10月4日に行われるという「断髪式」で、お二人で両国国技館を訪れる予定だそうです。

ここで二人は別れ、ひとり旅に。中西さんの家を先に出た鶴瓶さんが坂を下っていくと、ちょうど名鉄常滑線の「長浦駅」に電車が到着。電車から降りてきた、二人の女子中学生に話を聞くと、神垣さんと福田さんは中学3年生で、二人は同じ高校の入学試験の帰りだそうです。そこで鶴瓶さん、近所にあるという食堂「おかもと」まで案内してもらいながら、二人に詳しく話を聞くことに。卒業式では『旅立ちの日に』を歌うそうですが、鶴瓶さんが『仰げば尊し』は歌わないのかと尋ねると、今どきの中学生は、その歌の存在すらよく知らないようです(汗)。鶴瓶さんが、『あお~げば~ とぉ~とし、わが~しの~おん~』と歌って聞かせると、”ワガシ”とは”日本のお菓子”のことと真面目に答える中学生にビックリ(笑)。しばらく歩き三人は、味合わせ「おかもと」を訪ねますが、ランチの準備にはちょっと時間が掛かるとのこと。そこで、中学生らと一緒にコーヒーを頂くことにした鶴瓶さん、店のご主人夫婦と『(昭和)何年生まれ』という会話を始めますが、隣にいる平成生まれの中学生には、いったい何歳になるのか?、全く分かりません(笑)。修学旅行では東京に行ったと聞き、鶴瓶さんはバスの中では『修学旅行』を歌ったかと尋ねますが、これまた女子中学生には未知の世界・・・(汗)。鶴瓶さんと店のご主人は、舟木一夫の”修学旅行”を『二度とかえらぬ 思い出乗せて、クラス友達 肩よせあえば、ベルが鳴る鳴る プラットホーム~』と熱唱しますが、隣で聞いていた女子中学生は、その昭和歌謡の節回しに大笑い(笑)。皆勤賞を貰うことや、好きな男子の制服の第二ボタンを貰うことに対しては、『それに何の意味があるのか分からない』と話す令和時代の中学生の考え方に、打ちのめされた鶴瓶さんでした(笑)。ちなみに、小野アナウンサーによると、翌日の合格発表では、お二人とも見事高校に合格できたそうです!。

一方の安治川親方は、農協の前で出会った信夫さんに子供たちが集まっていそうな場所を尋ねますが、まだ学校に行っている時間だからと、近所にある人気のおかき屋さんを教えてもらいました。その道すがら見つけたのは、「岡田福祉会館」。ここなら大勢の人に出会えそうだと訪ねると、ちょうど集会場では大勢のお爺ちゃん・お婆ちゃんが集まって、カラオケ教室が始まるところ。皆さんから歓待された安治川親方も一緒になって、千昌夫の『人生に乾杯』を熱唱しました。安治川親方はこの歌を知らなかったそうですが、そこはカラオケ大好きの親方、即興で皆さんに合わせて歌ったんだそうです(笑)。

鶴瓶さんが新舞子地区の住宅街を歩いていると、そこで出会ったのは、散髪帰りと話す自転車に乗った小崎さん。『私の家でお茶でも』と誘われ、ついて行くことにした鶴瓶さんですが、案内された立派なお宅を見てビックリ!。奥さんとの馴初め話を聞きますが、結婚当時は風来坊をしていて、奥さんの稼ぎを当てにするヒモ状態だったため、奥さんの両親に反対され、駆け落ちをして結婚したとか(汗)。その後、奥さんの手綱取りがよっぽど上手かったらしく、ご主人も稼いで、こんな立派な家が建ったようです(笑)。

再び岡田地区を歩き出した安治川親方、趣のある石塀の続く通りを歩いていると、大きくて立派な「木綿蔵」と書かれた看板のある蔵を見つけます。入り口には”CLOSE”との看板が掛けられていますが、中には人がいる様なので声を掛けてみると、関さんら何人もの女性陣が『美男子が来た!』と喜んで、親方を招き入れてくれました(笑)。こちらの施設は、知多市の伝統工芸で特産品でもある「知多木綿」の手作りの技を後世に伝えようと、実際に知多木綿が貯蔵されていた蔵を活かして創られた、機織り体験ができる施設だそうです。せっかくだからと、機織り体験をさせて貰うことにした安治川親方ですが、細やかな機織り機の操作に、さすがに腰が痛くなってしまった様です(笑)。とはいえ、皆さんのご指導のお陰で、味のある知多木綿のコースターが出来上がり、いいお土産が出来ました!。

ようやく、先に信夫さんから教えてもらった「おかきや辰心」に辿り着いた安治川親方。コーヒーを飲みに来ていた地元のお客さん、土井さんと前田さんに話を聞くと、ここはコーヒーが安いうえに、焙煎おかきが食べ放題なんだとか!。お客さんから、おかき屋を経営している「竹新製菓」の社長と紹介されたのは、若くて美人の新美さん。ご家族の話を聞くと、3年前に社長業を継ぐにあたり、いま結婚しないと結婚でき無くなると8歳年下のご主人を説得して、社長になると同時に結婚されたそうです(笑)。そして授かった子供は、既に立派な体格。その、みたらし団子に武者ぶりつくワンパクさも気に入ったらしく、『お団子をいっぱい食べて、大きくなるのを待っているからね ハートマーク』と、まだ小さな子供に優しく言い含める親方でした(笑)。

岡田かつ丼ここでちょっと一息、愛知県知多市の「家族に一杯」の時間です。
 やって来たのは、市の中心部の岡田地区。そこで見つけたのは、安治川親方も訪れた、「おかきや辰心」。お昼時、食堂にもなっている店内は、お客さんでいっぱい!。皆さんが食べているのは、2個の目玉焼きが載った、かつ丼。半熟の目玉焼きを箸で崩して、『卵をしみらかせて食べるんですよ』と教えてくれたのは、地元のお母さん。本日の一杯は、「岡田のかつ丼」(700円)。この辺りで”かつ丼”と言えば、昔からあった地元の食堂で提供されていた、半熟の目玉焼きが載ったスタイルが定番でしたが、その店が何年か前に閉店。残念がる地元の皆さんと共に、町おこしにもなればと、竹新製菓の店舗で、このメニューを復活させたんだそうです。『半熟の卵をトンカツに絡めて食べるのが美味しいです』と、地元のサラリーマンのお客さん。みんなを笑顔にさせる一杯です。ちなみに、今日の家族に一杯のコーナーのBGMは、『The Lazy Song』(ブルーノ・マーズ)でした。

新たな出会いを求めて、再び住宅街をブラブラと歩く鶴瓶さん。すると、『生まれて初めて芸能人に会った』と喜ぶ、犬を散歩させていた女性と出会います。『こんな所を歩いている芸能人は俺ぐらいしかいない』と自負する鶴瓶さん(笑)、女性に話を聞くと、1年前に北海道から犬と一緒に新幹線に乗って知多にやって来て、今は働きながら大学に通っていると知り、興味津々。遠慮する女性を口説き落とし、自宅までついて行って、さらに詳しく話を聞かせてもらうことに(笑)。お母さんは北海道にいるそうですが、知多では単身赴任中のお父さんと二人暮らし。弟さんはオーストラリアで働いていて、家族バラバラになってしまったそうですが、毎日全員でLINEを交換し合い、お互いを支え合っているそうです。勤め先を尋ねると、名古屋市にある名古屋鉄道名古屋本線「有松駅」の近くだとか。有松絞りで有名な「有松地区」は、伝統的な町並みが素晴らしいと熱弁する女性の話を聞いて、とても気になった鶴瓶さん、今から車で有松地区へ行ってみることに!。

初めて有松地区を訪ねた鶴瓶さん、女性が話す通り伝統的な町並みが立派に保存されており、大そう感心します。そこで出会ったのは、有松絞りの着物を見事に着こなした、『40歳にして未亡人になってしまい、早く玉の輿を探さないと』と話す、だいぶ昔に40代は過ぎたであろう、とても明るい伊藤さん(笑)。有松絞りの着こなし方が見事だと思いきや、有松絞りを扱っている「有松絞商事」の社長さんだそうです!。

安治川親方は、おかきや辰心の従業員の方から、土俵がある中学校があると聞き、「八幡中学校」を訪ねることに。快く出迎えてくれたのは、校長の栗本先生。相撲部は、大会に合わせて柔道部の子供たちが特別編成で兼務しているそうです。そこで校長先生が校長室に呼んでくれたのは、柔道部の顧問をしている、吉戸先生と山本先生。女性の山本先生は、根っからの”スー女”(相撲好き女子)の様で、遠藤のファンだそうですが、安美錦関とも出会えてとても嬉しそう(笑)。先生方は、ちょうど授業が終わった時間だからと、柔道部の生徒たちを土俵の周りに集めてくれました。ズボンの裾を捲り、軽く当たり稽古を付けてみようと土俵に上がった安治川親方、順番に生徒たちの押しを受け止めます。最後に土俵に上がったのは、教員生活最後の思い出にと、今年の3月で定年を迎える栗本校長先生。鶴瓶さんが心配するほど、”教員人生の結びの一番”と熱心に親方にぶつかっていきますが、いかんせん腰が高くて、親方はビクともしません(汗)。最後に、生徒たちから質問を受けた安治川親方、体の小さな原田君から『どれくらい食べれば太りますか?』と聞かれ、自分は朝晩にどんぶり飯を5杯食べ、夜食に弁当を4~5つ食べて、体重を50キロ増やしたと教えてくれました。その話を聞いた原田君、自分も大きくなりたいと、さっそく翌日から5杯飯にチャレンジしたそうですが、小野アナウンサーによると、結果は1回で挫折・・・(笑)。一方、ひと際体が大きい中村君の体重は、中学生にして90キロもあるそうです。親方は、『体が大きいというのは一つの才能だから、どうだ、やってみないか?』と新弟子に誘いますが、『まだいいです』と断られてしまいました(笑)。そこで安治川親方、『高校卒業する頃に、また迎えに来るよ ハートマーク』とラブコールを送って、中学校を後にしました(笑)。

再放送は、3月6日(金)午前0時55分~午前2時07分(木曜日の深夜)に、NHK総合で放送予定です。

 


番組内で紹介された 知多市の名物など

 令和2年2月17日(月)放送 憧れの富士絶景SP! 藤井隆と山梨県山中湖村ぶっつけ本番旅!

旅のゲストは、お笑いタレントで、歌手や俳優、司会者など、マルチに活躍している藤井隆(ふじい たかし)さん。大阪府豊中市出身の47歳。高校を卒業後、化学薬品会社に就職するも、20歳の頃にサラリーマンをしながら吉本新喜劇のオーディションを受け、舞台に立つことに。数年後にはオカマキャラで全国的に人気を博すと、1999年10月からは『笑っていいとも!』にレギュラー出演、2000年には「ナンダカンダ」で歌手デビューし、NHK紅白歌合戦に初出場します。2005年にタレントの乙葉さんと結婚し、オシドリ夫婦としても知られています。NHK大河ドラマ『真田丸』や、NHK連続テレビ小説『わろてんか』にも出演していました。2019年2月には、鶴瓶さんがMCをしているTBS『A-Studio』に出演し、そのタレントぶりに鶴瓶さんも大いに感服したとか。

旅の舞台は、山梨県の南東部にある南都留郡(みなみつるぐん)山中湖村(やまなかこむら)。村の中心に位置するは、富士五湖の一つで最も大きな「山中湖」。富士五湖では最も東に位置し、相模川の源流にもなっています。その山中湖を囲む山中湖村は、面積がたった53km2しかありませんが、富士五湖の中で最も富士山に近い山中湖の周りには、富士山の眺望スポットが多数存在すること等から、山梨県内でも屈指の観光地や別荘地として、特に夏場は大変な賑わいをみせる場所です。ちなみに、山中湖以外の富士五湖は、河口湖・西湖・精進湖が富士河口湖町(面積 158km2)に、最も西側の本栖湖が半分ほどずつ富士河口湖町と身延町(面積 302km2)に属しています。

藤井さんが何故旅先に山中湖村を選んだのかは、さっぱり不明です(汗)。そもそも、藤井さんと鶴瓶さんが山中湖村でロケしていたとの情報を、まったく見つけることが出来ませんでした。冬で雨模様の山中湖、いったいどれほど人けが無かったのかと、ロケの先行きが心配になります(汗)。


ロケが行われたのは、令和元年12月2日(月)。山中湖村の平野地区、晴れた日には、富士山の絶景が見られる山中湖畔で待ち合わせた、鶴瓶さんと藤井さん。しかし、生憎とこの日は雨降りで、富士山は全く見えません(汗)。さらに、傘も飛ばされるほどの強い風が吹き、旅の行方に不安を抱く二人でした(笑)。

この悪天候では、さすがに表を歩いて人と出会うことは不可能。そこで二人は、車で移動しながら、まずは喫茶店でコーヒーでも飲んで、作戦を練ることに(笑)。たまたま見つけ訪ねたのは、お洒落なカフェ&オーベルジュの「里休」。生憎とオーナーは買い物に出掛けていて留守でしたが、電話でオーナーから『じゃぁ、お任せします』と言われたと、アルバイトの大学生が二人を招き入れてくれました。都留文科大学に通う土屋さん、英語の先生を目指していると聞いて鶴瓶さん、20代の頃にヨーロッパを放浪して英語がペラペラの藤井さんにインタビューを任せますが、大した話は聞けませんでした(笑)。コーヒーを頂き温まった二人は、さっそく”ほうとう”を食べに行くことにします。刀削麺やフィットチーネなど、平たい麺が大好きという藤井さん、以前に山梨でのロケで食べた「ほうとう」の味が忘れられず、久しぶりに本場のほうとうが食べたいと、山梨県を旅先に選んだのだそうです(笑)。

再び二人は車に乗り込み、ほうとうが食べられる店を探すことに。湖畔の国道沿いで、”ほうとう”の幟が立っていたドライブイン「きくや」を見つけ訪ねると、高村さんご夫婦が出迎えてくれました。店の奥にいたのは、ご主人の双子の兄弟かと思いきや、義理の弟なのに何故かよく似た櫻井さん。お二人に話を聞いていると、奥さんが出来上がったほうとうをテーブルに運んで来てくれました。大きな鍋一杯に湯気の立つアツアツのほうとう、冬の雨で身体が冷えた二人には何よりのごちそうです!。『とても美味しかったです』とお礼を言う二人ですが、高村さんによると、この店の一番人気のメニューは”カツ丼”なんだそうです(笑)。

ここでスタジオから、山梨県山中湖村の魅力をビデオ紹介。藤井さんの名曲『ナンダカンダ』(2000年NHK紅白歌合戦出場曲)にのせて、山中湖村の”ナンダカンダ言ってスゴイもの”を紹介!(笑)。
 まずは、絶景・富士山を望む「サイクリングロード」。山中湖をぐるっと回るサイクリングロードを、富士山を望みながら風を受けて走れば、気分は最高!。さらに東京2020オリンピックでは、なんと自転車競技のコースにも指定されています。
 次は、かわいいカバのイラストが描かれたバス、「山中湖のKABA」。なんと水陸両用のバスで、陸上と水上の両方から山中湖村を楽しむことが出来ます。
 最後は、子宝や安産で有名な「山中諏訪神社」。この神社で年に一度たいへん盛り上がるのが、毎年9月4日~6日にかけて行われる「安産祭り」。江戸時代の後期から200年以上続く祭りで、神輿には安産を祈願する大勢の妊婦さんが連なり、境内を走り回ります。これは、ナンダカンダ言ってスゴイ!(笑)。

ここで二人は分かれ、一人旅に出ることに。その前に、二人はドライブインの玄関で、『お前が雨男や』『オレはめっちゃ晴れ男や』と口喧嘩!(笑)。鶴瓶さんと別れ、鶴瓶さんとは反対の方向に、ひとり車を走らせる藤井さん。すると、前方の空から青空が覗き出しました!。車を降りてみると、なんとそこにはキレイな虹が掛かっています。その虹を見て、やっぱり鶴瓶さんが雨男だったと確信した、藤井さんでした(笑)。

一方、藤井さんと反対の方向に車を走らせる鶴瓶さんは、相変わらず雨が降り続く山の中(汗)。すると車窓から、”体験工房”と書かれた看板を見つけ、訪ねてみることに。出迎えてくれたのは、オーナーの曽和さん。自宅も兼ねた山中湖体験工房「ANTOV アントヴ」では、ガラスや陶芸、シルバーアクセサリーなどの様々なクラフト体験ができるそうです。46歳まで関西でサラリーマンをしていたという曽和さん、山中湖の魅力に惹かれここに住むことにしたそうで、周りには大阪出身のペンションオーナーなど、関西出身の住人も多いとか。奥さんは滋賀県の出身と聞いた鶴瓶さん、滋賀の名物「ふなずし」が苦手と話すと、ご主人も未だに食べられないそうで、二人は鮒ずしの話で盛り上がります(笑)。

藤井さんは、ロケ車で移動中にたまたま見つけた、「山中湖テディベアワールドミュージアム」を訪ねることに。出迎えてくれたのは、館長の奥さんの高村さん。ご主人は、隣にあるラーメンカフェ「湖麺屋 Reel Cafe」の店長も兼務していて、お昼時でラーメン作りから手が離せないそうです(笑)。奥さんは、ミュージアム併設のショップの店員も兼ねていて、ちょうどお客さんが来ているのでと、しばらく藤井さんは一人で館内を見学することに(汗)。見学を終え、ショップで手の空いた奥さんに話を聞くと、この施設は釣り屋を営んでいたご主人のお父さんが雨の日にお客さんが遊べる場所を作りたいと20年前に開いたもので、神奈川出身の奥さんが東京に出ていたご主人と結婚し、一緒に山中湖に戻って家族でこの施設を切り盛りする様になったそうです。小野アナウンサーによると、隣のラーメン屋「湖麺屋」で館長が作るラーメンも大人気で、土日のお昼時には1時間待ちの行列ができるほどだそうです!。

鶴瓶さんは、体験工房「アントヴ」のご主人から教えてもらった、大阪の豊中出身の榎原さんが経営しているというペンション、「ヴィヴィアン クレール」を訪ねます。ご主人から、山中湖にペンションを開いた経緯や、ご家族のことについて話を聞いていると、奥さんも出てきてくれました。お二人から、修学旅行生を受け入れる5月・6月頃の繁忙期の大変な様子を窺う一方で、閑散期の愉しみを訪ねると、二人ともカラオケが大好きなんだそうです(笑)。今はアリアが歌いたくて声楽を学んでいるという奥さんは、カラオケで40回くらい100点満点を出したことがあるとか!(驚)。

次に藤井さんが向かったのは、ラーメン店にいた館長さんに教えてもらった、クラフトの里「ダラスヴィレッジ」。とんぼ玉や陶芸など様々なクラフトの手作り体験が楽しめる施設で、バーベキューレストランも併設されているそうです。藤井さんは、一番人気の吹きガラスを体験させて貰うことに!。指導してくれたのは、東京のガラスの専門学校を卒業し、3年前にこちらに就職したという大武さん。とても慣れた接客で、吹きガラスなど初めて体験する藤井さんでも、とてもステキな色合いのグラスを、あっという間に作ることが出来ました!。大武さんに話を聞くと、東京を離れ一人で買ったばかりの新車を運転して最初に山中湖にやって来た時は、大雪で家から出られずに大変だったそうですが、景色がよく、空気も水も美味しくて、冬にはスノーボードも楽しめて、山梨が大好きになったそうです。東京で魚屋を営むご両親も、娘の様子を見に、年に2回ほどは山中湖に遊びに来てくれるそうです。

とうもろこし粉のおつけだんごここでちょっと一息、山梨県山中湖村の「家族に一杯」の時間です。
 やって来たのは、湖の近くの平野地区に建つ、茅葺屋根の立派なお宅。出迎えてくれたお母さんが紹介してくれたのは、山中湖村産のトウモロコシから作られた、地元の「もろこし粉」。この辺りではお米が作れない代わりに、昔からとても良いもろこし粉が採れたんだそうです。もろこし粉を捏ねて作ってくれたのは、もろこし粉のだんご。その団子を、かぼちゃなど野菜がたっぷり入った汁に入れて煮たのが本日の一杯、もろこし粉の「おつけだんご」。”おつけ”とは、具沢山の味噌汁のこと。昔はおかずを何品も作ることがなく、ご飯とおつけと漬け物ぐらいの食事が普通だったそうです。『これで育ちました』と話す、山中湖村出身のお母さん方、昔はおつけが食卓の主役だったんですね。ちなみに、今日の家族に一杯のコーナーのBGMは、『とうもろこし畑』(王舟)でした。

クラフトの里で、大武さんからワカサギ釣りの情報を教えてもらった藤井さんは、船で釣りができる場所を探していると、”大型ドーム船”と書かれた看板を見つけ、車を降ります。船を目指して桟橋を渡ると、白鳥が次々に餌を求めて寄ってきてくれますが、生憎の天気のせいか、人の気配は全くありません(汗)。仕方なく、ワカサギ釣りを諦めて帰ろうとすると、湖の岸辺にいた加藤さんご夫妻を見つけ、声を掛けます。藤沢市から、甲府にある金運で有名なパワースポット「金櫻神社」に、鶴瓶さんがテレビで『買わないという選択肢はないやろぉ~』とCMしている年末ジャンボ宝くじの当選祈願をしに来たついでに立ち寄ったという加藤さん、その宝くじを持たせてもらった藤井さんも、『ナンダカンダで10億円!』と唱え、当選祈願をお手伝い(笑)。

一方の鶴瓶さんは、「りす村別荘」と書かれた看板を見つけ、てっきり別荘を販売している業者であろうと、「山中湖不動産」の事務所を訪ねます。出迎えてくれたのは、甲府に本社を構えている姉が社長で自分は平社員と話す槌屋さんと、鶴瓶さんが一目見て直ぐに親子と分かった、槌屋さんにそっくりの、年末で”掃除大臣”をしていると話すお母さん(笑)。リス村別荘とは、実は本当の別荘を分譲しているのではなく、ホテル感覚で手ぶらで訪ねて別荘住まいを体験できる施設で、山中湖不動産ではその施設を運営しているんだそうです!。

すると、事務所の棚に、お客さん用にと、鶴瓶さんのCMでお馴染みの伊藤園「健康ミネラルむぎ茶」が沢山ストックされていたのを見つけた鶴瓶さん、リス村別荘の宣伝を自ら買って出ることに!(笑)。一軒のリス村別荘に案内してもらった鶴瓶さん、別荘の中に入らせてもらうと、家具や家電製品など生活に必要なものは全て揃っていてビックリです。そこに、鶴瓶さんへのワカサギの佃煮をお土産に携え訪ねてくれたのは、リス村別荘を建てた槌屋さんのお父さん。最初は、たまたま訪ねてきたドイツ人から、当時は山中湖に無かった貸し別荘を紹介して欲しいと頼まれ、仕方なしに自分で別荘を建てて貸したところ、知人の伝手で次から次へと貸し別荘の物件が増えて、今の商売に繋がったそうです。

ワカサギ釣りを諦めて帰ろうとしていた藤井さん、桟橋に立ち寄った一台の車を見つけ、声を掛けます。すると、車を運転をしていたのは、湖の様子を見に来たという、わかさぎドーム船「山中湖 湖明荘マリーナ」のオーナーの高村さん。今日は風が強くて、どこも船は出ていないそうですが、せっかくだからと、藤井さんをドーム船の中まで案内してくれることに。以前は結氷した湖の上で、氷に穴を開けて釣っていたワカサギ釣りですが、近年は氷が張らなくなってしまい、そこで氷の穴釣りがしたいという孫の希望を叶えようと、高村さんが船内の床に丸い穴を開けたドーム船を作ったんだそうです(笑)。ご家族にも会いたいと、高村さんのご自宅まで付いて行った藤井さん、奥さんから開業当時の苦労話を聞くことが出来ました。

ようやく、鶴瓶さんの空にも晴れ間が広がり出し、富士山の裾野がキレイに見えてきました。そこで車を降り、鶴瓶さんが富士山の絶景を眺め愉しんでいると、一台の車が近寄ってきます。手を振る運転手の女性から、『さっきカフェに立ち寄ってくださって、ありがとうございます』と声を掛けられた鶴瓶さん、旅の最初に立ち寄ったカフェ「里休」のオーナーと知り、ビックリです。助手席にいたのは、元はホテルマンをしていたという、80歳にして若々しくステキなお父さん。鶴瓶さんは、最後に出会えたお二人から、ステキな話を聞くことが出来ました。

再放送は、2月21日(金)午前0時55分~午前2時07分(木曜日の深夜)に、NHK総合で放送予定です。

 


番組内で紹介された 山中湖村の名物など

 令和2年2月10日(月)放送 麒麟(きりん)がくるSP! 本木雅弘と岐阜市ぶっつけ本番旅!

旅のゲストは、俳優で元歌手の本木雅弘(もとき まさひろ)さん。埼玉県桶川町(現 桶川市)出身の54歳。1981年に、15歳でTBSドラマ『2年B組仙八先生』でデビュー。翌1982年には、モックンの愛称で、布川敏和さん(フックン)や薬丸裕英さん(ヤックン)とともに、「シブがき隊」として『NAI・NAI 16』で歌手デビューし、すぐにトップアイドルグループとして人気を博します。1988年にシブがき隊が解隊した後は俳優の道へと進み、1992年公開の映画『シコふんじゃった。』など数々のヒット作に出演し活躍します。また、自ら企画を持ち込み主演も務めた、2008年公開の映画『おくりびと』は、2009年のアカデミー賞外国語映画賞を受賞しました。令和2年1月19日スタートのNHK大河ドラマ『麒麟がくる』では、斎藤道三(利政)役を演じています。

旅の舞台は、岐阜県の県庁所在地である岐阜市(ぎふし)。岐阜県の中南部、愛知県にほど近い場所に位置し、名古屋市からは直線距離で北に20キロほど。岐阜提灯や長良川の鵜飼が有名です。朝ドラ『半分青い』に続き、令和2年のNHK大河ドラマ『麒麟がくる』の舞台となる岐阜は、観光客誘致に向けて大いに盛り上がっており、令和2年1月11日から1年間、岐阜市と可児市、恵那市には、「大河ドラマ館」がオープン!。

岐阜市は、ドラマの主人公・明智光秀の出生地(可児市)と共に美濃国に属し、織田信長が”井口”と呼ばれていた当地を”岐阜”と改め、岐阜城に入城したのは永禄10年(1567)のこと。光秀が信長に仕えたのもこの頃と言われています。ただし、岐阜のまちづくりの基礎を築いたのは、信長より前、明智光秀が若き頃に仕えた稲葉山城(現 岐阜城)の城主・斎藤道三(演:本木雅弘さん)であったといわれています。”美濃の蝮(マムシ)”とあだ名された道三は、信長の父・織田信秀と再三に渡って戦を繰り広げましたが決着がつかず、和睦の証(人質)として、娘の濃姫(帰蝶)を信長に嫁がせました。

濃姫といえば、麻薬取締法違反の疑いで逮捕された沢尻エリカ容疑者が演じる予定だった役柄です。代役の川口春奈さんによる撮り直しが決定し、初回放送日は1月5日(日)から19日(日)に2週間延期されることになりました。その初日、岐阜市の大河ドラマ館では、本木雅弘さんをゲストに招いてのトークイベントとパブリックビューイングが予定されていたため、その計画も白紙撤回。岐阜市は大混乱になったとか(汗)。今回、撮り直しで多忙を極める本木さんのスケジュールをやり繰りしてまで、”家族に乾杯”のゲストに招いての岐阜市行脚は、番組の宣伝とともに、岐阜市民へのお詫びを兼ねたNHKの配慮があったものと推察します(笑)。


岐阜城(稲葉山城)ロケが行われたのは、12月14日(土)。長良川の河畔に沿って続く川原町通りの古い町並みを歩く本木さん。撮影で何度か岐阜市を訪れた本木さんですが、岐阜の人は控えめで、あまりアピールして貰えなかった岐阜市の魅力をもっと知りたいと、旅の目的を語ってくれました。本木さんが、鶴瓶さんと待ち合わせた「川原町広場」に到着すると、近くに聳える金華山の頂上に、斎藤道三の居城であった「稲葉山城」(岐阜城)がよく見えます。すると、その城から出陣してきたかのごとく、公園の反対側から、ロケスタッフの一軍を従えた鶴瓶大将が登場!。平穏な川原町広場は一転、鶴瓶軍と本木軍の合戦の様相に!?。もちろんそんなことは無く、二人の旅は和やかに、この公園からスタートします(笑)。

鶴瓶さんが川原町広場の公園で見かけた関根さんや岩田さん、池田さん親子らに声を掛けると、皆さん地元の名将・斎藤道三のことをよくご存じで、その役を演じる本木さんには、鶴瓶さん以上の人気が集まります!。岐阜の人は、『モックンが道三を演じる』と大喜びだそうで、既に鶴瓶さんが先の大河で演じた岩倉具視のことは、記憶すら残っていない様です(笑)。

初代ドラえもんの主題歌公園を出て、川原町通りを歩き出した鶴瓶さんと本木さん。たまたま出会った年配のカメラマンの方から『ここ面白いですよ』と紹介されて、ギャラリー&和カフェ「川原町屋」を訪ねることに。古い町屋を改装したギャラリーでは、雛人形の展示販売が行われており、奥に続く蔵は、フランス人のシェフがいるステキなカフェになっていました。出迎えてくれたのは、オーナーの小見山はるみさん。なんと、堀越学園の芸能コースの第一期生だそうです!(驚)。テーブルに座って詳しく話を聞くと、江木俊夫さんらが卒業した年に入学し、郷ひろみさんや野口五郎さん、坂口良子ちゃんらと同級生で、当時は”内藤はるみ”という名前で、初代「ドラえもん」の主題歌などを歌っていたそうです。はるみさんは手拍子で、昭和48年(1973年)4月1日から放送が開始された初代ドラえもんのオープニング曲『ドラえもん』を歌ってくれました(笑)。演歌調の節回しが、昭和を思い起こさせます!ちなみにエンディングテーマ曲は、ルンバ風の『ドラえもんルンバ』でした。

正法寺(岐阜大仏)ここでスタジオから、岐阜市の魅力をビデオ紹介。小野アナウンサーによると、裏切りを重ねて油商人から大名にまで成り上がったという道三、今でもこの地域では裏切りが絶えないとか?(笑)。
 最初の伝令は、斎藤道三様の本拠地「金華山」に裏切り者がいるとのこと!?。その裏切り者とは、リス。かつては戦いの場であった金華山が、今ではかわいいリスたちの楽園に(笑)。「リス村」では、餌付けをしながら70匹ものリスと触れ合うことが出来ます。
 続いての裏切り者は、正法寺のお堂に鎮座する、高さ13.7メートルの「岐阜大仏」。鎌倉や奈良の大仏は銅などで作られていますが、この大仏は予想を裏切る、竹の骨組みに和紙と粘土を張り付けて出来ています(笑)。
 道三に負けず劣らず、悪いイメージが付きまとう明智光秀。その光秀のイメージを裏切るのが、「光秀ランチ」。光秀は、全国各地から最高の食材を集めては、客人に振る舞っていたそうです。その光秀が振る舞った料理を文献からひもとき、現代風にアレンジしたのが光秀ランチ。市内の各旅館で食べられます。

川原町屋を出た二人は、川原町通りで結婚式の前撮りをしていた、長尾さん夫妻と出会います。『二人でずっと笑っていられる家庭にしたい』と話す長尾さん。本木さんは、『向き合いすぎると揉めるので、二人並んで同じ方向を見る方がいいですよ』と、新婚さんにアドバイス(笑)。

続いて二人が立ち寄ったのは、岐阜和傘の専門店「長良川てしごと町家CASA」。店の方によると、日本の和傘の約7割は、岐阜市で作られているそうです。岐阜をはじめ東海圏では、母親が娘の嫁入り道具として和傘を持たせる風習があるそうで、だから岐阜では今でも和傘作りが残っているんですね!。

次に鶴瓶さんが訪ねたかったのは、川原町通りに一軒だけ残っているという、「岐阜うちわ」の職人さんのお宅。立派な長良川温泉旅館「十八楼」の門口で出会った女中の岩田さんに訊ねると、向かいの「住井冨次郎商店」まで案内してくれました。4代目になるという店主の住井さんによると、もともと岐阜うちわは長良川の鵜飼いを見物に来る観光客用のお土産品としてつくられたもので、水うちわ、渋うちわ、塗りうちわの3種類があって、すべて職人による手作りだそうです。水うちわは、雁皮紙(がんぴし)という非常に薄い和紙を貼り、専用のニスを塗って仕上げてあるのが特徴だそうで、見た目が透けて涼しげなため、水うちわと名前が付いたとか。すると住井さんから、一昨年はブラタモリでもお世話になったと聞いた鶴瓶さん、『来たの!?、見てたんやったら入って来へんのに~』と、大そう悔しがります(笑)。しかし、先ほどのカフェや和傘店にもタモリさんは立ち寄ったとかで、『ブラタモリが行ったところは行きたないのよ、もうカットしてぇや』と訴えますが、時すでに遅し!。住井商店の鴨居には、その時に撮られたタモリさんと一緒の写真が飾られていました(笑)。

ここで二人は分かれ、ひとり旅に。鶴瓶さんと別れた途端、本木さんは、『台本が貰えないと仕事ができない人間に対して素を曝せという、これほど酷な番組はない』と、極度の緊張に苛まれます(笑)。とりあえず本木さんは、斎藤道三が晩年に隠居所とした「鷺山城」のあった辺りを訪ねることに。標高68メートルという小高い鷺山(さぎやま)の麓にある「北野神社」の脇には、「斎藤道三公慰霊之碑」が建てられていましたが、週末なのに観光客は誰もおらず、辺りはひっそりと静まり返っています(汗)。とりあえず慰霊碑に手を合わせてお参りを済ませた本木さん、出会いを求めて、ひと気のない鷺山地区を歩き始めます。そこで、まずはリハーサルと、たまたま見つけた駐車場の車の中にいた女性に声を掛けます。近くの塾でテストを受けている受験生の息子に、車の中でお昼ご飯を食べさせていたと話す春日さん、本木さんは息子さんの合格祈願を伝えて、みごとリハーサルをクリアーすることが出来ました(笑)。続いて出会ったのは、車で自宅に戻ったところの平野さん親娘。この先にある「マルヨシ」に行けば、地元の詳しい昔ばなしが聞けると教えてくれました。

AGNI一方の鶴瓶さん、岐阜市の中心部にほど近い下太田町の住宅街を歩いていると、たまたま出会った澤井さんの奥さんが、もう少し先に行けば、岐阜のお大尽、岡本太右衛門さんの古いお宅があると教えてくれました。その立派なお屋敷を見つけた鶴瓶さんですが、路地を曲がっても塀がまだまだ続き、敷地が広すぎて、どこが玄関かも分かりません(汗)。通りで出会った近所の篠田さんに話を聞くと、岡本家の出は1560年創業の鋳物業ですが、今ではIT事業まで手掛ける岐阜で一番のお大尽家だそうです。あまりに立派過ぎて、さすがの鶴瓶さんもピンポンを押すのが憚られます(笑)。そこに車で通り掛かったのは、地区の役員をしているという和久田さん。鶴瓶さんに代わって、岡本さんのお宅を訪ねてくれることに。しかしピンポンを押しても、何の応答もありません。留守と鶴瓶さんが帰ろうとしたその時、ようやく玄関の戸が開いて、お手伝いの立松さんが出てきてくれました。あまりに広いお屋敷で、玄関までだいぶ遠かったようです(汗)。生憎、当主で15代目の太右衛門さんは留守でしたが、奥様と立松さんが気さくに鶴瓶さんを迎え入れてくれました。

地元に詳しいと聞いた「マルヨシ」さんへと向かう本木さん、途中にあったブティック「カワイ」の店の前で、お客さんを送り出す、店主の河合さんと出会います。店を開いて51年と聞き、立ち寄らせてもらうことに。すると、ちょうど今帰ったお客さんは陶芸家で、『大河ドラマにちなんだ茶碗を作ったので、市長さんに見せて欲しい』と言って置いていったという作品を見せてくれました。明智の桔梗の紋や、道三考案の二頭立浪の紋が入ったお茶碗です。『家にも使っていない茶碗があるので、差し上げたいわ』と話す、土岐市出身の河合さん。土岐氏と言えば、道三が和睦のために最初に娘の帰蝶(濃姫)を嫁がせた、土岐頼純の家元。ドラマでは、尾美としのりさん演じるその娘の夫の土岐頼純を、本木さんは毒殺してしまいます!。少なからず因縁を覚えた本木さん、河合さんのご自宅に伺ってみることに(笑)。河合さんと一緒に店を出た本木さんが、店の前で偶然出会ったのは、河合さんの知り合いの北川さんと脇原さん。本木さんと並んで歩く河合さんに嫉妬を焼いたのか、『どういうご関係?』と訊ねると、自分の着ている洋服もカバンもブティック「カワイ」の商品と、お二人も本木さんに猛アピール!(笑)。すると、そこにあったのは、当初目指していた「マルヨシ洋品店」。今ではクリーニング店の方が専業で、洋品店の方は倉庫になっている様です。応対してくれたのは、86歳になるという店主の加納さん。店をやりつつ、自治会の仕事などで休む暇もないと話すお元気そうな加納さんでしたが、小野アナウンサーによると、ロケの後に自転車で転び体調を崩して、1月にお亡くなりになってしまったそうです(驚)。その後、河合さんのご自宅に伺った本木さん、息子さんご夫婦やお孫さん達と出会い、暮らしぶりなどについて話を聞くことが出来ました。

ここでちょっと一息、岐阜県岐阜市の「家族に一杯」の時間です。
 せっかく岐阜まで来たから、お昼は贅沢しちゃおうっと訪ねたのは、100年以上も続く老舗のうなぎ屋「華紋」。お目当ては、本日の一杯、「うな丼」(うなぎ丼)。食欲を誘うタレの輝きがたまりません。『パリッとしているのに、中は柔らかくてとっても美味しい』と、女性のお客さん。すると、ウナギを待つお客さん達は、店の床の間にお菓子などを供え、手を合わせています。皆さんが拝んでいたのは、座敷童!?。なんとこのお店、座敷わらしがいるうなぎ屋さんなんだそうです!。店を訪れた人たちから、『素敵なご縁に恵まれた』『受験や就職試験に合格した』と沢山のお礼が届き、”座敷童がいる店”として、評判になったとか。ちなみに、今日の家族に一杯のコーナーのBGMは、岐阜市出身のシンガーソングライター・見田村千晴さんが歌う、『夕立よ、このまま』でした。

井桁屋鶴瓶さんも、お昼時でお腹が空いたと、たまたま見つけた昭和レトロな暖簾の掛かった、お食事処「井桁屋」を訪ねます。出迎えてくれたのは、店主の松波さんご夫婦。ちょうど忙しい時間が過ぎたところと、スタッフ全員でお昼ご飯を頂きました。鶴瓶さんが食堂を出ると、向かいにあったのは、ケーキ屋の「りぼん」。店主の山賀さんから、昨年急にお父さんが亡くなってしまったと聞いた鶴瓶さん、店を訪ね、お母さんから先代のことやご家族について話を聞くことが出来ました。

新たな出会いを求めて、岐阜市内をロケ車で移動する本木さん。すると、ブドウ畑が広がる場所で、”天然ワイン醸造”と書かれた看板を見つけ、立ち寄ってみることに。本木さんが訪ねたのは、「長良天然ワイン醸造」。応対してくれたのは、店主の林さん。おすすめのワインは、マスカット・ベリーAの赤で、赤が苦手な人にも飲みやすい中辛口だそうです。試飲をさせてもらった本木さん、独特の渋みは嫌味がなく、しっかりしているけど飲みやすいそうです。本木さんが奥さんにも話を聞きたいと、ご主人に呼んできてもらうと、なんと奥さん、鶴瓶さんと本木さんが川原町通りを歩いていた時に、ちょうど横をジョギングで通り掛かったそうです!。小野アナウンサーが映像を確認すると、確かに奥さんのジョギング姿が録画に映り込んでいました(笑)。ちょうど明日、息子さんと一緒にハーフマラソンに出場するという奥さん、来年は名古屋ウィメンズマラソンにも挑戦するそうです。他局の企画で、過去にホノルルマラソンを2回走ったことがあるという本木さん。1回目はフラフラになってリタイアし、その映像を見た人から街で『ホノルルモックン』と揶揄され真似されたことを糧に、2回目は3時間56分で走ったと、フルマラソンの思い出を語ってくれました(笑)。

一方の鶴瓶さんが訪ねたのは、インスタ映えする”大イチョウ”が有名な「上宮寺」。住職の小笠原宣さんに話を聞くと、本職は”経も読める絵描き”だそうです(笑)。ちょうどそこに帰って来たのは、奥さんと孫のサナちゃん。お寺ではクリスマスが無いので、これからジィジとバァバからサナちゃんへの”お歳暮”(クリスマスプレゼント)を、皆で買いに出掛ける所だそうです(笑)。その前に、本堂にあるという小笠原さんの絵を見せてもらうことにした鶴瓶さん。本堂に上がると、その襖には、小笠原さんが描いたという屋久島のイメージが所狭しと広がっていました(驚)。

再放送は、2月14日(金)午前0時55分~午前2時07分(木曜日の深夜)に、NHK総合で放送予定です。

 


番組内で紹介された 岐阜市の名物など

 令和2年2月3日(月)放送 幸せ探偵登場!?シシド・カフカと福井県越前町ぶっつけ本番旅

旅のゲストは、歌手でドラマー、女優でモデルのシシド・カフカさん。メキシコ生まれで日本育ちの34歳。整った顔立ちと雰囲気からハーフの方だと思い込んでいましたが、両親ともに日本人だそうですm(__)m。アルゼンチンに2年間移住していた中学生時代、学校に馴染めずにいた時に、両親からサイレントドラムをプレゼントされことをきっかけにドラムにはまり、日本に戻った高校時代からバンド活動を始め、大学時代には最高8バンドを掛け持ちするほどの人気ドラマーに。19歳の時に「THE NEWS」に3代目ドラマーとして加入し、プロドラマーとして活動を開始すると共に、モデル活動も始めます。2012年に「デイドリームライダー」で配信デビュー。2014年には女優としてもドラマデビューし、2017年度上半期のNHK朝の連続テレビ小説『ひよっこ』では、みね子(有村架純さん)と一緒に”あかね荘”に暮らすオフィスレディ、久坂早苗役を演じていました(笑)。2020年1月24日(金)スタートのNHKドラマ10『ハムラアキラ~世界で最も不運な探偵~』では、主人公・葉村晶役を演じています。

旅の舞台は、福井県 丹生郡 越前町(えちぜんちょう)。福井県の南北の中ほど、日本海に面した場所にあります。すぐ南には、2018年6月11日の放送で、長瀬智也さんが旅した「越前市」が、更にその南には「南越前町」があります(汗)。越前国の国府は、現在の越前市府中にあったとされますが、越前町にも越前岬があり、古くから越前焼陶器の産地として栄え、今でも数多くの窯元が存在します。越前焼で知られる越前町は、NHK連続テレビ小説『スカーレット』の舞台となっている信楽焼の滋賀県甲賀市などと共に、「きっと恋する六古窯-日本生まれ日本育ちのやきもの産地-」として、平成29年に日本遺産に指定されました。また、越前町織田(おた)地区は、”織田家発祥の地”としても知られています。1月19日スタートのNHK大河ドラマ『麒麟がくる』の主人公は明智光秀で、敵役となるのは、後に織田から尾張へと移り住んだ織田家の子孫にあたる織田信長。したがって、越前町の旅のゲストは、朝ドラ『スカーレット』か大河ドラマ『麒麟がくる』の番組宣伝を兼ねた出演者だと想像したのですが、全く違っていました・・・(汗)。ところで鶴瓶さんは、口が回らず”シシドカフカ”と言えないそうですが、大丈夫なんでしょうか?(笑)。

シシド・カフカさんがなぜ越前町を旅先に選んだのかは不明ですが、好きな食べ物は肉や鍋などだそうです。ひょっとして、鍋の具材を探し求めて、”越前がにのまち”として知られる越前町を訪ねたとか!?(笑)。


ロケが行われたのは、令和元年11月29日(金)。鶴瓶さんとの待ち合わせ場所、福井県越前町江波地区にある「日吉神社」に先に到着したシシド・カフカさん。『どんな旅になるのか?』と不安を抱きつつ、ステキな出会いが出来るようにと福を願って神社にお参りするのかと思いきや、『気合入れ』と称して、スタッフ全員と順番にグーパンチ!(笑)。一方の鶴瓶さんは、神社に向かう道すがら、間違えたら失礼と、『シシド・カフカ』と何度も反復練習します。私も、以下では”シシド”さんと呼ばせてもらいますね!(笑)。

ドラマで”不運な探偵”役を演じるシシドさん、福井県が「都道府県幸福度ランキング」で3回連続日本一になったことを知り、幸せを感じながら生きるコツを知りたいと、福井県を旅先に選んだそうです。また、ドラマーでもあるシシドさん、和太鼓が盛んな町を希望したところ、NHKスタッフが旅先として、越前町を選び出した様です!。

神社を出発し、長閑な景色が広がる町を歩き出した鶴瓶さんとシシドさん。すると、蔵のある立派なお宅の生垣から湧き水が流れ出しているのを見つけた鶴瓶さん、思わずピンポンを鳴らし『こんにちわー』と玄関を覗き込みます。その様子を見ていたシシドさん、『開けた!』とビックリ(笑)。出てきてくれたのは、91歳になるという岡下さん。湧き水が豊富な土地柄であることや、織田家発祥の織田地区には有名な大太鼓があることなどを教えてくれました。

ここでスタジオから、福井県越前町の魅力をビデオ紹介。不運な探偵役でドラマ初主演のシシドさんにちなんで、ディレクターがたまたま町役場で出会い、そのキャラクターに惚れ込んだという、越前町在住で大工の傍ら農業・漁業にも携わる田中さんに探偵になりきってもらい、越前町を調査してもらうことに!(笑)。
 まず、第一のタレコミは、『赤い顔の怪しいヤツ!?』。調査を開始した田中さんが発見したのは、「越前ガニ」。その美味しさから、”冬の味覚の王様”とも呼ばれています。中でも、超ビッグサイズのカニは「極(きわみ)」と呼ばれ、水揚げされる確率は1万分の9。お値段も超ビックリの、30万円!?。
 次の通報は、『白い魔術師がいる!?』。田中さんが通報現場で発見したのは、白くもない物体、水仙の球根だそうです!。江戸時代から越前海岸では水仙が盛んに栽培されてきて、「越前水仙」と呼ばれる様になりました。12月になると緑の景色が一変、水仙の花で真っ白な世界に変わります。
 最後の通報は、『撃たれた!?』。田中さんが調査すると、打たれたのはホッケーのボール(汗)。越前町は「ホッケー」の町!。町内には子供から大人までクラブチームが36もあり、実力も全国トップクラスだそうです。オリンピックの種目にもなっているホッケー、目が離せません!。

ここから鶴瓶さんとシシドさんは、91歳の岡下さんに番組史上最高齢の案内役になってもらい、越前町での旅を進めることに。まず岡下さんが案内してくれたのは、直径が五尺(胴の最大直径は約2メートル)の大太鼓が飾られているという、「オタイコ・ヒルズ」。オタイコヒルズは、太鼓練習館や織田陶房、ゲートボール場などを備えた公共の宿泊施設で、レストランは一般のお客さんも利用可能。その食堂の女性に声を掛けると、建物の奥へとズンズン進む岡下さんに驚きつつ、後を付いていく鶴瓶さんとシシドさん。施設責任者の葵さんが出てきて岡下さんが挨拶しますが、何やら話が噛み合いません・・・。鶴瓶さんが岡下さんに、『知り合いなんですよね?』と尋ねると、『知りません!』と(笑)。『飾ってあるんですさかい、皆に見てもらわなあきません』と話す岡下さん、一方の葵さんも鶴瓶さんのCMになぞらえ、『見せないという選択肢はないので』と、鶴瓶さんらを大太鼓が飾ってある太鼓練習館に案内してくれました。鶴瓶さんやシシドさんはもちろん、岡下さんも初めて間近に見るという大太鼓は、想像より遥に大きく、一同皆ビックリです!。

次に岡下さんが案内してくれたのは、織田信長公の祖先の故郷である織田地区に鎮座する「劔神社」。ここでも、岡下さんは親しげに神主の佐々木さんに挨拶して勝手に話を進めますが、どうやら神主さんは初対面の様子・・・(汗)。次に岡下さんは、神社に隣接して建てられた、図書館や文化ホールも併設する複合施設「織田文化歴史館」へと案内してくれましたが、ここでも親しげに挨拶された図書館の受付の女性陣は、岡下さんとは初対面らしいです(笑)。館内を案内してくれたのは、学芸員の村上さんと堀さん。資料の説明をしてくれますが、今週もやはり『ブラタモリ』のタモリさんならいざ知らず、鶴瓶さんには全く興味が沸かない展示物だった様で、鶴瓶さんは『大体わかりましたわ』と早々に見学を切り上げると、ここでシシドさんと別れることに(笑)。しかし、『まだ案内するところがある』と話す岡下さん。その手を振り払い、越前ガニを求めて、海の方へと一人旅立つ鶴瓶さんでした(笑)。

シシドさんは、案内してくれた岡下さんを自宅まで送り届けることに。そこで岡下さん、甘い柿が採れたからと、スタッフ全員に振る舞ってくれました。柿を頂きながら、シシドさんが幸福度No1の秘訣について訊ねると、岡下さんは『欲をうんと持ち、欲張りになること。その欲をためて、また人にあげること』と、教えてくれました。シシドさんが次の訪問先を相談すると、娘さんのご主人が、近くにある「越前陶芸村」を紹介してくれました。そこでシシドさん、陶芸村にある工房を訪ねることに。

一方の鶴瓶さんが辿り着いた場所は、道口地区の漁港。港で出会った濱崎さんに、『僕、セコガニが食べたいと思ってですね・・・』と話しかけると、運よくというか狙い通りというか、『ありますよ、家に』と。それを聞いた鶴瓶さん、おもむろに濱崎さんの肩を抱くと、向きを変えて一緒に家の方へと歩き出します(笑)。濱崎さんは電機関係の仕事をされていたそうですが、息子さんがカニ漁船の機関士をしているそうです。玄関には、去年息子さんの船で水揚げされた「極」の写真が飾ってあり、なんとセリで35万円の値が付いたとか!(驚)。濱崎さんのお宅で、セイコガニ(セコ蟹、香箱ガニとも)を頂きながら、濱崎さん親子に暮らしぶりについて話を聞く鶴瓶さん。息子さんは、チャランポランをしていた時に同級生に紹介されて、たまたま「第十八緑丸」に乗せてもらい、そこで親方に厳しく指導してもって今の自分があると、当時を振り返ってくれました。

シシドさんは、陶芸村のスタッフの方に教えてもらった「越前風来窯」を探して、辺りを歩き回りますが、陶芸村の敷地は思いのほか広く、なかなか見つかりません(汗)。ようやく、煙突を頼りに辿り着いた風来窯の工房で出会ったのは、陶芸作家の大屋宇一郎さん。とても優しそうな方で、DIY工事中という工房の中を案内してくれました。”蹴ろくろ”を見つけたシシドさんは、汚れるからと大屋さんが心配するのをよそに、陶芸体験にチャレンジさせてもらうことに!(普段ここでは体験はやっていません)。大屋さんが『さすがドラマー』と驚くほど、初めてにしては器用に手と足をバラバラに動かし、それらしく”ぐい呑み”の形を整えたシシドさん。後は、大屋さんが精一杯頑張って焼いてくれるそうです(笑)。

濱崎さんのお宅を出た鶴瓶さん、家の前に集まっていた、近所の「岩本水産」の工場でカニの出荷作業をしているという従業員の皆さんに案内してもらい、工場の生け簀を見せてもらうことに。生け簀に入っていたのは、沢山のカニ。今年はカニの値が高く、ズワイだと3~4万円はするそうです(汗)。生け簀に入っていたズワイガニやセイコガニには、すべて黄色いタグが付いています。このタグは、国が地域の農林水産物や食品をブランドとして保護する「地理的表示(GI)保護制度」に福井県の越前がにがカニとしては初めて登録されたことを受けて、福井県内の漁港で水揚げされたズワイガニには、産地を証明するGIマークのある黄色いタグが付けられるそうです。カニに付けられるタグは、産地(水揚げされた漁港)によって青や緑、白など様々あります。

風来窯・大屋光男さんのオブジェシシドさんは、工房の庭に出て、大屋さんにいろいろ話を聞くことに。『作るのはすごく楽しいけれど、仕事としてやると色々あり、とにかく人を幸せにするものを作りたい』と、とてもステキな笑顔で語ってくれました(笑)。作品を焼くには、電気だと1日、薪の窯だと1週間もかかるそうです。そこでシシドさん、見たことがない薪の窯を見せてもらうことに。風来窯にあるのは、”登り窯”よりは原始的な、”穴窯”というタイプの窯だそうです。猫が入るので入り口を閉じておく必要があると大屋さん、確かに雪のかまくらみたいな感じで、中は居心地が良さそうです(笑)。そこでシシドさんも、猫の気持ちになって窯の中に入ってみることに!。入口は狭いですが、中に入ってしまえば結構広く、『二晩くらいなら過ごせそうですね』とシシドさん(笑)。工房の裏手にある両親の棲む家の屋根には、宇一郎さんのお父さん、大屋光男さんの代表作である人形のオブジェが沢山飾られていました。お父さんは、特に人形の背中の反り具合が大好きなんだとか。人形を抱き背中を撫でるシシドさん、その様子を見て、『自分が抱えられているみたいで、あははは~』と、照れるお父さんでした(笑)。お父さんにとって幸せとは、『やりたいことをやっている時やね』とのこと。シシドさんは、ご家族の皆さんから、暮らしぶりなどについて色々な話を聞くことができました。ここでスタジオには、収録に間に合うようにと大急ぎで宇一郎さんが焼き上げてくれた、シシドさんの作ったぐい呑みが届けられました。なんとも渋いステキな色に仕上がっていて、シシドさんも『これで日本酒飲もぉ』と大喜び(笑)。

岩本水産を後にした鶴瓶さん、先ほど立ち寄った濱崎さん家の窓から息子さんが顔を出し、『さっき話した、僕が漁師になったきっかけの友達が来た』と声を掛けてくれので、再び訪ねることに。濱崎さんとは同級生で幼馴染という荒本さん、知り合いから人材探しを頼まれて、フラフラしていた濱崎さんを、第十八緑丸に紹介したそうです。どちらも昔はヤンチャをしていた様ですが、今では二人とも立派な漁師さん!。荒本さんは、お父さんに代わり船長になって1年目だそうですが、水揚げが芳しくなく、下働きで船に乗り込んで来たお父さんに口出しされて悔しいと、忸怩たる思いをぶちまけます(笑)。そこで、『鶴瓶さんに会って、漁まわりが良くなるかな?』と期待を滲ますと、『それはもう、任しといて!』と安請け合いする鶴瓶さん。ところが、スタジオの小野アナウンサーによると、鶴瓶さんと出会った翌日、荒本さんは去年は一匹も獲れなかった越前ガニの最高級「極」を獲り、セリで21万円の値が付いたそうです!。その報告を聞き、目に涙を浮かべながら『良かったなぁ』と喜ぶ鶴瓶さんでした。

福井名物・水ようかんここでちょっと一息、福井県越前町の「家族に一杯」の時間です。
 訪ねたのは、あるお宅の晩ご飯。今日は、冬ならではの一杯が頂けるそうです。テーブルには、セイコガニも並んでいますが、カニではないとか?。出てきたのは、食後のお楽しみ!、本日の一杯「水ようかん」です。福井では、冬に水ようかんを食べるそうで、冬の定番のお菓子なんだとか。『こっちに来て非常にビックリしましたが、暖かい部屋で冷たいのを食べるのが美味しい』と、南国宮崎出身のお母さん。冬に炬燵で食べるミカンやアイスクリームが美味しいのと、一緒かな?(笑)。実はこちらのお宅、老舗の和菓子屋「江雲堂」さん。ご主人によると、福井ではどのお宅にも、醤油や味噌と同じように水ようかんがあり、好みの味を求めてお店を探し回るそうです。娘さん達は、早くも水ようかんをおかわり(笑)。福井の水ようかんは、B5サイズの大きさで、厚さ2cmほどの紙の箱に入っているのが一般的で、紙の平箱にようかんを流し込んで作るので、これを“一枚流し”と言うそうです。その一枚流しの水ようかんを、紙箱のままテーブルの上にどーんと置いて、透明なフィルムを剥ぐと、そのままスプーンで掬って食べるのが、福井スタイル。『お姉ちゃんがすごい食べるので、すぐになくなっちゃいます』と、妹さん(笑)。家族だからこそ皆で突っつけると、福井の家族団らんに水ようかんは欠かせない様です。ちなみに、今日の家族に一杯のコーナーのBGMは、『ただいま、おかえり』(羊毛とおはな)でした。

鶴瓶さんは、濱崎さんの息子さんが乗る漁船の親方に会いたいと、親方の弟さんが営んでいる、越前町漁港直営の海の幸食処「えちぜん」を訪ねます。出迎えてくれたのは、弟の宮地さん。店では、宮地さんのお兄さんで漁船の親方をしている宮地さんの奥さんも働いていました。もともとは弟さんが船の機関長をしていたそうですが、その仕事を濱崎さんに引継ぎ、船を降りてこの店をやっているそうです。機関長といえば、ただ指示を出すだけの船長に対して、電気から鉄鋼からすべてを取り仕切って船を沈めない様にする立場。したがって、『私がこうして店を持てるのも、兄が漁に行けるのも、濱崎さんのお陰で、むしろ私らが濱崎さんのお世話になっている』と語る宮地さん。その話を聞いて、自分も師匠に仕込まれて育った時代を思い出し、またまた涙ぐむ鶴瓶さんでした。しばらくして、船長をしているお兄さんも店にやってきて、船が転覆した経験談など、厳しい海の仕事について、いろいろ話を聞くことができました。そして、まさに”海の男”らしい宮地さん兄弟の男前さに惚れ込む、鶴瓶さんでした(笑)。

シシドさんは、実際に大太鼓が鳴った時の音が聞けなかったのが心残りと、再び「オタイコ・ヒルズ」を訪ねることに。既にレストランは閉まっていましたが、管理事務所にいた葵さんを見つけ相談すると、「O・TA・I・KO座明神」の座長・上坂さんに連絡を取ってくれることに。上坂さんもとても親切な方で、20分ほどでオタイコヒルズに駆けつけてくれると、シシドさんも一緒に太鼓を叩けるようにと、家に戻って譜面を取ってきてくれました。和太鼓そのものは、もともとは譜面があるものでは無いそうですが、明神では音楽や芸術としてコンサートを開いてお客さんに聞いてもらうために、曲作りをしながら譜面に書いて、30年間活動して来たそうです。

譜面を取って戻って来た上坂さん、シシドさんに譜面を見せながら、簡単に『テテンガテン・・・、テンツクテン・・・』と説明してから、新しい大太鼓用のバチを渡すと、これまたチョー簡単に太鼓を打つフォームを指導。たったそれだけで、実際に大太鼓を打ち鳴らすことになったシシドさん。しかし、さすがにプロのドラマーです。いきなりの大太鼓も見事に打ち鳴らし、上坂さんも『さすが!』と手を叩いて褒めまくります(笑)。その後は、二人で次々に太鼓をセッション、シシドさんは1時間半も太鼓を叩きまくったそうです(笑)。最後に上坂さんは、『(幸せとは)自分が太鼓を打った喜びを、また若い子たちに教えていくこと』と、語ってくれました。

再放送は、2月7日(金)午前0時55分~午前2時07分(木曜日の深夜)に、NHK総合で放送予定です。

 


番組内で紹介された 越前町の名物など

 令和2年1月20日(月)放送 グローブ職人が集結!?加藤雅也と奈良県三宅町ぶっつけ本番旅

旅のゲストは、俳優の加藤雅也(かとう まさや)さん。奈良県奈良市出身の56歳。風間トオルさんや阿部寛さんなど、そうそうたる男性モデルを輩出した『メンズノンノ』の創刊号のファッションモデルを務めたのが、加藤さん。モデルから俳優への道へと進み、1998年公開の映画『マリリンに逢いたい』では初主役を演じ、鶴瓶さんとの共演も果たしました(笑)。昨年度下半期のNHK朝の連続テレビ小説『まんぷく』では、”ユーアーコーヒー、オッケー!”のフレーズで人気を博した、喫茶店「パーラー白薔薇」の店主・川上アキラ役を演じていました。また、2019年のNHK大河ドラマ『いだてん』では、1940年開催のオリンピック東京誘致に奔走した元国際連盟事務次長の杉村陽太郎役を演じました。

旅の舞台は、奈良県 磯城郡 三宅町(みやけちょう)。奈良市の南方、天理市の西に位置し、近鉄の橿原線石見駅と、田原本線の但馬駅がある場所です。町の人口は約6,600人、面積はたたの4キロ平方メートルほどで、全国でも2番目に小さな市町村です。そんな小さな町なのに、古くからスポーツ用品の製造工場が集積し、特に野球のグローブ(野球グラブ)の生産では、最盛期には国内生産の80%ものシェアを誇ったそうです。

奈良市出身で、奈良市観光特別大使にも任命されている加藤さん。奈良警察署の一日署長を務めたり、12月8日(日)に開催された「奈良マラソン」のゲストに選ばれるなど、頻繁に奈良を訪れているようです。加藤さんによる「奈良ベスト3」と言えば、①三宅町のグローブ・ミット、②暗越奈良街道、③生駒山上遊園地 だそうです。なので、今回の旅の目的は、野球グローブの製造工場ではないかと予想しますが!?(笑)。


ロケが行われたのは、令和元年11月12日(火)。奈良県三宅町の「屏風池公園」で待ち合わせた、鶴瓶さんと加藤雅也さん。奈良市の観光大使も務める奈良県出身の加藤さん、奈良県で一番小さな町・全国でも2番目に小さな町で、なぜ100年も前からグローブ作りが盛んになったのか知りたくて、三宅町を旅先に選んだそうです!(笑)。

三宅町の地図屏風(びょうぶ)地区の住宅街を歩き始めた、鶴瓶さんと加藤さん。しかし、一向に人を見かけません。すると、どこからか咳払いをする声が!。その声の主を探す鶴瓶さん、一軒のお宅の庭先でタバコを吸っていた男性を見つけます。しかし、鶴瓶さんを見てビックリした前田家の息子さんは、家に逃げ込むと代わりに家の中にいたお父さんを表に送り出してくれました(笑)。前田さんのご主人に三宅町のことを訊ねると、グローブ作りが盛んなことや、聖徳太子が通った「太子道」(たいしみち)が通っていることなどを教えてくれました。まずはグローブの製造現場を訪ねたい鶴瓶さんですが、グローブの工場が集まっている上但馬地区は、狭い三宅町にあって屏風地区とは正反対の場所にあり、1~2kmほど離れているそうです(汗)。そのことを知り、『ぜんぜん違うところ来てんねん、ここ』と文句を言う鶴瓶さん、仕方なく太子道を歩きながら、出会った奥さん方に道を訊ねつつ、上但馬地区を目指します。どうやらスタッフは、二人に太子道を歩かせようと待ち合わせ場所を決めた様ですが、『ブラタモリ』のタモリさんならいざ知らず、鶴瓶さんには太子道の有り難さは伝わらなかった様です(笑)。一方の加藤さんも、壱万円札の聖徳太子は別人だったという噂があると喋り出し・・・(汗)。

ここでスタジオから、奈良県三宅町の魅力をビデオ紹介。紹介してくれたのは、日本で知らない人がいないであろうという超有名人、聖徳太子様とその従者です!。しかし、扮してくれた三宅町役場の内野さんと勝浦さんに向かって、これまた『(壱万円札の)絵と全然違う』、『絵にもっと似させ』とクレームを付ける、スタジオの鶴瓶さんと加藤さんでした(笑)。
 まず二人が案内してくれたのは、「太子道」。聖徳太子が、斑鳩(いかるが)の法隆寺から飛鳥まで通勤していた路と言われています。道中には、聖徳太子が休憩したという「腰掛石」もあります。毎年11月22日には、「太子道の集い」というイベントも行われています。
 さらに町を歩く太子様の足元に咲いているのは、三宅町の”町の花”でもある「あざさ」。長年、三宅町の人たちに愛されてきた花で、実は万葉集にも詠まれています。三宅町に暮らす若者が、腰まである草をかき分け通っていた恋人の髪には、あざさの花が飾られていたという、とてもロマンチックな歌です。
 次に太子様が訪れたのは、田んぼ。三宅町の多くの田んぼの横ではサトイモが作られており、その里芋を使ったサトイモ焼酎「屯倉(みやけ)」が生み出されました。さわやかな香りと、フルーティーな甘さで、大人気だとか!。

歩き疲れ、ロケ車に乗ってグローブ工場を探すことにした鶴瓶さんと加藤さん(笑)。ようやく、それらしき「置本商事」を見つけ、表にいた可愛らしい女性従業員の中村さんに訊ねると、以前はグローブも作っていたそうですが、今は作っていないとか(汗)。事務所から出てきてくれた社長の置本さんに話を聞くと、先々代まではグローブを作っていたそうです。そこで置本社長、近所にある知り合いのグローブメーカーを紹介してくれることに。

三宅町のふる里納税の返礼品一例置本さんに案内してもらったのは、同級生の浅田さんが社長をしているグローブメーカー「アサダスポーツ」です。自宅を訪ねると、浅田さんと先代のお父さんもいて、応対してくれました。お父さんもまだ元気そうですが、息子と一緒にグローブを作っていると揉めることが多くて、早々と代を譲ったそうです(笑)。これまでテレビ取材は断ってきたそうですが、いつも観ている”鶴瓶の家族に乾杯”で、鶴瓶さんが突然訪ねてきたことと、朝ドラ出演者の加藤さんも一緒ということで、お父さんも仕方なしに取材に答えてくれることに(汗)。お父さんによると、昔は大手の下請けで大量のグローブを作っていたそうですが、それが海外に流れ失業寸前になってしまったことから、オーダーメイド専門に切り替えたとか。生まれて初めての営業回りを始めたお父さんでしたが、最初の一年間は全く注文が取れず、だいぶ苦労された様です。運悪く、お母さんも大病を患ってしまい、そんな時に会社勤めをしていた息子さんが、両親を放っておけないからと家に入ってくれたと、お母さんが涙ながらに当時を振り返ってくれました(泣)。現在のグローブの生産量は、最大で月に60個ほど。複雑な仕様や刺繍の注文が入ると、その数は減るそうです。

グラブ製造技術を伝えた先人の功績を称える記念碑鶴瓶さんがお父さんに話を聞く一方で、息子さんから『一行君の曾お爺ちゃんだかが、最初にグローブ作りを三宅に持ち帰ったはず』と聞いた加藤さん、息子さんに一行君を紹介してもらうことに。置本さんと浅田さんに案内してもらい、加藤さんが訪ねた先は、「ZENCO INDUSTR CO.,LTD」。生憎と一行君は留守でしたが、お父さんの坂本社長がいて、三宅町でのグローブ作りの成り立ちについて教えてくれました。社長のお爺さんが、大阪に働きに出て、初めて野球グラブの革を裁断する仕事に携わったそうです。すると、これからグラブの需要が激増すると直観したお爺さん、仲間と一緒にグラブの製法を自前で研究し、1921年に地元の三宅町に帰ってグラブの生産を開始したそうです。当初、三宅町のグラブ製造業者は数軒だけでしたが、戦後になると野球人口が急増しグラブ需要が拡大。1956年には米国メーカーの下請けも始まり、生産量が爆発的に増加すると、雇われていた職人が次々と独立して、グラブ製造業者が数多く生まれました。最盛期の1970年頃には、三宅町には全国から労働者が集まって来て、但馬駅は職人で溢れかえり、工場は受注に追われて早朝から深夜までフル稼働が続いたそうです。現在、三宅町にはグラブの製造技術を伝えた先人の功績を称える記念碑が建てられています。そして、グラブ製造開始100周年となる2021年に向けて、町では様々な記念イベントの開催が検討されています(日本経済新聞より)。

三宅町のふる里納税の返礼品一例(グローブ)一行君の家を後にした加藤さんは、一旦アサダスポーツに戻り鶴瓶さんと合流しますが、そこで二人は分かれることに。ひとり旅になった加藤さんは、『もっと詳しい話が聞けるかも』と一行君のお父さんに紹介された、「吉川清商店」を訪ねます。出迎えてくれたのは、吉川社長ご夫婦と、二人の息子さん。メーカーの下請けもしつつ、ブラザーズ(兄弟)を捩った「ブロズ(bro’s)」という自社ブランドのグローブも作っているそうです。しかし、二人の息子さんは兄弟にしては全く似ておらず、『お父さんが遊び人だったとか?』という話で場が和むと、気をよくした加藤さん、突然やさしそうなお母さんに向かって、『お願いあるんだけど・・・、お腹すいた』と!(驚)。シジミの味噌汁にご飯くらいなら残っていると話すお母さんに向かって、『それでいい、だけどお母さんここにいたら、ごはん食べられへん』と、お母さんを台所に追いやる加藤さんでした(笑)。お母さんもさすが関西人、嫌がるどころか、『じゃぁ、よそゆきの食器とか出してくるので』と、笑を残して台所に向かってくれました(笑)。そうこうするうちに、お母さんが卵焼きも焼いて食事を用意してくれて、加藤さんはタダでお昼ご飯にありつくことができました。

三宅町のふる里納税の返礼品一例(食品)一方の鶴瓶さんは、周辺の住宅街をウロウロすることに。立派な家ばかり建ち並ぶ路地を曲がったところで見つけたのは、これまた立派な暖簾が掛かったお肉屋さん、創業90年になるという「山口精肉店」。店にいた、二代目ご夫婦と娘さんが出迎えてくれました。扱っている牛肉は、なんと近所の牧場で自家飼育している牛の肉だそうで、最盛期には100頭もの牛を飼っていたそうです。ならば、この店でしか手に入らない部位もあるのかと尋ねると、女将さんが教えてくれたのは『フォアグラ』。1頭の牛から200gしか取れないレバーの周りに付いた白肝の希少部位だそうで、焼いて食べたり、天ぷらにする人もいるそうです。すると、『ちょっと焼いてみますか?』と女将さん、鶴瓶さんは待ってましたとばかりに、『ほなら、そうしてもらえますか』と(笑)。暫くすると、なんとフォアグラだけでなく、立派なステーキまで焼き上がりました!。さっそく両方のお肉を突っつく鶴瓶さん、『これ、メチェメチャ美味い!』と、スタッフや来店したお客さんにも爪楊枝で刺したお肉を食べさせます。しかし、親の代から店に通っているというお客さん、この店の肉の味は心得たもので、人気の店なので必ず電話してから買いに来るそうです。

赤米のお粥(おかいさん)ここでちょっと一息、奈良県三宅町の「家族に一杯」の時間です。
 やって来たのは、聖徳太子が仕事の往復で使っていたという太子道。今日は、近くにある「浄土寺」で、太子にまつわる一杯が頂けるそうです。奥さんが研いでいたのは、古代米のひとつ、赤米。聖徳太子の時代にも食べられていたそうですが、昔は赤米の割合が少なくて、ヒエなどで代用されていた様です。より一層鮮やかな色になるようにと、小豆も入れられて炊きあがったのは、「赤米のおかいさん」。お粥のことを、奈良では”おかいさん”と言うそうです。お寺では昔から、檀家の皆さんに”おかいさん”が振る舞われて来たとか。なんだか、飛鳥時代の人の温かさが感じられます。ちなみに、今日の家族に一杯のコーナーのBGMは、『Smile(スマイル)』(Nat King Cole)でした。

新たな出会いを求めて、住宅街を歩き出した鶴瓶さん。道端で洗濯物を取り込んでいた年配の女性、吉村さんと出会います。鶴瓶さんが『家族に乾杯で回っている』と話しかけると、『うち、家族いてへんからあかんわ!』と吉村さん。『元気ですね?』と話しかけると、『元気であらへんがな』と。ご主人は夕方にデイサービスから帰ってくると聞いて、『嫌そうに言いないな』と言うと、『この歳になったらな、主人のおかずこしらえるのもおとろしい(=面倒くさい)』と返されてしまい、”家族に乾杯”らしからぬ応答に鶴瓶さんも困惑します(笑)。道端で鶴瓶さんが立ち話をしていると、興味津々に近所のオバチャンらが集まってきて、次々に面白い人がいると紹介してくれますが、あなたも十分面白い!(笑)。鶴瓶さんが『さよなら』と別れても、路地を曲がった先にそのオバチャンらが待ち構えていて、『人おれへんやろ、ここの家どうやろ?』とロケを仕切り始めます・・・(汗)。そこに吉村さんが連れてきたのは、亡くなったご主人の弟という吉村さん。吉村さんのお宅にお邪魔して、3人のオバチャンに囲まれた鶴瓶さん、強烈なボケと突っ込みにタジタジです(笑)。

かかとつるつる 靴下

一方の加藤さんは、吉川社長が紹介した「鈴木靴下」まで、本人に案内してもらうことに(笑)。鈴木社長によると、本業はサッカーのハイソックスをメインに製造しているそうですが、元は米農家で余った米糠を活用できないかと、糠を練り込んだ糸で、スキンケアを兼ねたソックスを開発したそうです。また、心不全で足がむくむお父さんのために、”締め付けない靴下”も開発。しかし、売り込めど売り込めど、一向に売れなかったというご家族の昔の苦労話に、『もう少しで朝ドラになりそう』と、食いついて離れない加藤さんでした(笑)。スタジオの加藤さん、実際にその靴下を履いて収録に来ていました。すると鶴瓶さん、『オレ、かかとがカピカピやねん。それ、もろうてきた?、なんでも貰うなぁ~』と、大そう羨ましがります(笑)。

吉村さんのお宅を後にした鶴瓶さん、この地区から逃げ出そうと土手の上に登り、ロケ車を呼んでもらいますが、そこにまた吉村さんが、さらに面白い人という「吉村たばこ店」のオバチャン、豊ちゃんを呼んできてくれました(汗)。仕方なく土手を降りた鶴瓶さん、タバコ屋の前のベンチに座り、豊ちゃんと歓談しますが、その内容は駒田さん曰く『マンダイ』。豊ちゃんによると、奈良県の方言で、漫才はマンダイ、雑巾はドウキンとなるそうです!。豊ちゃんに、ハグされ頭を撫でられ散々な鶴瓶さん、『こんな怪獣みたいな町 知らんわ、なんでこんな目に合わなあかんねん』と(笑)。

加藤さんは”わらしべ長者”よろしく、今度は鈴木社長に案内してもらい、近所に住む95歳になる元気なおじいちゃんを紹介してもらえることに(笑)。立派な中川さんのお宅を訪ねると、広い玄関先では、おじいちゃんが花瓶に花を活けていました。なんと、その花瓶や玄関に飾られた陶芸、水墨画や日本画、書道など、すべておじいちゃんの作品だそうです!(驚)。鴨居には、10年前に出場した奈良県のゲートボール大会で1位になった表彰状が飾られていました。広げて見せてくれたのは、20日かかって描いたという、観音様の掛軸。その見事な出来栄えに、加藤さんもビックリです。以前は洋服の仕立てをしていたそうで、なんでもキッチリしないと気が済まないというおじいちゃん。しかし、そのおじいちゃんの手綱をしっかり締めてきたのは、財布の紐の堅いおばあちゃんでした(笑)。お二人ともとても若くて、100歳まで元気で長生きしてください!。最後にスタジオでは、農機具が大好きというおじいちゃんが、91歳の時に購入したという真新しいトラクターに乗って田を耕す姿が、ビデオ紹介されました(笑)。

石見地区に移動した鶴瓶さん、再び住宅街を歩いていると、吉田さんの奥さんと出会います。お婆ちゃんがファンだというので、家まで付いて行くと、ご主人のお母さんと、ご主人の弟のお嫁さんもいて、皆さんにご家族の話を聞くことができました。同じ敷地内で暮らす3世帯、お姑さんと二人のお嫁さんの仲もよく、ご近所さんに『本当の親子やな いうてもらえる』と、お母さんも嬉しそう。怪獣の町から抜け出して、『ようやく落ち着いたわ』と、ホッとする鶴瓶さんでした(笑)。

再放送は、2月8日(土)午後4時45分~午後6時00分に、NHK総合で放送予定です。

 


番組内で紹介された 三宅町の名物など

 令和2年1月1日(水)放送 ブラタモリ×鶴瓶の家族に乾杯 新春!沖縄スペシャル

年の初めは「ブラタモリ」と「鶴瓶の家族に乾杯」、2つの旅番組が夢のコラボ!。タモリさんと鶴瓶さん、NHKの看板番組を持つ2人が、「同じ日」「同じ時間」「同じ町」を旅する新春特別番組も、今年の正月で5回目!。タモリさんは「土地の歴史・地形」をテーマに、鶴瓶さんは「土地柄・人柄」をテーマに、同じ日、同じ場所で旅します。しかし、二人は犬猿のキャラクター(汗)。旅の様相が、全く異なる所が魅力です(笑)。

これまで放送された過去の番組内容は、こちらをご覧ください。

久高島の場所今回は沖縄を舞台に、”神の島”と呼ばれる「久高島」を目指して、タモリさんと鶴瓶さんがそれぞれの流儀で旅をします。二人は、浦添城跡(浦添グスク)で目撃されていますが、果たして、どう久高島へ繋がるんでしょうか?。

久高島(くだかじま)は、沖縄本島の東南端、那覇市から東へ20kmほどの場所にある知念岬の沖合 5kmほどの海に浮かぶ、小さな島です。島の外周は8km、最高地点の標高は17mと平坦で、人口は約180人。島民の結束により今まで観光開発が全くなされず、現代でも琉球王朝時代からの信仰と伝統が守られ続けていることから、”日本最後の聖域”とも言われています。手つかずの豊かな自然が残る島で、のんびりとしたシマ時間を過ごすのが、久高島観光の流儀。果たして、賑やかな二人は、どんなシマ時間を過ごしたのでしょう(笑)。


ロケが行われたのは、令和元年11月6日(水)。今年の二人の旅の舞台は、沖縄!。タモリさんと鶴瓶さんは、那覇空港から出発する「沖縄都市モノレール」(愛称:ゆいレール)の車内で待ち合わせ。案内してくれたのは、職員の前外間さんと安谷屋さん。先にタモリさんが乗り込んだ車両は、番組の貸し切りなので他に乗客はいません。運転席の真後ろの席が空いているので、そこに座りたいタモリさんですが、残念ながら視聴者に背を向けるわけにもいかず、案内された窓側の席に座ることに(笑)。まもなくして鶴瓶さんも登場。モノレールは、昨年(2019年)10月1日に延伸した終点の「てだこ浦西駅」に向けて出発します。そして、そのモノレール内から、早くもタモリさんと鶴瓶さんの爆笑トークが始まります(笑)。タモリさんは、途中の車両基地で見ることができた跨座式モノレールや、最大勾配60‰(パーミル)の急坂に興味津々ですが、鶴瓶さんにはチンプンカンプン(笑)。そして右手には、2019年10月31日未明に発生した火災で、悲惨な姿と化してしまった「首里城」を見ることができました。

終点の「てだこ浦西駅」のホームで二人を待っていたのは、林田理沙アナウンサー。そしてタモリさんの前に差し出された”タモテバコ”の中に入っていた今回の旅のお題(指令)は、「沖縄の神髄は“日の出”にあり!?」。ちなみに「てだこ」とは、浦添が琉球王国の首都であったときに浦添一帯を治めた英祖王の別名。彼の母親のお腹に太陽がドカンと入って身ごもったとされる伝承があり、沖縄の方言で太陽を意味する「てだ」の子「こ」と呼ばれました。ナレーションの草なぎ剛さんによると、てだこ浦西駅がある浦添市は、今回のテーマを解き明かすのにピッタリの場所なんだそうです!。

ここからブラタモリ一行+鶴瓶さんを案内してくれたのは、沖縄の歴史を自身で書いたイラストを使って分かりやすく伝えている研究者、上里隆史さん。上里さんがまず向かったのは、13世紀に英祖王が築いたといわれているお墓「浦添ようどれ」。お墓に通じる通路は、”暗い門”という意味の「暗しん御門(くらしんうじょう)」と呼ばれています。沖縄戦で崩れてしまったのですが、それ以前には塀の上に大きな岩盤が乗っていました。その暗い通路を抜け、石積みの中御門(なかうじょう)をくぐった先には、琉球石灰岩(沖縄に広く分布し石垣などに使用されるサンゴや貝殻が堆積してできた岩)を使った明るい色調の、英祖王の前庭(一番庭)があります。前庭から中御門を振り返ると、ちょうどそのアーチ門の真ん中に、冬至の日の太陽の日の出が見える位置に作られているそうです。冬至は一年で一番日が短かく、以降は日が延びていくことから、再生の象徴として設計されたものとされています。 沖縄の人々が考えた世界観 昔の沖縄の人々が考えた世界観は、この世界は平板で、東にある”てだが穴”から登った太陽は、西にある”てだばんた”(太陽の崖)に沈み、崖に開いた穴から地中の世界に入るというもの。浦添ようどれから、その”てだが穴”があるとされる東の方向に見えるのは、海の上に浮かぶ平たい島、「久高島」(くだかじま)です。当時、浦添に暮らした人々は、久高島こそが”てだが穴”だと考えたことから、今でも久高島は「神の島」とも呼ばれています。そして、神の島の東に広がるのが、東の彼方にあるとされる理想郷、「ニライカナイ」であると考えられていました。そろそろ歴史話に飽きてきた鶴瓶さん、上里さんに勧められ、ニライカナイのある東へと一人旅を始めることに!。ブラタモリ一行を残し、浦添ようどれを後にする鶴瓶さんは、『案外 はよう逃げられたなぁ』と、嬉しそう(笑)。

タモリさんは、引き続き上里さんに案内され、ありがたい場所を目指して東へと進むことに。次にやって来たのは、南城市にある「斎場御嶽」(せーふぁうたき)。沖縄の各地にある御嶽の中でも特に格式の高い、最高の聖地と崇められ、世界遺産にも指定されています。上里さんによると、御嶽の入り口に積まれていた石は香炉で、御嶽への立ち入りが禁じられていた男子は、この場所で祈りを捧げたそうです。沖縄では古来、女性に霊力が備わっているとされる信仰があり、女性が宗教行事を司っていました。もちろん今は、男性も中まで入ることができます。大庫理(うふぐーい)は、聞得大君(きこえおぎみ)とおいう琉球王国で最高の神職の女性が就任式を行った場所です。そこで待っていたのは、琉球大学で地球科学を研究している緒方隆幸さん、ブラタモリには3回目の登場です。緒方さんに案内され進んだ先にあったのは、祈りの場所のひとつ、寄満(ゆいんち)。そこにあったのは鍾乳石です。斎場御嶽は、もともとは地下の鍾乳洞でしたが、鍾乳洞の天井にあった山は風化と浸食により徐々に薄くなり、最後は崩れ落ちて今の様な神秘的な岩場の空間が生まれました。次に向かったのは、斎場御嶽のシンボルともなっている三角岩。この三角形の空間は、琉球石灰岩の下にあった泥岩層が地滑りを起こし、その上の琉球石灰岩の層が割れて横ずれしながら落ちたことで生まれたものです。しかしこの神秘的な空間を、昔の人は”てだが穴”に重ね合わせ、この先の空間を神聖な場所として崇めました。三角岩をくぐった先の拝場から東に見えたのは、神の島と呼ばれる久高島。その昔は岩に塞がれ久高島は見えなかったらしいのですが、東のニライカナイからやってくる霊力は、広場の後ろに聳える岩にぶつかり、この場所に聖なる力がストックされると考えられた様です。

今回は早々とブラタモリ一行と別れることができて、大喜びの鶴瓶さん(笑)。上里さんから『東へ向かわれたらいかがですか』と言われ、人に指示されるのが大っ嫌いな鶴瓶さんは、別のところに向かおうとしますが、気が付けば、着いた先は東にある安座真港。そこで待っていたのは、ブラタモリ一行が久高島へ向かうためにチャーターしていた船で、鶴瓶さんは先に勝手に乗り込み、久高島へ渡ることに。目指す久高島は、安座間港から船で20分ほど。鶴瓶さんは、ブラタモリ用にチャーターされた船を勝手に使った罰か、珍しく船酔いしてしまいます(笑)。久高島に上陸すると、鶴瓶さんがまず出会ったのは、”鶴瓶の家族に乾杯”では名物の様に登場する、歯が無い糸数さん(笑)。続いて、「久高島船待合所」に居た女の子から声を掛けられた鶴瓶さん、何とさっき乗せてもらった海上タクシー船の船長、内間さんの娘さんだそうです。そこで鶴瓶さんは、チケット売り場で働いていた平木場さんや、島に観光に来ていたフェドッジさん、待合所の売店で働いていた外間さんらに話を聞きました。鶴瓶さんは、久高島の豆や塩、沖縄黒糖などで作られた名物の「氷ぜんざい」(570円)を頂きながら、海ぶどうを養殖している内間さん夫婦や、「ふがにまぁす」という塩(マース)を作っている西銘さんのことを知ることができました。

ここでスタジオの小野アナウンサーが、久高島を紹介。神の島として、昔から様々な祭事が行われてきた島なので、訪れた人々には「久高島で守ってほしいこと 7か条」があるそうです。

  1. まずは、「あいさつ」をしましょう
  2. 島におじゃまするという気持ちで、地域の決まりを理解しましょう
  3. 久高島には御嶽や拝所等、立ち入れない場所があります
  4. 久高島の自然物(石や砂、樹木等)の持ち出しはご遠慮ください
  5. 島は生活の場です。当たり前のマナーを守り、島の暮らしを感じてください
  6. 久高島のヤシガニを獲らないでください
  7. 来島者のみなさんもぜひ一緒に心地よい久高島づくりにご協力ください

鶴瓶さんが次に向かったのは、外間さんから教えてもらった、内間さんの海ぶどうの養殖場。しかし訪ねあてた先は、福治さんが経営している海ぶどうの養殖場「福YOU」でした(汗)。収穫作業をしていた奥さんの隣に座りこんだ鶴瓶さん、手のひらを出すと奥さんが次から次へと海ぶどうを取って乗せてくれるのをいいことに、『美味しい』とパクパク食べてしまう鶴瓶さんでした(笑)。新鮮な海ぶどうは、酢などを付けずにそのままで頂くか、海ぶどう丼にして食べるのがおすすめだそうです。

一方、タモリさんが次に訪れたのは、斎場御嶽から南へ車で15分ほど、東の海が望める「百名ビーチ」。ビーチでの移動手段は、なんと「与那国馬」(笑)。馬に跨り少し進んだ先には、海の中に「ヤハラヅカサ」と記された石碑が建てられていました。満潮時には水没しますが、干潮時には石碑全体が海面上に現れます。ここは、沖縄を作ったとされる女神の”アマミキヨ”が、沖縄本島で最初に上陸した地点とされている場所です。アマミキヨは、あらゆる恵みを沖縄にもたらしたとされますが、その一つが稲作で、稲作発祥の地がこの場所であったとか。タモリさんが振り返ると、そこには小さな川が流れており、その水源を辿ると、その水は琉球石灰岩と泥岩の地層の境目から湧き出していました。崖の下からはあちらこちらで水が湧き出しており、そうした自然環境もあって、この地で稲作が可能になったようです。

鶴瓶さんは福治さんから、フィリピン人のお嫁さんの舅さんがやっている島内に一軒しかない「内間商店」に、先日「カジマヤー(風車祭)」という97歳の長寿のお祝いをしたお婆ちゃんがいると教えられ、訪ねることに。店に出てきてくれたお婆ちゃんは、耳は遠くなりましたがお元気で、電卓をたたいて計算もしているそうです。そこに買い物に来たのは、那覇から来たという観光客の女性。160円の”さんぴん茶”を4本買うと料金は640円で、1千円のおつりは360円と、このくらいの計算は電卓を使わずとも暗算で済ますお婆ちゃんでした(驚)。小野アナウンサーによると、沖縄では数え年で97歳になると人間は子供にかえるとされ、子供が喜ぶ風車(カジマヤー)を持ってお祝いするんだそうです。

店を出た鶴瓶さんが道で出会ったのは、若い男性が運転する車。助手席で赤ちゃんを抱いていた奥さんから、島で最年少の子と知らされ、今しがた島で最年長のお婆ちゃんに会ってきた鶴瓶さんはビックリしますが、さらに驚いたことに、その赤ちゃんがカジマヤーのお婆ちゃんのひ孫なんだそうです!。鶴瓶さんは、島の最年少の赤ちゃんを抱きながら、内間さんご夫婦に、島での暮らしぶりなどについて話を聞きました。最後に鶴瓶さん、「ふがにまぁす」という塩を作っている場所を内間さんに訊ねると、なんとさっき内間商店にいた伯父さんが作っているんだそうです(汗)。『えぇぇ!?』と驚いた鶴瓶さん、再び商店に戻り内間さんに訊ねると、内間さんが作っている塩は、「太陽(ティダ)ぬ真塩」と「月(ティキ)ぬ真塩」というんだそうです(笑)。内間さんからタダで塩を貰いお土産もゲットできた鶴瓶さん、『よし これで終わりや、帰りま~す』と帰路に就きました(笑)。

一方のタモリさんは、ちょうどその頃、ようやく久高島に上陸。先に鶴瓶さんが歩き回った島ですが、再びブラタモリ風に歩いてみると、平らな島とはいえ港から離れると徐々に起伏があり、琉球石灰岩の昔ながらの石積みが続いていることに気が付かされます(笑)。タモリさんが久高島で最初に訪れたのは、実は鶴瓶さんも偶然先に参拝していた、「久高殿(御殿庭・ウドゥンミャー)」。久高殿は、前後が吹き抜けになっている門の様な造りで、後ろに広がる森は神様が住む世界、こちら側は我々が住む現世で、神殿はその2つの世界を繋ぐトンネルの様な役割と考えられていた様です。この神殿では、12年に1度催される「イザイホー」という神事に使われていました。イザイホーとは、久高島の女性が神職者になるための神事で、後継者不足により1978年を最後に行われていませんが、昔は久高島の女性は全員が神に仕えて神職になるのが、島の習わしだったそうです。神殿の左側の建物は、イラブー(ウミヘビ)の燻製を作る場所だそうです。イラブーは、昔はニライカナイの神様からの贈り物と考えられていて、神職に関わる人しか獲ってはいけなかったとか。その神様からの有り難い贈り物を、神殿の隣で燻製にしたんですね。今でも沖縄では、昔と変わらない方法で、イラブーの燻製が作られています。見た目はともかく、味はカツオに似ていて美味しいそうで、久高島の最年長の内間さんの長寿の秘訣も、実はイラブーにあるらしいです!?。

イラブーの燻製タモリさんは、ありがたい東を目指して、ついに久米島でも最も東に位置する「カベール岬」にやってきました。久高島でも、一番ニライカナイに近い場所ですね。周りの海を見渡すと、白波が立っています。つまり久高島の周囲は、サンゴ礁の浅瀬が広がる場所。その昔、海面が低かった時代には、沖縄本島に繋がっていたとか。今では、標高17.5mの久高島が、ギリギリ海の上に残っている状態だそうです(汗)。

再放送は、1月4日(土)午後4時30分~午後5時58分に、NHK総合で放送予定です。

 


番組内で紹介された 沖縄の名物など

 令和元年12月16日(月)放送 祝!結婚 壇蜜と秋田県秋田市ぶっつけ本番旅!

旅のゲストは、女優でタレントの壇蜜(だん みつ)さん。秋田県横手市生まれで東京都出身の39歳。先日、11月22日(いい夫婦の日)に漫画家の清野とおる氏(39)と入籍したと、結婚発表があったばかり。芸能界では男性を魅了するグラビアアイドルとして人気を博しましたが、小学校から大学まで昭和女子に通った才女。英語科の教員免許を持ち、日本舞踊坂東流の師範であるほか、和菓子店や銀座のクラブホステス、葬儀場など、多彩な職歴の持ち主です。2013年公開の映画『甘い鞭』で、日本アカデミー賞 新人俳優賞を受賞。NHK連続テレビ小説『花子とアン』や『まんぷく』をはじめ、NHKのドラマや教育番組、ラジオ等にも数多く出演しています。2年ほど前に、鶴瓶さんがMCをする『チマタの噺』に壇蜜さんがゲスト出演した際には、みごと手玉に取られノックアウトされた、下ネタが大好きな鶴瓶さん。果たして今回は、壇蜜さんと対等に渡り歩くことが出来たのでしょうか?楽しみです(笑)。

旅の舞台は、秋田県の県庁所在地である 秋田市(あきたし)。秋田県の南北のほぼ中央に位置し、日本海に面しています。壇蜜さんの出生地である横手市とは、市の中心部まで70kmほどの距離です。幼少の頃に東京へ移住した壇蜜さんですが、両親が共働きだったため横手市の祖母のもとに預けられることが多く、子供の頃は東京と秋田を往復する日々が続いたそうです。そんな壇蜜さんが、秋田で一番お気に入りの場所が、秋田市にある千秋公園。秋田藩を治めた佐竹氏の居城・久保田城の跡地に整備された公園で、秋田市内を一望でき、見晴らしが最高。さらに公園内にある人気スポット「秋田犬ふれあい処」では、秋田犬と無料で触れ合うことができ、壇蜜さんのとっておきの場所だそうです(笑)。ロシアのフィギュアスケート選手、アリーナ・ザキトワ選手に贈られた秋田犬の子犬・マサルも、とっても可愛かったですよね~。鶴瓶さんと壇蜜さんは、秋田市新屋ガラス工房などを訪れた様ですよ(笑)。


ロケが行われたのは、令和元年10月21日(月)。「新屋幼稚園・あらや保育園」の向かいの「大川端帯状近隣公園」で待ち合わせた、鶴瓶さんと壇蜜さん。それぞれに、公園に遊びに来ていた園児たちと触れ合います。虫が嫌いと駄々をこねる園児に、壇蜜さんが『抱っこする?』と訊ねますが、首を振られてしまいました。そんな子供に向かって鶴瓶さんは、『みんな 抱っこしてほしいねんでぇ、この人に』と、大そう羨ましがります(笑)。その後、二人は公園のベンチに座って談笑します。秋田生まれで東京育ちの壇蜜さん、”エセ秋田人”である自分のことを秋田の人たちがどう思っているのか知りたいと、ふる里の秋田を旅することにしたそうです。

秋田市新屋地区を歩き出した二人は、道端に柿が沢山実っている大きな柿の木を見つけ、そのお宅を訪ねることに。しかしそこは、柿の木のお宅の隣にあった、「東邦産業株式会社」の事務所の裏口でした。応対してくれたのは、可愛らしい女性でしたが、なんと社長さんだと知った鶴瓶さん、詳しく話を聞くことに。浅野さんは、14年前にこの会社を立ち上げたご主人が若くして亡くなり、後を引き継いで社長になったそうです。隣にあった、実を付けたまま放ってある柿の木について尋ねると、『柿漬けに使うのかも』と教えてくれました。壇蜜さんによると、秋田は”漬物天国”なんだそうです(笑)。壇蜜さんが横手の生まれであることを知っていた浅野さんに、鶴瓶さんが『なんで知ってるの?』と訊ねると、『壇蜜さんは秋田が生んだスターですもの』と浅野さん。それを聞いて、大そう喜ぶ壇蜜さんでした(笑)。

ここでスタジオから、秋田市の魅力をビデオ紹介。紹介してくれたのは、「あきた舞子」の、緒叶羽(おとは)さんと佳乃藤(かなふじ)さんです。かつて秋田市の繁華街には、お座敷を賑わせた川反芸者が沢山いて、戦前には200人もの舞子さんが夜の街を彩ったそうです。そこで5年程前に、途絶えてしまったこの文化を復活させ、かつての賑わいを取り戻すために、秋田の新しい観光資源「会える秋田美人」として、あきた舞妓が復活しました。舞子さんと一緒に歩きながら、秋田の魅力を発見しに出かけましょう!(笑)。
 舞子さんがまず案内してくれたのは、秋田市民のオアシスでもある「千秋公園」。ザキトワ選手やプーチン大統領、アラン・ドロンも大ファンという、今や世界的人気の「秋田犬」(あきたいぬ)と触れ合うことができる、「秋田犬ふれあい処」が人気です。
 さらに、秋田で見て欲しいものと言えば、「秋田竿灯まつり」。毎年8月3日~6日に開催される竿灯まつりには、130万人以上もの観光客が訪れます。名人たちが、手のひら、額、腰などを使い竿灯を操り、技を競い合います。今は季節外れですが、ガッカリすることはありません!。「秋田市民俗芸能伝承館」では、祭りで使用する竿灯の展示や実演を観るだけでなく、実際に竿灯を担ぐ体験もできるそうです。

明日人間ドックに入るため、今日は”稲庭うどん”、それも具無しのうどんしか食べられないという鶴瓶さん。柿は諦めて、看板を見て気になった、「秋田市新屋ガラス工房」を訪ねてみることに。すると途中、偶然にも”新屋うどん”と書かれた幟旗を見つけ、大喜びで立ち寄ることにします(笑)。しかし、「町家カフェわわわ」(machiya cafe WAWAWA)の広い店内には誰もおらず、声を掛けても誰も出てきません。店の奥へと進むと、ようやく店主の芳賀さんが見つかり、スタッフの分も含めてうどんを注文しますが、一人で作っているので無理と断られてしまいました(汗)。カレーなら大丈夫かと相談しますが、お客さんが来ないのでカレーもそんなにストックが無いそうです・・・。そこで鶴瓶さん、まずは席に座って、ご主人に詳しく話を聞くことに。以前は、ガラス工房に併設されていた「喫茶わわわ」ですが、今年の3月に隣接する古民家の渡邉幸四郎邸に移転することとし、半年かけて自身でリフォーム、8月31日にオープンに漕ぎ着けたそうです。町家カフェわわわでは、大きなスピーカーでジャズなどを聴きながらコーヒーを味わえるほか、ランチメニューでは、かつて新屋地区で製造された味を再現した「新屋うどん」や、新屋うどんのスープをベースに使った自家製の「アラヤンカレー」などが人気だとか。そこで、調理師免許を持っている壇蜜さんも厨房に入り、手伝ってかけうどんとカレーを作ってくれることに。借りたエプロンを着ける壇蜜さんの背後に回り、肩ひもを結んであげる鶴瓶さん、スケベ丸出しに顔がニヤケます(笑)。出来た料理を頂きながら、再び芳賀さんに奥さんとの馴初め話を聞くと、バーテンをしていた時に友人がデートで連れてきた彼女が気に入り、譲ってもらったとか(汗)。『バーテンダー・バンドマン・美容師の”3B”はモテるからなぁ』と鶴瓶さん。しかし壇蜜さんは、『私は、”売れてない○○”が好きですねぇ』と。例えば、売れてない画家が結核で、『あなた死なないで』と上手に看取ってから次の人へ移るんだそうです(汗)。すると、『ぜひ将来は、一緒に店を手伝って欲しい』と芳賀さん、奥さんに失礼です!(笑)。

店の裏口を抜けると、そこが「秋田市新屋ガラス工房」でした。出迎えてくれた館長の大橋さんに話を聞くと、以前は新政酒造の工場だった跡地を秋田市が買い取り、ガラス工芸を身近に感じられる”ものづくり、ひとづくり、まちづくりの創造拠点”として、2年前にオープンしたそうです。ガラス工芸作品を展示するギャラリーや、制作の工程を見学できるガラススタジオ、さまざまな制作活動ができるレンタルスペースのアトリエ、作品の販売や休憩ができるショップ&カフェなど、ガラス作品を見て感じて体験ができる施設です。鶴瓶さんが施設内を見学して回っていると、一人の女性が声を掛けてきてくれました。1時まで工房を借りて作品作りに来ていた境田亜希さんですが、鶴瓶さんはちょっと彼女と立ち話しただけで、『かなりオモロイ女やで』と気が付き、一方の亜希さんは、以前から『何時か自分はこの番組に出るはず!』と思っていたそうで、鶴瓶さんを見つけた時には、『ようやく私の順番が来た!』と思い話し掛けたんだそうです(笑)。

富山ガラス工房
CHOCO(ちょこ)
熊谷峻「白金垂流彩」

ここで、壇蜜さんと別れることにした鶴瓶さん。亜紀さんから、ご主人の熊谷峻さんもガラス職人で、今は家で仕事をしている聞き、一緒に家まで付いて行くことに。境田亜希さんの作品は、上から光をあてた際にテーブルの上に花びらのような影が広がる”はなかげ”シリーズが特徴で、熊谷峻さんの作品は、石膏の型にガラスと一緒に土や金属などを溶かし込んで鋳造することで、透明なガラスに土や金属の濁りを重ね合わせたカオティックな美しさが魅力だそうです。ただし奥さん的には、もう見飽きた、もとい、見慣れてしまったとか(笑)。鶴瓶さんは工房の庭先に座り、お二人に、ガラス職人になった経緯や馴初め話などを聞きました。

一方、鶴瓶さんと別れた壇蜜さんは、ガラス工房近くの住宅街を歩いていると、小さなブティック「キャメル洋品店」を見つけ、訪ねてみることに。応対してくれたのは、店主の加藤さん。店を開けて既に40年になるそうですが、まったくそうは見えない美しい女性。壇蜜さんは加藤さんから、最近の流行りの服や、子育てしながら商売を続けてきたご苦労など、色んな話を聞くことができました。

ここでちょっと一息、秋田県秋田市の「家族に一杯」の時間です。
 今日訪ねたのは、米どころ秋田ならではの田園地帯にある集会場。今夜は近所の子供たちも大勢集まって、鍋パーティーを開くそうです!。お母さんたちが野菜を切って準備をしてくれますが、主役は何と言っても、『新米が出たときは、まんずうんめぇから、やっぱ食べますね』という「きりたんぽ」。一方、味の決め手は、鶏のモツとセリ。セリは、葉っぱだけでなく根っこも入れることで、味にコクが出て、葉と違う食感も『うめぇっす!』とお母さん。本日の一杯は、秋田県民を元気にしてくれる「きりたんぽ鍋」。子供たちは『美味しい』と大喜びし、お母さんも『野菜もたくさん取れるし主食のお米も食べられるし、一品で済んでしまう』と大助かり。食後には、みんなで秋田県を代表する民謡「ドンパン節」を大合唱(笑)。ちなみに、今日の家族に一杯のコーナーのBGMは、『どんぱん節』(monk beat)でした。

再び新屋の町を歩き出した壇蜜さん、今度は自宅の縁側で縫物をしていたお婆ちゃんを見つけ、声を掛けてみます。ほどいた着物の生地で手提げかばんを作っていたのは、一人住まいの森川さん。あちこちのお宅に干し柿が吊るしてあるのを見て食べたくなった壇蜜さんは、干し柿を作ってないかと訊ねると、まだ干し柿は出来ていないけど、さわした(渋抜きした)柿ならあるそうです。ついでに漬け物も食べたいと、壇蜜さんは台所に上がらせてもらうことに(汗)。気さくに家に招き入れてくれた森川さんに、漬け物を出していただき、柿の皮まで剥いてもらって、さらにお土産までねだる壇蜜さんですが、森川さんはニコニコしながら、喜んで突然の来客をもてなしてくれました。台所に飾ってあった、ご主人やお孫さんの写真を拝見しながら、昔の思い出話も沢山聞くことができた壇蜜さんでした(笑)。次に森川さんが出してくれたのは、もうすぐ学校が終わったら立ち寄るひ孫が大好きという、サツマイモの唐揚げ。2人のひ孫は、小学3年生と4年生で、かわいくて仕方ないそうですが、もうすぐ来るであろう反抗期にキレないか、とても心配と話す、ひい婆ちゃんでした(笑)。

鶴瓶さんは、亜紀さんに案内してもらい、実家の食器店「食器のさかいだ」を訪ねることに。店で出迎えてくれた亜紀さんのお母さんは、鶴瓶さんと同級生。ちょうど店先の貸しギャラリーのスペースで展示会を開いていた、大館市の創作陶器人形作家・佐藤純顧(あつこ)さんを紹介してくれました。作品は、若くして亡くなった父母を想い、昔の居間で寛ぐ家族の様子を描いた、温かみのある人形です。鶴瓶さんは、店の表に回り、ウィンドウ越しに飾られた人形を眺めながら、佐藤さんやお母さんから、暮らしぶりや家族のことについて、いろいろ話を聞きました。

この後、いよいよ壇蜜さんの”肉弾戦”が始まるそうです!。それを聞いて、『放送できるかな?』と、ほくそ笑む小野アナウンサー(笑)。壇蜜さんが、森川さんに貰った柿が沢山入った重そうな袋をぶら下げて、次に訪ねたのは、森川さんのひ孫が通っている「秋田市立日新小学校」。しかし玄関には、壇蜜さんの苦手な警備員さんが・・・(汗)。『でも、今日はちゃんと服を着ているから大丈夫よね』と、アポイントを相談する壇蜜さんでした(笑)。アポなしの急な壇蜜さんの訪問に戸惑う鈴木校長先生でしたが、校長室で森川さんのひ孫の翼くんに引き合わせてくれました。そこで壇蜜さん、『お婆ちゃんが反抗期が怖いって言っていたので、大事にしてあげてね』と翼くんにお願いしますが、翼くんはそんな心配は必要ない、純朴そうな少年でした(笑)。将来はお医者さんになりたいと話す翼くん、校長先生が『どんなお医者さん?、例えば骨折したりした時の?』と尋ねると、翼くんは『違います、私 失敗しないので!』と(笑)。壇蜜さんと握手を交わす翼くんを見て、大そう羨ましがる校長先生(笑)。そこで、相撲のぶつかり稽古を見せてくれることに。なんと翼くんは相撲部に入っていて、校長先生が相撲部の監督をしているそうです!。力強い翼くんのぶつかりを見て、壇蜜さんも受けてみたいと、胸を貸すことに。しかし、小学4年生の相撲部男子のぶつかる力は結構強く、華奢な壇蜜さんを押し倒さんばかり(汗)。すると壇蜜さん、『ビックリした!、変な汗出た。やだ、ドキドキしちゃった』と(笑)。

一方、鶴瓶さんは、新たな出会いを求めて車で移動していると、目に入ったのは、「牛島商店街」のアーケード看板。さっそく車を降りて商店街を歩いてみますが、商店街とは程遠く、開いている店は一軒も見当たりません(汗)。一軒のシャッターの閉まった店の前で、そのシャッターに貼られた張り紙を見つけた鶴瓶さん。そこには、『ここは昔、佐藤商店って店だったんだど。三代続いた八百屋で、一日にいくつもの学校や病院に配達し続けてきたんだそうな。遠くの学校からも配達をお願いされるほど、厚い信頼があったんだど。昔あったど、今ねえど。(平成二十年 閉店)』と書かれていました。隣の店のガラス窓にも、同じような秋田弁の文面が記されています!。ようやく、開いている1軒の商店を見つけた鶴瓶さん、その「魚のわたとら」(渡寅商店)を訪ねることに。向かいの家から出てきた女性に訊ねると、毎日だと商売にならないから、週に2日だけ店を開いているそうです。店で出迎えてくれたのは、年配の店主のご夫婦。鶴瓶さんはお二人から、店の成り立ちや馴初め話などを聞きました。

色んなペットを飼っている動物好きな壇蜜さん、珍しいペットを飼っているお宅を訪ねてみたいと、校長先生に相談します。すると安藤教頭先生が、大和くんの家では沢山の犬を飼いドックショーなどにも出ていると、教室にいる大和くんを呼んできてくれることに。校長室に来てくれた大和くんに、16匹も犬がいるという家に行きたいとお願いすると、お母さんに電話で聞いてみてくれることに。教頭先生が交渉してくれて、お母さんから承諾を貰うことは出来たのですが、電話を代わった大和くん、お母さんに『突然こういうことになって、ごめんね』と(笑)。

鶴瓶さんが次に訪ねたのは、牛島商店街で渡寅商店の他にもう一軒だけ店を続けているという、「岡部時計店(オカベ時計サービス)」。店で鶴瓶さんを歓待してくれたのは、店主の岡部さんご夫婦。ご主人に話を聞くと、この店は商店街にある時計店ではありますが、時計の販売より修理が専門なんだそうです。全国から送られてきていた修理依頼の品を見ると、ロレックスやオメガなど、高級な機械式腕時計ばかり。一番遠い所では、ロンドンからも修理の依頼がくるそうです(驚)。年配のご主人ですが、ネットを使いこなして、うまく商売に繋げているようです。商売を長年続けてこられた秘訣を訊ねると、昔は販売で儲かった時計店が、こぞって修理を辞めて貴金属や眼鏡などの販売に手を広げてしまったことで、販売が廃れても修理には戻れなくなってしまったけど、岡部さんは販売にも手を広げたものの修理だけは辞めなかったことが良かったと、苦労した昔を振り返ってくれました!。

ロングヘアー・ダックスフンド・ミニチュア大和くんに案内してもらい、「夏井まゆみブリーダー」さんのお宅を訪ねることができた壇蜜さん。16匹もの犬がいる部屋に入ると、突然見知らぬ壇蜜さんやテレビカメラが入ってきたことで、犬たちが一斉に吠え出し、うるさくて話もできないほど(汗)。でも、ドッグショーに出てチャンピオンにもなったダックスフントの姫子ちゃん(メス 4歳)は、壇蜜さんに抱かれても、さすがに落ち着いたもの!(笑)。壇蜜さんは、姫子ちゃんを抱きながら、夏井さん母息子から、犬と一緒の家族の暮らしぶりなどについて話を聞くことができました。

再放送は、12月20日(金)午前0時55分~午前2時07分(木曜日の深夜)に、NHK総合で放送予定です。

 


番組内で紹介された 秋田市の名物など

 令和元年12月9日(月)放送 移住先探し!?大島優子と鹿児島県阿久根市ぶっつけ本番旅!

旅のゲストは、元AKB48のメンバーで女優の大島優子(おおしま ゆうこ)さん。栃木県出身の31歳。お母さんに薦められて7歳の頃から子役として芸能活動を始め、その後はジュニアアイドルとして音楽の方面にも活躍の場を広げます。2006年の第二期AKB48追加メンバーオーディションに合格して、すぐにAKBに参加。2010年の第2回AKB48選抜総選挙では、第1回の覇者・前田敦子さんを抑えて1位に選ばれます。第3回はあっちゃんが1位に返り咲きますが、第4回で再び大島さんが1位となり、当時のAKB48の人気をあっちゃんと二分していました。しかし、2013年末のNHK紅白歌合戦で、大島さんはAKB48を卒業することを発表します。AKB48メンバー当時も、女優としての仕事も行っていましたが、卒業後はドラマや映画だけでなく、舞台などにも出演。9月からスタートしたNHK朝の連続テレビ小説『スカーレット』では、信楽に転校してきた主人公・川原喜美子(戸田恵梨香さん)の同級生で、信楽で一番大きな窯元のお嬢様の”熊谷照子”役を演じています。第2週目の最後に初登場した大島さん演じる照子は、なんと15歳!。しかし、セーラー服姿も全く違和感がないと、ネットで話題になりました(笑)。

旅の舞台は、鹿児島県の北西部に位置し、東シナ海(天草灘)に面した 阿久根市(あくねし)。「アク」は魚、「ネ」は岩礁を意味し、その名前の由来どおり、古くから漁港として栄えてきた土地柄です。特にアジ漁が盛んで、阿久根市のブランドアジの「華アジ」は、関アジ・岬アジにも劣らないとか。他に、ぼんたんなどの果物生産や、精肉加工が盛んで、鶴翔高校 食品技術科の生徒が授業の一環で製造している豚味噌「3年A組シリーズ」が特に人気の商品だそうです(笑)。鶴瓶さんと大島さんは、とんかつの美味しい「かつ膳」を訪れた様ですが、豚肉が何か旅のテーマと関係があるのでしょうか?。大島さんの好物は、豚ではなく鳥のから揚げなんだそうですけど・・・(汗)。


ロケが行われたのは、令和元年10月7日(月)。ウミガメが産卵に来るという西目地区の海岸で待ち合わせた、鶴瓶さんと大島さん。大島さんが米国オレゴン州ポートランドに語学留学をしていた際に出会った、ホストファミリー宅にいた思春期真っ盛りの男の子の話で盛り上がります(笑)。将来は海も山もある長閑な場所で家庭菜園をしながら暮らしたいという大島さん、今回はその下見も兼ねて、行ったことがない鹿児島県を訪れることにしたそうです。

二人が連れ立って住宅街を歩き始めると、さっそく一人の女性と出会います。朝の漁港での魚の選別の仕事から帰ってきた岩崎さん、貰ったサバを実家の父親に届けようと、車で出掛けるところだったそうです。すると阿久根では昨日、50歳の人達が小学校の運動会で走る一大イベントがあったと聞き、興味深々の鶴瓶さんと大島さん。二人が再び歩き出すと、今度は古そうなお寺の前にあった首の取れた石像を見つけ、その「光明寺」を訪ねることに。出迎えてくれたのは、住職の齋藤さんの奥さん。喜んで二人を広間に招き入れ、門前にあった首の無い「かくれ念仏」の十二将神像について教えてくれました。かくれ念仏とは、16世紀末に島津義弘が一揆につながると浄土真宗の信仰を禁止したのに反して、信者たちが念仏洞などに隠れて信仰を守り続けたことに由来し、今でも光明寺ではかくれ念仏の講が執り行われているそうです。奥さんから住職のことについて話を聞いていると、ちょうどそこに住職が帰宅。お二人から、馴初め話や暮らしぶりについて話を聞きました。10年前に大腸がんを患ったという住職、主治医からステージ3と宣告された際に隣にいた奥さんの青ざめた顔を見て、『家内は わしを愛してたんやなぁ』と気が付いたとか(笑)。その時に作った詩が『人生婦夫竹』と、奥さんがCDやポスターを出してきて見せてくれましたが、その歌にはまったく関心の無い鶴瓶さんでした(笑)。

ここでスタジオから、阿久根市の魅力をビデオ紹介。大島さんがセンターを務めた『ヘビーローテーション』の曲にのせて、市民の皆さんが紹介してくれました。
 まずは、先に出会った岩崎さんが教えてくれた「華の50歳組」。華の50歳組とは、50歳を迎えた人たちが母校の運動会に参加するという、阿久根市のユニークな伝統行事です。中でも特に盛り上がるプログラムが、小学生と一緒に走るリレー。年に一度行われる熱い戦いは、何度も見たくなること間違いなし!(笑)。
 続いては、ヘビーローテーションしたくなるスポット「阿久根大島」。阿久根港から船で10分ほどの所にある無人島ですが、マリンスポーツやアウトドアが楽しめる人気のスポットです。人は住んでいませんが、島に住んでいる120頭もの鹿が訪れる人を迎えてくれます。
 最後は、阿久根市にある唯一の高校、鹿児島県立鶴翔高等学校の食品技術科の生徒が作っている「豚味噌(3年A組シリーズ)」。28年前に、実習で作った鹿児島の郷土料理の豚味噌を売り出したところ大ヒット。見事、お土産のセンターに躍り出ました!(笑)。

市の中心部へと移動する車の中で、地元の名物の話になった鶴瓶さん、『こっちは豚か鶏、豚ならトンカツやろ』と話すと、大島さんも『とんかつ!?、いい~、トンカツ大好き!』と、大乗り気(笑)。すると鶴瓶さん、急に大声で『ストップ、ストップ!』と叫び車を停めさせると、慌てて車から降りて歩き出します。道沿いに立てられていた”ロースかつ”の幟旗を見つけ車を降りた鶴瓶さんでしたが、その店の前まで引き返すと、なんとそこは弁当チェーン店の「ほっともっと(Hotto Motto)」、『えらいとこ降りてしもうたわぁ』と後悔する鶴瓶さんでした(汗)。すると、二人が店の前で出会ったのは、10歳になる娘さんが鶴瓶さんのことを”幸せおじさん”と呼んで大好きと話す、中嶋さん母娘。しかし、このくらいの年齢だと、5年前にAKB48を卒業してしまった大島さんのことは知らないんだそうです(汗)。中嶋さんに近くの食事処を訊ねますが、市外の方で分からず、鶴瓶さんは勘だけを頼りに市の中心街を歩き回ることに・・・。すると、偶然にも見つけたんのは、とんかつ屋の「かつ膳」。店のご主人から、この辺りにとんかつ屋はここだけしか無いと聞き、その店を探り当てた勘を自画自賛する鶴瓶さんでした(笑)。大島さんはロースかつ定食を、鶴瓶さんはヒレカツ定食を頂くことにします。隣の席にいた新井田さん父娘に話しかけると、なんと昨日は「華の50歳組」にお母さんが出場し、その応援に娘さんが東京から帰省したんだとか。店主ご夫婦に話を聞くと、結婚当時は35歳と19歳の”歳の差婚”だった聞きビックリする鶴瓶さん、『警察に行ったら捕まるよ』と言いますが、『最近は城島さんもそうですしね』と、あまり気にも留めていない様子のご主人でした(笑)。

ここで二人は分かれることに。店を出た鶴瓶さんが出会ったのは、”日本一周 190日目”と書かれた黒板を荷台に縛り付けた自転車を押していた若者。森下さんは、北海道を出発して、既に半年になるそうです。ただし、ずっと自転車旅を続けているわけではなく、野宿が辛くなる冬の時期などは、一旦旅を中断し、大阪の実家に戻るんだとか(汗)。そして、世界観が変わるかもと仕事を辞めて自転車の一人旅を始めたそうですが、公園で野宿しつつも、既に100万円くらいの貯金を使ってしまったそうです。森下さんから、『視野は広がったけど、100万の価値は無いっすね』と聞いた鶴瓶さん、『ほんならやめて帰れや!もう』と(笑)。

一方の大島さんは、移住先の候補地を探そうと、海沿いの町を訪れることに。高之口港で車を降りた大島さん、住宅街を歩いていると車で通りがかった寺下さんから、ほとんどの町人はグラウンドに出てゲートボールをしている最中と聞き、そのグラウンドを訪ねます。大勢の町民が楽しんでいたのは、ゲートボールではなくグラウンドゴルフ。お婆さんのパワフルなショットに驚かされた大島さん、自分もゴルフをしているからと、試しにティーショットを打たせてもらうことに。目標を定めてフルスイングする大島さん、カメラはボールの行方を追いますが、あまりの勢いにボールを見失ってしまいます。しかし、なんとボールは、元あった場所に・・・。見事な空振りでした(笑)。

阿久根市倉津港海辺の浜町地区に移動した鶴瓶さん、一軒のお宅の前で車で出掛けようとしていた男性と出会います。日に焼けた顔を見て、鶴瓶さんは漁師さんかと思って声を掛けたのですが、倉津さんは漁師では無いそうです(笑)。倉津さん曰く、『漁師さんに会いたいなら、倉津港の方へ行った方がいい』とのこと。実は倉津さんも倉津地区の出身で、その集落に住む人の8割方は倉津姓なんだとか(驚)。そこで倉津さん、親切にも倉津港まで鶴瓶さんを連れて行ってくれることに。移動する途中、今の時期はタカエビ漁が盛んだと教えてくれました。倉津港に着くと、舫い杭(ボラード)に座って海を眺めていた漁師の洲崎さんと出会います。洲崎さんは、朝のウルメ漁に行ってきて、タカエビ漁には弟が出ていて、そろそろ漁協に水揚げに戻る頃だそうです。すると、向かいの自宅から奥さんの声が聞こえ、家に寄らせてもらうことに。洲崎さんご夫婦から、馴初め話やご家族の話などを聞いていると、昨日は一家で運動会に行き、長女が「華の50歳組」で走ったとか。娘さんは国体にも出たことがあるそうで、新幹線の様に早かったと洲崎さん。しかし奥さん曰く、『ここらはな、本当の話は通じらんと』と・・・(笑)。鶴瓶さんは再び倉津さんに案内してもらい、タカエビが揚がるという漁協を訪ねますが、既に水揚げ作業は終わっていて、漁協には誰もいませんでした(汗)。

グラウンドゴルフに来ていたのは、お年寄りばかりでなく、小さな子供やその母親もいて、子供がお年寄りから打ち方を教わるなど、世代を越えた地域住民の交流の場となっているようです。そこで、大島さんに写真を撮らせて欲しいと声を掛けてくれたのは、茶髪に剃られた眉毛、マスクをしてジャージを着た、見るからにヤンキーっぽい女性3人組(汗)。歳を聞くと21から23歳だそうで、まだヤンチャ盛りかと思いきや、なんと3人はママ友なんだそうです(驚)。何れも10代で結婚して子供を産み、21歳の峯さんに至っては、既に離婚まで経験済みだとか(汗)。これから車の免許を取りに行くという峯さん、学科試験に5回も落ちているそうですが、大島さんが『私も3回落ちたから』と慰めると、逆に『バカなんだ!?』と笑い返されてしまいました(笑)。すぐ傍に鳥越さんの実家があると聞き、訪ねさせてもらうことにした大島さん。阿久根から出たことが無いという3人に、さらに地元での生活について話を聞きました。子供が生まれたことで、自分の母親との仲も良くなったという梅原さん。”子は鎹(かすがい)”と言いますが、孫は母娘の鎹でもあるんですね!(笑)。

タカエビの味噌汁ここでちょっと一息、鹿児島県阿久根市の「家族に一杯」の時間です。
 今日訪ねたのは、鶴瓶さんが倉津港で出会った洲崎さんのお宅。『いらっしゃい、きやんせ~』と、奥さんとお嫁さんが出迎えてくれました。お二人が作ってくれた本日の一杯は、鹿児島では薩摩甘えびとも呼ばれている、「タカエビのみそ汁」。独特な甘さがあって、殻が柔らかいのでエビのみそがよくダシに出て伊勢海老の様に美味しいそうですが、足が早いため産地以外では滅多に食べられないそうです。阿久根ならではの一杯なんですね!。鶴瓶さんは食べることができなかったタカエビ、代わっていただきます(笑)。ちなみに、今日の家族に一杯のコーナーのBGMは、『そんなことがすてきです』(大橋トリオ)でした。

鶴瓶さんは新たな出会いを求めて、山間の鶴川内地区へと移動します。町を歩き出すと、酒屋の二階の窓から、こちらを見ているお婆ちゃんを見つけ、その「齊藤商店」を訪ねます。店で応対してくれた息子さんに、お婆ちゃんを呼んで欲しいと頼みますが、恥ずかしいからと降りてきてくれません(汗)。ここでも「華の50歳組」について話を聞くと、昨日はいとこが走ったそうです。すると齋藤さん、ちょうど記念の焼酎が届いたばかりと、その焼酎を出してきて見せてくれました。地元では、華の50歳組に出場するとお祝いを貰うそうで、そのお返しに自分の名前を記したラベルの焼酎を作って配る習わしがあるとか(驚)。

一方の大島さんも、山手の山下地区へと移動します。人気のない裏道を歩いていると、庭先で鎌を研いでいるお婆ちゃんを見つけ、声を掛けます。92歳になるという池川さん、鎌を研いでこれから畑仕事に出掛けるそうです(汗)。そこで大島さん、池川さんと一緒に畑までついていくと、隣の畑でも、武内さんのお婆ちゃんが作業中。近所の石垣に座って二人のお婆ちゃんに話を聞くと、家に居たでは弱くなるばかりと、身体と相談しながらぼちぼちと畑仕事を続けているそうです。池川さんから沢山のサツマイモをお土産にもらった大島さん、ついでに良い人を紹介してもらえるそうなので、本気で阿久根への移住を考えようかと・・・(笑)。

再放送は、12月13日(金)午前0時55分~午前2時07分(木曜日の深夜)に、NHK総合で放送予定です。

 


番組内で紹介された 阿久根市の名物など

 令和元年11月18日(月)放送 22年ぶりの登場!西郷輝彦と愛媛県新居浜市ぶっつけ本番旅

旅のゲストは、歌手で俳優の西郷輝彦(さいごう てるひこ)さん。鹿児島県谷山町(現鹿児島市)出身の72歳。石原裕次郎や小林旭など日活俳優に憧れてオーディションに応募するも落選し、夢を諦めきれず高校を中退してヒッチハイクで大阪に出ます。アルバイトやバンドボーイとして生活しているうちに芸能事務所に誘われ、1964年に17歳にして「君だけを」でレコードデビュー。その年の日本レコード大賞新人賞を獲得し、映画デビューも果たします。また、NHK紅白歌合戦には’64年から’73年まで10年連続で出場。翌年には、共同出資により自らが社長となる芸能事務所を設立したほか、小説や作詞作曲を手掛けるなどマルチな才能を発揮し、1960年代を代表する青春スターへと登りつめます。歌手としては、橋幸夫や舟木一夫と共に「御三家」と称されました。私生活では、1972年に辺見マリさんと結婚し2児(長女は辺見えみりさん)を授かりますが、10年目にして離婚、その後に一般女性と再婚しています。2017年に前立腺がんが再発して仕事を離れますが、今年になって芸能活動に復帰。ラグビー・ワールドカップ日本開催にちなみ、7月から9月までTBSで放送された、池井戸潤氏原作の人気ドラマ「ノーサイド・ゲーム」にも出演し、注目を集めました。

旅の舞台は、四国の中北部に位置し瀬戸内海に面した、愛媛県新居浜市(にいはまし)。愛媛県では、松山市と今治市に次ぐ人口12万人を擁する、瀬戸内海有数の工業都市です。江戸時代に開坑され、世界一の産出量とも謳われた「別子銅山」が住友家により開発されて以来、住友化学や住友重機械などのメーカーがこの地で誕生し、住友グループの企業城下町として発展してきました。また1950年代には、川崎市・岩国市・四日市市とともに日本初の石油コンビナートが建設され、東予地方の産業をリードする化学工業の一大集積地ともなっています。

旅の目的を探してはみたものの、新居浜市で特にラグビーが盛んというわけでもなく、瀬戸内にあって漁業よりは工業が盛んな土地柄で、西郷さんの好物とも繋がりません(汗)。芸名の由来ともなった西郷隆盛は、愛媛県宇和島を訪れたことがあるそうですが、同じ愛媛県にあって新居浜とは距離が離れすぎていて、まったく想像が付きません(汗)。


ロケが行われたのは、令和元年9月25日(水)。ゲストは、なんとこの番組には1997年以来の22年ぶりの出演となる、西郷輝彦さん。当時の写真を見ると、西郷さん50歳、鶴瓶さんは45歳。お二人とも、とてもお若い!(笑)。

愛媛県新居浜市滝の宮町にある、「滝の宮公園」で待ち合わせた、鶴瓶さんと西郷さん。大池のほとりのベンチに座って、22年ぶりの番組出演を懐かしみます。今回は西郷さん、四国側から瀬戸内海が見てみたいと、愛媛県新居浜市を旅の舞台に選んだそうです。それなのに、なぜか待ち合わせ場所は、山の麓にある池。さっさと海を見に行こうと、車に乗り込んだ二人でした。すると、海に向かう途中、車窓から鶴瓶さんが見つけたのは、「つるべ」と書かれた喫茶店の看板!。車を降りた二人が、「ギャラリー茶房 つるべ」を訪ねると、女将の永易さんが出迎えてくれました。店名は、店の中に設えた井戸の釣瓶(つるべ)から付けた名前だそうです。二人はコーヒーを頂きながら店内を見回すと、なぜかゴジラの首が何体も飾られています。こちらの喫茶店はギャラリーにもなっていて、現在は、後ろにいる井上さんの作品が展示されているとか。ビックリして鶴瓶さんが振り返ると、そこに立っていたのは、後ろで二人の会話を楽しそうに聞いていた井上さん本人。井上さん自身も「ヒーローズタイム」という飲食店を開いているそうですが、自分の店に趣味のアニメの特撮物を飾っても、同じ趣味の人しか店に来てくれないので、こちらのギャラリーを借りて、趣味で自作したゴジラ等を展示させてもらうことにしたとか(笑)。

ここでスタジオから、西郷輝彦さんのヒット曲「星のフラメンコ」にのせて、新居浜市の魅力を紹介。
 まずは、『好きなんだけど~、離れてるのさ~』。そう、町の中心部から南に20km離れた場所にあるのが、「別子銅山」跡地。標高750mの山の中に眠る、産業遺産群です。この銅山は江戸時代に発見され、300年に渡って日本の産業の発展を支えました。現在、この銅山跡地は、”東洋のマチュピチュ”として注目を浴びています。
 次は、『好きなんだけど~、だまってるのさ~』。驢馬(ろば)のご主人、黙ってないで教えて欲しい、新居浜の美味しいものと言えば、「ざんき」。新居浜市民のソウルフードである、鳥のから揚げのこと。ごろっとした大きさで、外はカリッカリ、中はジューシー。戦後、銅山で働いていた中国人が伝えたとされています。
 最後は、『君は僕の心の星、君は僕のた~から』。新居浜市民の宝とは、毎年10月に行われる「新居浜太鼓祭り」。なんと50以上もの太鼓台と呼ばれる山車が、市内を練り歩きます。勇壮さと華麗さを競うお祭りです。

鶴瓶さんと西郷さんが、つるべの女将さんに教えられた「マリンパーク」を訪れると、そこで出会ったのは、新居浜東高校のヨット部の生徒と、OBで大学生の今津さん。この日は平日でしたが、学校の許可を得て、9月28日から10月2日にかけて茨木県霞ヶ浦で開催される国体のセーリング競技に出場するため、マリンパークから借りている艇の搬出作業に来たそうです。皆さんからヨット競技のことについて話を聞いた鶴瓶さん、目指すは入賞ではなく優勝と、けしかけます(笑)。艇庫の2階に上がらせてもらい、瀬戸内海のきれいな景色を見渡した、鶴瓶さんと西郷さん。目の前に見えた「大島」について高校生らに話を聞くと、美味しいと評判のパン屋があったり、伝説の「幽霊の片そで」が伝わっているとか。そこで二人は、大島に行ってみることに。しかし、大島に渡るには1時間に1本のフェリーしかないと聞いた鶴瓶さん、マリンパークの喜田さんに頼み込み、臨時で水上タクシーを出してもらうことに成功します。高校生たちが桟橋まで走ってきてくれて、二人の出航を手を振って見送ってくれました。その様子を船の上から見つけた、67歳と72歳の二人は、『青春だね~』と感慨深げ(笑)。

大島に渡った二人は、港でフェリーを待っていた、深川さんと松倉さんに出会います。話を聞くと、新居浜市内から大島へ月に1度、訪問理美容のサービスに訪れているそうです。お二人や、港で出会った大島の住人たちに、パン屋や幽霊の片袖について情報収集した鶴瓶さんと西郷さん、まずは歩いてパン屋を探すことに。途中で見つけたのは、それらしい「オカリナ工房」と書かれた看板。隣の畑で作業していた藤田さんご夫婦に話を聞くと、この工房は横浜に住む義弟がこっちに帰ってきた際にオカリナを制作している場所だそうです。すると藤田さん、今しがた「ジャックのパン屋」の奥さんが、犬の散歩で前を通ったばかりと、奥さんがパン屋まで案内してくれることに。

二人が、スイス人のジャックさんが開いているカフェ「BAUHAUS(バウハウス)」を訪ねると、生憎とジャックさんは新居浜市内に行っていて留守でしたが、奥さんのゑつこ・マニャンさんが二人を出迎えてくれました。ゑつこさんは、アニメ映像の背景美術が本業で、テレビアニメのドラゴンボールのオープニングやエンディングの背景も手掛けた方。今は、新居浜大島に住み、ゲームの背景画を手掛けているそうです。

鶴瓶さんと西郷さんは、ゑつこさんに案内してもらい、ゆうれいの片そで伝説が伝わる「願行寺」を訪ねることに。住職の長崎さんに案内してもらい、境内に展示されていた片袖や、その伝説の元となった巻物や幽霊が描かれた古い掛軸などを見せてもらうことができました。

いもたきここでちょっと一息、愛媛県新居浜市の「家族に一杯」の時間です。
 やってきたのは、垣生(はぶ)地区。今日は、年に1回の集まりに参加させて貰えることに。夕暮れ時に公民館を訪ねると、大勢の人が集まり、賑わっています。今日は、垣生校区の「いもだき」の日。本日の一杯は愛媛の郷土料理「いもだき」(”いもたき”とも)。地元の里芋に、しいたけや野菜をたっぷり入れた、醤油味のお鍋です。地区に住むお年寄りから子供たちまで、顔見知りでなくても、いもだきの日に集まって、皆で鍋を囲むことで、和気あいあいと楽しくなれます。いもだきは、心まで温かくなる一杯なんですね。ちなみに、今日の家族に一杯のコーナーのBGMは、『Dancing In The Moonlight』(Toploader)でした。

実は西郷さん、今回の旅でやってみたいことがあるそうです。昔、ロサンゼルスを旅をした際に、レモンの木の下で飲んだビールが忘れられず、その雰囲気が南国の四国で再現できないかと思ったとか(笑)。そこで西郷さん、長崎さんにレモンの木がないかと尋ねると、なんと裏山に植えてあるそうですが、まだレモンは緑色をしていて小さいそうです。それでもと、レモンの木が植わっている場所まで登ってみますが、眼下には寺の墓地が広がり、この場所で『ちょっとビールを』という雰囲気にはなれそうもありません(汗)。

一方の鶴瓶さんは、寺の裏山に登っていく西郷さんからそっと離れ、勝手に一人旅に出かけることに。ゑつこさんに案内してもらい向かった先は、馬やヤギ等を飼っているというマニャンさん家の牧場。7年前にこの島にスイスから移住してきたマニャンさん夫婦は、二人でチェンソーを振り回して、自力でこの広い牧場を開墾したんだそうです(汗)。マニャンさんご夫婦は、何十頭ものヤギや馬を飼育しているほか、ペットとしてポニーのヤマトや、クジャクのオードリー、ダチョウが数羽に、豚のウマソーまで飼っていて、さらに来週はミニブタが2頭来る予定だとか。その話を聞いた鶴瓶さん、呆れて『もう、やめなさい』と、たしなめます(笑)。

鶴瓶さんに置いてきぼりにされた西郷さんは、たまたま出会った地元の女性で西郷さんのファンという山本さんから、ここが村上水軍を指揮していた「村上邸」で、18代当主は大島交流センターに行けば会えると、案内してくれることに。すぐ近くと話す山本さんの後を追う西郷さんですが、結構歩いたと息が上がります。交流センターで冷たいお茶を出していただき、一服することができた西郷さんですが、今度は村上さんに案内してもらい、再び歩いて村上邸へと戻ることに(汗)。屋敷の中から庭へと降りると、ここにもレモンの木がありましたが、その木の高さは人の背丈ほど。しかし、せっかくだからと西郷さん、ビールが無いかと村上さんに訊ねると、なんとビールをグラスに注いで持ってきてくれました。さすがにレモンの木の下でビールとはなりませんが、村上邸の縁側に座り、まだ熟れてないレモンの実を眺めながら、ビールを頂く西郷さんでした(笑)。

それぞれ一人旅を楽しんだ鶴瓶さんと西郷さんは、大島の港で再会し、帰りのフェリーを待っていると、その到着したフェリーに乗って大島に帰ってきたのは、ゑつこさんのご主人のジャックさん。ようやくジャックさんと出会えた二人は、ジャックさんから島での暮らしぶりについて話を聞くことができました。

再放送は、11月22日(金)午前0時55分~午前2時07分(木曜日の深夜)に、NHK総合で放送予定です。

 


番組内で紹介された 新居浜市の名物など

 令和元年11月11日(月)放送 ISSAが初挑戦!大阪府田尻町ぶっつけ本番旅!

旅のゲストは、DA PUMPのリーダーで、歌手の ISSA(イッサ)さん。沖縄県沖縄市出身の40歳。幼少の頃から、安室奈美恵さんを輩出した沖縄アクターズスクールに通い、子役としても活動。1996年から沖縄アクターズスクールのメンバーとグループを結成し、1997年に「DA PUMP」としてメジャーデビューすると、すぐに数々のヒットを飛ばします。1998年には紅白歌合戦に初出場を果たし、2002年まで5年連続で紅白に出場。その後は、自身の舞台上でのケガや、メンバーの入れ替わり等があり、しばらく苦節の年月が過ぎますが、昨年は「U.S.A.」の大ヒットで、16年ぶりに紅白出場を果たしました。

今回の旅の舞台は、大阪湾に面し、泉佐野市と泉南市に挟まれつつ、沖合に浮かぶ関西国際空港の中心部分を擁する、大阪府 泉南郡 田尻町(たじりちょう)。2006年3月に、岐阜県墨俣町(現 大垣市)の廃止により”日本一面積の小さい町”(3.86km2)となりましたが、関空の埋立てにより面積が5.62km2に増えてしまい、同じ大阪府の忠岡町に”日本一”の座を譲ることになりました。人口は約8,800人です。特産品の「泉州黄たまねぎ」が特に有名で、日本で最も早くにタマネギ栽培が始まった地域だそうです。そういえば、ロケの頃はタマネギの種蒔きが始まる時期で、放送日の頃はタマネギの苗を定植する最盛期!。でも、たぶんタマネギは関係無いと思うので(笑)、ISSAさんがなぜ旅先に田尻町を選んだのかは不明です(汗)。沖縄出身のISSAさん、ひょっとしたら本州への最初の上陸地が関空だったりして!?。


ロケが行われたのは、令和元年9月1日(日)。「春日神社」の前にある公園で、鶴瓶さんと待ち合わせたISSAさん。先に到着すると、ロケに備えてナイキのシューズの手入れを始めます(笑)。心配事は、自分が”究極の人見知り”だということ。また、U.S.A.のヒットで顔を覚えてもらえる機会は増えたものの、果たして小さい子供からお爺ちゃんお婆ちゃんまで、どこまで知って貰えているのか、自分の知名度が気になるそうです。そこに登場したのは、小野アナウンサーいわく、”人見知りと対極の人”、鶴瓶さん(笑)。鶴瓶さんは、あれほどヒットしたU.S.A.の『カ~モンベイベー アメリカ』の”いいねダンス”の後で、次はどうするのか気になるそうですが、ISSAさんから、現在プロモーション中の『P.A.R.T.Y. ~ユニバース・フェスティバル~』の「バイーンダンス」のサビの踊りを教えてもらいました。どうやら鶴瓶さん、孫と一緒に踊るのが目的の様です(笑)。また、現在 全国ツアー中というISSAさんは、毎日リハーサルもあってギチギチの生活をしている中で、今日だけはのんびりしたいと、近場で田尻町を旅先に選んだようです(笑)。

公園で二人が話していると、ロケを見学しに、近所の人たちがたくさん集まってきました。遠慮がちな住人を、鶴瓶さんが順番に手を引いてベンチに座らせ、隣の人物が誰かと尋ねると、年配の女性まで皆、『ISSAさん』と名前を即答!。さらに、”いいねダンス”まで踊ってくれました(笑)。その知名度の高さに、鶴瓶さんも当のISSAさんも、驚きを隠せません。特に、子供たちからの人気は絶大で、集まってきた田尻小学校の5年生の男女6人の生徒たちは、ISSAさんに会えて大喜び。いいねダンスが踊れるどころか、リコーダーでU.S.A.の曲まで吹いてくれました。きっとお昼休みに、リコーダーの曲に合わせて、みんなでいいねダンスを踊っているんでしょうね(笑)。そこで鶴瓶さん、『ところで、オレは知ってるの?』と子供たちに尋ねると、全員が『見たことはあるけど、名前は知らない』と・・・(汗)。『ISSAに負けたわぁ~』と悔しがる鶴瓶さんでした(笑)。

ここでスタジオから、田尻町の魅力をビデオ紹介。町民たちが、大ヒット曲『U.S.A.』にのせて、田尻町を紹介してくれました。
 まずは『S.T.N.』、甘くてみずみずしい町の名物、「泉州たまねぎ」です。タマネギの栽培は明治時代に始まり、偉大な先人たちを称える石碑「泉州玉葱栽培の祖碑」もあります。もちろん、町のマスコットキャラクター「たじりっち」も、タマネギをイメージ。
 次は『A.K.K.』、エアポート関空です。1994年に開港した「関西国際空港」の真ん中部分、ほぼ3分の1は田尻町にあります。関空を利用する1日5万人の外国人は、田尻町に来ていることになるんです!。
 最後は『T.S.B.』、「田尻スカイブリッジ」です。関空からのお客様をお迎えする橋。遊歩道ではウォーキングも楽しめ、夕日がきれいなスポットとしても有名です。
 『カーモン ベイビー たじりへ、町は小さくても 魅力は大きい!』と、子供たちが”いいねダンス”を踊りながら、二人の旅を応援してくれました(笑)。

田尻町の住宅街を歩き出した、鶴瓶さんとISSAさん。二人がぶらぶらしていると、新築したばかりの家の前で手を振ってくれている住人を見つけた鶴瓶さん、その古渕さんのお宅を『新築訪問』することに(笑)。ちょうど、不要になった本棚をもらいに来たという、奥さんの妹さん夫婦も来ていて、皆さんから暮らしぶりなど話を聞くことができました。大学4年の息子さんは、Apple Loop United」というバンドでドラムを担当、『わがまま』というタイトルのCDも出していると、お父さんがそのCDを紹介してくれました。『見せんでええ』と恥ずかしがる息子さんに、『ようISSAに見せるなぁ』と冷やかす鶴瓶さんでした。続いて、近所に住んでいる、古渕さんのご主人の両親が住むお宅に案内してもらうと、なんとお父さんは鶴瓶さんと同じ浪速高校の出身で、鶴瓶さんより4年先輩だそうです。林家ぺーさんのことなど、浪高あるある話に花が咲く、先輩後輩でした(笑)。

二人が古渕さんのお宅を出ると、たまたま田尻朝市から帰るところと車で通りかかった漁師さんが、親父がISSAさんと同じ沖縄出身だと、沖縄名物のサーターアンダーギーを分けてくれました。ここで別れることにした二人ですが、ISSAさんは、その朝市が開かれている田尻漁港を訪ねてみることに。

一方の鶴瓶さんは、田尻町の住民に話を聞いていると、たびたび登場する『ハワイアン』という地区が気になり、その場所を探すことに!。それらしき住宅街を見つけますが、表には吉見地区との看板も。たまたまそこに車で通りがかった福留さん家族に話を聞くと、ハワイアンはもう少し先だそうです。しかし、親子の歳の差を感じさせない不思議な家族構成が気になった鶴瓶さん、福留さん一家を車から降ろし、道端でその関係を問いただすことに!(笑)。

田尻漁港の日曜朝市」を訪ねたISSAさんですが、既にすべての商店はシャッターを下ろし、小波津さんや吉田さんなど、残った数人の漁師さんがビールで一杯を始めているところでした。皆さんに、仕事や朝市の様子について話を聞いていると、バーベキューの準備が始まり、ISSAさんも相伴に預かれることに(笑)。バーベキューの準備をし、エビやサザエなどを焼いてくれたのは、小波津さんの息子の亮太くんと、友人の小林くん。話を聞くと、将来はお父さんの仕事を継いで漁師になりたいと話す亮太くん、学校が無い日はお父さんの船に乗って一緒に漁にも出ているそうです。そこでISSAさん、お母さんにも話を聞きたいと、小波津さんの自宅を訪ねさせてもらうことに。ISSAさんの突然の訪問に、ビックリするお母さんですが、なんとかお邪魔することに成功!。お母さんから、息子の漁師希望は反対であること、田尻町から出たこともなく外の世界をまったく知らないまま、危険な仕事には就いて欲しくないと聞いたISSAさん、自分の将来の道を選ぶのは自分だが、外の世界を知ることは大事と、亮太くんにエールを送りました。

福留さん家族と別れた鶴瓶さんは、再び車で移動していると、再度それらしき新興住宅地を見つけ車を降ります。道でスケートボードをしていた子供に聞くと、ここは”ハワイアン”ではなく、”ベイサイド”だそうです(汗)。そこに車で通りかかったのは、安宮さんの家族。話を聞くと、鶴瓶さんは田尻町から出て、隣の町まで来てしまった様です。ハワイアンの近くに住んでいるという安宮さん、これから家に帰るところと聞いた鶴瓶さん、車に乗せて貰い、ハワイアンまで連れて行ってもらうことに。すると安宮さんの奥さん、車中でハワイアンに住む友人の西野さんにLINEで連絡をすると、『鶴瓶止めておいて、おもろい姉妹行くから』との返信が!(笑)。ぜひ、そのおもろい女性に会いたいと、安宮さんに案内してもらい、西野さんのお宅を訪ねると、ちょうど一家大勢で外出先から戻られた所でした。ようやくハワイアンと呼ばれる新興住宅街を訪ねあてた鶴瓶さん、西野さんのお宅に上げてもらい、皆さんに、家族関係や暮らしぶりについて話を聞くことができました。

じゃこごうこここでちょっと一息、大阪府田尻町の「家族に一杯」の時間です。
 今日は、地元の名物を使った家庭料理が頂けると訪ねたのは、嘉祥寺地区にある一軒のお宅。お母さんが台所の隅にあった桶から出してきてくれたのは、1年漬けた水ナスの古漬け。それを縦に4等分し、じゃこと呼ばれる小エビと一緒に鍋に入れ、お酒と醤油、少しの砂糖で味付けをして煮込みます。ダシや水分は、エビや古漬けから出るものだけ。エビに火が通れば完成です!。本日の一杯は、アツアツご飯の上にのせた、「じゃこごうこ」。じゃこ(小エビ)と、こうこう(香々=香の物=漬け物)を一緒に炊くから、じゃこごうこ。近所の奥様方と一緒に、お昼を頂きます。こちらに嫁に来て時に初めて知ったお惣菜ですが、お姑さんから『じゃこごうこを食べないと泉州の嫁にはなれない』と言われたとか。この地域に暮らす人ならではの味なんですね!。ちなみに、今日の家族に一杯のコーナーのBGMは、『浜辺の歌』(Clementine)でした。

ISSAさんは、もっと多くの住民と出会いたいと、人が集まりそうな公民館を訪ねてみることに。「田尻町立公民館」の受付で相談すると、ちょうど料理室で和菓子作りの教室が開かれているそうで、案内してもらえることに。突然のテレビカメラとISSAさんの訪問に、ビックリしつつも、どうリアクションしていいのか分からず、もくもくと和菓子作りを続ける生徒さんたち(笑)。ISSAさん、自分にも教えて欲しいと、指導してたい元菓子職人の方に相談しますが、『できないでしょ~』と笑われてしまいました。余分な材料も無いそうです。すると生徒さんの一人が、『よかったらどうぞ』と、自分の材料を分けてくれて、ISSAさんも和菓子作りにチャレンジ!。見よう見まねで作ったISSAさんの和菓子、ほかの生徒さんからは、『ダイナミックでいいと思います』とのお褒めの言葉が(笑)。

鶴瓶さんは、関空が見える海辺「マーブルビーチ」へとやってくると、9月初めの日曜日ということもあり、まだ大勢の人が海遊びに来ていました。そこで出会ったのは、学習塾「BASIC個別指導学院」に通う生徒さんたち。夏季講習を頑張ったご褒美にと、塾の藤原先生がバーベキューに誘ってくれたそうです。鶴瓶さんが生徒の一人に、この夏の成果を尋ねると、中学三年生なのに『ハーバードに行けそうです!』と、夏季講習の手応えを教えてくれました(笑)。

もっと人に出会いたいとISSAさん、公民館のそばにあったスポーツ施設「シーサイドドーム」を訪ねると、屋内グラウンドでは奥様方がテニスを楽しんでいました。テニスをまったくしたことが無いというISSAさん、奥様方に誘われて、一緒にプレーすることに!。恰好こそぎこちないですが、ダンスで鍛えた運動神経の良さか、初めてにしては何球も続けて打ち返すことができたISSAさん、応援していた奥様方も大喜びです(笑)。束の間のひと時を、のんびり、楽しく過ごすことができたと、ISSAさんも大変うれしそうでした。

再放送は、アラブ首長国連邦のドバイで開かれているパラ陸上の世界選手権2019大会中継のため、12月6日(金)午前0時55分~午前2時07分(木曜日の深夜)に、NHK総合で放送予定です。

 


番組内で紹介された 田尻町の名物など

 令和元年10月21日(月)放送 大注目の23歳登場!小松菜奈と高知県いの町ぶっつけ本番旅

旅のゲストは、ファッションモデルで女優の小松菜奈(こまつ なな)さん。東京都出身で山梨県育ちの23歳。12歳の頃に、小学館の小学生向けファッション雑誌『ニコ☆プチ』でモデルデビュー。高校を卒業すると、2014年公開の映画『渇き。』に女優として初出演し、日本アカデミー賞 新人俳優賞などを受賞。2016年公開の映画『溺れるナイフ』では映画初主演を果たし、マーティン・スコセッシ監督の映画『沈黙 -サイレンス-』でハリウッド・デビューも果たします。今年5月公開の映画『さよならくちびる』では、役柄をそのままに門脇麦さんとのギターデュオ「ハルレオ」で、ミニアルバム『さよならくちびる』をリリース。11月1日に公開予定の、鶴瓶さん主演の映画『閉鎖病棟 -それぞれの朝-』には、父親からDVを受け精神科病院に入院する由紀役で出演し、鶴瓶さんとの共演を果たしました。今回は、この映画公開に合わせてのゲスト出演かと思います(笑)。

旅の舞台は、高知県の中央部に位置する、いの町(いのちょう)。愛媛県との県境にあり、高知市や愛媛県西条市等に挟まれて、四国の中でもほぼ中央部にあります。2004年(平成16年)に、旧 伊野町、吾北村、本川村が合併して誕生しました。「土佐和紙」の発祥の地として知られ、今でも製紙業が盛んで、数多くの製紙工場が立地しています。

小松さんが、なぜ旅先に”いの町”を選んだのか、理由を探してはみたものの、なかなか良い案が思いつきません。ひょっとしてですが、写真が趣味でカメラを何台も持っているという小松さん、奇跡の清流とも呼ばれる仁淀川の『仁淀ブルー』など、いの町の豊かな自然を撮影しに、高知県まで足を伸ばしたとか?(汗)。


ロケが行われたのは、令和元年9月8日(日)。生きるパワーが貰えることから自然が大好きという小松菜奈さんは、お兄さんのススメで、高知県を旅してみたくなったそうです・・・。

仁淀川の堤防で待ち合わせた、鶴瓶さんと小松さん。清流の仁淀川を期待していたのですが、生憎の雨降りで、仁淀川も増水(涙)。小松さんのことを娘のようにかわいがっている鶴瓶さんは、小松さんに一人旅をさせるのは酷と、しばらく二人旅を続けることに!(汗)。しかし、ナレーションの三宅さんは、『鶴瓶さん、”かわいい子には旅をさせろ”ですよ』と、チクリ(笑)。

堤防を下りて住宅街を歩き出した二人ですが、雨の中では人に出会えそうもありません。そこで鶴瓶さん、『こういう時は 店がイイ』と、看板を見つけた「ハマダ美容店」を訪ねることに。しかし、表のサインポールが回転し、”営業中”の札が掛かったドアも開いているのですが、いくら声を掛けても誰も出てきません(汗)。隣が自宅かと様子を窺うと、その隣にあったのは「森木美容院」。こちらを訪ねると、今度ははつらつとした女将さんが店の中にいて、孫3人と一緒に大喜びで二人を出迎えてくれました(笑)。孫たちのパパは、今日は地区の子供相撲大会があって出掛けていると聞いた鶴瓶さん、ぜひその相撲会場を訪ねたいと、紹介してもらうことに。二人が訪ねたのは、「伊野南小学校」の相撲場で開催されていた、少年相撲選手権大会。一番前の一等席で、子供たちの相撲を見学させてもらうと、子供たちの力の入った熱心な取組に、二人ともビックリ。中には、男の子を投げ飛ばしてしまう女の子も!。そこで鶴瓶さん、試合が終わった彼女に話を聞くと、水田さんのチームは三回戦に進出するそうです。引き続き、彼女の相撲を応援すると、今度は見事な押し相撲で、男の子を土俵の外へと押し出してしまいました。なんと水田さん、この日の6年生の部の個人戦で、男子に交じって準優勝を果たしたそうです。小松さんが付けた彼女の四股名は、名前といの町をくっ付けた、”ゆいなの丸”。まさに「はちきん」(元気でおてんばな男勝りの女性を表す土佐ことば)という表現がピッタリの、水田さんでした(笑)。

仁淀川紙のこいのぼり祭り

ここでスタジオから、いの町の魅力をビデオ紹介。小野アナウンサーによると、いの町には「いいねボタンいいね!」ならぬ、「いいの!」が沢山あるそうです(笑)。
 いの町の いいね!といえば、まずは「仁淀川」。清流・仁淀川が流れるいの町では、水遊びが色いろ。家族揃っての川辺でのキャンプに、カヌーでの川下り、最近ではボートに立って漕ぎ進むSUP(サップ)も。中でも極め付きは、川面に石を投げて遊ぶ”水切り”。いの町では、石が跳ねた回数、飛距離、美しさを競う国際大会「仁淀川国際水切り大会」が毎年開催されています!。楽しいぃの~(笑)。
 次は、マラソン歴40年の土井さんが日々トレーニングに勤しんでいる目的、「四国のてっぺん酸欠マラソン大会(PDF)」。その名の通り、標高1700メートルの過酷な環境で行われるマラソン大会です。絶景が楽しめるコースですが、残念ながら去年と今年は悪天候で中止に。来年こそは走りたいぃの~(笑)。
 土井さんの足腰の強さにも負けないのは、「土佐和紙」。薄くて強いのが特徴の土佐和紙の産地として、いの町は古くから栄えてきました。現在も数多くの製紙工場が軒を連ねる、紙の町です。そんないの町ならではの”春の風物詩”が、清流・仁淀川を泳ぐ「紙のこいのぼり」。この景色、美しいぃの~(笑)。

相撲会場を後にしようとした鶴瓶さんに、次から次へと人が話しかけてきます。鶴瓶さんと同い年という尾中さんが紹介してくれた子供は、孫かと思いきや、実の息子だそうです!。少子化に歯止めをかけようと頑張っているとか(汗)。次に出会ったのは、枝川小の横綱という、小学生にしては一際大きな体格をした山崎君。お母さんのお母さんが南アフリカの方だそうで、端正な顔立ちに、その面影が窺えます。そして、そこに挨拶に来てくれたのは、鶴瓶さんとももいろクローバーZが一般視聴者や著名人をスタジオに迎えて、相談に答える形でトークを繰り広げる関西テレビの番組『桃色つるべ』に以前出演してくれた、鶴瓶さんの大ファンという琴ちゃん。偶然にもいの町に住んでいて、再び鶴瓶さんに会いに来てくれたそうです。ハグがしたいと鶴瓶さんに抱き付いた琴ちゃん、とても幸せそう(笑)。琴ちゃんを連れてきてくれたのは、お祖父ちゃんの川村さん。川村さんいわく、『琴ちゃんが(鶴瓶さんに)コトハウスへ来て欲しいって』と話しますが、当の琴ちゃんは、『そんなこと言ってないで、なに言うが!』と本気モードで怒り出します(汗)。どうやら、コトハウスに来て欲しかったのは、お祖父ちゃんの方だった様です(笑)。町中に住む琴ちゃんと離れ、山の上の方に住んでいる川村さんは、孫に遊びに来てほしくて、家にツリーハウスを自作、コトハウスと名付けたとか。その場所までは車で40分も掛かるそうですが、『景色は最高』と聞いた鶴瓶さん、見に行ってみることに!。

車で移動を始めた鶴瓶さんと小松さんですが、ただ車に40分も乗っていたのでは”撮れ高”が心配になった鶴瓶さん、途中で見かけた「高知アイス売店」で車を止め、撮影に立ち寄ることに。二人はわらび餅(500円)の他に、鶴瓶さんは土佐ジローのタマゴを使ったソフトクリーム(350円)、小松さんは塩ソフト(380円)をチョイス。窓際の席からは、眼下を流れる清流・仁淀川を眺めることが出来、『すごーい!うわぁー、ぜいたく~』と感動する小松さん。ソフトクリームを食べて一服しつつ、店員の小西さんを捕まえて話を聞き、”撮れ高”を繋いだ鶴瓶さんでした(笑)。

小川東津賀才地区に入ると、大きなロケバスでは通るのが困難に思えるほど、狭くて急な坂道となり、鶴瓶さんはビビりまくります(笑)。狭い山道を車でしばらく登っていくと、ようやく川村さんのお宅に到着。来年にはカフェをオープンさせる予定だそうですが、『こんな所、誰が来るの?』と、あきれる鶴瓶さん(笑)。すると川村さん、『(琴ちゃんが)鶴瓶さんにアレ乗ってもらいたい言うんで』と、また琴ちゃんをダシに使い、鶴瓶さんを誘います(汗)。川村さんが鶴瓶さんに乗ってもらいたかったのは、坂道の脇に張ったワイヤーロープを、漁業で使う浮き玉がぶら下がって滑り降りる、お祖父ちゃんお手製のアスレチック遊具!。しかし鶴瓶さんは、強度が心配と、乗ることを拒否(笑)。続いて案内されたコトハウスは、なかなか立派な出来栄え。しかしベランダに出てみると、その高さに鶴瓶さんもビビります(汗)。地面の上に立つ自宅でさえ、急峻な山肌に張り付く様に建てられているのに、コトハウスは急な斜面に生えた木の上にあるツリーハウス。その高さは半端でありません。早々に山を下りることにした鶴瓶さんでした(笑)。

豚と野菜のしょうが焼き丼ここでちょっと一息、高知県いの町の「家族に一杯」の時間です。
 川で遊ぶとお腹が減るので、そんな日はガッツリいきたいですね。今日訪れたのは、「いの生姜焼き街道」に名を連ねる一軒のお店、「あんど亭」。高知は生姜の名産地です。たっぷりの野菜と豚肉を炒めて、秘伝の生姜スライスたれを加えて和えれば、「豚と野菜のしょうが焼き丼」(1,200円)の完成!。砂糖醤油で煮込んだ地元産の生姜のスライスがたっぷり入った、生姜が主役の一杯。地元の人たちにも大人気のランチです。『甘辛い味付けで、辛みがまろやかで食べやすいです』と、女性のお客さん。『生姜は身体にいいし、冬はかぜもひかないし、高知の生姜が一番です』と、店主のお母さん。心も身体も暖かくなる、はちきんのお母さんの愛情が詰まった一杯です。ちなみに、今日の家族に一杯のコーナーのBGMは、『Sugar Sugar』(The Archies)でした。

再び町の中心部へと戻った鶴瓶さんと小松さん、最初に相撲大会があることを教えてもらった「森木美容院」を訪ねます。鶴瓶さんが女将の森下さんに、これから小松さんが一人旅する先を紹介して欲しいと相談すると、既に森下さん、東京で演劇をしていて地元に戻ってからも演劇活動をしている方と 高知新聞の夕刊で四コマ漫画を描いている方を、店に呼んでいるそうです(笑)。さらに店内には、息子の結婚式の衣装合わせに来たと、近所の魚屋さん「魚兼」の三代目ご夫婦も。しかし、このまま森下さんに任せたら、全部仕切られてしまうと案じた鶴瓶さん、小松さんを店の外へと連れ出すと、ここを離れ一人で好きにさせてあげることに(汗)。すると森下さん、『せっかく紹介しようと思ったのに、頑張りなさい』と小松さんを見送りますが、とても残念そう(笑)。

ひとり森下美容院に留まった鶴瓶さんは、『俺のペースで回さして』と、なんとか森下さんの横やりをかわしつつ、魚屋「魚兼」のご夫婦や、店に集まってきてくれた漫画家の村岡マサヒロさんご夫婦、女優の浜田あゆみさんから、いの町での暮らしぶりなどについて話を聞くことが出来ました(笑)。

年賀切手 お年玉切手 平成28年 小型シートついに一人旅となった小松さん、町を歩いていると、お店らしき古い商家を見つけ、訪ねてみることに。出迎えてくれたのは、田村さんの奥さんで、古民家の中には土佐和紙を使った張り子の干支人形がいっぱい展示されています。そこは、人形作家の田村雅昭さんのギャラリー「草流舎」。田村さんが製作した「張り子の申」は、年賀切手の絵柄にもなったそうです。人形の中には、数珠や羽根突きの羽根の錘にも使われているムクロジ(無患子)の実が入っているとか。そこで小松さん、人と出会えそうな場所を尋ねますが、『いの町で日曜日に開いているのは、散髪屋とウチくらい』と言われてしまいました(笑)。

女優をしている浜田さんから、実家は製紙会社と聞いた鶴瓶さん、お宅を訪ねさせてもらうことに。実家は山の上にあり、最後は車を降りて歩かないとならないとか(汗)。浜田さんに案内してもらい、実家を訪ねる途中、「鹿敷製紙株式会社」の工場に立ち寄ってみますが、生憎と日曜日で閉まっています。そこで、浜田さんが親に電話をするも、外出していて実家には誰もいないそうです。とは言え、山の上にあるという家が気になった鶴瓶さん、辛い坂道を上り実家を訪ねると、そこでの暮らしぶりなどを浜田さんから聞きました。

再び町を歩き出した小松さん、喫茶店とか無いかと探してみると、なんとそれらしき看板が!。しかし、せっかく見つけた「カフェ ミルク」は、日曜日は午前中のみの営業で、既に閉まっています(汗)。すると、そこへたまたま車で帰ってきた方から、前の店に『ガンダムおりますよ』と声を掛けられ、小松さんがシャッターが半分だけ開いていた「岡林商店」の店内を覗いてみると、なんとそこには、等身大のバックキャノンを装着したガンダムF91と、赤い彗星のシャア・ザクが飾られています!(驚)。店内で棚卸をしていた店主の岡林さんに話を聞くと、いの町ではスーパーも日曜日は定休日だとか(笑)。すると、先ほどガンダムがいると教えてくれた奥さんが、閉まっていたシャッターを上げて、店を開けてくれました。店内に入ると、そこには段ボールで作られたトトロやメイちゃん、ネコバスに、天空の城ラピュタに登場するロボット兵など、ジブリのキャラクターが沢山飾られています!。さらに一際目を引いたのは、巨大な戦艦大和。全部ご主人が、段ボール箱を再利用して手作りしたものだそうです。大和の製作には4ヶ月も掛かったとか(汗)。天空の城ラピュタのドーラ一家の飛行船・タイガーモス号は、なんとプロペラが電動で動きます!(驚)。八百屋のおじさんが段ボール箱で手作りしたフィギュアにしては、クオリティが高すぎると、小松さんも唖然とするばかり(笑)。

鶴瓶さんが、ようやく浜田さんの実家の前の急な坂道を下りきると、近くにある「丸英製紙株式会社」の社長、浜田さんの家の末っ子が駆け寄ってきてくれました。そこで鶴瓶さん、丸英製紙を継いだ三代目の浜田さんのお宅を訪ね、ご家族の話などを聞いていると、女優の浜田さんの実家のお婆ちゃんとお母さんも帰ってきて、運よく皆さんと出会うことができました。

再放送は、10月25日(金)午前0時55分~午前2時07分(木曜日の深夜)に、NHK総合で放送予定です。

 


番組内で紹介された いの町の名物など

 令和元年10月7日(月)放送 伊豆の奇跡SP!松岡茉優と静岡県下田市ぶっつけ本番旅!

旅のゲストは、女優でタレントの松岡茉優(まつおか まゆ)さん。東京都出身の24歳。8歳の時に、当時3歳だった妹の日菜さんがスカウトされ、その面接でお姉ちゃんもと誘われ事務所に入ります。13歳の頃にテレビ東京『おはスタ』の”おはガール”として本格デビュー。その後は主に女優業に活動の場を移し、2013年上半期のNHK連続テレビ小説『あまちゃん』では、ご当地アイドルグループ「GMT」の埼玉県出身メンバーの”入間しおり”役を演じて注目を集めます。2018年6月に公開された是枝監督の映画『万引き家族』にも出演し、日本アカデミー賞 優秀助演女優賞などを受賞しました。私的には、映画『ちはやふる』で松岡さんが演じた、スノー丸をこよなく愛するかるたクイーン、”若宮詩暢”役のツンデレさが魅力的でした(笑)。

旅の舞台は、静岡県の東部にある伊豆半島の南端部に位置する、下田市(しもだし)。下田港は、江戸時代には江戸と大坂とを結ぶ海運船の風待ち湊として栄え、1854年の日米和親条約により箱館とともに開港し、幕末の様々なエピソードの舞台となりました。昭和に入ると、『伊豆の踊子』の舞台として観光人気に火が付き、バブル時代の最盛期には年間600万人を超える観光客が訪れましたが、今ではその数が3分の1にまで減少し、観光産業の復興が市の課題となっています。

下田といえば、温泉のほかに、金目鯛やサザエなどの海産物が有名。しかし、食べることが大好きという松岡さんですが、大好物は麺類やご飯で、おかずは梅干しと味噌汁があれば十分だそうですから、旅の目的には繋がりそうもありません(汗)。後は、アウトドア派で山ガールとしても知られる松岡さん、何処か登りたい場所があったのかも?。


マクドナルド「チキンバーガー ソルト&レモン」のCMロケが行われたのは、令和元年8月28日(水)。静岡県下田市の蓮台寺地区にある、「松陰通りの足湯」で待ち合わせた、鶴瓶さんと松岡さん。松岡さんにとって鶴瓶さんは、恩人なんだそうです!?。松岡さんがまだ売れていなかった15歳の時に、同年代の子たちが主演をしたり連続ドラマに出たりしているのに自分は仕事すら無いと落ち込んでいると、やっと受かったオーディションのCMの撮影で鶴瓶さんと共演(日本マクドナルドのチキンバーガー・ソルト&レモンのCM、女子高生と足湯・new「初恋」篇)。すると撮影スタッフから、鶴瓶さんが褒めていたよという話を聞き、再び頑張る勇気が出ましたと、当時のことを振り返ってくれました。

伊豆下田外浦海の塩一方、新幹線が停電で止まってしまいロケのスタートに40分も遅れた鶴瓶さん、”撮れ高”が気になり松岡さんに、『何でここやねん? こんな時間やから早よせなあかんでぇ』とせっつきます(汗)。すると松岡さん、数年前から大切に食べている塩があるそうです。台所から持ってきたと、ビニール袋から取り出したのは、【伊豆下田 外浦の海の塩です】と書かれたラベルが貼られた塩の容器。もう塩はちょっとしか残っておらず、容器をひっくり返して見る鶴瓶さんが塩をこぼしてしまわないかと心配する松岡さん(笑)。すると鶴瓶さん、『塩やでぇ、そーんな違うかぁ?』と、えらくバカにした様子(汗)。そこで松岡さん、『じゃぁ食べてみますか?』と、塩をちょっと指で掴み鶴瓶さんの手に置くと、今度は『少なっ!』と鶴瓶さん。しかし舐めてみると、『おー、わかる! 塩辛いけど綿菓子みたいにフワッとなって、何やこれ!?』っとビックリ!。松岡さんによると、キュウリの塩もみでも、この塩を使ったら逸品になるそうです。しかしこの塩、東京には出回っておらず、地元の直売所にもなかなか卸されないと知った松岡さん、この塩を作っている人に会ってお礼を言いつつ、できればもう一つ貰いたいと、下田を旅先に選んだそうです(笑)。ちなみにこの塩、運が良ければ地元の農産物直売所「季ごころ」や「旬の里」などで販売されていて買うことが出来るようですが、この放送で当分は品切れが続きそうですね(汗)。

そこで鶴瓶さん、途中で出会った村山さんの奥さんに、この塩を作っている所を知らないかと尋ねると、外浦は海の方で、この辺りでは塩は作っていないそうです。しかし、塩のラベルに書かれていた生産者の名前が「村山英夫」だと聞くと、なんと奥さんの親戚の方だということが判明!。奥さんと一緒に家に戻り、そのラベルに書かれていた電話番号に電話すると、奥さんは自分の名前も名乗ることなく、『英夫さん?、いま鶴瓶さんが来て・・・』と話し込みます。するとそこに、何やら玄関先が騒々しいと家の中から出てきたのは、村山さんのご主人。鶴瓶さんから事の成り行きを聞くと、親戚の英夫は船乗りで、塩を作っているなんて話は聞いたことが無いと・・・(汗)。そこでご主人、親戚の英夫は同姓同名の別人で、これは自分が地元の高校で体育教師をしていた時の教え子の村山英夫だと言い出します!。とりあえず、親戚の英夫さんではないことが判明した鶴瓶さん、電話の向こうにいる塩作りの村山秀夫さんに住所を訊ね、これから伺わせてもらうことに(笑)。しかし、せっかく村山さんのお宅を訪ねた鶴瓶さん、玄関先に座り込み、ご夫婦に馴れ初め話などを聞きました。一方、村山さんの奥さんは、家の裏手にある「吉田松陰寓寄処」も訪ねて欲しかったと、とても残念そう(笑)。

黒船ミュージアムここでスタジオから、下田市の魅力をビデオ紹介。小野アナウンサーによると、松岡さんは「ハロー!プロジェクト」というアイドルグループが大好きで、中でも松岡さんなりの”推し”(一推しのメンバーという意味)があるとか。そこで、下田にも松岡さんに推してもらいたいアイドルたちが沢山いると、それぞれ自己紹介してくれることに(笑)。
 エントリーナンバー1番は、「下田海中水族館」で毎日ショーに出演しているバンドウイルカの、ランちゃん、ミカンちゃん、スカイちゃん。得意技は、お客さんへの”水しぶき”(笑)。
 エントリーナンバー2番は、パッチリお目目に赤いドレス、下田の美味しいアイドル「キンメダイ」。下田市は、金目鯛の漁獲量が日本一、一年を通して水揚げされています。得意技は、”早変わり”。定番の煮つけや刺身から、チャーハンにハンバーガーといったご当地グルメまで、変幻自在。
 エントリーナンバー3番は、「ペリー」。江戸時代、鎖国をしていた日本を開国に導いたペリーは、いまや下田のアイドル。彼の歩いたペリーロード、はまさに聖地。黒船を再現した遊覧船で、クルージングも出来ますよ。黒船ミュージアムに飾られた巨大なペリーの似顔絵とのツーショットは、インスタ映えすること間違いなし!?(笑)。

民宿 末拡ようやく塩を作っている村山英夫さんと会えた、鶴瓶さんと松岡さん。なんと村山さんは、蓮台寺に住んでいる同姓同名の村山英夫さんのことを知っているそうです。詳しく話を聞くと、船乗りだった蓮台寺の英夫さんは、当時タクシーの運転手をしていた自分の何倍もの高給取りで、その給料が自分の銀行口座に間違って振り込まれたことがあったとか!(笑)。ちなみに、村山さんは高校には行っていないそうなので、先のご主人の教え子という主張も、全くの人違いでした(笑)。村山さんのご自宅に伺うと、家には民宿「末拡」という看板も掛かっています。しかし、7月に奥さんがケガをして入院してしまい、今は素泊まりのみ受け入れているとか。82歳になる村山さん、シーツや枕カバーを取り換えるだけでも大変そうですが、新聞配達業をしているお姉さんから頼まれて、この地区の集金をして回っているそうです。そして、涼しくなるこれからの時期には、塩作りも始めるそうです。さらに若いころに、船乗りやタクシー運転手をし、趣味では津軽三味線の小山流を極めて武道館で演奏したこともあったとか(驚)。多忙を極める村山さんですが、するとそこに掛かってきてた一本の電話。話を聞くと、なんと塩作りの取材の依頼だそうです!。取材だと、このシーンを撮らせて欲しいとか要望が多いので、打ち合わせをしないことには今すぐハイとは答えられないと返答する村山さん。その話を横で聞いていた鶴瓶さんは、自分らはアポ無しで突然訪ねてきたため、失礼しましたと恐縮しきり(汗)。松岡さんは、家に取り置きしてあった塩を頂いて帰ることができ、大喜びです(笑)。

ここで二人は別れ、一人旅に。鶴瓶さんと別れた松岡さんは、村山さんのお宅を訪ねる際に通りかかった、干物屋の「万宝商店」を訪ねることに。生憎とこの日は定休日でしたが、向かいの店舗「ひもの 万宝」では、商品の干物を囲炉裏の炭火で炙って頂くことが出来るそうです。出迎えてくれたご主人に案内してもらい、お店の中を見させてもらった松岡さんですが、インタビューするまでもなく、話好きのご主人が、いろいろと店のことやご家族のことを話してくれました(笑)。

下田 晴レ屋

一方の鶴瓶さん、外浦海岸の海辺を歩いていると、大きな浮き輪を背負って海から上がってきた、大学生の楠田さんと出会います。夏休みに大阪から来て、伊豆下田温泉宿「晴レ屋」で、住み込みのバイトをしているそうです。すると楠田さん、何かを思い出したように話そうとしますが、『言ったらダメって言われているで・・・』と口ごもります。鶴瓶さんがしつこく聞くと楠田さん、『あの窓が開いている3階の部屋に、ギタリストのCharさんさんが泊まっているんですよ』と、口止めされていたのに簡単に漏らしてしまいました(汗)。すると、Charさんと仲がいい鶴瓶さん、その窓に向かって大声で『チャー!』と叫びます。何事かと、部屋の奥から外を窺うCharさん、鶴瓶さんに気が付くと、外まで聞こえる声で『ハハハ』と大笑い(笑)。携帯でCharさんに電話を掛け、後ろの建物の3階の部屋に隠れるCharさんに、事の成り行きを説明する鶴瓶さんでした。

ここでちょっと一息、静岡県下田市の「家族に一杯」の時間です。
 やってきたのは、下田駅から歩いて10分ほど、ペリーロードの近くにある食事処「黒船屋」。今日は、港町ならではの豪快な一杯が頂けるそうです!。さっそく出して頂いたのは、大きな丼ぶりから更にはみ出すほど大きなかき揚げが載った、超ビッグな「サザエのかき揚げ丼」。たっぷり入っているサザエは、下田の海で揚がったもの。『見てビックリ、食べてビックリ、だけど皆さん完食です』と話すのは、美人の女将さん。常連の若いお客さんたちは”お母さん”と呼んでいて、店が開いているかLINEで聞いてやってくるそうです(笑)。お母さんのでっかい愛情が、最高のトッピングなんですね!。ちなみに、今日の家族に一杯のコーナーのBGMは、ボサノバ風にアレンジされた『サザエさん・メドレー』(Clementine)でした。

松岡さんが新たな出会いを求めて住宅街を歩いていると、藤井さんのお宅の玄関先にいた、赤ちゃんを抱いた若いお母さんが手を振ってくれたので、思わず話しかけます。すると、お父さんも出てきてくれたので、ご家族のことについて話を聞くと、棟続きの3世帯住宅の大きなお宅に、長男夫婦と次男夫婦も一緒に住んでいて、全部で10人世帯だそうです。そして、近くで長男が営んでいる旅館を、一家全員で手伝っているんだとか。旅館でお客さんに出すアワビは、お父さんと次男が交代で潜って捕ってくるそうです。するとお父さんから、『アワビ食べる?』と聞かれた松岡さん、もちろん『いいんですか?』と(笑)、アワビをご馳走して貰えることに!。

蒼海の宿 ならいの風

皆さんに案内されて訪ねたのは、家の近くにある伊豆下田温泉「蒼海の宿 ならいの風」。宿にいたのは、女将のお母さんと、長男夫婦。生簀から一番大きなアワビを選んでもらい、さっそく厨房で捌いてもらったアワビの刺身を、食堂で皆さんと一緒に頂くことに!。とはいえ、箸をつけるのは松岡さんだけ(汗)。そこで松岡さん、村山さんに頂いた塩を取り出すと、『この塩を付けて食べてみませんか?』と、皆さんを相伴に誘います。毎日アワビを扱っていても、自分たちの口に入るのは年に2回くらいというお父さん、遠慮しつつアワビに手を伸ばすと、初めて食べた塩の味に、『甘いね』との褒め言葉!。気を良くした松岡さん、さっき横を通った冷蔵庫の中に何やら瓶が入っていたと、冷蔵庫から冷酒「下田黎明」を出してもらい、『下田トリプルショットで行きましょう!』と意気揚々(笑)。下田産のお酒を飲みながら、下田産のアワビを下田産の塩に付けて頂くとは、何とも贅沢!。日本酒を塩で飲むのが好きと話す松岡さん、24歳の女優にしては貫禄ある飲みっぷりで、『うまぁ!』とご満悦(笑)。

一方、鶴瓶さんが「外浦海水浴場」の砂浜を歩いていると、泣いている子供が気になり、久保さん親子に声を掛けます。すると、子供が身に着けていた浮き輪には、ミニオンのキャラクターの絵が!。そこで鶴瓶さん、『グルーやで、カチコチ光線!』と、グルーの声で子供を笑わせようとしますが、子供はうつむいたまま、ニコリともしません(汗)。皆で一緒に写真を撮ることにしますが、お父さんに抱かれた子供は、さらに声を張りあげて泣きじゃくります(笑)。その後、赤ちゃんを抱いた若い平子さん夫婦から声を掛けられた鶴瓶さん、話を聞くと、結婚してすぐに東京から下田に移住してきたんだそうです。

次に松岡さん、子役の時から芸能界に身を置き、他の何かに打ち込んだ経験が無いことから、何かに打ち込んでいる子供に出会って話を聞きたいと、そんな子供を探して町へと向かうことに!。商店街を歩いていると、酒屋「土屋商店」の前で立ち話をしている人達を見つけ、声を掛けます。すると、女将の金澤さんが、松岡さんのことを知っていてくれました。そこで松岡さん、金澤さんに何かに打ち込んでいる子供に会いたいと相談すると、近所の鰻屋「小川家」を紹介してくれることに。お父さんがプロボクサーのライセンスを持っていて、店の前の駐車場で、長男の子と熱心にボクシングの練習をしているそうです。金澤さんに案内してもらい、小川さん家を訪ねると、お父さんも太一くんも快く松岡さんの依頼に応えて、スパーリングを見せてくれることに!。マウスピースにヘッドギアとグローブを身に着け、お父さんと打ち合う太一くん、軽くと言いながら、ストップウォッチできっちり計った2分間、二人とも息つく暇もなく、本気でバシバシと打ち合っています(汗)。2分経つと、太一くんは暑さと疲れで意識は朦朧とし、息はハァハァ!。それでも、『学校帰りに何時もこれやってるの?』という松岡さんの問い掛けに、何とか答えようとしてくれました(笑)。お父さん的には、子供に強くなってもらいたくて始めたので、もう十分強くなったし止めてもいいかなと思っているそうですが、当の太一くんは、最初は嫌だったのに、だんだん楽しくなってきて、『えぇぇ、まだヤル!』と(笑)。将来の夢はプロボクサーと話す小学4年生の太一くん、日本ボクシング連盟の規定により小学校5年生にならないと試合には出られないそうですが、来年は試合に出られるので、その時は松岡さんに観に来て欲しいと、メッセージを伝えてくれました!。

一方の鶴瓶さんは、人を探して海辺を歩きますが、生憎と肌寒い日で、滅多に人と出会えません。漁港の方まで足を伸ばすと、家の前でバスケットボールをして遊んでいる子供たちを見つけ、声を掛けます。近所に住む佐々木くんと豊留くん、春日くんの3人は、学年もバラバラですが、とても仲が好さそう!。鶴瓶さんが子供たちに、夏休みの思い出話を聞いていると、近所に住む山梨さんのお婆ちゃんも出てきてくれました。鶴瓶さんと子供たちが座って話をしていたベンチが置かれた家は、子供たちの内の誰かの家かと思いきや、以前は漁師をしていたという一人暮らしの加藤さんのお宅で、山梨さんが家の中を覗くと、窓を開けたまま昼寝をしているそうです(汗)。耳が遠くなった加藤さん、子供たちの遊び声や、鶴瓶さんらの会話も、ちょうどいい子守唄代わりだった様です(笑)。

再放送は、10月11日(金)午前0時55分~午前2時07分(木曜日の深夜)に、NHK総合で放送予定です。

 


番組内で紹介された 下田市の名物など

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